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一章

旅立ち 1

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翌朝、まだ夜明け前に目が覚めた。身体には気怠さが残っているが、それは心地いいものだった。
(おれ、性交したんだ…しかも、カベワタリのリキと)
思っていたよりも滑らかにリキを抱くことができた。身体の造りが違うことは何となくわかっていたが、意外にほとんど忌避感はなかった。初めてみたリキのホト(孔)は自分のものとは全く違っていたが、閉じ気味の固い孔のさまも、ゆびでほぐせば少しずつひらいていくさまもアヤラセにとってはなまめかしく愛おしいものに思えて、幾らでも陰茎を突き入れたくなった。
(ちゃんと、できてよかった)
いつもあんなにしっかりとしているリキが、聞いた事のない甘い声で喘ぎ、自分を求めてねだってくるさまはたまらなくアヤラセの官能を刺激した。
例えようもなく、甘かったリキの精。自分たちは、しっかりと心の交歓をして愛のある性交をしたのだ。
アヤラセはそれを確信していた。
狭い寝台の上でアヤラセの腕の中、いくつかの赤い跡を付けられた裸体のリキが穏やかな寝息をたてている。少し開いた唇は、何度もアヤラセが吸ったせいでいつもより赤らんで見える。そこから覗く白い歯が眩しい。
思わずその柔らかな頬に手を当てて、優しく唇を吸った。ちゅ、という音にリキは長い睫毛を持ち上げた。
「ん…アヤラセ‥?」
「おはよ、起こしちゃったかな」
そう言って髪を手で梳いてやる。銀色の長い髪がさらさらと指から流れ落ちる。何度か瞬きをしてようやく覚醒した様子のリキが、ぶわっと顔を赤らめた。
「お、おは、よう‥」
そう言うとアヤラセの胸に顔を埋めるようにして布団に潜り込もうとした。
「どうした?もっと口づけさせてよ、リキ」
「‥い、今は遠慮したい」
「ええ~なんでだよ、何ならもう一回したいくらいなのに」
「…は…」
「は?」
珍しく歯切れの悪いリキの様子に、問い返す。
「…はずかしゅうて、アヤラセの顔、今は見れぬ…。」
うん、やる、絶対やる。リキ、ヒトを煽る天才だな!
「恥ずかしいの?かわいいよ。すごくかわいかったよ。リキがかわいいところをおれに見せてくれて、嬉しかったから」
そう言ってそっとリキの顎に手を添えて赤らんだ顔を持ち上げこちらへ向ける。
「あいしてる」
そう伝えて深い口づけをした。舌を差し入れれば遠慮がちに絡めてくる。腕枕をしていた手を動かし、背中を撫でる。ぴくりとしたリキに構うことなく咥内を舌で何度もなぞり、リキの震えるそれをじゅっと吸った。
まだ、夜明け前だ。アヤラセはもう一度、あのかわいくてなまめかしいリキの姿を見るためにリキの昂ぶりに手を添えて愛撫をし始めた。




家の中をぐるりと見渡して、ひと息ついた。
とりあえずの片づけは大体済んだだろう。細かいものの処分はそのうちヨーンがやってくれると言っていた。あとから来るものが住み始めるにはおそらく、ふた月やそこらはかかるはずだ。
大事なものはあらかた持っていくし、浴槽はヨーンが自分の家に運ぶと言っていたし。うん、とりあえずはこんなものか。
二人が身体を重ねてから、十日ばかりが過ぎていた。アヤラセはツトマへ向かう準備を翌日から少しずつ始めだした。
費用の準備や、住まいの始末、タリエ村には医者は今のところアヤラセ一人しかいないので、近隣の医師連会に相談して後任のものを寄こしてもらう手筈をつけた。
アヤラセの行動の速さに、はじめ戸惑っていたリキもおいおい心を落ち着けたらしく、おのれにできるのは狩りをして費用の足しにすることとアヤラセの言う通りに準備を手伝うことだけだ、ときりきり働いていた。

