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群青出奔:ブルー編
大鬼と用心棒
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その晩、高級娼館リスノワは異様な熱気に包まれていた。
「ママ~!!ボトル足りないよぉ!!」
「嘘でしょう!昨日仕入れたばかりよ!開店して1時間と経ってないのに!!」
「お客さんがテーブルどかして相撲してるぅ!ねえボクどうすればいい!?」
泣きっ面の双子が腰に泣きついてきて、リリスは頭を抱えた。紹介制娼館であるこの店には基本的に一見の客は入れない。客の紹介とオーナーの承認を経て、ようやく店の敷居を跨ぐことが許可されるのだ。
「えええん、なんかお客さんの息が荒いよう!ゲストルームが汗臭いよぉ!!」
「オーガ族ですし詰め状態ね……。空気が熱い気がするわ……」
サキュバスたちの顔が険しい。客は初見の大鬼たちで、来店一回目の彼らは慣例の通りバーに通された。普段はしっとりとピアノの流れる空間が一変、大衆居酒屋のような盛り上がりっぷりだ。酒を浴びるように飲み干し賭け相撲に興じるオーガ衆にムードもへったくれもありはしない。
リリスは頬を引き攣らせ、最奥のVIP席でふんぞり返っている元凶に詰め寄った。
「一体どういうつもりなのかしら!」
「どういうってなぁ……飲みに来たんだよ。女房が居ねえから家に帰ってもつまんねえしよ~!!」
「一ヶ月預かるってきちんと伝えたでしょう!ここにはいないわよ!!帰って頂戴!!」
「嫌だねェッ!!俺にも経営権はある筈だ。オーナーを追い出す店がどこにある、ええ?」
その体躯は巨獣の如く、焔色の鬣を靡かせた大鬼がボトルを一息に飲み干した。魔界に悪名轟く男の名はバルド。魔王軍大幹部の一人が部下を引き連れ夜店荒らしとはどういう了見だというのか。
……左右に侍らせたサキュバス二人はとうに酒で潰され目を回している。リリスは黒手袋に包まれた指先をふた回し、眷属たちを休憩室に下がらせるとヒールを鳴らしてバルドに近づき、大ぶりのツノをむんずと鷲掴んだ。
「あだだだだッ!!てめえ何すんだ!!」
「こっちのセリフよ!!お客が全員一見さんじゃあみんなご飯が食べられないじゃないっ!!」
リスノワではスタッフ……サキュバスが客を吟味するのだ。初見客は酒の相手のみ、つまり今日リリスの眷属たちは食事をすることが叶わない。
「あ?いいよ食っちまって。なんなら持ち帰ったって構わねえぞぉ」
金歯をぎちぎち鳴らしてバルドが口角を持ち上げる。サキュバスたちの内数名が意外な条件に顔色を変えて目配せをし始めた。間髪入れずにリリスがお持ち帰りの提案を突っぱねる。
「ダメダメダメ!!ドレスコードも守れないお客をうちの子たちに食べさせられないわ!!お腹壊すからやめなさい!!……ヴァリィちゃん?うちは団体客は受け付けてないの。このまま帰ってくれないかしらぁ」
「ったく、共同出資者にシツレイな女だ。別に連んで来たわけじゃねえ、俺達ぁ全員個別の客だぜ。そうだよなお前らァ!!」
「はいボスッ!!全くその通りです!!」
野太い応が響き渡った。これだから体育会系って嫌い。リスノワの女主人は眉間に深い皺を寄せて店の惨状を改めて観察した。
むくつけきオーガ族達は一様に若く、大喜びでサーブされた料理と酒を楽しんでいる……ように見えて、距離をとって座るサキュバスたちに鍛え上げた筋肉をアピールしている。全くさりげなくないウインクと上腕アピール。引き攣った笑みを返された若いオーガは目に見えてテンションが上がっているようだったが、直後ボックス席の裏側へ連行され先輩オーガにリンチを受けていた。
