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33 再び街へ
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ハルタカはこれ以上、マヒロを怖がらせたくなかったし焦らせたくもなかった。だから自分の衝動を必死で抑えようとしていた。
龍人として生まれてからこの方、このように自分の行動を抑えられないと思ったり他の生き物に対してここまで感情を動かされたことはなかった。マヒロに触れたい、口づけたいと思うたび、おのれを叱咤して待つべきだと言い聞かせた。
だがもう一人の自分が時折ハルタカの心を揺さぶってくる。
マヒロがヒトの世に降りてしまえば毎日会うことは叶わないぞ。
ヒトの世で伴侶を見つけてしまったらどうするのだ。
今日にでも、ヒトの世に戻りたいと言われたら手放せるのか。
番ってしまえ。
龍鱗さえ出してしまえば、あの愛おしい生き物は未来永劫お前のものになるぞ。
永い年月をともに生きていけば、この気持ちもきっと受け取ってくれる。
最初は無理にでも番ってしまえば。
龍人として、公平におのれが正しくあると信じる道を生きてきたつもりだったのに、おのれの身の内にこのような恐ろしい部分があるとは思いもよらなかった。その醜さに打ちのめされる。
自分はこのような醜さを心の中に抱いたままで、調整者たる龍人の使命を果たせるのだろうか。
カルカロア王国からの引き渡しの請求は、ごく真っ当なものだった。ハルタカの役割は、本来マヒロの保護と異生物の退治で終わっていたはずなのだ。
その後のことはヒトの営みの中に任せるべきなのである。
だが、どうしてもあの騎士たちにマヒロを引き渡したくない。今はマヒロも行くことに気乗りがしていないようなので安心しているが、マヒロ自身が行きたいと言い出したら。
ハルタカは自分がどういう行動に出るのか、皆目見当がつかなかった。
ナシュはかじかんだ手にはあっと息を吐きかけた。この寒い中、水を使いながらずっと団子を丸めているからだんだん手指の感覚がなくなってくる。親が湯を使ってもいいよと言ってくれたが、湯を沸かすために温用石を使ってしまうのももったいない気がして使えなかった。
ナシュと親であるタㇺが出している屋台で売っているピルカは、特に団子がうまいと評判だ。ピルカに入れる団子は、冷たい水を使って練らないと柔らかくならない。水は冷たければ冷たいほど、柔らかくなる。だからナシュは水道の水ではなく、いつも朝一番に汲み上げた井戸水を使って団子を練る。
ナシュは自分の屋台のピルカが一番うまいと思っていた。なのに先日、久しぶりに現れた龍人様は、別の屋台のピルカを召し上がったらしい。その屋台はその後大変に繁盛していると聞く。
(俺んちのピルカの方が絶対うまいのにさ)
よその屋台で召し上がったのは、きっとその屋台がたまたま近くにあったからに違いない。ナシュたちは市場への納め金がそうたくさんは払えないので、いつも市場の端っこにしか屋台を出せなかった。
だからナシュはまだ龍人様を見たことがない。信じられないくらいかっこよくて美しくて、この世のものとは思えないくらいだぞ!と友達のカンゼが興奮していたっけ。
(またアツレンに来てくださるかなあ)
今度こそ、ナシュの屋台のピルカを食べてほしい。でもこないだピルカを食べちゃったからもう食べないかな。
親のタㇺは、伴侶を早くに亡くして一人親でナシュを育てている。苦労しているのをよく見てきたから、タㇺにいい思いをしてほしい。龍人様が俺の屋台で食べてくれたら、きっといいことがあるに違いない。
だがそう話すナシュに対して、タㇺはたしなめるように言った。
「だめだ、ナシュ。それは自分の都合のために龍人様を使うことになる。龍人様にそんなことを願ってはいけないよ」
「何で⁉だっていい思いしてる奴いるじゃん!俺たちだってそうなりたいって思って何がいけないんだよ?」
ナシュにはタㇺのいう事がわからなかった。何となく悔しくて、タムに食ってかかってしまった。タムは静かにナシュに言い聞かせた。
「龍人様のなされることは、運だと思わないといけない。みんなが龍人様の力を当てにしてしまったら世界は上手く回らなくなるし、龍人様だってお困りになる。俺たちは、自分の力で生きていくことが大事なんだ。わかるか?突然やってくる幸運だけを望みながら生きるのは虚しいし、実のないことだ」
