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平凡令嬢の受難

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ぱたぱたと軽い令嬢たちの足音が駆け過ぎるのを、リオーチェは息をひそめて待った。少し離れた場所で「いました?」「いえ」「全く苛々するわね」等と話している声が聞こえてくる。これ以上身体を縮こませることはできないのに、リオーチェは目をつぶってぎゅっと身体をかき抱いた。
そうして、どのくらい時間が経ったのだろうか。ふと気づけば、他人の気配を感じなくなっていた。ようやく息をついて、身体を起こす。すると繁みの葉が髪にひっかかっていて痛みを感じた。
「もう」
小さくこぼして木の枝と格闘する。何とか外れたが、くすんだ赤毛が何本か切れてしまった。枝に絡んだ艶のない髪を見る。
艶のない赤毛に、灰色がかった紺の瞳。顔には薄くそばかすが散っている。目も小さいし鼻筋も低く、唇は薄くて色すらも薄い。リオーチェ=クランは全く「美しくもかわいらしくない」令嬢だった。
家はこれと言って特徴のない伯爵家で、リオーチェはそこの一人娘である。とはいえ弟もいるので後継のために婿を迎えねばならぬという訳でもない。リオーチェは自分が結婚できるとは全く思っていなかったので、弟がいることにはいつも感謝していた。
リオーチェは見た目に特長がないだけでなく、その中身にもこれといったものを備えてはいなかった。勉学も人並み、マナーや音楽、刺繍の腕前にも特段取り立てて優れたところがある訳でもなかった。実家の伯爵家は、中央政治などには無縁の無役貴族で小さな領地が安寧であればいい、というような家である。つまり政治的に必要とされている令嬢でもなかった。だからこの年まで婚約の申し込みがあったことなど一度もない。

リオーチェは今十六歳で学院に通っている。そこでも安定の平凡ぶりを発揮していた。仲がいいのはどちらかと言えば裕福な平民の子女が多く、その事もリオーチェが馬鹿にされる一因だった。
だがただ一つ、リオーチェを「普通」ではなからしめることがある。
それが、ロレアント=イスラ=ヘイデンの存在だった。

ロレアントは歴史の古いヘイデン侯爵家嫡男である。その上美しい紫黒の艶髪に紫色の輝く瞳を持った容姿端麗な若者だ。リオーチェより一つ年下ではあるが、頭脳があまりに優秀なので今学期から飛び級をして最終学年に移籍をした。つまりリオーチェより一つ年下であるにもかかわらず一年先輩になってしまった。そのぐらい賢いらしい。また魔法力も抜群に多く、魔法導体関連の研究にも携わっているようだった。しかもヘイデン侯爵家は辺境に近い地域も治めている関係で、昔から尚武の機運が高く家系的にも武が重んじられている。ロレアントは剣術でもかなり優れた腕前を持っているということだった。
そのような文武両道容姿端麗な侯爵令息と、平々凡々なリオーチェに何の接点があるか、と言えば話は単純で、国都にあるタウンハウスがたまたまクラン伯爵家とヘイデン侯爵家が隣り合っていただけのことだった。
無論、屋敷の規模は比べるべくもなかったが。
そういった縁で、小さい頃は子ども同士よく遊んでいたのだった。ロレアントは優秀ではあったが、どこかいつもぼんやりとした子どもであまり自分の感情を表したりわがままを言ったりすることはなかった。リオーチェは、いつもそんなロレアントの面倒を弟とまとめて見てやっていた。

だが五年前にロレアントの母が病によって亡くなった。ロレアントの母は、娘がいなかったせいかなぜかリオーチェをかわいがっており、亡くなる少し前にもリオーチェを呼んで話をしたがった。その時、リオ―チェは言われたのだ。
「リオ、あなたに迷惑をかけるかもしれないけど、ロレンの事を頼むわね。あの子はいつもどこかぼんやりしているから‥心配なの」
病床からそう言って手を握られたリオーチェは涙をこらえながら任せてくださいと返事をしたのだった。

それから五年。今年から同じ学院に通うようになった。相変わらず優秀ではあるがいつもぼんやりとしているロレアントは、授業開始時間が迫っているのにもかかわらずぼんやりと空を見上げていたり、休み時間に庭の花を見つめて動かなくなったりする時があった。リオーチェはロレアントの時間割を把握して、いつも授業に間に合うように急かしたり引っ張って連れて行ったりしていた。
それが、優良物件を狙う貴族令嬢たちのカンに触ったらしい。全学年の令嬢たちから、絶え間ない嫌がらせを受けるようになってしまったのだ。

