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二章

子果清殿に戻って

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次の瞬間、アヤラセとリキを抱えた生き物は、子果清殿のリキの子果樹のもとに移動していた。アヤラセはライセンを捕まえられなかったことにギリギリと歯嚙みをしたが、それよりも今はリキの事だ、と生き物の腕の中からリキを引き取ろうとした。
だが生き物はリキを離さない。
<今、片割れには渡せない>
「なぜだ!」
<主は今お前に会いたくないからだ>
生き物はそう言うと、リキを抱えたままそこを出ていこうとした。
「待て、待ってくれ!顔を見せてくれ‥」
生き物は立ち止まった。アヤラセはそっとリキの顔を見た。今は意識がないようだ。顔色は悪く、瘦せたように見える。衣服は着ていなかったので身体中につけられた吸い跡や、腹や脚に飛び散り流れている精が見えて痛々しい。
「‥頼む、おれに運ばせてくれ‥せめて、洗ってやりたい‥」
生き物はしばらくアヤラセを見ていたが、黙ってリキの身体を渡してくれた。受け取ってかき抱けば、随分と軽くなったように感じた。
「リキ‥リキ‥!!」
アヤラセはリキの身体をぎゅっと抱きしめ、声をあげて号泣した。
あんなに焦がれたものが腕の中にいるのに、少しも安心できなかった。


涙を拭って、リキを抱え上げ、部屋に向かう。生き物は後からついてきた。部屋に着き、リキの身体の下に通していた槍をがらんと落とし、風呂場へ連れていく。風呂場の床にそっとリキを座らせ、壁にもたれさせた。急いで温用石を取って浴槽に入れ、水をざあざあ流し入れる。すぐにリキを抱え上げ、また抱きしめてその顔に頬ずりした。いつも弾力があって滑らかだったその頬は、やや張りを失い、かさついていた。泣き止みたいと思うのに全然涙が止まらない。喉奥に何かが詰まって息苦しい。
湯がたまり出したのを見てそっと浴槽の中に入った。自分が濡れるのも構わずリキを抱えたまま座り込む。湯をすくって身体を丁寧にさすってやりながら、細かい傷や吸い跡が目につけば腹の底が煮えたぎるような怒りを覚えた。身体中からマリキを放出してリキの身体を覆いつくす。黒く優しい靄がリキを包み、小さな傷や吸い跡だけでなく、酷く犯されて傷ついた体内までも癒していく。

「リキ、ごめん、ごめんな、守ってやれなかった‥辛かったよな」
そう言ってリキの身体をかき抱き、顔中に口づけた。
リキの身体が少し温まったのを確認して浴槽から引きあげる。その身体をぬぐおうと思ったとき、自分も一緒に入ってしまったのでずぶ濡れになっていることに気づいた。リキを抱えたままどうやって身体を拭いてやろうかと思っていたら、あの生き物がぬっと風呂場に入って来た。
<主を渡せ>
アヤラセは拒否したかったが、早く拭いてやらないとリキの身体が冷えてしまうかもしれない。しぶしぶリキを渡し、急いで濡れた服を脱ぎ捨て下履きのみを穿いて部屋に戻った。

生き物は寝台に腰かけて腕の中に抱え込んだリキを、大きなタオルで包み優しく拭いてやっていた。その美しい顔はとても柔らかい微笑みを浮かべており、一瞬アヤラセは声がかけられないほどだった。
アヤラセが来たのに気づくと、生き物はやや眉をひそめた。
<片割れ、もう主は私が世話をするからお前は必要ない。ここから去れ>
頭の中に響いてきたその声に、カッとしてアヤラセは叫んだ。
「なんでそんなことお前に決められなくちゃならないんだ!そもそもお前は何なんだよ!?」
生き物は黒い瞳でアヤラセをじっと見つめていった。

<我が名はユウビ。主を守り、共に生きるもの。私がいる限り主を危険な目に遭わせない>
そういって生き物ーーユウビはリキの額に口づけを落とした。

その様子を見たアヤラセはまたカッとなってリキを抱くユウビの腕を掴もうとした。
瞬間、天地がぐるりと回りアヤラセの身体は床に叩きつけられていた。
<触れるな、片割れ。今、主はお前を求めていない。ここから去れ>
片手でいなされたことが信じられない。この生き物、ユウビはどういう存在なのか。リキとともに生きるとは、伴侶になることを指しているのか。
「い、嫌だ、おれはリキと生きる、これからおれが守る!」

