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38 アーセル

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ツェラは顔と腹を殴られたらしく立つこともできない様子だったが、必死にマヒロが誘拐された時の様子を伝えてくれた。
やってきたのは体格のいいマリキシャ[黒髪黒目]、シンリキシャ[金髪金目]、キリキシャ[青髪青目]の三人組で、傭兵なのか騎士なのか、かなり手際が良かったらしい。あまり大きな音を立てることもせず店に押し入ってきて、他に人はいるかとツェラに尋ね、ツェラが答えなかったところ腹とそれから顔を殴られたという。顔を殴られたのはマヒロに逃げろと伝えようとした時だそうだ。その後、侵入者たちは一人だけが扉から出て去り、他の二人とマヒロの姿は消えていたらしい。
シンリキシャが一人いたということだから、そいつにマヒロの意識を混濁させ、キリキシャが残りの人数を転移させたのだろう。
それを聞き取ってすぐに奥の部屋に入り、気を読んでみたがリキシャの残滓を感じ取ることはできなかった。
倒れた椅子に、荒々しくよけられた机。それらを見ているだけで、腹の底から煮えたぎるような怒りがぶわりと湧き上がる。
ハルタカの恐ろしいほどのタツリキの威圧に、家が震え人々はどよめいた。市中警邏隊の隊士が必死に大声をあげる。
「た、龍人タツト様!お気、を、確かに!」
そう声をかけられ何とか威圧するタツリキを抑え込む。そのまま外へ出た。

なぜ傍を離れたのか。
なぜ傍で護らなかったのか。

どうしようもない悔いと怒りで心がざわめくのが抑えられない。こうならないように、前回わざわざ自分と一緒に連れまわし龍人タツトの客人であることを知らしめておいたのに。
ハルタカはぶんっと頭を振った。とにかく今は一刻も早くマヒロを救い出すことが先決だ。マヒロが、ハルタカの与えたピアスを割ってさえくれればすぐにマヒロのもとに行くことができるが、シンリキシャに意識を奪われているとしたらそれも難しいかもしれない。
キリキシャが転移をさせたようだが、転移はそこまで多くの距離を稼ぐことはできない筈だ。つまり、まだこのアツレンかその近辺にいることは間違いない。
そこまで考えて、ハルタカは大きく跳躍した。すぐ横の高い建物の屋根に着地すると辺りを見回し、もっと高い建物の屋根に再び跳躍する。
そうやって跳躍を繰り返し、街の中心部に向かい移動していった。


「くそ!動きはええな!いっつもくっそ鈍いくせによ!」
ダン!とルウェンは壁を横ざまに思いきり殴りつけた。普段ひょうひょうとしているこの男がこのような顔を見せるのは珍しい。
だが、『カベワタリ』の誘拐、しかもその犯人がニュエレンのダンゾ絡みらしいとくればこの反応も当然か。
それにしてもニュエレンの手が思ったよりも速かった。気読みのキリキシャからでも洩れたのか。
アーセルがじっと考え込んでいると、ルウェンが苛々と声を上げた。
「ダンゾ自身はまだアツレンには来てない筈だ。ここからあの『カベワタリ』を動かすのも難しいだろうから、おそらくダンゾが向かっているとみて間違いない」
何しろ、『カベワタリ』の力を手に入れるためには、が必要なのだから。
だが、この高潔清廉な精神を持つアーセルにはそれを悟らせるわけにはいかない。言い方には注意しておかねばならない。
アーセルは、顎に手を当てて何か考えている。ルウェンはそれを見ながら次の手を考えた。
「とにかく、警邏隊の報告から犯人にダシルがいることは確かだ。あいつのシンリキは少し厄介だから、こっちもシンリキシャを揃える必要がある」
「‥そうだな」
アーセルはそう言うとルウェンの方を向いた。
「すぐにサイシャを呼べ。シンリキシャならあいつが一番対応できるだろう。それからライとクダルの上下子きょうだいもだ。二手に分かれて街の西側と東側から順に気読みをさせろ。警邏隊には通達を出して外門を閉じ、通行する者は全員三日は留め置くようにしろ。退異隊からもヒトを出して市中を警邏させ、傭兵や退異師がいれば必ず身元の確認をさせろ」
アーセルから出される的確な指示に、ルウェンは少し口角を上げながら「了解しました」と答えた。そのまま指令を出すべく部屋を出ていく。
アーセルはその姿を見送りながらまだ考えていた。
あの、表情のよく変わる『カベワタリ』。アーセルたちが話をしても、怖気づくこともなく自分の希望をはっきりと言った。
自分の「意思を尊重しろ」と。
あの、はっきりとした態度とレースの網目からわずかに透けて見えた黒い輝きが頭から離れない。
この一か月、何度も鳥を飛ばしてハルタカに接触を図ったが一切の返信はなかった。だからあの姿は一か月見ていないのだ。

アーセルはこれまで、領地領民のために自分の人生のすべてをささげてきた。そのために努力をして働くことに疑いを持っていなかった。
自分を国王に推してくれる一派があり、また現国王自身も自分を後継にと望んでくれていることは知っていた。だが、「国王選抜」を戦い抜くのは自分には難しいだろうという気持ちもあったのだ。
幼い時から自分についてくれているルウェンには、そういう自分が歯がゆかったようだったが。
だが、あの『カベワタリ』に出会い、この一か月ずっと出会った時のことを考えていたアーセルの中に、欲が生まれつつあった。
あの『カベワタリ』を手に入れて、王位に就きたい、という欲が。

あのヒトの顔が見たい。
あの輝く瞳を正面から見てみたい。

そう考えるようになっていた。
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