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翡翠挽回 下:グリーン編

君と僕

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 取調室の壁際まで下がって頭を垂れていた尋問官たちの息が乱れた。魔王の眉が怪訝そうにひそめられる。威圧に押されて身をすくめていた嘉名でさえ、その空気の変化を感じ取ることができた。先遣隊とはなんだ。ルブルは恭しく痩躯をふたつに折ったまま、魔王の顔を真っ直ぐ見つめていた。
 「…………お前、今、なんと———」
 「彼を先遣隊へ推薦致します。協議にかけていただきたい」
 「冗談であろう」
 「魔王様に嘘偽りを申したことはございません」
 魔王はたじろいだ。直後、屈強な魔族でも泣き出しかねない怒気怒声が城の根を揺らした。
 「———賊を、我が精鋭部隊に入れろと申すか!!」
 その怒りは大気を揺らし、正面に膝をついたルブルへ向かっていく。
 椅子に括り付けられていた人間の上体が咄嗟に動いた。濁ったケミカルグリーンの光が瞬き、ルブルを破砕せんと放たれた重力波が二人を襲う。
 「…………は、———はっ……!!」
 机と椅子はひしゃげてしまっていた。華奢な人間がルブルの巨体を隠すよう背に回している。顔は青ざめてもはや土色に近く、爪先から数ミリほど先、抉れた取り調べ室の床を凝視している。
 拘束衣は背から破れていた。羽化に失敗した蝶の如く、歪に生えた触腕がその指先で魔胞の天蓋を作っている。魔王の重力波を間一髪防いだのは、この青年の障壁魔法だった。
 腰が抜けてしまっている嘉名の背を支えながら、ルブルが沈黙を破った。
 「私の眷属として実力は保証します。この若者は、よい衛士になる」
 「……ふざけおって……」
 「今進言せねば魔王様に不益となります。臣下として申し上げます、どうか、この者を『先遣隊』へ———魔王様の麾下へ加えてくださいませんか」
 あくまで調子の変わらないルブルの嘆願を、青年の声が制止する。
 「ま、待て!!ちょ、ちょっと話し合いさせてくれませんか!?……ルブル!!何勝手に人の身の振り方決めようとしてくれちゃってんだ!やめろ!!僕はお前と心中なんかしたくない!!」
 「今言わなきゃいけないんだ。魔王様は政務でお忙しい方だから」
 「よくわかんないけどこれ以上ゴネたら殺される!黙って頭下げててくれないかなあ!!」

 畏れ多くも深海冥王の襟首を掴んで揺すぶる嘉名はすっかりいつもの勢いを取り戻したようだ。触腕の萌芽でやぶけた拘束衣、剥き出しの肩は弓引きのそれらしく引き締まっている。時折様子を伺ってくる視線からは、はっきりとした恐怖が読み取れた。
 「———ヒッ」
 「この……溝鼠が……!」
 魔王は眦を吊り上げて青年を睨み———、その背後でこちらを見つめる六眼に視線を移した。

 広大な魔海の統治を任せて久しいクラーケン族の末裔。
 無二の忠臣としてその最後まで身を尽くした、懐かしい麾下の忘れ形見が静かに首を差し出している。

 「…………必ずお前が面倒をみろ」
 「……魔王様!では……」ルブルが勢いよく顔を持ち上げる。
 「まだ認めたわけではない。協議にかけることも許さん。補欠待遇で———お前の従者としてであれば———、特例として目をつむってやらんこともない」
 「え。それは……できれば正規部隊がい……ムグ……」
 異を唱えようとするルブルの口を塞ぎ、嘉名が強く目配せする。この期に及んでまだゴネる気か。魔王も言葉を失うが、ルブルは少し考えた末に仕方がないかと目尻を下げた。
 「感謝いたします」
 最敬礼をとるルブルに倣い、青年も魔王へ礼を示す。
 「……近く招集をかけるつもりだ。それまでは蟄居を命ずる」
 魔王は城の地下を揺るがすような跫音をたてながら、取調室を出て行った。



