「ばらされたくなかったら結婚してくださいませんこと?」「おれの事が好きなのか!」「いえ全然」貴族嫌いの公爵令息が弱みを握られ令嬢に結婚させら

天知 カナイ

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なぜこうなってる??

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ダロエ家はごく普通の貴族の家だった。フォンティール曰く、ダロエ侯は領政もよく、商売気もあることから財務状態も健全で家族仲もいいらしい。子どもは嫡男、長女、サイ―シャ、次男という四人だそうだった。嫡男はもう領地経営にも関わっており、長女は同格の貴族に嫁いでいるとのことだった。
家の中は華美ではないが品のいい上質な家具で飾られており、そのインテリア自体はアレスティードをほっとさせた。
ダロエ侯は人のよさそうな紳士で、「昨日のパーティーで意気投合した、とサイ―シャから聞いた時は驚きましたよ」と言いながらにこにこと椅子を勧めてくれた。
アレスティードは、こちとらてめえの娘の性悪さに驚いてるよ、と心の中で毒づきながらにっこり微笑んで父からの書状を渡した。
その後、婚約の条件などを詰め早めに婚約式を挙げる手配をする。そこでようやく、サイ―シャが呼ばれやってきた。
サイ―シャは今日はクリーム色のシンプルなワンピースを着ていた。その装いを見て、本当にこの令嬢は自分を好きでも何でもないのだとアレスティードは実感した。好きな男が婚約の手続きをしにやってくるのに、こんな飾り気のないワンピースを選ぶ令嬢はいないだろう。化粧もあまりしているようではなく、ひょっとしたら素顔なのかもしれないとさえ思えた。艶のある黒髪が唯一、美しく結い上げられておりサイ―シャを彩っている。
「あら、早速お越しいただいてありがとうございます、カラエン公令息」
かりにも結婚してくれと言った男に、家名に令息はないだろう。半ば呆れながら微笑んでいるサイ―シャを見つめた。ダロエ侯も驚いたようで、小さな声で「カラエン公令息‥」と呟いている。
アレスティードは気を取り直し、サイ―シャに話しかけた。
「サイーシャ殿、あなたの顔を見れて嬉しい。婚約式の話をしたいと思ってお呼びいただいたのだが」
サイーシャは立ったまま、にっこりと微笑んだ。
「あら、ありがとうございます。でも、特に婚約式など挙げなくても構いません。書式さえ揃えていただけましたならそれで私は満足です」
‥広い応接間に、妙にサイーシャの声が響き渡った。ダロエ侯もアレスティードも今言われたことが理解できずにただ黙ったままサイーシャを眺めた。
貴族令嬢にとって、人生には三大イベントがあるといわれる。舞踏会へのデビュタント、婚約式、結婚式だ。それぞれドレスや装いに趣向を凝らし、悔いのないようにするものだ。母親や姉妹などと話し合いながら様々に準備をするものである。

それをこの令嬢は、「要らない」と言ったのだ。

ダロエ侯はあっけにとられた後、慌ててサイーシャに声をかけた。
「サシャ、そんな、お母様ときちんと相談はしたのかい?」
サイーシャはなぜそんなことを言われるのかわからないというような顔をしてダロエ侯に返事をした。
「あら、私の婚約ですし、私がしたくないといっているならそれでよろしいのではないでしょうか?カラエン公令息もお忙しい身の上でしょうし、そんなことに煩わされるのはお困りでしょう?」

なんだ、これはなんだ。
何と答えればこの女にとっての正解になるのだ。
もちろん、好きでもない、脅されての婚約、結婚であるからアレスティードにとってすればやらなくていいならやりたくない。
だが、婚約式だ。これをやらなかったことで後々脅されたりはしないのだろうか。
そのアレスティードの逡巡を見て取ったのか、サイーシャはくふふと悪戯っぽく笑った。
「令息、御心配には及びません。後からやりたかった、などとは申しませんので。何でしたら書状に残しておきましょう」
サイーシャはそう言うとようやくソファに腰かけ、机の上に準備されていた白紙を取り上げ、「婚約式を挙げなくても構わない」という旨を記してサインを入れ、アレスティードに渡してきた。
「はい、どうぞ。‥あと、お父様、お願いがありますの」
「な、何だねサシャ」
ダロエ侯は棒を呑み込んだような顔でサイーシャに返事をした。
「婚約式に本来かかるはずだった金額を、私の個人資産として嫁入りに持っていきたいんですけどよろしいですか?持参金とは別にしたいんです、投資などに使いたいので」
アレスティードはまた自分が変な顔をしているだろうと思った。‥‥何だこの女は。嫁いできてその後も自分で資産運用を続けるつもりなのか。だとすれば豊富なカラエン家の資産が目的という訳でもないのか。
サイーシャはこれで自分の用事は済んだとばかりに立ち上がって部屋から辞そうとしていた。
「それではカラエン公令息、ご機嫌よ‥」
「サイーシャ殿!こちらの庭園をご案内いただけないだろうか!」
アレスティードは思わず立ち上がってサイーシャに声をかけていた。この令嬢の行動の意図が全く読めなかった。とにかく二人になって色々問い質さねば今日はおちおち寝ていられない。サイーシャは怪訝な顔をしてこちらを見ていたが、父のダロエ侯の必死な顔が目に入ったらしくふうと息を一つついて頷いた。
「わかりました。大して素晴らしい庭園という訳でもございませんが‥どうぞこちらへ」
案内をしてくれるらしいサイーシャの後に続いてアレスティードは応接間を出た。

