1 / 58
しねえよ、接吻は!
しおりを挟む「智紀、ちょっと手伝ってくれる」
母親に呼ばれて、智紀は二階の自分の部屋を出て、一階の大きめの和室に向かう。そこは今祖母の部屋になっているのだ。
今日は入院していた祖母が一時帰宅してくる日だ。
智紀の祖母のさち子は、ちょっと前まではとても元気に出歩く若々しい老人として近所でも有名だった。しかし一度風邪をこじらせてしまった時に、合併症やらなんやらがあり、あれよあれよと言う間に弱っていってしまい、とうとう寝たきりの入院生活に突入してしまっていた。
今日一時帰宅したのは、元気になったからではない。逆だ。
「おばあちゃん、もうそろそろ危ないみたい。家に帰りたがってるみたいだし、希望を叶えてあげよう」
母の提案に、父も智紀も兄の祥太も賛成し、一時帰宅が決まったのだ。
「ばあちゃん大丈夫?寒くない?」
智紀は、父と一緒に、病院から借りてきた簡易ベッドにさち子を乗せると、耳元で大声でたずねた。
「おー、智紀、悪いね」
さち子は声を張り上げて言った。
肺が弱ってきていると医者は言っていたけど、さち子の声はまだ張りがあって、元気でうるさい。
声だけは、高校生の智紀よりも張りがあるようだ。
「よし、これで荷物は全部だな。俺はこれから仕事行くから、智紀、すぐにヘルパーさんが来るから、それまでちょっとばあちゃん見ててくれ。
ばあちゃん、ベッドとか何か塩梅が悪かったら智紀に言ってな」
そう言って、父はいそいそと立ち去っていった。
智紀はさち子のベッドの近くに寄った。
さち子は、部屋の窓の方をふと寂しそうに見つめていた。
「ばあちゃん家に帰るの久々だからなー。庭の風景様変わりして見えるだろ」
智紀はさち子の横顔を見ながら言った。さち子の首筋にはたくさんの皺が刻まれており、骨が見えてやせ細ったのがひと目で分かる。
顔色はあまり良くない。寝たきりになる前までは小まめに染めていた白髪もそのままで、それが一層老化を感じさせる。
さち子は窓から目を離すと、ちょいちょい、と智紀に手招きをした。
智紀はさち子に顔を近づけた。
「私もさ、結構最近弱くなってきたじゃないか?だからさ、いつお迎えがきてもおかしくないと思うんだよね」
「何だよ急に」
智紀はドキッとした。
確かに、『今度体調を崩したら危ないかもしれません』と医者が言っていたと聞いた。やっぱりそれをさち子は知っているのだろうか。
「縁起でもねえ事言うんじゃねえよ。ばあちゃん元気じゃん」
「いや、前より悪くなってるね。自分の事だから分かるよ」
はっきりと自信に満ちた顔でそう言ってくる。
「でもねぇ、やっぱり私はちょっとでも長生きしたいタイプのババアでね。ほら、前にテレビでやってたんだけどさ、お笑い見て笑ったり、カッコいい人の歌聞いたりすれば、病気が治るとか元気になるとからしいじゃないか?」
「ああ」
ストレス解消が、免疫力を高める、とかで、笑ったり推し活することがいい、なんてよく聞く。智紀は頷いた。
「何?ばあちゃんもそういう事したいの?お笑いとか見る?ネットで結構見れるから、俺のタブレット貸してやるよ。何がいい?」
智紀はいそいそと言った。もうすぐ死ぬ話なんて聞きたくはない。
智紀はかなりのおばあちゃんっ子だった。
両親が共働きなのと、年の離れた兄もほとんど構ってくれなかったのとで、子供の頃の智紀にはおばあちゃんが一番相手をしてくれた一人だった。
高校生になった今でも、さち子にはかなり弱い。
「ばあちゃん、何かしたいことあるんだ?だから俺の事呼んだんだな?」
智紀がそう言うと、さち子は頷いた。
「ああ、そうなんだ。智紀、聞いてくれるか」
「何だよ」
智紀は何でも聞いてやるつもりだった。それで免疫力が上がってさち子が長生きしてくれるなら嬉しいし、そうでなくても最後まで楽しいことしてもらいたい。
「実は私ね、ちょっと前から『びーえる』っていうのにハマってね」
「うん」
びーえる?何だっけ?お笑いコンビ?アイドルか何かのグループ名か?演歌歌手の通称かもしれない。まだ智紀の脳内で『びーえる』を変換出来ないでいるのに、さち子は話を続けた。
「漫画も良かったんだけどさ、もっと近くで見たくてね」
「漫画、近くで」
智紀はオウム返しする。まだよくわかっていない。
「ごめんばあちゃん、びーえるって何?」
「何だい、智紀は若いのに知らないのかい?あれだよ、男前のあんちゃんと男前のあんちゃんが接吻したりまぐわったりするやつだよ」
「せっぷん、まぐわる。あんちゃんとあんちゃん……!!」
智紀はようやく脳内で『びーえる』を変換出来た。
「ばあちゃん、あの、BLって、その、男同士の恋愛のあれ?なんっつーの?えーっと、衆道的な?」
「そう。それ。衆道のやつ」
さち子はちょっと恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうに言った。
「入院してた時に、隣のベッドにいた人のお孫さんがびーえるの漫画を貸してくれてね。いやぁ、あれはたまらないね。あと五十年くらい前に知りたかったねえ」
うっとりと回想するさち子を尻目に、智紀は困惑していた。隣の人のお孫さんよ、一体何をしてくれたんだ。
「それでねぇ。私はもっと身近でBLを堪能したくてね。智紀、お前、お兄ちゃんとイチャイチャしてくれないか」
