イケニエヒーロー青井くん

トマトふぁ之助

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翡翠挽回 中:グリーン編

翡翠の応答

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 死者蘇生は極めて限定的な条件下でのみ成功し得る高等魔法だ。腕の良い魔法遣いであっても成功率は二分の一程度、辺りに浮遊する魂の名残を手当たり次第に集めて練り直す仕様上、目当ての人物がそのまま生き返ることは稀である。
 開幕一発目、砲撃に蒸発させられた者は三名。
 本件の首謀者である嘉名碧、暗殺対象たる赤端ジュンロク。そして嘉名の魔力タンクとして従えられていた、深海冥王ルブルであった。
 赤端の肉は魂を含まない。陽炎の彼を除外すれば、素材はさらに二人に絞られる。
 ———斃れた人魔が混じり合い、深海の王が目を覚ます。

 初め、青年は古木にもたれ掛かっているものと勘違いをした。焦点の合わぬ視界にうつる枝ぶりは、やがて滑り蠢く触腕へと像を結ぶ。殆ど残骸と化した己の体を支える幹はその実海水に湿気る巨王の胴体であった。
 深海冥王ルブル。広大な魔海を統べる海洋魔族の首領その人が、黒衣を靡かせ嘉名の背後に聳え立っていた。

 「———あ……アー、ああ……。の、喉が枯れる……」
 髭のように蠢く触腕の下から、性別不詳のがらがら声がする。六つ並んだ瞳のない眼で各々好き勝手に四方を見回すと、彼は関節を曲げてばきごきと凝り固まった屍肉を軽く解していく。
 その男の体貌は巨大な蛸にも似ていたが、異形の下肢は膝に乗せた青年の影と縫い合わせた様に繋げられていた。
 「よくも俺の海で好き放題やってくれたよね……嗚呼、全身ばっきばき。すごく痛いよ」
 「ル、ルブル……!!」
 呆然と抱えられた青年が、殺した筈の男を認めて顔色を青醒めさせる。どうして。こいつは頸を落とされ、魔力を供給するだけの人形にされたはずだ。そもそも最初の空爆で肉体は蒸発しきっている。魔族は肉体を失えば復活しないのではなかったのか。
 「可笑しいね。君は特別丁寧にやっつけたと記憶してるんだが……」
 うねる触腕の盾、その向こうで赤端が口角を吊り上げる。スコップは振り上げられたままだ。その柄に巻き付いて動きを抑えているルブルの腕が、雁字搦めの拘束を解いて大きく上空へ振りかぶられる。
 ———間に合わない。拘束を解かれた赤端が得物を真っ直ぐに振り下ろした。嘉名は頭をかち割られる未来を予見して、反射的にないはずの腕を持ち上げた。
 「煩いな」
 衝撃の代わりに、不機嫌そうな嗄れ声が響く。ひちゃ、と頬に濡れた感触があった。
 「お前に話してないよ。口を開いていいと誰に許可された」
 嘉名はつぶった目を開く。潰れていたのは赤端であった。上半身が喪われている。圧搾された肉の酸っぱい匂いが漂い、砂地は男の体液を静かに吸いあげている。
 「ここは魔海だ。この海で———王を裁こうなんて烏滸がましい真似、許されるとでも思ったの?」
 砂地を割ってルブルの眷属が現れる。牙を持つ肉食の魚怪は次々と湧いて出て、残された屍肉に躍りかかった。膝丈の異形にたかられて赤端が見えなくなったとき、嘉名は呼吸を深くした。
 「げ、げほッ!ごほ……ッ!」
 「……起きて。倒れることは許さない。まだあれをやっつけたわけじゃないよ……君ならわかっているだろう、グリーン」
 ルブルは触腕を一本伸ばし、嘉名の頭上で円を描いた。両手の感覚が戻る。嘔吐感が酷いが、ぐらつく身体を持ち上げることができた。首から下を見てまた驚く。……変身が解けている。赤端の殴打により千切れ、無惨に欠けた手足は見る間に五指を取り戻し———遺骸を用いた反動で表出していた呪い———鉤爪や水かきなど、嘉名の体を蝕むものは全て取り払われていた。
 「……は、は……ッ!!お、お前……なんのつもりで……!!」
 「魔海の危機だよ、協力もするさ。ぼ……俺はルブル。海に蠢く異形の長だ。臣民のために外敵を駆除する使命がある」
 ルブルはその巨躯を持ち上げ、いっとう太く長い、鉤爪のついた腕で空間を区切る。薙ぎ払われたのは一本の矢であった。浜に落とされた銀の鏃が鈍く光る。食い潰された赤い染みのむこう、三十メートル程先でそれが矢をつがえている。歩く災害が極めてにこやかにこちらを捉えていた。
 「ヒッ!!」
 「やっぱり駄目か……あの弓、君の専売特許じゃなかったようだね」
 「あ、あの人は他のメンバー全員の武器が使えるんだよ……!!ど、どうし……どうする、どうすれば……!!」
 殺してもたちどころに復活する赤端を、どう退ければいい。無理だ、どうあっても倒すことができないならば、嘉名にできることは何もない。逃げ出したって命は助からないだろう。
 ……青年の肩に闇色のコートがかけられる。ルブルは嘉名の背を支えたまま、触手のはらに生えた四指で宙をなぞりあげた。指先に大気中の魔胞が集まり、蛍に似た光で陣が描かれる。
 「呼吸。合わせて」
 「えっ———」
 ルブルの太い触腕が嘉名の細い腕へ吸盤を吸い付かせ、その指先を重ね合わせる。溝色の触手と白く長い青年の人差し指は赤端ジュンロクを指し———嘉名が何をするつもりだと問う間もなく、二人の爪先から閃光が放たれた。禍々しく撚り合わされた魔力のエネルギー波が大気の塵を触れる端から腐敗させていく。
 「う、……ッうぅううぁアア———ッ!!」
 たまらず青年が絶叫する。じりじりと爪のさきから己の指が壊死していくのがわかった。ルブルと繋がる影の溜まりから焼かれるような熱が体内へと流れ込み、触手の支える指先へと収束する。……一呼吸のうちに第一関節まで炭化が進んだ。膨大な魔力量に、人の肉が耐えられていないのだ。
 「ゆっくり———吸って。吐いて———。集中して。腕がなくなるよ」
 「ぐゥウッ———!!あぁあアあッ!!!」
 ルブルの支えを得て、青年は崩れだす人差し指で再び赤端をさした。奇怪な緑の閃光が一直線に目標を焼く。砂地が揺れる。負荷に一度高度が下げられた熱線の着地点が砂を溶かし、大気の塵をも蒸発させ、赤端の骨格から有無を言わさず腐敗させていく。辺り一帯に澱んだケミカルグリーンの魔胞が撒き散らされた。
 「あ———ァあああアッ!!ッいだい、いだいぃい———!!」
 激痛のもとである腕から身を離すよう、嘉名が美貌を引き攣らせて叫ぶ。無理に繫がれた皮下の神経が遅れてその過剰負荷を訴えていた。
 「…………」
 「あ、アぎッ、いぁあァあッ!!」
 「……グリーン。起きて」
 のたうつ人間にルブルが淡々と声をかける。
 「わかる?あいつ、残った足首から再生している」
 「っ———!!無駄だったってことだろ!それくらいわかる!!」
 「そうじゃない。よく見て。———再生速度が、とても遅い」
 腐り溶けた足首から上がみる間に象られていく。教導服ごとお綺麗に蘇るまで、あと三十秒程度はかかるだろう。ルブルの腕に身体を起こされる。異形は遙か遠く先を視るように、嘉名のすぐ後ろで標的を捉えていた。
 「俺は遺骸を介してずっと君たちを見ていた。……君がレッドにつけた傷は、俺が与えた傷より遙かに治りが遅い。そこが鍵だ……急いでくれ。推論で良い、説明も必要ない。———頭に思い浮かべるだけでいい。あれの弱点を、君は知っているはずだ」