今日もなかなか導体車から降りようとしないロレアントを、無理にも引っ張って教室に連行しようとしていたら上級生に見つかった。何とかロレアントを教室に入れて離れようとするや否や、上級生の令嬢にぐいと腕を掴まれたのだ。
そのまま人のいないところに連行され、悪口雑言を浴びせられた。リオーチェは別にその事を特別辛いとは思っていなかった。どちらかと言えば「そうでしょうね」と納得する部分が多かったのだ。自分のような、特に特長もないぱっとしない令嬢がロレアントのような令息にまとわりついているのはさぞかし気に入らないだろう。
一度「ですよね、わかります」と言ってしまって、相手の神経を逆撫でしてしまったことがある。その時は激高した令嬢二人に階段から突き落とされ、かなりひどい怪我をしてしまった。
その時の怪我は、ロレアントが新しい治癒魔理法を使って治してくれたので、翌日には学院に戻ることができてしまったのだが。
それを教訓に悪口雑言を浴びせられている時は黙ってその嵐が通り過ぎるのを待つようにしている。だが先ほどは、嫌味を言われたあげくに一人の令嬢がハサミを持ち出してきて髪を切ろうとしてきたのだ。いくら嫁入りの当てがないとはいえ、リオーチェも貴族令嬢の端くれである。髪を切られては外にも出られないので必死に逃げていたのだった。

もう一限目の授業は終わってしまっただろう。実は学院はかなり自由度の高いところなので出欠自体にとやかくは言われない。結局定期試験で求められる水準に達していればいい、という風潮があった。なのになぜ、リオーチェがロレアントを無理にも授業に放り込んでいるかと言えば、学院の講師たちに頼まれているからである。‥ロレアントがいれば受講率は上がるのだ。
リオーチェは身体に付いた葉っぱなどを払い落として自分の教室へと向かった。友人がノートを取ってくれていることを願う。リオーチェは天才でも秀才でもないので、一回授業を受けられなければその分理解は遅くなる。
自分の教室の前まで来た時、異様な雰囲気を察した。‥来ている。
「リオ」
ロレアントが手を上げた。にへら、と笑って近寄ってくる。あちらこちらからキリキリと苛立った視線がまとわりつくのがわかった。リオーチェは小さくため息をつきながらロレアントの近くまで行った。
「ロレアント様、どうされました?」
「ロレン」
愛称で呼んでいいのは婚約者か身内だけだと、あれだけ口を酸っぱくして説明しているのにロレアントは毎回愛称で呼べと訂正を要求してくる。この攻防はもう百回以上しているが、愛称なんて呼んだら最後、どのような嫌がらせが来るか想像もできないので千回でも説明する。
「私はロレアント様の家族でもなければ婚約者でもないので愛称でお呼びすることはできません」
「ロレン!‥だから婚約しようってずっと言ってるのに」
出来るわけないでしょ莫迦。頭湧いてるのかしら。
絶対に口に出せない言葉を頭の中で叫びながら、懸命にリオーチェは微笑んだ。
「またご冗談ばかり。‥いかがされましたか」
「ハンカチ」
「‥は?」
「ハンカチ、なかったんだよね」
知らないよ。朝お前が導体車乗る時に私はポケットに入れてやったからね。
ロレアントにはファンが多いのでよく小物はなくなる。基本ぼんやりしているからロレアントから何かを盗むのは簡単だ。こっそり盗む‥というとかなり聞こえは悪いが拝借する輩が多いのだ。恐らくは今日のハンカチもその憂き目にあってしまったのだろう。
「そうですか。‥ご学友の方にお借りしたらいかがですか」
まあ、あの言い方!という囁きというには大きい声が聞こえる。何だよここで私がハンカチ貸したって、まあ図々しいとか言うくせに。
「リオの、借りたい」
はーーと息をついて、リオはポケットからハンカチを取り出した。よく転んだり汚れたりするロレアントのために二、三枚常備する癖がついているのだ。
「どうぞ。‥ではお戻りください」
「帰り道わかんないよ」
じゃあどうやってここまで来たのよ。‥解っている、二年生の教室行きたいんだけど、って言えばだれでも案内してくれたことだろう、不本意であっても。
「ここまでご一緒くださった方とお帰りになられたらいかがでしょう」
「リオと行きたい。‥ていうか帰りたい。僕もう授業出なくてもいいんだよね本当は」
知ってる。でも学院の講師陣が頼むから形だけでもいいから授業に出てほしいって土下座せんばかりの勢いでロレアントに頼み込んでいるのも、リオーチェにその片棒を担がせようとしているのも全部知っている。
「‥学院でしか得られない経験もあると思いますよ。‥ほら、もう時間になります。私は授業に出ないといけませんので」
「リオの勉強くらい僕が見てやれるのに」
今をときめく優秀な侯爵令息に家庭教師なんてしてもらえるわけがないだろう。頭の中でそう思いながらリオーチェは唇を吊り上げた。
「お気持ちだけいただいておきます。‥では失礼します」
「リオ」
呼ばれる声に聞こえないふりをして教室へ入る。友人が大変ね、と口パクで言ってきたのでありがとう、と返す。
この半年、リオーチェの学院生活はこんな感じでめちゃくちゃだった。
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