小さな家は細かい家具調度品を売り払い、家のなかは少し広く見えている。残っているのは寝台と居間のテーブルと椅子くらいだ。家での煮炊きは昨日からやめている。暖かくなっているし、大きめの布を布団代わりにしても寒くはないので布団も売った。どうせ毎晩二人でぎゅうぎゅうにくっついて寝ているのだ。リキの身体はいつも温かかった。
数珠玉の変化に気づいたのは二日前だった。アヤラセが最初に見た時の揺らめく金色の粒子は、新たに輝き出した銀色の粒子と混ざりあい何とも言えぬ色合いになっている。また、朝方などに時折ぼんやりとした光を放っていることもある。そのような話を聞いた事がなかったアヤラセはしきりに首をかしげていたが、わからぬことをいつまでも考えても仕方がない。
(ツトマでムリキシャに会おう。そこで話を聞けば何か掴めるかもしれない)
ただ、カベワタリ自体がかなりまれな存在だ。どこでどうやって、誰に話をするかは慎重に考えなければならない。

ツトマはそこそこ大きな街ではあるし、そこからまた大きな街へ向かうこともできる。とにかく、リキのためにもその存在がどういうものなのかはっきりさせて、記録に載せてもらわねば。
(じゃないと、伴侶になれないし)
アヤラセはそう考えて、緩む顔を思わず引き締めた。
こんなに自分が変わるとは思っていなかった。毎日、甘い言葉を囁いて、笑いあって、リキの姿が見えないと不安になる。
こんなに自分がほかの存在に引き寄せられるようになるとは。
リキ自身も、あの日の翌朝、自分の痴態を思い出して口もきけぬほどに恥ずかしがっていたが、アヤラセが全力で、そのリキがかわいかった好きだった、あのままでいてほしいと懇願した。
おかげでかわいらしく淫らで色っぽいリキを堪能できている。
「よし、こんなもんか」
明日にはツトマ方向へ向かう機工車がタリエ村を通るはずである。それに乗って一度カンガで宿をとり、休んでからツトマを目指すつもりだ。リキに機工車の話をしたが、どのようなものか全く見当がつかないらしくちょっと不安そうにしていた。機工車に乗せてみて、リキがあまりに不安そうであれば別の移動手段を考えてもいいかとアヤラセは思っていた。

走ってくる足音がして家の扉が開いた。獣の皮や色々を売りに行っていたリキが戻ってきたのだ。
「アヤラセ、よく売れた。それにダルエダが餞別じゃというて吾にこれをくれた!」
そう言って嬉しそうにリキが取り出したのは、頭巾が付いた蝦茶色のマントだった。いつも頭に布を巻いているリキの姿を見て、ダルエダなりに気を配ってくれたのだろう。頭巾の前を留め金で留められるようになっており、頭巾が取れることのない造りだ。マントや頭巾のふちにはおそらくダルエダの伴侶であるウーロの手によるものだろう、緑と黄色の糸で美しい刺繡が施されていた。裾の長さはリキの膝まであり、風や埃もよけられそうだ。

(あの気難しいおっさんが、よくこんなにリキを気に入ってくれたものだな)
思えばリキが一番足しげく通っていたのはダルエダの店だったかもしれない。自分が知らない間に、ちゃんとヒトとリキが繋がっていたことに何だか安心した。

「そうか、ダルエダと仲良くなってたんだな、リキ」
「うむ、いつもよくしてもろうた」
優しくマントを撫でながらリキは言う。ダルエダはいつも余計なことは聞かずに、色々とリキに教えてくれた。旅立つことを伝えてからは、よその地で獣を狩る時に気をつけるべきことや、売りに行くときに足下を見られぬように工夫すること、高く売れるコツ、どんな時期にどんなものが求められるかなどをぽつぽつと教えてくれたのだ。
「タリエ村で吾が出会うた者は、みな良き人々ばかりだ」
おのれはいつも受け取るばかりで、この滞在の間何も返すことはできなかった。しかも、村で信頼されていた医者であるアヤラセを奪っていくのだ。その事を考えると、リキの胸に重く苦いものが凝る。
「うん、そうだな。」
アヤラセはそう言って軽くリキを抱き寄せ、頭を撫でてくれた。
リキはこのぬくもりを、もう手放せない。こんなにいい人ばかりの村に迷惑をかけることがわかっていても、この人から離れたくない。
おのれにそのような手前勝手な心があろうとは、この世界に来るまで考えもしていなかった。いつも主家のため、生家のために行動することが当然であり、そこに疑いも持たなかったから。
「吾が何者か、よう判じてもろうたら、またここに戻りたい。」

