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第1話 プロローグ

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県都中心部にあるJR駅より徒歩10数分。人口40万人の中核都市ではあるが、景観条例もあり、高層建物はない。駅前から大型の平面時間貸し駐車場が点在する商業施設やマンション、オフィスビル、戸建が混在する市の中心部に青山健太が勤める大手住宅メーカー、三和ホームの支店がある。この辺りでは平均的な高さである5階建のオフィスビルは土地、建物とも自社で所有していて1階2階はショールーム、3階は会議室、4階と5階がオフィスという構成で、健太が所属する営業部は支店長室、総務部、設計部とともに最上階だった。

この会社は住宅メーカーと言っても、もはや総合建設業というほどの規模があり、従って営業部にも様々ある。健太は戸建営業部。住宅展示場への出展や建築条件付土地分譲など戸建事業を手掛ける部署。主なターゲット層は一戸建て購入の個人である。他にアパートや低層の賃貸マンションを地主から受注する集合住宅営業部と大規模マンションや商業施設を手掛ける特建事業部がある。

もともと戸建住宅の販売で始まった会社ではあるが、年々集合住宅と特建の売上が増えるにつれ収益内容にも変化が起こり、社員の数では1番多い戸建営業部が上げる利益は、今や数パーセントに留まるため健太たちは他の営業部に頭が上がらない。

入社5年目になる健太にこの春、主任の肩書がついた。都会育ちの彼にとって、新卒時の本店勤務の希望がかなわなかった事はがっかりだったが、働いてみてわかったことがある。都会にはない大型分譲がここにはあるということ。都心部から一時間圏内のベッドタウンとして今でも土地が売れるのだ。そのおかげで彼は同期入社の戸建営業の中で最も早く主任へと昇進することが出来た。

「あそこ、何が出来るんでしょうね?」
朝礼が終わり、窓際の自席に腰を下ろすなり向かいの川上奈々美が声をひそめるように聞いてきた。
「オフィスビルじゃないの。」
奈々美は新卒入社3年目で健太の2期下の後輩だ。女性の営業は昔はいなかったそうだが、男女同職なのか近年は毎年採用している。しかし、多くは長続きせず支店にはもう奈々美しか残っていない。

「うーん、そうかなぁ。」
どうやら自分の中に答えがあるらしい。奈々美が言う建築中のビルは支店の道路を挟んで斜め向かいで元々は月極駐車場だった場所だ。
「確認の標識に書いてあったろ。」
健太はそう言うと窓の外に目をやった。数ヶ月前に始まった工事は最後の仕上げに入っているのか、足場や養生シートは外れ地上8階建の全容が見てとれる。通常、戸建にしろ店舗やマンション、ビルも全て建築物の施工には役所の許可が必要だ。その許可標識を屋外に掲示しなければならない。支店の目の前の工事だ。健太も何度もその標識を見ている。
貸店舗。確かにそう書いてある。

タブレット端末を操作しながらなお奈々美は同じ話題を続けた。
「ウチは知らなかったんですよね。」
「そう聞いてる。」
コーヒーカップを手にした健太の脳裏には数ヶ月前の支店の出来事が蘇っていた。
ある日、駐車場の外周を覆う古びた緑色のフェンスが取り外され、アスファルトの削りが始まった。瞬く間に更地に戻り工事用フェンスが設置され重機が入る。施工は大手ゼネコンの帝都建設。それを見た支店の集合住宅、特建の営業部と用地課の人間には寝耳に水だったようだ。これら各課の責任者はそろって支店長から叱責を受けた。それに足る理由があるからだ。

不動産を取り扱う三和ホームにとって大切なものは情報である。この地域には県都中心部でありながら、広い土地が駐車場程度の利用で多く残っているドル箱と言える。これらの空地は定期的に所有者を調べ、売却や活用についてのアプローチを行っているのだ。件の月極駐車場はコインパーキングにさえなっていない、言わば手つかずの自然のようなもので、コインパーキングに形態を変えるだけでも所有者にさらなる節税をもたらすことが出来る。それも支店の目の前であるため、重点管理顧客とされていた。