ナシュにはタムのいう事は難しくてよくわからなかった。だが、タㇺが嫌がることはしない方がいいのかもしれないと思い、頷いて見せた。
するとタムはほっとした顔をして優しくナシュの頭を撫でてくれた。
ナシュは、こんな難しいことも考えられて、自分を戒めてくれるタムが親でよかったと心から思ったのだった。
今日の分の団子を全て練って丸め終わり、団子と水の入った桶をよいしょと持ち上げた。まだ九歳のナシュにその桶は重い。いつもタムには終わったら自分を呼べ、と言われていたのだが、ナシュはできるだけタムの仕事を増やしたくなかったし役に立ちたかったから頑張って運んでいた。
ところがこの日は、前日に降った雨が夜の寒さで道の中に凍り付いている場所が幾つかできていた。大きな桶を持ってよろよろと歩いているナシュには足元が見えていなかった。
ナシュの靴が凍り付いた土の上でつるりと滑った。
「あ!!」
ナシュは、一瞬もう駄目だ、団子が全部だめになってしまった、と思った。
ところが次の瞬間、ナシュの身体は何かがっちりとしたものに支えられ、桶は目の前にしっかり支えられていた。
何が起きたのかわからず、自分の腹を見れば太くたくましい腕が見えた。誰かが自分を支えてくれたらしい。だがこの近所にこんなにたくましい腕の持ち主なんていたっけ?と思いつつ上を見上げた。
そこには、「信じられないくらいかっこよくて美しくて、この世のものとは思えないくらい」な若者の顔があった。
銀色の髪に金色の瞳。たくましい身体に恐ろしいほどの美貌。
「龍人様!?」
ナシュは驚いて頓狂な叫び声をあげてしまった。すると桶が喋り出した。
「こんな小さい子でもハルタカのこと知ってるんだねえ」
桶が喋ったことにぎょっとしてそっちの方を見やれば、もう一人の若者が桶を受け止めて持ってくれていたようだった。
この若者は、格別の美貌という訳ではないが何か変わった雰囲気を持っている。目のところにレースの目隠しをつけているからあまり顔立ちはわからないが、声の調子には何だか安心できるような優しい響きがあった。
赤髪の美しい若者はナシュに話しかけてくれた。
「ねえ、これどこに持っていくの?道も悪いし私が持って行ってあげるよ」
龍人として生まれてからこの方、このように自分の行動を抑えられないと思ったり他の生き物に対してここまで感情を動かされたことはなかった。マヒロに触れたい、口づけたいと思うたび、おのれを叱咤して待つべきだと言い聞かせた。
だがもう一人の自分が時折ハルタカの心を揺さぶってくる。
マヒロがヒトの世に降りてしまえば毎日会うことは叶わないぞ。
ヒトの世で伴侶を見つけてしまったらどうするのだ。
今日にでも、ヒトの世に戻りたいと言われたら手放せるのか。
番ってしまえ。
龍鱗さえ出してしまえば、あの愛おしい生き物は未来永劫お前のものになるぞ。
永い年月をともに生きていけば、この気持ちもきっと受け取ってくれる。
最初は無理にでも番ってしまえば。
龍人として、公平におのれが正しくあると信じる道を生きてきたつもりだったのに、おのれの身の内にこのような恐ろしい部分があるとは思いもよらなかった。その醜さに打ちのめされる。
自分はこのような醜さを心の中に抱いたままで、調整者たる龍人の使命を果たせるのだろうか。
カルカロア王国からの引き渡しの請求は、ごく真っ当なものだった。ハルタカの役割は、本来マヒロの保護と異生物の退治で終わっていたはずなのだ。
その後のことはヒトの営みの中に任せるべきなのである。
だが、どうしてもあの騎士たちにマヒロを引き渡したくない。今はマヒロも行くことに気乗りがしていないようなので安心しているが、マヒロ自身が行きたいと言い出したら。
ハルタカは自分がどういう行動に出るのか、皆目見当がつかなかった。
ナシュはかじかんだ手にはあっと息を吐きかけた。この寒い中、水を使いながらずっと団子を丸めているからだんだん手指の感覚がなくなってくる。親が湯を使ってもいいよと言ってくれたが、湯を沸かすために温用石を使ってしまうのももったいない気がして使えなかった。