そう言ってマントを見つめるリキの頭を引き寄せ、つむじに口づけを落とす。リキがムリキシャだと断定されれば、おそらくもうこの村に戻ることはないだろう。ムリキシャは国の財産だ。ある程度の個人の幸せは保障されるが、移動や転居に関してはほとんど自由がない。
だがそれを、今のリキに言うことはアヤラセにはできなかった。それでなくとも、信じられないくらいの変化の中で日々過ごしているリキなのだ。その上、自分は待つことが出来ず身体をつなげることまでしてしまった。
「戻りたいな」
アヤラセはそんな曖昧な返事をすることしかできなかった。


村の中央にある広場のようなところで、ダルエダにもらったマントをきっちりと頭からかぶり腰には愛刀を佩いて、リキはアヤラセとともに機工車を待っていた。
アン・ランが見送りに来てくれ、色々詰めた籠をリキに押しつけた。
「ツトマまでは間があるんだから、合間にお腹が空いたら食べるんだよ。食事が合わなかったら、リキの好きな煮込みを瓶に詰めてあるからそれとパンを食べて。」
時折言葉を詰まらせながら、アン・ランは言った。
この子はどうなってしまうんだろう。アン・ランは心配だった。アヤラセとうまくいっているのは解っている。だが、アン・ランはリキの緑の目や、ある日店前から走り去る時にこぼれた銀の髪のことを知っていた。もちろん、それをリキに問うことはしなかった。生まれた国の事を忘れている、と言っていたリキはきっと何か話せない事情があるのだと解っていたからだ。
大人のように話す礼儀正しいこの子どもを、アン・ランはとても好きだった。いずれヨーンとの間に子を授かるなら、こんな子がいいと思った。
機工車を待つアヤラセの表情も、アン・ランを心配させる原因の一つだった。いつも屈託のない笑顔を見せるアヤラセが、この村に来たばかりの時のような顔をしている。
それはこの子どもの行く末を案じているのだと、アン・ランにはわかっていた。
「アン・ラン、色々とすまぬ。とてもありがたい。アン・ランのさいはうまいから、食べるのが楽しみだ。また、ここへ戻ってきたら食べたい」
今度こそアン・ランの涙腺は崩壊した。ほろほろと涙を流しながらリキの手を握った。
「なんだい、そんなのいつだって食べさせてやるよ!ツトマの飯屋にだっておれの飯は負けないんだからさ!」
リキはアン・ランの手を優しく握り返した。少し記憶がおぼろげだが、母の手のようだと思った。
「うん、ありがとう」
アン・ランはごしごしと前掛けで涙をぬぐい、アヤラセの方を向いた。アヤラセは困ったような顔でこちらを見ている。
「アン・ラン、色々と手間をかけさせちゃってごめん。ヨーンにもお礼を言っといてもらえるかな。」
「うちも浴槽がもらえて助かったよ。お互い様さ。」
そう言って、アヤラセの瞳をじっと見た。
「大事に、するんだよ。出会いはいつもそこにあるとは限らない。掴んだら、離すんじゃないよ。」
「うん、わかってる」
アヤラセは力強くうなずいた。
その時、遠くからガラガラという音が響いてきた。機工車が近づいてきているようだ。アヤラセたちのほかにも二組ほど機工車を待っている者たちがおり、みな荷物をとってそわそわとし始める。
近づいてくる機工車を見てリキは口をあんぐりと開けた。なんだ、あれは。
リキが今まで見たことのないくらい、大きなものだった。公家の使う牛車をもっともっと大きくしたようなものが、轟音とともにこちらへ向かってくる。牛車と違って、馬も牛もつながれていないのにこちらへ向かって移動していることが信じられない。目の前まで来て止まったそれは、文箱を大きくしたような長方形でぎやまんが嵌まった窓がいくつもあり、乗り降りするためだろう扉もついていた。箱の下にはいくつもの車輪がついていて、とまる時にギギギと軋むような音をたてた。
前の方についているいくらか小さめの扉から、青髪青目の青年が降りてきて外から大きめの扉を開けた。そこから三人ほどのヒトが降りてくる。全員が少しその箱から離れた後に青年はこちらへ声をかけた。
「カンガ経由スオウ方面行です。お乗りの方はこちらで乗車賃を支払ってください。」
荷物をもって準備していた人々は、めいめいが共銀貨を手にして青年の前へ並ぶ。それを見たアン・ランがアヤラセの背を押した。
「行ってきな、元気でね」
「ありがとう」
「ありがとう、アン・ラン」
二人はアン・ランに軽く会釈をして人々の列に加わった。アヤラセはリキに共銀貨6枚を手渡して青年に渡すように言った。
「6ルトだね。カンガまでだな。その剣は抜かないよう、この紐をかけさせてもらうよ」
「お願いします」
青年は腰の隠しから青い紐を取り出し、リキの刀に掛けまわして結んだ。こうすると機工車の中では抜けなくなるらしい。

