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70 波紋

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マヒロの照り焼きは概ね好評だった。概ね、というのはやはりティルンには口にしてもらえなかったからだ。いや、実際は一回皿に取ろうとした時にカッケンが「ああ、それは今日マヒロ様が作ったんです」と言ってしまったからすぐに取るのをやめていた。
(まあ、いいんだけど)
頑なだなあ、と思いながらもマヒロにできることはない。

アーセルの食欲はいつもと変わらなかったが、食べるペースはいつもより遅かった。なんとなくルウェンも今日はいつもより口数が少ない気がする。ハルタカがいるせいか?と思ったが今までそんなことはあまりなかった。
「アーセル、元気ない?何かあったの?」
そうマヒロが尋ねると、アーセルははっとしたように一度カトラリーを置き、そして薄くマヒロに向かって笑いかけた。
「‥未熟ですね、俺は‥マヒロ様にもそんなふうに感じさせてしまうなんて」
その苦しそうな言葉からきっと何かあったのだ、とは察せられたが、こういう席で訊くべきものではなかったのかもしれない、とマヒロは安易に尋ねたことを後悔した。だがマヒロのそういった心情を、顔色から読み取ったのかアーセルはすぐに言葉を続けた。
「今日の異生物退治が思ったよりうまくいかなくて。俺がとどめを刺すことができず、獲物として鑑定してもらえなかったんです」
ルウェンもアーセルの言葉に続けるように言う。
「途中までは本当にアーセルの調子もよくて、あのままとどめを刺せると思ったんだ。けど、急に‥退異剣が通らなくなって」
「退異剣?」
ハルタカが隣で説明してくれた。
「異生物を相手にできるものを広くそのように呼ぶ。力を通す回路があるものだ」
そう言えば王都カルロの武器隊商会で、そんな話を聞いたような気がする。
「その剣がよくないってこと?」
アーセルは首を振った。
「剣はいいものです。アツレン一の鍛冶屋に頼んで昔から作ってもらっていますから。いつも攻撃が通らない訳ではありませんし。‥ですから、俺の力量不足なんだと思います」
そう言って笑うアーセルの顔には覇気がない。そんなアーセルの顔を見て、ティルンが口を開いた。
「‥『カベワタリ』はアーセル様の力を増やすためにここにいるのではなかったんでしたっけ?‥全く役に立っていないんですね」
「ティルン様!」
ティルンの鋭い言葉の棘は、深くマヒロの胸に刺さった。それは常々マヒロが思っていたことでもあったからだ。
アーセルは厳しい目をティルンに向けた。
「『カベワタリ』の力にはわからないことも多いのです。だが、もし何か効果があれば、ということで無理を言って傍にいていただいています。そういう言い方はおやめください」
「‥いいんだよアーセル、私もいつもそう思っていたし‥」
ティルンをきつく叱責するアーセルの様子に、マヒロは慌ててそれを止めようとした。だがティルンは、テーブルの上を見つめたままマヒロの言葉に反駁した。
「いつもそう思ってた、のだったらお側から離れたらいいだけなのに、それもしないなんて‥アーセル様のお気持ちを知っていながら『カベワタリ』って随分無神経なんですね」
「ティルン様!!」
「‥あの、うん、そうだね‥」
アーセルは立ち上がってティルンを睨みつけたが、マヒロはティルンの言葉に何も反論できなかった。その通りだ、と思ってしまったからだ。
すぐにルウェンが立ち上がり、ティルンのところに行ってその手を取り立ち上がらせた。
「ティルン様、少し別の場所で落ち着きましょう。‥アーセル、マヒロ様と龍人タツト様と食事を続けておいて」
ルウェンはそう言ってダイニングルームからティルンとともに出て行った。

ハルタカはじろ、とアーセルを見て言った。
「あの者の考えていることがこの屋敷の総意であるならば今日にでもマヒロをここから連れ帰るが」
アーセルはぎょっとした顔でハルタカを見た。
「いえ!そんなことはありません!皆マヒロ様にいていただきたいと思っています!」
「だがあの者はマヒロに対して随分悪意がある。お前に好いてほしいからだろうが‥。選抜終了まであの者はここにいるのだろう?マヒロが心配だ」
「‥‥マヒロ様には害のないよう、しっかりと心を配らせていただきますので‥」
アーセルとハルタカのやり取りを聞きながら、マヒロはおずおずと言葉を挟んだ。
「‥‥‥アーセル。私‥本当に役に立ってないなあとはいつも思ってたの。そもそも私に『カベワタリ』の特殊な力があるっていう感じもしないし‥このままここにいても‥アーセルの気持ち、には、その‥応えられない、と思うし‥ティルン様にも本当に悪いなって思ってたんだよね」

