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41 やってきたのは

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目の前にあるのは、黄色く鋭い目。
霞がかっていたようなぼんやりとした視界が、「マヒロ!」と呼ばれる度に少しずつ薄紙を剥がすように鮮明さを増していく。
マヒロ。
‥誰だっけ‥?
天尋まひろ

「マヒロ」
銀の髪を揺らしながら呼んでくれた人がいた。

「マヒロ!聞こえるか?しっかりしろ!マヒロ!」

目の前にあるのは艶やかな白髪。
マヒロ。
‥‥私、マヒロだ。

「あ、」
と声を出すと、鋭かった黄色い目はふっと優しい光を帯びた。浅黒い肌の精悍な顔立ちのヒトが、マヒロの目の前で少しだけ笑みを浮かべている。
マヒロはどこかまだぼんやりとしていた頭を押さえた。少しくらくらする。なぜ、ここに自分はいるのだったか。
「正気付いたか。よかった‥‥ご気分はいかがですか、マヒロ様」
目の前のヒトは、安心したようにつぶやいたかと思うと、急に改まった態度で話し出した。このヒトには見覚えがある。だが、どこで会ったのだったか‥。
「あなた、は‥?」
尋ねるマヒロの声に、アーセルは肩においていた手を引き離してその場にぴしりと立ち上がった。右手に拳を握って背に回し、軽く上半身を曲げて礼をする。騎士の礼だった。
「一か月ほど前、アツレンの街でお会いしました。退異騎士団詰所までご同行いただいた時に。アーセルと申します」
アーセルが威儀正しく名のったのを聞きながら、少しずつマヒロの頭は清明になっていった。そうだ、自分はツェラの店にいる時に攫われたのだった。
「あ、あの!私、攫われ‥」
と、言葉を発しようとしたその時、マヒロはアーセルの後ろの光景を見てしまった。大きな切り傷を受けて流血したまま倒れているヒトたち。縄でギッチリと縛られ転がされているヒト。思わず言葉を呑み込んだ後それらを確認して、もう一度声を発した。
「攫われた、のを、あなたが助けてくれたんですね‥ありがとうございます‥」
大怪我を負って呻いているヒトを見るのは正直いい気分ではなかったので、なるべくそちらを見ないようにして言った。
アーセルはそれに気がつくと、「失礼」というや否やマヒロに近づいてふわっと抱き上げた。
待って待って、重い!私重いから!
焦ったマヒロはアーセルを止めた。
「ちょ、あの、私重いから!いいです、あの‥」
「全く重くありませんよ。お気になさらず」
アーセルは全くマヒロの言葉を意に介さず、そのまま抱き上げて半壊した一軒家の敷地からマヒロを外に連れ出した。少し離れた草地にそっとマヒロを下ろす。
「‥お見苦しいものをお見せして申し訳なかった」
そう言って跪いたまま、マヒロの前で頭を下げた。
ああ、このヒトは私が見たくないのを察してこちらに連れて来てくれたんだな、と思ってマヒロは嬉しくなった。
先日会った時には、アーセルのイメージはあまりよくなかった。堅物の騎士という印象だったのだが、今目の前にいる騎士はとても優しくて自分を気遣ってくれている。
しかも、攫われた自分を助け出してくれたようだし、ありがたい。
目の前で頭を下げているアーセルに、思わずマヒロは手を差し伸べた。
「いえ、お気遣いありがとうございます!‥あの、お一人でここに‥?」
アーセルは顔を上げた。優しい黄色い目と視線が合う。
「ええ。‥少し心当たりがあって探っておりましたら、運よく見つけることができました。私の街で恐ろしい目に遭わせてしまい申し訳ございません」
「私の街‥?」
不思議そうに首を傾げたマヒロに、アーセルは簡単に説明した。
「このアツレンがあるフェンドラは、私の家が治めています。私はここの領主です」
そう言ってアーセルは柔らかく笑った。
りょうしゅ、領主?えっ、結構偉いヒトじゃん。そんな人が自ら私なんかのために動いてくれたのか。なんだか申し訳ないような気がして、思わずマヒロは頭を下げた。
「そんな、偉いヒトにまでご迷惑をかけちゃって、すみません」
アーセルは驚いて目を見開いた。攫われたのはマヒロなのに、なぜマヒロが謝るのだろうか。
「そんな、マヒロ様は被害者です。私の街でこんな事態を引き越してしまってこちらこそ不甲斐なく、申し訳ない」
「いえいえ、でもアーセルさんに助けていただいたんですから、しかも偉いヒトなのに。偉いヒトって忙しいんですよね?ごめんなさい」
そう言って言葉を重ねるマヒロに、いよいよアーセルは混乱してきた。
「いや、マヒロ様には何の非もない。どうか謝らないでください。私も心苦しくなる」
「だって‥」
と言いかけてぶふ、とマヒロは吹き出した。なぜこんなところでお互いに謝り合っているのだろう。そう思うとおかしくなってしまったのだ。いきなり笑い出したマヒロに、またアーセルは目を見開いている。そんな顔をしているとアーセルの精悍な顔立ちも少し幼く見えた。
「くふふっ、ごめんなさ、ふふ、なんかおかしくなっちゃって」
くふくふと笑い続けるマヒロに当惑気味だったアーセルも、少し気を抜いた表情になった。
「お辛い目に遭われたのに、そのように笑っていただけると私も助かります。‥何か嫌なことはされませんでしたか?」
慎重にそう尋ねてみる。マヒロは何とか笑いやめて、少し考えた。
「‥‥あまりわからないです、何だかずっとぼんやりしてた気がします」
「それはシンリキシャに精神を少し縛られていたからでしょう。シンリキの高能力者リキシャはそういう干渉が得意ですから」
そう聞けば背中がぞわりとする。そんなこともできるとは、恐ろしい能力だ。知らない間に何かされていたとしてもわからないのではないか。
「‥‥私が、気づかない間に、何かされてたかも‥ってことか‥」
思わず自分の身体をかき抱く。何かされた記憶はないが、それが「されていない証拠にはならない」ことにマヒロは恐れを感じた。
先ほどまでと打って変わって怯えているようなマヒロの様子に、アーセルは思わず近寄ってその肩を引き寄せた。きっといつもは先ほどのように明るい若者ワクシャなのだろう。それなのにこの地に来てしまったせいで、こんなに怯えさせてしまった。
気がつけば片腕だけでマヒロの肩を抱きしめていた。
「お辛い、目に遭わせてしまって‥」