にもかかわらず、だ。例え売却であったにせよ、三和ホームの仲介子会社にも情報が入らず、特建や用地課の網にもかからず目の前で他社が建てる建築物を見せつけられる。競合で負けたのならともかく、戦うことさえ出来なかったことに対する叱責であった。月極駐車場の管理会社によると所有者からの一方的な解除通告だったようだ。所有権移転はあったのか。
「法務局行ってきます。」
健太は調べてみることにした。
「あ、わたしも!」
目的を察したのか、奈々美もバックを肩に掛けて立ち上がった。怪訝な顔を向けてみたが、気にする素振りもなさそうだったので仕方なく二人並んでエレベーターホールに出た。




真っ白い天井がうっすらと目に映る。照明器具はついていないようだ。あれ、何してたんだっけ。綾瀬コウはそこではっきりと目を開けた。横たえた体を起こしてみる。やや頭が重いが体に痛みはない。まず目に飛び込んできたのは、同じように横たわった女性だ。うつ伏せで長い髪が頬にかかり顔はわからないが、背中が呼吸で動いているので寝ているようだ。その女性以外、部屋には何もなかった。いや、そもそも部屋と呼べるのか。6畳ほどの空間は床も壁も天井も白く窓がない。それどころか出入り口らしきものがない。なぜこんな所にいるのか。

コウは立ち上がってみた。天井までの高さは3mほどだろうか。自分の身なりを確認してみた。ジーパンにチェックのシャツにジャケット。スニーカーを履いているのが不思議な感じがしたが、どれも自分のものに間違いなかった。身につけた衣服の他には何もなかった。財布も時計も鍵もスマホさえも。コウは再び腰を下ろし、思い出そうと努力した。ここに来てどれくらい眠っていたのかは不明だ。その前は家にいたはずだ。前日が金曜日で仕事。今日が土曜日なのであれば休日。家ではたいていスエットでいるはずなのに、わざわざジャケットを着ていることを考えると出掛けていたのだろうか。そうだとすると所持品が何もないのはおかしい。誘拐でもされたか。と、思いながらパニックにもならず比較的冷静に分析している自分にコウは苦笑した。

どうやら女性も気がついたようだ。
両手を床に踏ん張るようにして体を起こした。顔にかかった髪を分け、その目がコウを捉えたとき、お互いはっと息を飲んだ。知った顔だったからだ。
「...綾瀬さん?」
「椎名...。」
椎名さくら。何年か前まで同じ職場で契約社員として働いていた女性だ。彼女が辞めた後も半年に一度くらいのペースで食事に行き、他愛のない内容のラインのやり取りくらいはしている。さくらもコウと同じように辺りをキョロキョロと見渡し、服装を確認してから思い出そうとする仕草を見せた。

「なぁ、俺たち今日会ってた?」
その質問にさくらは首を傾げ、しばらく考える素振りを見せた後、左右にかぶりを振った。
「や、会ってないと思う。」
「だよな。」
「ここ、どこ?」
「わからない。おれもさっき気がついたんだ。何も覚えてないし、思い出せない。」
さくらはフラフラと立ち上がり壁際に歩み寄ると、確認するように壁を触りながら部屋を一周した。
「...綾瀬さん、この部屋どうやって出るの?」
コウはゆっくり首を振った。
「わからない。」
一周した隅でさくらはへたり込むと声を殺しながら泣き出した。これが普通の反応だろうな、とコウはさくらの後ろ姿を見て思った。解決策を持たないコウがさくらにかけてあげられる言葉はなかった。

改めてコウは何もない空間を観察した。壁も床も叩いてみるとコツコツと音はするが、部屋の内部で響いているだけのようだ。コウが暮らすマンションのような空洞があるようには思えない。材質も木なのか、鉄なのかさえ分からなかった。誰かが何かの目的で二人をここに幽閉したとするならば、向こうから何らかのアクションがあるはずた。トイレも水さえもないのだから、それはそう遠くない時に起こるだろうとコウは思った。そのアクションが救助であればこの上ない。

さくらにそのことを話すと不安げながらもようやく彼女は泣き止み、こちらを向いた。歳はさくらの方が1つ上ではあるが、守らなければならない。そのとき、コウの後ろ側、やや長方形の部屋の短方向の壁面がモニターに変わった。
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