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群青出奔:ブルー編
バルド邸、ギレオの災難
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大鬼の首領が水鏡越しにがなり立てている。もう午前中からずっとだから、口論は三時間近くに及んでいた。ギレオは渋い顔で隣の割烹着仲間に問いかける。
「相手は本当に先生か?」
「ああ。相当お冠だぜ」
マンドラゴラの首を手折りながら同じハウスキーパーのヴォイドが頷く。
「さっきベイレスが盗み聞きしてきたらしいんだが、そりゃもうおっかないやり取りしてるらしくてな。まあ今回は旦那様の旗色が悪いね……どういうわけか、契約書まで渡してたらしいぜ」
「はあ!?そりゃまたどうして」
「しかもサインと血判付きだ。リリス様付きの侍女ったって、結局は魔女だからなぁ。信用しすぎたのは良くなかったかもな」
ダゴンの専属家庭教師たるルイゼが謀反を企てたとして、一時期屋敷は蜂の巣をついたような騒ぎになった。オーガ達の目を掻い潜って魔王軍幹部の妻子を拐かしたと。ギレオは納得が行かず唸る。わからないことだらけだった。夢魔の一族とオーガ族は族長同士が同盟を結んでいる。リリスとバルドはお互い長く付き合いのある魔族で工場の経営も共同で行なっている。ことを構えても夢魔達にメリットはない。
「旦那様も血眼で探し回らせてるわりに武力行使に出ねえしよ。俺たち下っ端としちゃありがたいことだが、らしくない」
バルドはかつて、魔女の領区をその三分の一焦土にした男だ。魔女族の頭目と争いを起こした末、二つの種族が衝突し合い多くの死者が出た。刃向かう者は徹底的に潰す武闘派の彼が、今回ばかりは強く出られない。
「なンだか怒られてるガキみてえな口ぶりだったぜ」
「あのおっさんがかァ?」
「相手が先生だからなぁ。暴力を疑われてる感じだった。案外ブルー……、いや、奥様の家出かもしれねえぞ」
「…………。」
あり得ることだ。若いオーガは手元の根菜に視線を落とした。確かに近頃、アオイがぼんやりしている時間がまた増えてきてはいたのだ。ダゴンが生まれてからは見違えるように動きが良くなり、ギレオの世話も必要なくなったけれど、その分疎遠になってしまっていた。変化に気づけなかった不甲斐なさが胸を締める。
「奥様って言ってもよぅ、人間だからなぁ。俺たちオーガとは感覚が違ったのかね」
「違うって、どういう意味だよ」
噛み付くギレオに年嵩のオーガが苦笑する。
「時間感覚だよ。……あっちは長生きして百年いかねえのに、俺たちは下手しなくても三百年の寿命だ。旦那様は十年単位の療養をさせたがってたが……。寿命の十分の一も閉じ込められるってのは、負担にゃ違いねえ」
「……アオイは半分魔族だ」
「だからよ、実感覚の話さ。半分サキュバスの血が混じってるからこそ、リリス様門下の先生が出張ってきたんじゃねえか?そういうお節介を焼きそうな御仁だ。……中身までそっくり魔族になっちまうわけじゃねえだろ」
ヴォイドの穏やかな口調がギレオの不安を煽った。寿命の話は嫌いだ。種族間で開きが激しければ、それだけ生きる時間が違う。オーガばかりのこの屋敷でアオイはいつだって涼しい顔をしていたけれど、それはあいつが必死に歩幅を合わせていた結果なのかもしれない。
静かになってしまった後輩の肩を叩いて、気のいい赤鬼が笑った。
「そんな顔するなよ。家出ならすぐに戻ってくるさ、何せあのブルーだろ」
「…………そうか?居心地よかったら、リリス様んとこに居着いちまうんじゃねえの」
自分ならばそうする。ヴォイドは感じているかわからないが、オーガ族の雄は性的に無遠慮なところがあった。実家が産院を営んでいるギレオには、時折バルドの性豪さが危うく感じられた。異種族の夫婦はそういう感覚のズレで破局するケースが多分にある。
手に持っていたマンドラゴラをまな板に置き、若鬼が顔をあげた。
「……おい、ギレオ?」
「少しおっさんと話してくる」
「あ?おい、待てって!!」
厨房から出て廊下を進む。執務室に繋がる回廊へ出た時だった。ドカンと激しい破裂音がして、あと数秒後には手をかけていたはずの分厚い扉が壁際まで吹っ飛んだ。木製の分厚い扉は中央が抉れている。埃の落ち着く頃よくよく見れば、通信用の水鏡に使われる銀の水盆だった。当然へしゃげており、二度と使い物にはならない。タイミングがずれていれば胴が切断されていたに違いない。普通に腰を抜かした。
「ヒッ!!」
執務室の奥から巨体がぬうと姿を現す。俯き加減でぶつぶつ何か呟いていて、それが異様に恐ろしい。顔に影がかかって表情は読めない。意見しようとしていたことも忘れて、ギレオはただ怒りに震える頭領を見上げた。
「……ああ、約束だ……会いになんざ行かねえとも……ブルーに会いには行かねえさ」
「ボ、ボス……?」