「き、君はどういうつもりなんだ!?」
人影が見えなくなるや否や、アレスティードは鋭くサイーシャを問い詰めた。サイーシャは何を言われているのかわからない、といった顔をした。
「どういう、つもりとは?」
「婚約式は挙げない、とか、私の事を令息呼ばわりしたり、とか」
アレスティードが論うと、サイーシャは首を傾げた。
「何かおかしゅうございましたか?カラエン公子は、婚約式など挙げたくはないでしょう?それにお名前を呼ばれるの、たいそうお嫌いの様子でしたけど」
確かにアレスティードは大して親しくもない貴族令嬢に、甘ったるく自分の名前を呼ばれるのが大嫌いだった。だが顔には出さずにやんわりと呼ぶのをやめるように(しかも笑顔を振りまきつつ)声かけをしていたくらいなのだ。
あまりパーティーなどで会ったこともないサイーシャが、なぜそれを把握しているか不思議でたまらなかった。その顔を見て、またサイーシャはくふふと笑った。
「本当に公子は腹芸が苦手でいらっしゃるんですねえ。‥お顔にすべて出ていらっしゃいますわよ」
アレスティードはむっとした。これだけ精神健康を犠牲にして社交を頑張っているというのに、そんなことを言われるとは。だがその顔を指してまたサイーシャはくすくす笑った。
「ほら、またそのお顔。お気を付け下さいませ」
「あなたは、仮にも私の婚約者となるのだからアレスティードと呼べばいい。それが自然だろう。婚約式をしないなら結婚式はどうするのだ。さすがにカラエン家の婚儀を行わないわけにはいかないぞ」
つっけんどんに返すアレスティードの言葉に、サイーシャは頬に手を当て、ふむ、と考えるそぶりをした。
「そうですわね‥結婚式は致しましょう。社交の場にもなり得ますし。ですができるだけ費用は抑えたいです。私の方で手配させていただいても構いません?」
この女の言う通りになど恐ろしくてさせるわけにはいかない。アレスティードは冷たく言葉を放った。
「お前の言う通りになど恐ろしくてできない。結婚式の内容はすべて私の決済を通してもらう」
「はい、それで構いません。‥お話は以上ですか?『アレスティード様』」
ことさらに名前を強調して言ってきたサイーシャにむかっ腹が立つ。だがここで怒りを表してはまた馬鹿にされるかもしれないという思いが浮かび、ぐっとその気持ちを呑み込んで頷き、足早に庭園を去った。
サイーシャはその後ろ姿を見てまたくすりと笑い、自分の部屋に戻っていった。

正式に婚約が結ばれた後、カラエン家では「本当に婚約式はしなくていいのか?」というフォンティールの疑問に百回は答えながら、アレスティードは着実に結婚に向けて動いていた。
とにかく、サイーシャの要求が厳しすぎる。予算から使う小物や使用人の内容、料理に至るまで細かくチェックしてきては「これではお金をどぶに捨てるようなものです」「せっかくカラエン家の威信をかけてやるのでしたら、最低限の予算で最高のものを勝ち得ないと意味がありません」などとアレスティードの胸を抉るようなダメ出しをしてくる。
途中で、ん?本来ダメ出しをするのは俺の役目では?と一瞬正気に返ったアレスティードだったが、何しろサイーシャの指摘が的確過ぎて本人を目の前にするとぐうの音も出ない。とにかく結婚自体を早くしたい、というのもサイーシャの要望だったのでそれに従って必死に準備を進めた。
ある程度のめどが立った時、アレスティードはどっと疲れて自室のベッドに倒れ込んだ。カイザはそんなアレスティードに、お茶を淹れて出した。
「アレス様、お疲れ様です」
芳醇な、よい香りのお茶にひかれ、ゆっくりを身を起こして茶を喫する。
「とにかく、粗方の準備は終わった・・疲れた‥」
カイザはお茶の横に甘さ控えめのパウンドケーキを切り分けながら何の気なしに呟いた。
「でも、アレス様最近お部屋で毒づくことが無くなりましたねえ。お庭の情報集めもしていらっしゃいませんし、落ち着かれたようで何よりです」
‥‥は?
アレスティードは考えた。
確かに、最近パーティーに行っても舞踏会に行っても、結婚式のあれこれを考えていて参加者に毒づくどころではなかった。婚約が決まってからの方が様々なアプローチが増えて、貴族令嬢を取り捌くのは大変になっていたはずなのに。
サイーシャのおかげ‥
ではない!とアレスティードはぶんぶん頭を振った。パウンドケーキをサーブしようとしたカイザが「うわ!」と悲鳴をあげる。
「どうしたんですアレス様」
「何でもない!」
あんな、人を脅して結婚を迫るような女、何だ俺は、なぜあの女が満足するように動き回っているんだ。‥いや、脅されているんだから、いうことを聞くのは仕方ないだろう。‥ん?そんなことでいいのか‥?これから先の長い結婚生活、それでやっていけるのか‥?
頭の中が全く整理できず、またアレスティードはぶんぶんと頭を振った。アレスティードの心の内も知らず、カイザは呑気に言った。
「でも、お話に聞いたよりサイーシャ様は嫌な感じの方ではない気がしますよ。意外とアレス様とお似合いになるんじゃないですか?」
「うるさい変なことを言うな!」
今度こそアレスティードは怒鳴りつけた。


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BLのR18ですが、「就職先の公爵当主がおれにやたら執着してくるんですが」というスピンオフも書いています。アレスティードの父公爵、フォンティールと侍従カイザの恋愛騒動です。忌避感のない方、もしよかったら読んでみてください。
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