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51 虹色の雲

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「でも、マヒロ様はきっとちからでは敵わないというところに不安を感じられたんですね」
重ねて言われたアーセルの言葉に、マヒロは顔をあげた。
両手を組んで膝の上に肘をのせ、少し前のめりになってこちらを優しく見つめている。その黄色い目に思わず見とれた。
「マヒロ様は小柄で華奢ですし、俺や龍人タツト様のような体格のいいヒトにはちからでは敵わない。それがわかっておいでだから‥それを自覚させられたことが怖かったんですね」
ぶわっと涙が溢れた。明確に言語化してもらって、ああそうだったんだと思えた。明確に自分の気持ちを理解してもらえた、と思えば涙が止まらなかった。
「う、うっ、うん、そう‥」
えぐえぐ泣いているマヒロを見てアーセルは少し困ったような顔をしていたが、扉の近くに控えているメイドに目顔で(今行かずしていつ行く!?)と合図され、ゆっくりとマヒロが座っている横に移動して跪いた。そしてそっと手をマヒロの膝に置いた。
「‥マヒロ様。私はあなたが好きです。私を好きになってもらえればそれは嬉しい。だが、マヒロ様と龍人タツト様の間を無理に割いてまでお気持ちを動かしたいとは思っていない」
「‥うん」
アーセルは、やはり少し迷っているような困ったような顔で笑った。
龍人タツト様と、お話をされた方がいいですよ」
「‥‥あ、りがと‥」
マヒロの返事を聞くと、アーセルはもう一度ぽんぽんとマヒロの膝を優しく叩いてから立ち上がり、メイドと一緒にその部屋を出て行った。
扉を閉めた後、アーセルが古参のメイドに「アーセル様‥あそこは押さないと‥」と残念なものを見る目で言われていたことをマヒロは知らない。

マヒロはしばらくお茶を啜ってぼんやりしていたが、お茶がなくなったのを見てカップを置き立ちあがった。
アーセルの言う通りだ。知り合って間もないし、世界も生き物の種類も違う人とわかり合いたいならいっぱい話し合うべきなんだ。
変な自分だけの価値観で拒絶するなんて、よくない。
そう思って、先ほどハルタカと会った部屋を目指して歩き出した。小走りでやってきて、思い切って開けた扉の向こうには、掃除をしているメイドしかいなかった。
「あれ‥?あの、ハルタカ知りませんか?」
メイドは呆気にとられた顔をして言った。
「え?マヒロ様お会いにならなかったんですか?龍人タツト様はお帰りになられると言って随分前にここを出られましたよ?マヒロ様にお会いして挨拶してから帰るとおっしゃっておいででしたのに‥」

「‥入れ違っちゃったのかな‥」
何とか、そうメイドには返事をしてドアを閉めた。
帰っちゃったんだ。
多分、もういない。
腕輪で話そうかと思ったが、もし呼びかけを無視されたら絶対に落ち込む。
そう思うと話しかけることもできなかった。
ハルタカ、怒っちゃったのかな。
もう、私のこと面倒になっちゃったのかな。

もともと面倒だって言ってたし。価値観の全然違うヒトに色々言われるのは嫌だったのかも。
マヒロはそんなことをぐるぐる考えながら自室に戻った。
王都カルロへの出発は明日に迫っていた。

夕食の時、マヒロは明らかに元気がなかった。ハルタカが急に去ってしまったことはアーセルもメイドや家令から聞いて知っていたので、誤解というか行き違いが解消されないままなのだろうと想像がついた。
アーセルの心の奥に怒りの炎が燃え上がった。
愛しているのではないのか。
龍人タツトは番いをこの上なく大切にすると聞き及んでいたが、それは間違いだったのだろうか。あれほどまでに自分を警戒し牽制するくせに、マヒロが落ち込んでいる肝心な時にそれを解消してやらないとは。

アーセルはしょんぼりした様子で料理の皿をつついているマヒロを見た。いつもなら「美味しいですね」「これはなんていう料理ですか」「何が材料なんですか」などと明るくたくさん話してくれるマヒロなだけに、静かな食卓はいつになく重い空気になっていた。
料理人やメイドもマヒロの様子を見て心配し、目で「何とかしろ」とアーセルにしきりに合図してくる。付き合いの長い使用人たちばかりなので、どうも自分に対する敬意が薄くないか、と思いながらも何と話しかけたらいいか、とアーセルはずっと考えていた。
ごちそうさまでした、と食後にいつもマヒロが言う言葉が聞こえた。ふと顔をあげるともうマヒロは立ち上がり、食卓から離れようとしていた。
「マヒロ様」
アーセルは思わずそう呼び留めた。マヒロは何の気なしにこちらを見る。その顔がいかにも落ち込んで疲れているように見えて、アーセルはたまらない気持ちになった。
「何?アーセル」
「‥腹ごなしに、散歩にでも行きませんか?‥ちょっと寒いですが」
マヒロはアーセルが自分の事を気にかけてくれてそう言っているのだろうと思った。心配をかけてしまって申し訳なかった。しかもアーセルは、自分の事を好いてくれているのだからハルタカとの事なんて聞きたくないかもしれないのに。
そういう申し訳ない気持ちもあったので、マヒロは素直に頷いた。
「すぐ出かける?なら、コート着てくるね」
「では玄関でお待ちしております」
アーセルはそう言ってくれた。

散歩、と言ったがアーセルは馬をひいてきていた。こちらの世界の馬はかなり大きくて脚が六本ある。初めて見た時にはその大きさと脚の数に驚いたものだった。
アーセルは自分が先に乗ってマヒロの腕を取ってぐっと引っ張り上げた。そして自分の前に乗せた。
「お寒くないですか?」
「このコートあったかいから大丈夫」
コートも靴も、ここで買いそろえてくれたものだ。ハルタカが買ってくれたものを持ってくる暇がなかった。ハルタカが後日持ってこようかと言ってくれたのだが、その時にはルウェンに連れ出され、相当に日用品や衣類を買い与えられた後だった。
ハルタカが買ってくれたあの素敵なドレス、結局一回も着てないな、とマヒロは思い出していた。一度くらい着てみせてくれ、と言われていたのに恥ずかしくて着ないままだった。
はあ、とため息をついたマヒロにアーセルが声をかけた。
「マヒロ様、見てください」
アーセルが指さした空には、紫色の空の中に虹色の雲のようなものが広がっていた。まるで写真や映像で見たオーロラのようだった。オーロラよりはもっとはっきりした色合いで、夜空にたなびく虹色の雲はとても美しかった。
「‥寒い時の夜空にたまに見えるんです。運よく見られてよかった」
「綺麗だね‥」
マヒロはそう言ってぼんやりと空を眺めた。虹色の薄い雲は、風にあおられるのかそれ以外の理由があるのか、ゆらゆらと形を変えて揺らめく。その様がまた幻想的で美しい。
「本当に綺麗‥ありがとう、アーセル、見せてくれて」
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