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涙出ちゃった

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そういえばデビュタントでも揉めたっけ、とリオーチェは思い出した。
ロレアントが自分がエスコートしたいと言って相当にごねたのだ。無論ロレアントはリオーチェより一つ下なのでデビュタントには出られない。
だが、リオーチェをエスコートする役を他の男性に任せたくない、と言って最終的にぽろぽろ泣き出した。
「ぼ.僕、の、リオ、なの、に」
あなたのリオになった覚えは一ミリもない。
そう思ったが面倒なので言わなかった。
「とにかく成人した男女しか行けませんし。親戚でも婚約者でもない男女が連れ立っていくのもおかしいですから」
「だからぁ、こ、婚約、しよう、ってぇ」
えぐえぐしゃくりあげるロレアントを見ていると、本当にこの青年は巷で噂されている超優秀令息なんだろうかと疑問が浮かぶ。
「だから何度も申し上げておりますが、ロレアント様と私とでは釣り合いが全く取れておりません。婚約なんてできませんから」
「た、確か、に、僕、に、リオは、もったい、ない、けど」
ん?
「でも、僕、色々、頑張ってるのに」
「ロレアント様が頑張っていらっしゃるのは存じ上げておりますよ。でもこの事とは別の話じゃないですか」

「ロレン」
えぐえぐ泣いているロレアントの傍に、ヘイデン侯爵が近づいてきた。侯爵は三十八歳の美丈夫だ。身体は高位貴族とも思われぬような引き締まった筋肉で覆われ、騎士正装がとてもよく似合っている。鋭く光る金色の目は猛禽類のそれのようだが、リオーチェを見る時はいつも優しいのでリオーチェ自身は怖いと思ったことはなかった。ヘイデン家の私設国境騎士団を鍛え上げ、政治的手腕にも秀でているという傑物だったが、リオーチェがそのような姿を見たことはない。だからリオーチェの持つイメージは「いつも優しい隣のおじさま」だった。
しかも、ちょっとネジが飛んでいる。
「私だってリオに断られてしまったのだから仕方ないだろう?今回は諦めなさい」
そう、なぜか侯爵自身からも正式にエスコートの申し出が来たのだ。意味が解らない。リオーチェの両親は、まさか後添えに望まれているのか?と緊張したが特にそういう訳ではないらしい。ただリオーチェのデビュタントについていきたい!というだけのことらしかった。
まあ、それも意味が解らないが。
「でもお父様はリオのデビュタントドレス姿を会場で見られるからなあ。それだけでもこのシーズンに帰ってきてよかった」
その非情な父親の言葉を聞いてロレアントは一層えぐえぐ泣き出し、リオーチェは天を仰いだものだ。

なぜかリオーチェは、こちらが引くほどヘイデン侯爵家の人々に好かれている。使用人も含め。

その理由が全くわからないのでリオーチェは恐ろしく思っている。訊いてみようかと思ったこともあるが、「私のどこがそんなに好きなの?」なんて聞いている自分を想像したら痛すぎて死ねると思いやめた。
ひょっとしたら巷の小説などで流行っている「魅了の魔法」でも使えているのでは、と思ったが、ヘイデン家以外に効いていないのでおそらく違う。
考えるのが面倒くさくなったリオーチェは「田舎育ちの令嬢が珍しいのだろう、この家には令嬢がいないし」と結論付けて以降、考えないようにしている。