「陰湿だわ……」
「遊んでんなあ。おい!!そうマイルズ、てめえだよ。ゲネトもだ」
バルドは実につまらなさそうに顎で部下を呼びつけた。耳くそをほじりながら前に出てきた二人のオーガに酌をさせる。
「ボス!あのぅ、そろそろお邪魔したほうが……」
「リリス様と店の娘たちにもご迷惑ですし……!ゥギャンッ!!なんでもありませんっ!!」
角瓶で角を殴られたゲネト自身は全くダメージを受けていないけれど、主人の気に障ったらしいことに顔を青褪めさせていた。グラスを空にしたオーガ族の首領はというと、太々しい態度をいっそう露わにしている。粉砕されたボトルを床へ放り捨てて葉巻をくわえ、懐のライターで火をつけた。
点火のタイミングを逃したマイルズが狼狽だす。
「あ、あ、そのっすいませ……」
「あー?てめえで火くらいつけられる、要らん気を回すな。おら、お前も飲め」
「は、はひっ……!!ありがとうございま……」
「ところでよぉ。俺様は殴り合いが好きでな。どんくらい昔だったか、かわいい部下のステゴロ勝負を見ながら飲む酒がいやに美味くてよ、もう一度あんな酒が飲みてえんだが……」
「へいボス!!只今ッ!!」
「御笑覧下さいィ!!」
悪いなマイルズ死んでくれや、何いってんだてめえが死ね、オーガ衆とサキュバスたちが見守る中で突如ルール無用の残虐ファイトが始まった。流れるように机上のシルバーを握るのはオーガ族ならではというか、今やリスノワのバーカウンター付きゲストルームは完全に違法闘技場と化していた。
リリスが目を回して頭を抱える。オーガ族の殴り合う音。散る唾液と血飛沫。オーディエンスの歓声、賭けに興じるサキュバスの笑い声。煽ったわりにつまらなさそうな諸悪の根源……。
「ど、どうしましょ、どうしましょう……!」
「ママどうにかできないの!?」
「何とかして下さいよ!」
怯える年若いサキュバスたちの頭を撫でながら弁明する声が上ずっていた。
「できないのよぅ!このお店は陣の張り方が特殊なの!!貴方達に対しての暴力行為じゃない場合、私は手を出すことができない!!お客様同士の殴り合いなんて、約款には嬢を取り合った決闘ぐらいしか……。仲裁できる権利があるのなんて…………あ、」
リリスはバルドを見た。男が今日一番の笑みを見せる。これが目的ならば、絶対にバルドはこの取っ組み合いをやめさせないだろう。女主人の顔が悔しさに歪み、やがて鈴のような声でその名が叫ばれる。
「ぐ、く……く、クロちゃぁあーーーん!!ごめんなさい!ごめんなさいね!!助けてちょうだ~~~い!!」
言い終えるのと殆ど同時に、リリスとスタッフの髪を風が舞上げた。
目の前に躍り出た黒い影は白い詰襟に黒のベスト。見慣れた背中に薄桃髪のサキュバスが悲鳴を上げた。
「無理よ!筋力でオーガに敵うわけない!!ママ、あいつを早く下がらせてっ……!?」
殴り合うオーガの間に黒が飛び入り、激しい破砕音が耳を突いた。オーガほどではないが鋼の如く鍛えられた腕にはクリスタルの灰皿が握られている。マイルズの肩に飛び乗っているクロの手から、ガラガラと輝石の破片が崩れ落ちた。
「ごぉッ!?」
「ッハ、———ァ……!!あぎ……ぃ」
巨体が折り重なるよう、どすどすと床に墜落していく。後頭部を一発ずつ。適度に脳を揺らされたオーガ二人は重力に従って大理石の床に膝から崩れる。
……大理石の床に難なく着地したクロの、分厚い革靴が硬い音を立てた。なんて優秀な用心棒であろう。麗しの金糸をかき乱しながらリリスは機嫌を悪くするだろうお気に入りの侍従を思い浮かべる。なんとしても隠し通してほしいとお願いされていたのに……!!