<お前は守れなかった、片割れ>

頭の中に響くユウビの声は平坦で、責めるような感情は全く乗っていなかった。
だが、アヤラセはその声に全く反論できなかった。
あの時、自分がわざわざ近くにいたのに、それなのにまんまとしてやられてリキはさらわれ穢された。五日もの間、ライセンとその連れのような下種な奴にいいようにされて苦しんだ。
そう言えば薬を飲ませたと言っていた。まさか自分が盛られたような薬を飲まされていたのだろうか‥五日間も。
一度だけしか飲まされなかった自分でさえ、相当の間意識が朦朧としてそのあと苦しかったのに、実際に凌辱されてしまったリキは、この後どれだけ苦しむのだろう。
その、苦しみから自分は救ってやれないのだろうか。
また、涙がこぼれた。もう涙腺はばかになっている。泣いたところで何も解決するわけではないのに、涙は勝手にぽろぽろ出てきてより一層アヤラセを惨めな気持ちにさせる。
「‥守りたかったんだ‥。今からだって、守りたい、一緒にいたいんだよ‥」
<それはお前の勝手な望みだ、片割れ。主の望みではない>
ユウビは情け容赦ない声を頭の中に響かせてくる。
この生き物は、全くアヤラセの心を斟酌してくれない。だが、この生き物の言っていることは正しい。
今、リキとともにいたい、傍で守りたいというこのアヤラセの気持ちは、贖罪から来ている。そうしてリキが救われるのかもわからないのに、自分を安心させるため、自分がリキの傍にいたいという欲求を満たすためにしがみつこうとしている。
ユウビは全てを見透かすようなきらめく黒い瞳で、じっとアヤラセを見つめた。
<お前は子果樹の片割れ。大事な存在ではあるが、私には主の方が大事だ。だからここから去れ>
アヤラセはユウビの言葉が理解できず、思わず訊き返した。
「おれが子果樹の片割れ、ってどういうことだ」
ユウビは淡々と答えた。
<主の子果樹は、お前とも交わりで生まれたもの。お前たちの言葉でいうならば、お前は主の子果樹のシンシャになる。もう一人のシンシャは主だから、お前は片割れなのだ。>
アヤラセには、言われたことがうまく呑み込めなかった。子果樹の、シンシャ?ムリキシャでもない、おれが?では、あの子果樹は、普通の子果樹とは違うのか?‥いや普通ではないことはわかっていたが。
そんなアヤラセの思考を読んだのか、またユウビはいった。
<主は特別な存在だ。そこから生まれた子果樹は特別な子果樹だ。これからお前が子果樹に関わることはないが、お前がいなければあの子果樹は生まれなかった。>
リキと睦み合うたびに光り輝いていたハリ玉の事を思い出した。自分の何かが、あれを成長させたのだろうか。
<だが、今はお前は必要ない。だから去れ>
「‥‥っ」
アヤラセは唇をかみしめ、こぶしをぎゅっと握りこんだ。
この生き物は、どこか深いところでリキとつながっているのかもしれない。
だとしたら、この生き物が言っていることは‥リキが、今おれを望んでいない、求めていない、というのは‥真実なのかもしれない。
だが、不安で不安で、立っていられない。目の前の景色の中にリキがいないと、胸が痛い。
リキが求めていなくても、おれはこんなにリキを求めているのに。
‥それも、おれのわがまま、なのだろうか。
多分そうかも知れない。
だが。

「‥せめて、リキが目を覚ますまで、一緒にいさせてくれ‥目を、覚ましたら‥‥その時、考えるから‥」
ユウビは、少しうつむいて考えるようにした。そしてリキの身体を丁寧に拭き上げ、寝台の上にそっと横たえ、布団を優しくかけた。
そしてふり返ってアヤラセを見た。
<主が覚醒したら、お前の姿を目に映させない。それを邪魔しないか>
アヤラセは詰まる喉でぐっと息を呑んだ。
「‥それでいい」

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