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48 離れる

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控えめなノックの音に、マヒロはハッとしてハルタカの胸を押しのけた。どのくらい、ここで抱きしめあっていたのだろうか。自分としてはそんなに時間が経った気はしていなかったが、待っている人が焦れてしまうほどには過ぎてしまっていたのかもしれない。
そう思って「はい!」と返事をした。声が上ずってしまったかもしれない。ハルタカは横で嫌そうな顔をしている。‥なんで?
扉を開けてにこにこ顔のルウェンと表情があまり変わらないままのアーセルが入って来た。ルウェンがマヒロたちの向かいに座り、すぐに話を始める。
「さて、龍人タツト様とのお別れはお済みですか?よろしければマヒロ様が住まわれる予定の屋敷にお連れしたいのですが。それからマヒロ様のための生活用品なども買いに行きたいですね!いや~忙しくなるぞ~。あっ、しっかり俺が付き添いますからご安心ください!」
ルウェンの言葉に、マヒロはうん?と首をかしげた。
「え、すぐに行くんですか?‥あの、荷物とか取ってきたりしたいし‥一度戻りたいんですけど」
ハルタカも鋭い視線をルウェンにぶつけながら言う。
「お別れとは聞き捨てならない。私はマヒロと別れるつもりはない。マヒロのために、しばらくの間我慢することにしただけだ。マヒロが番いであることには変わりはない。‥ヒトよ、それをしっかりと心に刻んでおくがいい」
ルウェンは「さようでしたか~」と言いながら心の中で舌を出した。そんなことは知ったことではない。この『カベワタリ』はアーセルのために、そしてカルカロア王国のために必要なのだ。龍人タツトとはいえ、そこは譲れない。
とにかく、『カベワタリ』と龍人タツトを引き離すことが先決だ。そのためには絶対に龍人タツトの住処に戻らせてはならない。戻ったが最後いつ降りてくるかわかったものではない。
ルウェンは最上級に人懐っこい笑顔を繰り出した。
「マヒロ様、‥龍人タツトの住処に戻られてしまうと私たちはいつおいでになるか気が気ではなくなってしまいます。申し訳ありませんがこのままここに滞在していただけませんでしょうか?生活に入用なものはこちらで全てご用意致しますので‥どうか、お願い申し上げます」
そう言って座ったまま深々と頭を下げる。マヒロはルウェンのその様子を見て慌ててそれを制止した。
「ルウェンさん、そんな、顔を上げてください!‥あの、わかりました‥でもお願いがあります」
ルウェンは顔を伏せたまま、眉をぴくりと上げた。『カベワタリ』は何を言おうとしているのだろうか。
「あの、ツェラさんとレース編みの仕事をするようにお話をしてて‥それは続けたいです。それから、あの、ハルタカと定期的に連絡を取りたい、んですけど‥」
何だそんなことか、とルウェンが思っていると、ハルタカがまたぎゅうっとマヒロを抱きしめた。アーセルの眉間に深いしわが刻まれる。
「マヒロ、その腕輪で一日少しの時間なら通話ができる。それで話せる。‥私も様子を見に時々降りてくる」
「ありがと、ハルタカ‥」
二人の間に何やら甘い空気が流れそうになっているのを感じ取ったルウェンは、ことさら明るい声を張り上げた。
「よかったですね!マヒロ様!‥龍人タツト様、あまりヒトの世に関わってはならない、という龍人タツトの定めがあると聞きますが‥大丈夫ですか?マヒロ様の身柄は私どもがしっかりと守りますので、ご無理をなさらずとも大丈夫ですよ』
ハルタカは明るい笑顔を崩さないルウェンの顔を厳しい表情で睨みつけた。このヒトは理由をつけて自分をマヒロから引き離そうとしている。油断はできない。許される全ての力を使ってでもマヒロから目を離さないようにしなければ。
ハルタカは心の中でそう決意すると、ルウェンに向かっては冷ややかな声で応えた。
「心配してもらわずとも、定めはおのれでよく理解している。マヒロと私を引き離そうなどと考えぬ方がよいぞ、ヒトよ」
ルウェンは畏まった様子を見せながら頭を下げた。心の中では考えるに決まってんだろと毒づいていた。

その後、マヒロはハルタカと一緒にアツレンの街で食事をとってから別れた。ハルタカは離れがたい様子を見せたが、マヒロが「ごめんね‥」と少ししょげた様子を見せると一度強くマヒロを抱きしめてからテンセイに跨り、空へ登って行った。
その姿を見て、マヒロは何とも言えない寂しさ、喪失感に襲われていた。攫われていた時以来の感触だ。ハルタカがいないと寂しくて何か足りない、そんな感覚になってしまう自分に驚く。
これはいい機会だったのかもしれない、とマヒロは考えた。異世界に来てしまってからずっとハルタカと一緒でほとんどハルタカとしか触れあってこなかった。少し離れてみて、自分の気持ちやこの世界でどうやって生きていくかを考える方がいいのかもしれない。
ハルタカは優しすぎる。その優しさに甘えているだけではだめだ。
マヒロはそう考えていた。


新しい生活が始まった。
主に生活するのは、アツレンにあるアーセルの屋敷だ。部屋数は十ほどもあり、割と大きな屋敷だった。フェンドラというアーセルの領地の中ではアツレンは二番目に大きい街らしく、そのため大きめの屋敷も構えているようだ。本宅はフェンドラの領都フェルンにあって、そちらはもっと大きな屋敷らしい。
アツレンの屋敷には、料理人が二人、メイドが二人、家令が一人使用人として仕えていた。使用人がいる生活など、勿論したことのないマヒロは最初驚いて固まってしまった。メイドに着替えやお風呂などの世話をされそうになって、あわあわしながら何とか断るのがやっとで、始めは上手く話すことができなかった。
だが、屋敷の使用人たちはみな人柄のいい者たちばかりで、緊張しているマヒロにも優しく接してくれたので、少しずつ打ち解けて話ができるようになっていった。
ルウェンから事情を聞いている家令は、アーセルに伴侶を持つ気持ちが生まれたらしい、ということが嬉しく、絶対にマヒロを逃すまいと心に決め細心の注意を払ってマヒロに仕えていた。
ツェラとのレースの仕事も少しずつ進めていた。分けてもらったレース編みの道具を使って少しずつ編んでいく。メイドにも意見を聞いたりして色々な図案を編んでみた。サイズは小さくていいということだったので、割合に早くできたそれをツェラは満足そうに買い取ってくれた。
この世界に来て初めて自分で稼いだお金に、マヒロは純粋に嬉しさを感じた。そしてこのお金で何かハルタカに贈りたいな、と思った。
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