バルドはといえば、一人当然といった表情で葉巻をふかしていた。つくづく腹の立つ仕草が得意な鬼だ。
知らず呼び出された『クロ』がこちらを振り向いた。一仕事済ませ、言葉尻に安堵が滲んでいる。
「リリスさん、今どういう状況ですか?とりあえず気絶させましたけど……。今日は何かバーでイベントでも」
あるんですか、と続くはずの声は徐々に弱々しくなり、ある座席を目にした時ついに音を失う。傾いだ仮面を直す指先も動きを止め、ずかずかと距離を詰めにくる男へ釈明するかのように両腕が慌ただしく空をかいた。
「あ、あ、……なん、……!!そ、その、なんでっここが……!!」
「よぉ兄ちゃん!!うちのが迷惑かけたな」
重い腰を上げて迫ってきた大鬼がその肩をしっかり捕まえシート席へ連行する。担がれて天地がひっくり返った用心棒は呆然と頭上を仰ぐ。視界を占めるのは煌びやかなシャンデリアの灯りだ。
「リリス、何人かつけろ。損失分の魔石は俺様が持つ!お前ら!これから飲み直すぞ、本命が釣れたことだしなァ!!」
倉庫の酒樽とボトルが全て封切られ、今宵魔界で一番の乱痴気騒ぎが幕を開ける。
「ママ~!!ボトル足りないよぉ!!」
「嘘でしょう!昨日仕入れたばかりよ!開店して1時間と経ってないのに!!」
「お客さんがテーブルどかして相撲してるぅ!ねえボクどうすればいい!?」
泣きっ面の双子が腰に泣きついてきて、リリスは頭を抱えた。紹介制娼館であるこの店には基本的に一見の客は入れない。客の紹介とオーナーの承認を経て、ようやく店の敷居を跨ぐことが許可されるのだ。
「えええん、なんかお客さんの息が荒いよう!ゲストルームが汗臭いよぉ!!」
「オーガ族ですし詰め状態ね……。空気が熱い気がするわ……」
サキュバスたちの顔が険しい。客は初見の大鬼たちで、来店一回目の彼らは慣例の通りバーに通された。普段はしっとりとピアノの流れる空間が一変、大衆居酒屋のような盛り上がりっぷりだ。酒を浴びるように飲み干し賭け相撲に興じるオーガ衆にムードもへったくれもありはしない。
リリスは頬を引き攣らせ、最奥のVIP席でふんぞり返っている元凶に詰め寄った。
「一体どういうつもりなのかしら!」
「どういうってなぁ……飲みに来たんだよ。女房が居ねえから家に帰ってもつまんねえしよ~!!」
「一ヶ月預かるってきちんと伝えたでしょう!ここにはいないわよ!!帰って頂戴!!」
「嫌だねェッ!!俺にも経営権はある筈だ。オーナーを追い出す店がどこにある、ええ?」
その体躯は巨獣の如く、焔色の鬣を靡かせた大鬼がボトルを一息に飲み干した。魔界に悪名轟く男の名はバルド。魔王軍大幹部の一人が部下を引き連れ夜店荒らしとはどういう了見だというのか。
……左右に侍らせたサキュバス二人はとうに酒で潰され目を回している。リリスは黒手袋に包まれた指先をふた回し、眷属たちを休憩室に下がらせるとヒールを鳴らしてバルドに近づき、大ぶりのツノをむんずと鷲掴んだ。
「あだだだだッ!!てめえ何すんだ!!」
「こっちのセリフよ!!お客が全員一見さんじゃあみんなご飯が食べられないじゃないっ!!」
リスノワではスタッフ……サキュバスが客を吟味するのだ。初見客は酒の相手のみ、つまり今日リリスの眷属たちは食事をすることが叶わない。
「あ?いいよ食っちまって。なんなら持ち帰ったって構わねえぞぉ」
金歯をぎちぎち鳴らしてバルドが口角を持ち上げる。サキュバスたちの内数名が意外な条件に顔色を変えて目配せをし始めた。間髪入れずにリリスがお持ち帰りの提案を突っぱねる。
「ダメダメダメ!!ドレスコードも守れないお客をうちの子たちに食べさせられないわ!!お腹壊すからやめなさい!!……ヴァリィちゃん?うちは団体客は受け付けてないの。このまま帰ってくれないかしらぁ」
「ったく、共同出資者にシツレイな女だ。別に連んで来たわけじゃねえ、俺達ぁ全員個別の客だぜ。そうだよなお前らァ!!」
「はいボスッ!!全くその通りです!!」
野太い応が響き渡った。これだから体育会系って嫌い。リスノワの女主人は眉間に深い皺を寄せて店の惨状を改めて観察した。
むくつけきオーガ族達は一様に若く、大喜びでサーブされた料理と酒を楽しんでいる……ように見えて、距離をとって座るサキュバスたちに鍛え上げた筋肉をアピールしている。全くさりげなくないウインクと上腕アピール。引き攣った笑みを返された若いオーガは目に見えてテンションが上がっているようだったが、直後ボックス席の裏側へ連行され先輩オーガにリンチを受けていた。
「陰湿だわ……」
「遊んでんなあ。おい!!そうマイルズ、てめえだよ。ゲネトもだ」
バルドは実につまらなさそうに顎で部下を呼びつけた。耳くそをほじりながら前に出てきた二人のオーガに酌をさせる。