アヤラセは機工車に乗るようリキを促した。リキは機工車の中をおっかなびっくり覗きながら、扉の内側の階段を上った。二人を最後に乗せたことを確認して、青年は外から扉を閉めた。
前の小さめの扉から青年は機工車に乗り込んで、前後左右を確認し扉を閉める。キュオッという甲高い音を出して、機工車はゆっくりを走り出した。
砂利道の上を次第に速度を上げて走り去る機工車を、アン・ランはしばらく眺めていた。

機工車の入り口の空間にはまたもう一つ扉があって、そこを開けると座席がずらりと並んでいた。真ん中に通路があり、その両脇にそれぞれ二人分の座席がある。横一列で四人が座れる列が十五ほど並んでいた。廊下の突き当りにはまた扉があるのが見えた。
「座ろうか、リキ」
リキは身体が完全に固まっていた。これは何だ。なぜこんなに椅子が並んでいるのか。みな平然と座っている。何より自分が立っている床が絶えず振動していることが恐ろしい。地揺れがずっと治まっていないような感触で落ち着かない。
「あ、アヤラセ、これ、この、揺れ‥」
あわあわと何かつぶやいているリキを見て、困ったように微笑みながらアヤラセは空いている座席に座るようリキの手を取った。手を引かれるままに座席に座らされる。
「リキが住んでいたところで、遠くに行くにはどういうふうにして移動していたんだ?」
尋ねてくるアヤラセに、リキは心を落ち着けようと目をつぶりながら答えた。
徒歩かちで行くか馬で行くか…海や川があれば船でも行く。身体の弱いものや女などは輿こしに乗ったりする」
「カチ?とかコシってなんだ?」
徒歩かちは歩いていくことだ。輿こしは、…何といえばよいのか、台の上に箱を伏せたようなものじゃな。それを人がかつぐ」
「馬で行くか歩きなんだなあ。じゃあ、機工車に驚くのも無理ないな。」
いまだに目を見開いたまま身体を固くしているリキの頭を優しくなでながら、アヤラセは小さく笑った。
「機工車は力素で動いている。ヨーリキシャとキリキシャの二人組からなる機動師組セキセイがそれぞれの力を合わせて動かすんだ。馬やヒトの足よりずっと早く、ずっと遠くへ行ける。便利で安全なものだよ。異生物が発生しても、ちょっとやそっとじゃ壊れない丈夫な乗り物なんだ。」
「さ、左様か‥。」
「ほら、窓の外を見てみて。すごく早いだろ?」
そう言われてぎやまんの嵌まった窓を見ると、馬で駆けている時のように景色が動き去っていくのが見えた。次々と変わる風景にリキは目を丸くした。
「それに、この中ならものを食べたり眠ったりしてゆっくりと移動できるよ。だから安心して?」
「う、うむ、アヤラセもともにいるなら、それほど恐ろしゅうは、ない」
途切れ途切れに答えるリキを見て、(これからほぼ半日くらいは乗ってなきゃなんだけど、大丈夫かなあ…)と不安を覚えるアヤラセだった。