 「そんなに怖い方じゃなかったでしょ?魔王様」
 「それ、どの口で言ってんの……!?」
 魔王城の地下から幽閉を解かれ、荘厳な城内を進む。ルブルの痩躯に殴打を入れながら嘉名は抗議した。彼が何を怒っているのかルブルにはさっぱり見当もつかない。
 「魔界中混乱させておいて、蟄居で済んだんだよ。優しすぎるくらいだ。君も結局、海に引き籠もりきりってわけじゃなくなったし」
 「数分足らずで二回も死ぬ目に遭ったよ!もう二度と会いたくないから先遣隊とかいうの、辞めさせてもらえるかな!!人の進退を勝手に決められちゃ困るんだよ!!」
 嘉名は両手を広げて多少オーバーに不服を訴える。喋れるようになってたった数日の付き合いだが、このクラーケンはどうにもぼんやりしたところがある……。鞭のように触手をしならせて戦っていたルブルの巨躯は今現在細長く萎み、不気味ではあるが一魔族として納得できる範囲の大きさに収まっていた。頭二つ分上から今いち緊張感に欠けた返答が降ってくる。
 「……君が喜ぶと思って」
 「誰がぁ!?」
 「グリーン、君が。……憧れでしょ、冒険者」
 紫の絨毯が敷かれた王城廊下。歩みは留めず、振り向きざまにルブルが嘉名を見下ろして言う。
 「『先遣隊』は魔王様の私設探索部隊だから……砂漠も氷河も、海も山も。魔界中あちこち飛び回れるよ。君は古典的な冒険ものばかりプレイしてたから、現実でもそういうのが好みなんだと思ってた。……違ったなら謝るよ」
 ごくごくしょんぼりとした嗄れ声の意味を反駁する。……少しの沈黙が流れた。嘉名は顔色を白黒させ、言葉を噛みながらおそるおそるルブルに問うた。
 「…………なん、……なんだって」
 「人間のお遊戯の話。電子の世界で他人とチームを組んで冒険できるなんて、人間って面白いこと考えるよねえ。まだ富裕層にしか筐体が出回ってないから、一タイトルごとプレイヤー数も一千人程度の小規模なマーケットだけど……あれは素敵なものだよね」
 「……な、なんのこと……」
 「……?隠すことかな。君、グリーン、君、襲名後の休みは部屋に籠もってパソコンゲームどっぷりでしょ」
 見上げる青年の顔が瞬間真っ赤に茹だる。
 「し、……しらな、知らん!そんなもの!!ヒーローはさあ、名誉人間職だよ!!あんな———あんなちゃちな遊び、子供か上層落伍者がやるものなんだよ!!僕はやってない!!」
 「なんで嘘つくの。君廃課金上位ランカーじゃない……。ヒーローコラボした時の装備使ってコロシアム優勝したの知ってるもん、ずっとブルーのアバター使う人少ないから、その筋じゃあ有名人で———」
 「わ、わああ!!あああああ!!やめろぉお!!」
 嘉名がその趣味を引退したのはもう何年も前の話だ。封じていた恥の記憶を引っかき回されて頭を抱える。だいたいそのゲームタイトルは協会の検閲処分を受けてサービス終了を迎えている、まさかアカウントまで探し当ててくる奴がいるなんて———。
 「き、きっしょ……!!そんな恥まで暴いちゃってさ、『愚かで矮小な人間』相手に恥ずかしいと思わないわけ!?」
 「その文句使ってるのは魔王様であって……。ぼ、俺自身は人間の文化を高く評価してるよ」
 「あっそ!!!じゃあその文化を魔王様に献上して差し上げたら!!早死にしたくないならゲームなんかさっさとタイトルごと忘れるのをおすすめするね!!」
 がなる嘉名など気にも留めていない様子でルブルが蛸頭を傾げる。
 「……長くプレイしてたみたいだったのに。なんで引退しちゃったの」
 「話聞いてたァ……?」
 六つ眼がのぞく。細長い異形の身体が傾いで、嘉名をみていた。……青年は下唇を噛み、早く話を終わらせるべく唸るように返事をした。
 「サ終したゲームで遊べるかよ。魔界の魔術師って担当のことそこまで調べてるの、キモいんだけど」
 「サ……?」
 「サービス終了。内容が反教義的だって、運営会社が摘発されたんだよ……」
 ふうんと首を傾げるクラーケンはいまいち理解できていないらしい。いちいち説明するのも面倒くさくなって、嘉名は舌打ちをして会話を打ち切った。
 ———いつの間にか転移ポータルの階までやってきていた。巨大な水晶石が光を纏ってルブル一行を出迎えてくれる。……ルブルの魔力に反応して、水晶が薄く不気味な緑色を帯び始めた。
 「どうでもいいでしょ。つまんないことは忘れろよな」
 「……つまらなくないよ」
 「なに?声ちっちゃくて聞こえないんですけど」
 クラーケンの触腕が物言いたげに揺れる。
 「……何でもない。そうだな……いい、深海に帰ったら、まず皆に謝ろうね———」
 二人が輝石に触れた途端、魔力反応で光の胞子が空気中に散る。深海冥王ルブルの擁する膨大な魔力……ケミカルグリーンの魔胞が撒き散らされ、眩い輝きを失う頃には———二人の姿は失せ、誰もいなくなった結晶石周辺にぼんやりと魔素の残滓が漂うばかりであった。
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