アーセルはマヒロの言葉を聞いて気が抜けたようにがくりと椅子にへたりこんだ。黄色い目が茫然とマヒロを見つめる。マヒロは申し訳ない気がしてアーセルの顔を見られなかった。
ハルタカが静かに立ち上がった。
「私がいない方がいいだろう。‥マヒロも騎士も、自分の心に正直に話すがいい」
そう言ってハルタカまでダイニングルームから出て行ってしまった。
五人中三人がいなくなったダイニングルームには、気を遣ったのか給仕をするべき使用人も姿を消していて、マヒロとアーセルの二人きりになっていた。

アーセルは、マヒロをじっと見つめた。
下を向いて、きまり悪そうに黙っているマヒロの姿が胸を刺す。もう少し一緒にいられる、それだけでもいいと思って過ごしてきた。辛い異生物退治も選抜も、帰ってきてマヒロの顔を見られれば心が温かくなって癒されると思っていた。
だが、マヒロ自身にそういう申し訳なさを抱かせていたとは思っていなかった。ティルンが余計なことを言った、と思ったが、そうではなくずっとマヒロもそのように考えていたと言っていた。
「‥俺は‥マヒロ様を苦しめてしまっていましたか‥?」
マヒロはぱっと顔をあげた。
「ううん、そんなことない、アーセルにはいつもよくしてもらってて助かってるし、楽しかったし‥‥でも」
「でも、マヒロ様のお気持ちは、龍人タツト様にしかない、と‥」
苦しげにそう言葉を絞り出すアーセルに、またマヒロは顔を伏せた。
「‥‥うん‥迷ってないかと言われたら、迷ってる部分はあるけど‥でも、ハルタカのことは‥好き、なの」
直接マヒロの口からそのようなことを聞いたのは初めてだった。アーセルはおのれの心が鋭い刃物で深く抉られたような気がした。
辛い。
手を伸ばせばすぐ届くところにマヒロはいるのに、アーセルの手は、届かない。
それを今決定づけられたのだ。

諦めるしかない。
そもそも龍人タツトの番いだとわかっていたはずだった。だから、少しでも傍にいられて、その顔を見る機会さえあればいいとそう自分に言い聞かせていたはずだった。
それなのに、近くで長く暮らしていたら、欲が出てしまっていた。
長く時をともにすれば、ひょっとしたら自分の方を向いてくれるのではないか、と。永い永い生に囚われなければならない龍人タツトの番いよりも、ヒトとしておのれの傍で生きることを選んでくれるのではないかと。
そう思ってしまっていた。

だが、そんなことにはならなかった。マヒロはやはり、龍人タツトの番いなのだ。そこから心が逸れることはないのだ。

膝の上で拳を固く握りしめる。諦めなければならないのに、その事実を口にしたくない。

「ごめん、ね‥アーセル‥私、アーセルのことは好きだよ。すごくいいヒトだって思ってるし、きっといい王様になってくれるってわかってる。でも‥」
「いいんですマヒロ様」

でも、ハルタカの方が好き。
そんな言葉をマヒロの口から聞きたくなくて、アーセルは思わずマヒロの言葉を遮った。そしてそのまま言葉を続けた。
「マヒロ様のお気持ちが俺になくても‥俺がマヒロ様を愛していることは変わりませんし、変えられません。申し訳ありません」
「そんな、アーセル、私」
焦った様子のマヒロがまた何か言おうとしているのを、遮るようにアーセルは言った。
「ですがどうか、『国王選抜』が終わるまでは私の傍にいてください。‥私に、戦い抜く力を与えてください。どうか‥どうかお願い致します」
座ったままそう言って深く頭を下げるアーセルに、マヒロは言葉もなくただそこにいることしかできなかった。
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