尻が痛い。
こんなに長く座ったままでいたことなど、リキの人生にはなかった。馬の移動であればあったような気もするが、この機工車での移動とは全く違う。
長く座っていると尻が痛むことをリキは初めて知った。アヤラセは尻が痛んだりはしないのだろうか?そうっと横を見やればアヤラセは目を閉じて眠っているようだった。
こちらのものであれば、こちらの乗物にも慣れておるのやもしれぬ。おのれも痛いなどと弱音を吐かずにいよう、とリキはもぞもぞと身体を動かしながら思った。
もう何刻なんときこの乗り物に乗っているかわからない。随分と時間が過ぎたように思える。途中の景色はほとんど野山であったが、少し前からは家が立ち並ぶ中を走っている。道も大きな石を敷き詰めたものに変わっており、走る音も変化してきていた。
家々はタリエ村で見たような木材を使って建てられたものもあったが、石組みのものも増えてきた。それもリキがこれまで見たことのないようなものばかりだ。灰色の石で組まれたものもあれば、色鮮やかな石で組まれた家もある。まるで天守閣のように三層、四層にもなる家も見えてリキは驚いた。
この辺りは分限者ばかりが住んでいるのだろうか。それにしても大きな家が多い。
窓の外から目が離せずじっと見ていると、かなり開けた広場のようなものが見えてきた。リキたちが乗っている機工車と同じようなものが何台も停まっている。そこが近くなると機工車は少しずつ速度を落とし始めた。速度の変化によって、音や振動も変化する。そのせいだろうか、アヤラセが目を覚まして窓の外を見た。
「ああ、カンガに着いたか。」
アヤラセがそういうのと、機工車がギギギ、という音を立てて止まったのがほとんど同時だった。「降りるよ」と声をかけられ、慌ててリキは手荷物を取る。乗客のほとんどがここで降りるようで、扉に向かって列を作っていた。
青髪の青年は全員を下ろすと、外に並んでいた人々に声をかけ乗車賃を回収し始めた。彼らはまだ先へ向かうらしい。あの青年の尻は大丈夫なのかなどとどうでもいいことを考えながら、リキはそれを見ていた。
「疲れたよね。宿に向かおうか。」
そう言ってアヤラセはリキの手を取り、歩き出した。日はもう沈みそうだが、街には外にも明かりがともっており、暗さを感じさせない。石畳の道をアヤラセの後について歩く。しばらく歩くと三層建ての石組みの建物の前で止まった。
「空いてると思うけど‥。」
アヤラセはそう言って中へ入った。一階は食堂になっているようで人でごった返している。奥の台まで進んでいくと、大柄で胸の大きなヒトが猛烈な勢いで帳面をつけている。その者にアヤラセは話しかけた。
「ビンダ、久しぶり。部屋空いてるかな?」
ビンダと呼ばれた人はぱっと顔をあげて、アヤラセを見た。
「アヤラセ!久しぶりじゃないか!どうしたんだ、もちろん部屋は空いてるよ」
「よかった、連れと二人だから寝台は二つか大きい部屋がいいんだけど」
顔いっぱいに笑顔を広げていたビンダは、急に怪訝な顔になりリキの方を見やった。リキは名のった方がいいのか判断がつかず、ただ黙って目礼をするにとどめた。そんなリキの姿をじろじろと無遠慮に見つめながら、ビンダはアヤラセに囁いた。
「…またどこで拾ってきたんだい?毛色の変わった子だね。あんたとどういう関係?」
「うん、出来れば伴侶になりたいって思ってる。」
そう言ったアヤラセの顔を見て、ビンダはまた大きく目を見開いて信じられない、という顔をした。よく顔色の変わるおなごだ。いや、この世界におなごおのこもないのだったか。何度アヤラセから説明を受けても、未だにリキにはそれが呑み込めていない。アン・ランはどこから見てもおなごに見えたし、ヨーンやダルエダはおのこにしか見えなかった。アヤラセも青年わかしゅにしか見えない。
「…あんたがそんなことを言うとはね。まあいいや。すまないけど二台の部屋はないから、大きめの寝台で我慢して。ま、そっちのほうがいいのか」
そんなことを言いながらビンダは部屋の鍵を渡してきた。
「夕飯は奢ってやるよ。荷物を置いたら降りておいで。風呂は使うかい?」
「ああ、出来れば使いたい」
「じゃあ、食事が終わったらシンゲルに言って。」
「わかった」
行こう、とアヤラセに促されリキは歩き出した。

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