その時、辺り一帯をぶわっ!!と大きく風が薙いだ。巻き上がる土や草の切れ端に思わず目をつぶる。ざん!という音とともにマヒロの身体はぐわっと持ち上げられ、その次の瞬間にはぎゅうっと強く抱きしめられていた。
う、と息が詰まる。厚くて広い胸に抱き込められ顔が潰れそうだ。必死に大きな身体を叩く。すると少し、その腕が緩んだ。ふう、と息を吐いて上を見上げる。
ハルタカだった。
ハルタカは、その金色の目に涙を滲ませていた。マヒロはそれを見てぎょっとした。どちらかと言えばあまり感情をあらわにしないハルタカの、しかも涙などを見たのは初めてだったのだ。
ハルタカはそっと両手でマヒロの顔を挟んで見つめた。
「‥‥無事、で‥よかった‥マヒロ‥」
そう言うと、そのまま顔を寄せてきてマヒロの唇におのれのそれを重ねた。マヒロはびっくりして目を閉じることも忘れた。ハルタカの閉じられた睫毛からぽろぽろと涙が溢れ、マヒロの唇にまで伝ってきた。
しょっぱい。
いや、そんなこと言ってる場合ではない!キ、キス、されて、る‥。
ハルタカは目を開けてもう一度じっとマヒロの顔を見つめ、それからまた唇を重ねてきた。唇でマヒロの唇を挟むように愛撫してくる。そこからじんじんと熱が伝わってくるようで、マヒロは頭がぼうっとしてきた。

キス、してくれているのはなぜ?
私の事が好きだから?
番いかもしれないから?
‥パンダ的興味ではないのかな?

色々な事が頭の中を駆け巡る。だがハルタカの唇を拒否することはできなかった。マヒロはそっと腕をハルタカの背に回した。


その様子を見て、アーセルは呆気にとられていた。
そして、身の内から何か熱い感情がふつふつと湧き上がってくるのを感じた。
目の前で、あのヒトがかっさらわれ、あまつさえ口づけまで見せられている。
アーセルはここに来て、自分の身の内を焼いているのが明確な怒りだと悟った。
「‥龍人タツト様」
アーセルは立ち上がってぐいとハルタカの腕を引っ張ってマヒロから離そうとした。ハルタカは口づけはやめたがマヒロを腕の中から離そうとしない。アーセルは、それを見て今度はマヒロの腕を引いた。
「マヒロ様、申し訳ありませんが色々とお聞きしたいこともございます。退異騎士団詰所まで来ていただけますか?」
「あ。はい、わかりました」
そう言えばこのヒトの目の前でキスシーンをやらかしてしまっていた。マヒロはカーッと顔が熱くなるのを感じた。恥ずかしいことこの上ない。しかもちょうどこのヒトに色々話をしてたところだったのに。
ハルタカの腕から抜け出ようとしたが、ハルタカはぎゅっと腕に力を入れて離してくれない。マヒロはちょっと戸惑ってハルタカの顔を見上げた。
「‥ハルタカ?あの、一回離してもらっていい?」
ハルタカは、まだ涙を滲ませていた。そして静かに言う。
「嫌だ」
「嫌だ、って‥」
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