「リオ様、お待たせしました」
そう声をかけて入って来たのはロレアントの侍従、ランスである。
ランスは五年前夫人が亡くなったタイミングでヘイデン家に雇われた侍従だ。年は現在二十歳。以前はヘイデン騎士団学校に在籍していたらしい。輝く金髪に碧の目、二十歳にしては少し厳しめの顔立ちだが、端麗と言っていいだろう。随分侯爵に目をかけられているようだとは執事であるチェロバンの言である。
ランスはいつも陰に日向にロレアントの傍で様々に仕えている。頭もよいのでロレアントが考えている小難しいことにも対応できるらしく、そこを買われて侍従になったのではとチェロバンは言っていたっけ。
だが、学院にだけは来ないのだ。今まであまり気にしていなかったが、気づいてみればなかなか不自然なことだった。
「お忙しいところにすみません、ランスさん」
ランスは本名ランスロット=オールヴォワン、オールヴォワン伯爵家の三男だ。家格としたらリオーチェと同格か少し上に当たるので、いつも「ランスさん」と呼んでいる。
「いえ、リオ様に呼ばれたなら何をさておいても参上致しますよ」
さておくなよ、と心の中で呟きつつ本題を切り出す。
「お尋ねなんですが、どうしてランスさんはロレアント様を学院ではお世話なさらないんですか?何か事情がおありですか?」
ランスは冷たいと言われがちなその瞳を見開いた。想定外の質問に驚いたのだ。
「‥‥いえ、ただ単にロレン様のお言いつけです。‥何か、ありましたか?」

何か、ありましたか?

そういえば、そんなふうに聞かれたことがなかった。この半年、毎日ボロボロになって帰ってくる娘を、両親は労り、慰め、優しく接してくれたが学院で何があったか、などと尋ねてくれたことはなかった。
何があったかはクラン家全員が察していたから、特にそこに触れることはなくただリオーチェに優しくしてくれたのだ。
リオーチェの目から、ぽろりと水滴がこぼれた。
ランスはぎょっとして思わずリオーチェの肩を掴んだ。
「リオ様、どうされました、何があったんですか?」
何があったか。
色々あった。ありすぎて何から話せばいいのかわからない。
そしてなぜ今自分が泣いているかもわからない。泣いたのなんていつ振りかもわからない。
そんなにつらいなんて思っていなかったんだけどなあ。

涙は一粒ずつぽろ、ぽろと落ちる。
「あー‥いや、ごめんなさい。ちょっと自分でもわからないです」
そう言ってリオーチェはぐいと涙を袖口で乱暴に拭った。まあ、こういう事をするから令嬢らしくないと陰口をたたかれるのだ。
そして要件を述べた。
「出来れば学院にも来ていただいて、ロレアント様のお世話をしていただければと思いまして。‥学年も違いますし、私の手には余ることも多いので」
ランスは目元を赤くしたまま、淡々と要件を述べるリオーチェの肩から手を離さない。ん?と思ったが、とりあえず返事を聞こうと待った。
リオーチェの肩を優しくつかんだまま、じっと顔を覗き込むようにしてランスは聞いてきた。
「それは、私に対する『お願い』ですか?」
お願い?‥まあ、そう言えなくもないか。
「そうですね」
「その『お願い』を聞けば、リオ様は嬉しいですか?」
‥‥とりあえず平穏な日々を過ごせるのではないだろうか。だとすれば嬉しい限りだろう。
「そうですねえ」

ランスは肩を掴んだまま、にこ、と微笑んだ。学院の令嬢たちが見ていたら悲鳴が上がりそうなくらい優しく美しい笑顔だった。
「わかりました。リオ様の『お願い』聞き入れますよ」
「ありがとうございます」
そこにジャンがピモータルトとお茶を持ってやってきた。肩を掴んでいるランスを見て、ぴくりと片眉を上げたが、何も言わなかった。
テーブルにセットされるのを見て、リオーチェが椅子に座ろうとしてランスから離れた。ランスは肩から離れた手をしばらく見つめていたが、何も言わずそのまま椅子に座る。
「ジャン、ありがとうございます。美味しそう!」
「リオーチェ様に喜んでいただけるなら何よりです」
ジャンはそう言ってタルトを綺麗にカットしてサーブすると、あとを侍女に任せて一礼し部屋を辞した。ランスも黙ってタルトを食べている。
焼きたてのタルトとフィリングの上にフレッシュなピモーがのっていて何とも言えず美味しい。サクサクと食べ進めるリオーチェを、ランスと侍女が温かく見守っていた。

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