「ボス!あのぅ、そろそろお邪魔したほうが……」
「リリス様と店の娘たちにもご迷惑ですし……!ゥギャンッ!!なんでもありませんっ!!」
角瓶で角を殴られたゲネト自身は全くダメージを受けていないけれど、主人の気に障ったらしいことに顔を青褪めさせていた。グラスを空にしたオーガ族の首領はというと、太々しい態度をいっそう露わにしている。粉砕されたボトルを床へ放り捨てて葉巻をくわえ、懐のライターで火をつけた。
点火のタイミングを逃したマイルズが狼狽だす。
「あ、あ、そのっすいませ……」
「あー?てめえで火くらいつけられる、要らん気を回すな。おら、お前も飲め」
「は、はひっ……!!ありがとうございま……」
「ところでよぉ。俺様は殴り合いが好きでな。どんくらい昔だったか、かわいい部下のステゴロ勝負を見ながら飲む酒がいやに美味くてよ、もう一度あんな酒が飲みてえんだが……」
「へいボス!!只今ッ!!」
「御笑覧下さいィ!!」
悪いなマイルズ死んでくれや、何いってんだてめえが死ね、オーガ衆とサキュバスたちが見守る中で突如ルール無用の残虐ファイトが始まった。流れるように机上のシルバーを握るのはオーガ族ならではというか、今やリスノワのバーカウンター付きゲストルームは完全に違法闘技場と化していた。
リリスが目を回して頭を抱える。オーガ族の殴り合う音。散る唾液と血飛沫。オーディエンスの歓声、賭けに興じるサキュバスの笑い声。煽ったわりにつまらなさそうな諸悪の根源……。
「ど、どうしましょ、どうしましょう……!」
「ママどうにかできないの!?」
「何とかして下さいよ!」
怯える年若いサキュバスたちの頭を撫でながら弁明する声が上ずっていた。
「できないのよぅ!このお店は陣の張り方が特殊なの!!貴方達に対しての暴力行為じゃない場合、私は手を出すことができない!!お客様同士の殴り合いなんて、約款には嬢を取り合った決闘ぐらいしか……。仲裁できる権利があるのなんて…………あ、」
リリスはバルドを見た。男が今日一番の笑みを見せる。これが目的ならば、絶対にバルドはこの取っ組み合いをやめさせないだろう。女主人の顔が悔しさに歪み、やがて鈴のような声でその名が叫ばれる。
「ぐ、く……く、クロちゃぁあーーーん!!ごめんなさい!ごめんなさいね!!助けてちょうだ~~~い!!」
言い終えるのと殆ど同時に、リリスとスタッフの髪を風が舞上げた。
目の前に躍り出た黒い影は白い詰襟に黒のベスト。見慣れた背中に薄桃髪のサキュバスが悲鳴を上げた。
「無理よ!筋力でオーガに敵うわけない!!ママ、あいつを早く下がらせてっ……!?」
殴り合うオーガの間に黒が飛び入り、激しい破砕音が耳を突いた。オーガほどではないが鋼の如く鍛えられた腕にはクリスタルの灰皿が握られている。マイルズの肩に飛び乗っているクロの手から、ガラガラと輝石の破片が崩れ落ちた。
「ごぉッ!?」
「ッハ、———ァ……!!あぎ……ぃ」
巨体が折り重なるよう、どすどすと床に墜落していく。後頭部を一発ずつ。適度に脳を揺らされたオーガ二人は重力に従って大理石の床に膝から崩れる。
……大理石の床に難なく着地したクロの、分厚い革靴が硬い音を立てた。なんて優秀な用心棒であろう。麗しの金糸をかき乱しながらリリスは機嫌を悪くするだろうお気に入りの侍従を思い浮かべる。なんとしても隠し通してほしいとお願いされていたのに……!!
バルドはといえば、一人当然といった表情で葉巻をふかしていた。つくづく腹の立つ仕草が得意な鬼だ。
知らず呼び出された『クロ』がこちらを振り向いた。一仕事済ませ、言葉尻に安堵が滲んでいる。
「リリスさん、今どういう状況ですか?とりあえず気絶させましたけど……。今日は何かバーでイベントでも」
あるんですか、と続くはずの声は徐々に弱々しくなり、ある座席を目にした時ついに音を失う。傾いだ仮面を直す指先も動きを止め、ずかずかと距離を詰めにくる男へ釈明するかのように両腕が慌ただしく空をかいた。
「あ、あ、……なん、……!!そ、その、なんでっここが……!!」
「よぉ兄ちゃん!!うちのが迷惑かけたな」
重い腰を上げて迫ってきた大鬼がその肩をしっかり捕まえシート席へ連行する。担がれて天地がひっくり返った用心棒は呆然と頭上を仰ぐ。視界を占めるのは煌びやかなシャンデリアの灯りだ。
「リリス、何人かつけろ。損失分の魔石は俺様が持つ!お前ら!これから飲み直すぞ、本命が釣れたことだしなァ!!」
倉庫の酒樽とボトルが全て封切られ、今宵魔界で一番の乱痴気騒ぎが幕を開ける。
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