「うるせえぞガキ!!支度しろ!!」
「ええっ!?マジで何!?どこ行くってんだよォ!!」
首根っこを掴まれて廊下を引き摺られる。大鬼が部下を曳いて大きく吠えた。
「決まってんだろ!!あの女の店に乗り込むぞッ!!」
「相手は本当に先生か?」
「ああ。相当お冠だぜ」
マンドラゴラの首を手折りながら同じハウスキーパーのヴォイドが頷く。
「さっきベイレスが盗み聞きしてきたらしいんだが、そりゃもうおっかないやり取りしてるらしくてな。まあ今回は旦那様の旗色が悪いね……どういうわけか、契約書まで渡してたらしいぜ」
「はあ!?そりゃまたどうして」
「しかもサインと血判付きだ。リリス様付きの侍女ったって、結局は魔女だからなぁ。信用しすぎたのは良くなかったかもな」
ダゴンの専属家庭教師たるルイゼが謀反を企てたとして、一時期屋敷は蜂の巣をついたような騒ぎになった。オーガ達の目を掻い潜って魔王軍幹部の妻子を拐かしたと。ギレオは納得が行かず唸る。わからないことだらけだった。夢魔の一族とオーガ族は族長同士が同盟を結んでいる。リリスとバルドはお互い長く付き合いのある魔族で工場の経営も共同で行なっている。ことを構えても夢魔達にメリットはない。
「旦那様も血眼で探し回らせてるわりに武力行使に出ねえしよ。俺たち下っ端としちゃありがたいことだが、らしくない」
バルドはかつて、魔女の領区をその三分の一焦土にした男だ。魔女族の頭目と争いを起こした末、二つの種族が衝突し合い多くの死者が出た。刃向かう者は徹底的に潰す武闘派の彼が、今回ばかりは強く出られない。
「なンだか怒られてるガキみてえな口ぶりだったぜ」
「あのおっさんがかァ?」
「相手が先生だからなぁ。暴力を疑われてる感じだった。案外ブルー……、いや、奥様の家出かもしれねえぞ」
「…………。」
あり得ることだ。若いオーガは手元の根菜に視線を落とした。確かに近頃、アオイがぼんやりしている時間がまた増えてきてはいたのだ。ダゴンが生まれてからは見違えるように動きが良くなり、ギレオの世話も必要なくなったけれど、その分疎遠になってしまっていた。変化に気づけなかった不甲斐なさが胸を締める。
「奥様って言ってもよぅ、人間だからなぁ。俺たちオーガとは感覚が違ったのかね」
「違うって、どういう意味だよ」
噛み付くギレオに年嵩のオーガが苦笑する。
「時間感覚だよ。……あっちは長生きして百年いかねえのに、俺たちは下手しなくても三百年の寿命だ。旦那様は十年単位の療養をさせたがってたが……。寿命の十分の一も閉じ込められるってのは、負担にゃ違いねえ」
「……アオイは半分魔族だ」
「だからよ、実感覚の話さ。半分サキュバスの血が混じってるからこそ、リリス様門下の先生が出張ってきたんじゃねえか?そういうお節介を焼きそうな御仁だ。……中身までそっくり魔族になっちまうわけじゃねえだろ」
ヴォイドの穏やかな口調がギレオの不安を煽った。寿命の話は嫌いだ。種族間で開きが激しければ、それだけ生きる時間が違う。オーガばかりのこの屋敷でアオイはいつだって涼しい顔をしていたけれど、それはあいつが必死に歩幅を合わせていた結果なのかもしれない。
静かになってしまった後輩の肩を叩いて、気のいい赤鬼が笑った。
「そんな顔するなよ。家出ならすぐに戻ってくるさ、何せあのブルーだろ」
「…………そうか?居心地よかったら、リリス様んとこに居着いちまうんじゃねえの」
自分ならばそうする。ヴォイドは感じているかわからないが、オーガ族の雄は性的に無遠慮なところがあった。実家が産院を営んでいるギレオには、時折バルドの性豪さが危うく感じられた。異種族の夫婦はそういう感覚のズレで破局するケースが多分にある。
手に持っていたマンドラゴラをまな板に置き、若鬼が顔をあげた。
「……おい、ギレオ?」
「少しおっさんと話してくる」
「あ?おい、待てって!!」
厨房から出て廊下を進む。執務室に繋がる回廊へ出た時だった。ドカンと激しい破裂音がして、あと数秒後には手をかけていたはずの分厚い扉が壁際まで吹っ飛んだ。木製の分厚い扉は中央が抉れている。埃の落ち着く頃よくよく見れば、通信用の水鏡に使われる銀の水盆だった。当然へしゃげており、二度と使い物にはならない。タイミングがずれていれば胴が切断されていたに違いない。普通に腰を抜かした。
「ヒッ!!」
執務室の奥から巨体がぬうと姿を現す。俯き加減でぶつぶつ何か呟いていて、それが異様に恐ろしい。顔に影がかかって表情は読めない。意見しようとしていたことも忘れて、ギレオはただ怒りに震える頭領を見上げた。
「……ああ、約束だ……会いになんざ行かねえとも……ブルーに会いには行かねえさ」
「ボ、ボス……?」
「うるせえぞガキ!!支度しろ!!」
「ええっ!?マジで何!?どこ行くってんだよォ!!」
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