「やだよ!」
智紀は即答した。
ついさっきまで、智紀はさち子の希望を何でも叶えるつもりでいた。だが希望のハードルが高すぎた。いや、高いと言うかズレていたというか。
「ばあちゃん?俺と兄貴は兄弟だよ?男同士だし家族だよ?イチャイチャできるはずねえだろ」
努めて冷静に智紀は訴えた。
さち子はケラケラと笑った。
「わかってるわかってる。大丈夫、私は兄弟萌だ」
「何も大丈夫じゃねえよ」
どうしよう、全く話が噛み合わないのはさち子の老齢のせいなのか、それ以外が原因なのか。智紀は頭を抱えた。
そんな智紀に、さち子は優しく言った。
「何も別に乳繰り合ってほしいとまでは思ってはいないさ。ただ、お前達兄弟が、仲良くしているのを見れれば嬉しいってだけだ」
そう言って、さち子はシワシワになっている手で、智紀の頭を撫でてきた。いつもなら恥ずかしくて、もう子どもじゃないんだと振り払うけれど、智紀はされるがままになっていた。
そう言えば、兄が就職してから、ほとんど話もしていない気がする。もしかして、BLだのなんだのっていうのは単なる口実で、ただ兄弟仲良くして欲しいという願いなのでないか。智紀はそう思って、さち子の手を撫で返した。
「まあ、仲良く、はするよ」
「そうか。それは嬉しいねえ」
さち子は笑う。こんな事で嬉しいのか、と智紀は心臓が締め付けられた。
「あ、そうだ。接吻する時は隠れてでも私からは見える位置でしてほしいね」
「しねえよ!接吻は!」
さっきの切ない気持ちを後悔しながら智紀は叫んだ。
10
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
【完結】雨上がり、後悔を抱く
私雨
ライト文芸
夏休みの最終週、海外から日本へ帰国した田仲雄己(たなか ゆうき)。彼は雨之島(あまのじま)という離島に住んでいる。
雄己を真っ先に出迎えてくれたのは彼の幼馴染、山口夏海(やまぐち なつみ)だった。彼女が確実におかしくなっていることに、誰も気づいていない。
雨之島では、とある迷信が昔から吹聴されている。それは、雨に濡れたら狂ってしまうということ。
『信じる』彼と『信じない』彼女――
果たして、誰が正しいのだろうか……?
これは、『しなかったこと』を後悔する人たちの切ない物語。
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは
竹井ゴールド
ライト文芸
日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。
その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。
青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。
その後がよろしくない。
青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。
妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。
長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。
次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。
三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。
四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。
この5人とも青夜は家族となり、
・・・何これ? 少し想定外なんだけど。
【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】
【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】
【2023/6/5、お気に入り数2130突破】
【アルファポリスのみの投稿です】
【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】
【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】
【未完】
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
Bo★ccia!!―アィラビュー×コザィラビュー*
gaction9969
ライト文芸
ゴッドオブスポーツ=ボッチャ!!
ボッチャとはッ!! 白き的球を狙いて自らの手球を投擲し、相手よりも近づけた方が勝利を得るというッ!! 年齢人種性別、そして障害者/健常者の区別なく、この地球の重力を背負いし人間すべてに平等たる、完全なる球技なのであるッ!!
そしてこの物語はッ!! 人智を超えた究極競技「デフィニティボッチャ」に青春を捧げた、五人の青年のッ!! 愛と希望のヒューマンドラマであるッ!!
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる