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20 真秀と衛門

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読真が作ってくれた生姜焼きとみそ汁を、白米三杯分腹におさめて満足して部屋に帰った。そしてあらかじめ湯を張っておいた浴場に行く。近くから温泉を引いているので、一度湯を張れば帰るまでは張りっぱなしでもいいらしい。ただ二週間に一度くらいは湯を抜いて掃除をした方がいいと聞いていたので、今日の朝方掃除をしたところだった。
家のものよりは大きめの風呂に、ゆっくり使って身体を伸ばす。あちこち揉むようにしていると解れてくるのがわかって心地いい。ふーと思わず大きな息が出る。
読真は恥ずかしいのか何なのかわからないが絶対に真秀とは一緒に入浴しなかった。別にどうしても一緒に入りたいわけではなかったが、あそこまで嫌がられると逆に一回くらいは無理にでも引きずり込みたくなってくる。合宿終了間際にでも仕掛けてやるかな、と思いながら顔をざぶりと洗った。

すっ、と冷たい空気が顔を撫でる。

はっとして前を見れば、湯の水面ギリギリに衛門が立っている。いや、正確には浮かんでいるというべきか。
衛門はくるりと空中で体勢を変え、逆立ちにような恰好になって真秀の前に顔を寄せた。優しげな顔が不気味な微笑みを浮かべて目の前に来る。
そして、言った。
「ふうん。やはり、お前な」
真秀はぐっと息を呑んだ。
衛門はふわりと湯の中に身体を沈めた。着流しは湯に濡れる。湯船の中に膝をつき、ゆっくりと真秀の顔を両手で挟み、目の中を覗き込むようにしてまた顔を寄せた。
柔らかく挟まれているだけなのに全く身動きが取れない。血を縛られているからなのか、それとも衛門という酷似次元異生物ようかいそのものの力なのか判断できない。
首の後ろがちりりと灼けるような感覚がする。
衛門は話し続ける。
「お前の血を縛ってから気にかかっていた。この十日余り観察していたがやはり間違いないね。。いつ、?正直に答えるんだよ」
言うものか、と歯を食いしばる。だが、意思の力と逆らうように顎が開いて言葉を作ろうとしてくる。これが血を縛られている弊害なのか。
「じゅ‥っさい、‥の、とき‥」
「ほう。ではもう九年近く混ざったままだと?珍しい。なぜ、同化していない?」
重ねられる質問に、答えまいと必死に全身に力を入れるが、顎は開いてしまう。
「し、‥らね‥」
「へええ」
衛門はにやりと笑った。見るものを凍り付かせるような冷たい笑いだ。
「お前、ことを誰にも言っていないのかえ?」
「そ、うだ‥」
衛門は真秀の顔から両手を離した。ざばりと湯から身体を引き上げ、衛門から距離を取る。耳横に引っかけていた闘筆を掴んだ。
「おや、用意のいいこと」
「闘筆を持たない書士なんて役に立たねえ」
真秀は絞り出すように言った。衛門はにやにやと真秀の様子を眺めている。
「お前は私に血を縛られたから、私を封殺することはできないよ」
「‥だが命を削ることはできるはずだ」
くくっと笑って衛門は肯定した。
「そうじゃな、確かに」
そう言って目にも止まらぬ動きで真秀に迫り、だん!と床へ真秀を倒すとその腹の上に膝を落とし、闘筆を持っている右手を左手でぎりりと捻り上げた。
腹への衝撃と腕の痛みで思わず「ぐあ!」と声が上がる。
「弱い、弱いなあ。この腕前で私の命が削れると?ふふ‥人はすぐに思いあがる可愛らしい生き物だ。いいことを教えてやろう」
衛門は腹を押さえ右手を捻り上げたまま、真秀の髪をひっつかんでその耳に口を寄せた。
「いま、この国に私を封殺できる『闘封』はいないよ」
そう言い終わると真秀の身体の下に足を突っ込みそのまますくい上げて真秀の身体を吹っ飛ばした。バン!と壁に身体が強打され、息が詰まる。そのまま床に崩れ落ちると全身に軋むような痛みが襲ってきた。
「お前、なぜことを誰にも言わないんだい?何を目当てにしている?‥無論読真も気づいていないな」
衛門はすーっと空を移動してきて床にうずくまったままの真秀の横に来た。全身の痛みに耐えながら顔を上げる。衛門の金色の目が鋭く真秀を捉えていた。
「何も、目当てなんか‥ない、‥俺、は‥生きている、だけだ‥」
「ほう」
衛門はしゃがみ込むように真秀の横に座った。そして真秀の髪を掴んで顔を近づける。痛みではあはあと荒い息を吐いている真秀の口の中へいきなり手を突っ込んできた。
「あがっ!?ぐ‥」
口の中に突っ込まれた衛門の手は、手の形をなくして長い蔓のような形になり、口の中を撫でるとそのまま喉奥へと入っていく。気持ち悪さと息苦しさで吐きそうだ。「うぐ、あ」と呻く真秀に構わず、衛門は探るように蔓を真秀の体内に伸ばしていた。
時間にすれば一分もなかったのだが、あまりの苦しさに随分長く口の中を蹂躙されているような気がして身体が震える。衛門はずるりと蔓を引き抜き、手の形に戻して真秀を離した。
「‥‥面白いね、お前。具合は一割以下だ。九年ものにこんなことは‥普通、ありえない」
そう言って少し思案するようなそぶりを見せる。そして真秀に言った。
「お前、私と契約をしろ」
「け、いや、く‥?」
衛門は柔らかく優し気な笑顔を見せた。
「そうすれば、お前がいても周りの人間にはわからないだろう?」
「‥‥お前は、何が目的なんだ」
衛門は濡れた着流しのまま、うずくまっている真秀の傍に腰を下ろした。その膝に肘をつき、頬杖をついて言う。
「ふむ‥お前を縛ることは特に目的ではない。お前の具合に興味のありそうなやつが目的だね」
真秀はようやく身体を動かせるようになり、ゆっくりと座るような姿勢を取った。もちろんまだ右手に闘筆は握ったままだ。
衛門の言っていることが少し理解できない。自分の具合に興味を持ちそうなやつ‥?
衛門はにやりと笑って言った。
「お前はまだ知らずともいいよ。さて契約をしようか、真秀、拒否すれば‥ああ、拒否はできないねえ」
確かにこの局面で、真秀にその契約を拒否できる理由はない。「契約」がどれほどの重みをもっているものなのか、真秀にはわからない。
「何を目的とした契約にするんだ」
衛門は金の目を少し細めて真秀を見た。
「そうだねえ。とりあえず今は、お前の居場所がすぐわかるようにしておこうか。そして私が呼べばすぐにお前が私のところに来れるように。‥‥ほかのことは、おいおいじゃな」
そう言うと真秀の傍に寄ってきて、むき出しの真秀の肩に顔を寄せ、がぶりと噛みついた。「あ!」
そしてそこからちゅう、と血を吸う音がする。体力と気力が吸われる感覚がして眩暈がした。くらりと頭が揺れた真秀の口に、また衛門の指が突っ込まれた。
衛門の指には、傷がつけられ血が滲んでいる。
その血は真秀の舌の上に広がっていき、沈んでいく。甘い匂いと味がしてまた頭がくらくらする。
ゆっくりと指を抜いた衛門はふふっと笑って立ち上がる。そしてそのままふわりと浮いた。
「さて、今日はこの辺りにしておこうか。楽しかったのう、真秀」
そしてしゅん、という音とともにその姿を消した。
真秀は痛む身体をごろりと床に横たえた。
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