ナシュと親であるタㇺが出している屋台で売っているピルカは、特に団子がうまいと評判だ。ピルカに入れる団子は、冷たい水を使って練らないと柔らかくならない。水は冷たければ冷たいほど、柔らかくなる。だからナシュは水道の水ではなく、いつも朝一番に汲み上げた井戸水を使って団子を練る。
ナシュは自分の屋台のピルカが一番うまいと思っていた。なのに先日、久しぶりに現れた龍人様は、別の屋台のピルカを召し上がったらしい。その屋台はその後大変に繁盛していると聞く。
(俺んちのピルカの方が絶対うまいのにさ)
よその屋台で召し上がったのは、きっとその屋台がたまたま近くにあったからに違いない。ナシュたちは市場への納め金がそうたくさんは払えないので、いつも市場の端っこにしか屋台を出せなかった。
だからナシュはまだ龍人様を見たことがない。信じられないくらいかっこよくて美しくて、この世のものとは思えないくらいだぞ!と友達のカンゼが興奮していたっけ。
(またアツレンに来てくださるかなあ)
今度こそ、ナシュの屋台のピルカを食べてほしい。でもこないだピルカを食べちゃったからもう食べないかな。
親のタㇺは、伴侶を早くに亡くして一人親でナシュを育てている。苦労しているのをよく見てきたから、タㇺにいい思いをしてほしい。龍人様が俺の屋台で食べてくれたら、きっといいことがあるに違いない。
だがそう話すナシュに対して、タㇺはたしなめるように言った。
「だめだ、ナシュ。それは自分の都合のために龍人様を使うことになる。龍人様にそんなことを願ってはいけないよ」
「何で⁉だっていい思いしてる奴いるじゃん!俺たちだってそうなりたいって思って何がいけないんだよ?」
ナシュにはタㇺのいう事がわからなかった。何となく悔しくて、タムに食ってかかってしまった。タムは静かにナシュに言い聞かせた。
「龍人様のなされることは、運だと思わないといけない。みんなが龍人様の力を当てにしてしまったら世界は上手く回らなくなるし、龍人様だってお困りになる。俺たちは、自分の力で生きていくことが大事なんだ。わかるか?突然やってくる幸運だけを望みながら生きるのは虚しいし、実のないことだ」
ナシュにはタムのいう事は難しくてよくわからなかった。だが、タㇺが嫌がることはしない方がいいのかもしれないと思い、頷いて見せた。
するとタムはほっとした顔をして優しくナシュの頭を撫でてくれた。
ナシュは、こんな難しいことも考えられて、自分を戒めてくれるタムが親でよかったと心から思ったのだった。
今日の分の団子を全て練って丸め終わり、団子と水の入った桶をよいしょと持ち上げた。まだ九歳のナシュにその桶は重い。いつもタムには終わったら自分を呼べ、と言われていたのだが、ナシュはできるだけタムの仕事を増やしたくなかったし役に立ちたかったから頑張って運んでいた。
ところがこの日は、前日に降った雨が夜の寒さで道の中に凍り付いている場所が幾つかできていた。大きな桶を持ってよろよろと歩いているナシュには足元が見えていなかった。
ナシュの靴が凍り付いた土の上でつるりと滑った。
「あ!!」
ナシュは、一瞬もう駄目だ、団子が全部だめになってしまった、と思った。
ところが次の瞬間、ナシュの身体は何かがっちりとしたものに支えられ、桶は目の前にしっかり支えられていた。
何が起きたのかわからず、自分の腹を見れば太くたくましい腕が見えた。誰かが自分を支えてくれたらしい。だがこの近所にこんなにたくましい腕の持ち主なんていたっけ?と思いつつ上を見上げた。
そこには、「信じられないくらいかっこよくて美しくて、この世のものとは思えないくらい」な若者の顔があった。
銀色の髪に金色の瞳。たくましい身体に恐ろしいほどの美貌。
「龍人様!?」
ナシュは驚いて頓狂な叫び声をあげてしまった。すると桶が喋り出した。
「こんな小さい子でもハルタカのこと知ってるんだねえ」
桶が喋ったことにぎょっとしてそっちの方を見やれば、もう一人の若者が桶を受け止めて持ってくれていたようだった。
この若者は、格別の美貌という訳ではないが何か変わった雰囲気を持っている。目のところにレースの目隠しをつけているからあまり顔立ちはわからないが、声の調子には何だか安心できるような優しい響きがあった。
赤髪の美しい若者はナシュに話しかけてくれた。
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