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46 それぞれの心

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「だから、アーセルをどうしても勝たせたいんです」
力強くそう言い放つルウェンにマヒロは頷きながらも、その中で自分が果たすべき役割がわからず、どういうことかを尋ねた。
「あの、お話はわかりましたけど‥私がそれにどう関わってくるかがわからないんですが‥」
そう訊いてきたマヒロに、ルウェンは真剣なまなざしをひたと向けた。
「マヒロ様。おそらく、マヒロ様はご自分のお望みではなくこちらへお渡りだと思います。そんなところに、ここに住む我々が一方的にお願いを申し上げるのは本来は‥心苦しいことです。‥ですが、『カベワタリ』とともに過ごせば、個人の持つ力が上がる。そういう報告があります。‥‥ですから今から『国王選抜』が終わるまでの七か月間、このアーセルの傍で暮らしてやってもらえませんか?‥心からお願い申し上げます」

「嫌だ!無理だ、そんな長い間マヒロをヒトの世に置いておけない!」
「‥それは、龍人タツト様個人のご希望ですよね?」
ルウェンは氷のような冷たさでそう言い捨てた。ハルタカはハッとした顔をして唇を噛む。
龍人タツトは、世界の「調整者」として存在していると言われている。
ヒトの世ではどうしようもないことが起きた時、ヒトの手には余る事態が起きた時に、龍人タツトがその力でもって世界のバランスを取るのだ。
だからこそ、龍人タツトには長い長い寿命と強靭な肉体、精神力、そして力が与えられているのだと言われている。

まだ年若い個体であるとはいえ、ハルタカも龍人タツトの一人である。自分の使命も理解していたし龍人タツトとして果たさねばならぬことやしてはならぬことの線引きも明確に理解していると思っていた。
だが、今マヒロを目の前にしてハルタカは、今までできていた冷静な判断ができないことを自分でも悟っている。ルウェンが言う通り、これは「ヒトの世に関わること」でありハルタカが口出し手出しできるものではない。ヒトの世の仕組みはヒトが変えていかねばならない。
そのために『カベワタリ』の力が使われようとも、そこをハルタカが制止できる権利はないのだ。
マヒロは、まだ番いではない。
ぎりぎりとこぶしを握る。爪が伸びて掌の肉を破っている。じわりと掌の中で血が溜まっていくのがわかったが、それでもハルタカは自分の激情を抑えることができない。
もうマヒロと離れることは考えられない。だが、それをマヒロにいま無理強いすることは龍人タツトの在り方から逸脱する。

ハルタカは隣に座るマヒロの顔を見ることができなかった。見てしまえば行かないでくれと言ってしまう。それは許されない。
断ってくれ。
私の傍から離れないと言ってくれ。
ハルタカは祈るしかなかった。
ハルタカの隣で、マヒロが息を大きく吐いたのがわかった。何かを決めたような様子だった。ハルタカはぎゅっと目をつぶった。

「具体的に、アーセルさんの傍で私に何をしろというんでしょうか?」
マヒロがそう尋ねている。ハルタカは半ば絶望しながらその問いを聞いていた。
一方、ルウェンはあからさまにほっとした表情を浮かべながらマヒロに応えた。
「特には何も‥とにかくできるだけ近くで過ごしていただければと思います。接触時間が多いほど、ちからは強まると古代文献にはありまして‥特別なことをマヒロ様にしていただくことはありません」
ルウェンは心の中にある黒いものに、今は完璧に蓋をした。‥これは流れに任せればいいことだ。今から七か月もあるのだから。
マヒロはそれを聞いて少し考えている。アーセルは額に汗を浮かべながらマヒロを見つめていた。
この若者ワクシャが自分の隣で暮らしてくれたら。そしてそのうち、自分の心を受け取ってくれたら。
今まで考えたことのなかった伴侶を得られるかもしれない。
アーセルはそう思った。
これまで何人も声をかけられたり勧められたりしてきたが、アーセルは伴侶を持ちたいと思ったことがなかった。考えるのは領民の幸せであり、領地の平和でしかなかったからだ。だがマヒロに会い、少しずつ頭の中でその存在感が増し、そして今日また触れ合ったことで、アーセルは初めてヒトを想う気持ちを理解した。
それは、今まで味わったことのない甘美なものだった。
このままでは龍人タツトに番いとして攫われてしまうかもしれない。だが、ここでマヒロがうなずいてくれれば、自分にも機会はある。
三人が、マヒロの返答をじりじりと待っていた。
マヒロがぱっと顔を上げた。

「わかりました」

三人がマヒロをじっと見つめた。
「私、アーセルさんと一緒に暮らしてみます」

「マヒロ!」
ハルタカは絶望のあまり立ち上がって叫んだ。そしてすぐにマヒロの前に跪いてその手を取った。血に濡れたハルタカの掌に、マヒロはぎょっとした。
「え、ちょ、ハルタカさん」
ハルタカの掌を見ようとするマヒロに構わず、ぐっとマヒロの手を握る。
「マヒロ、聞かせてくれ。さっきの返事が今聞きたい。私の番いになってくれるか?頼む、今聞きたいんだ」
ハルタカの目に、見たことのない焦りと悲しみが見える。いつも自信に満ち溢れ動じることがなく、大人に見えていたハルタカのその目にマヒロは思わず息を呑んだ。
マヒロは血濡れたハルタカの掌をそっと包んだ。
「ハルタカ、なんでこんな怪我しちゃってるのかわからないけど‥後で手当てしようね」
「マヒロ」
希うような切ないハルタカの声に、マヒロはうん、と頷いた。

「ハルタカが好き。私も好きだと思う。一緒にいたい。‥でも、長い寿命を受け入れられるかはまだわからない。‥それに、本当に私が番いかどうかは‥してみないとわからないでしょ‥?もし番いじゃなかったら‥」
「そんなことはない、間違いなくマヒロは私の番いだ」
勢いごんでハルタカは言った。だが、マヒロはそんなハルタカを制した。
「もし‥あれが出なかったら、私はハルタカを諦めるしかなくなるよね。それは結構つらいかも‥だからもう少し猶予が欲しいなって思ってた」
「マヒロ‥」
ハルタカの顔はどんどん青くなっていく。ハルタカの掌に顔を向けているマヒロにはそれが見えていなかった。
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