 青年の脳裏に夜景が浮かぶ。
 血塗れの監視哨で縺れ合う二人。暗中、二発咲いた火薬の華。砕け散った『水晶片』———忘れさせられたはずの、ある晩の記憶。
 ———輝石の破片によって赤端の手に残された、ごく小さな切り傷が走馬灯のように思い起こされる。

 「……よろしい。十分だ」
 ルブルの身体が大船に張られた帆のように膨張した。嘉名の背を一本の触肢が支える。それは吸盤を這わせ、ひび割れて崩れ落ちそうな背骨の代わりを果たす。
 「動きを止める。とどめを刺して」
 「はぁ!?弓矢なんかもう出せないよ!」
 矢の生成には一定量の血液を使う。肉体の半分を轢き潰され、ルブルによって復活させたばかりの体にその余地は残されていなかった。六つの目玉は聞いているのかいないのか、静かにこちらを見下ろしている。
 「鏃はここ」
 触手の先が左胸を指す。胸の内で、臓器に取り憑いた緑の輝石が脈を打つ。
 「心臓は代わりを作ってあげる。君は撃ち込むだけでいい。……すごく痛むけど、そのためにここまで来たんでしょ」
 ———薄い胸筋へルブルの触肢が正円を描く。円の内側、瞬く間に朽ち崩れた肉の下。肋骨の合間を通って、真白の矢が一本引き摺りだされる。骨を軸として、嘉名の心臓を鏃に替えた一条の嚆矢が現れた。

 来るよ———。ルブルの呼び声と共に、視界の中央で悪魔が腰を上げた。
 立ち上がったその手には安価なスコップ。興奮に艶然と嗤いながら、男が行進を始める。ルブルの腕が鞭のようにしなり、その歩みを止めにかかった。
 先ずは一本。続けて二本。触肢は半ばで千切られ、それらが浜に落ちるのと同時に残りの触腕が赤端を拘束する。

 赤端ジュンロクと目が合った。瞬間、嘉名の指先が恐怖に動きを止める。

 困難に迷うとき、三つ数えなさいと教えてくれたのは赤端だった。
 主と、神子と、精霊の名の下に。必ず君を導いてくれる。

 (いち、……に……、———!!)

 矢羽根を掴み、嘉名は生存本能に任せてその身から矢を引き抜いた。水晶片に蝕まれた心臓が裂ける。鼓動を維持できずに、行き場のない血潮が宙へ噴き上げた。赤端の眼が妖しく光を反射したような気がした。呼吸が苦しい。全ての音が遠ざかっていく。落ち着かなければ、数を。数を、数えて———。
 
 音を喪ったそのときだ。蹲う背中が唐突に思い出された。
 監視哨で嘉名を頼った異端の青を無視したこと、あの後悔を忘れた日はない。
 カウントが止む。弦の感触。白く輝く弓矢を握る。身体は瞬間、苦痛を忘れた。
 ———やっと……やっと、繫いでやれる。
 監視哨の彼を追いかけて嘉名が吠えた。世界を鮮やかに生き返らせた青まで、あと僅か。

 ———三つ数えず嘉名は指を離した。翡翠の閃光が空間を貫く。
 祈りを捨てて放たれた一条の矢は回転しながら魔胞を一息に吸い上げ、大気ごと対象を捻る。
 「———。ああ……」
 翡翠の鏃は眉間を射貫いていた。
 実に残念そうに一声鳴くと、赤端ジュンロクは頭から白灰と化し———人の形を取り戻すことは、二度となかった。
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