イケニエヒーロー青井くん

トマトふぁ之助

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金継ぎの青 下:ブルー編

雪片の行方

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 喜一が意識を取り戻したのは、夜が明けてすぐのことだった。遠方に出ていた兄弟達に取り囲まれ、絶対安静の診断を受けている。母親に襲いかかる犯人の凶行を止めようとして腹部を刺されてはいたが、命に別状はないという。動かせない負傷者のいる診療所の関係者以外、町人は全員が避難させられていて、だから派手に暴れても巻き添えを生む心配は要らなかった。

 魔女を片付け終えて一服するリリスは、安心したように紫煙を吐いた。夢の主である喜一の肉体を潰せば最も楽に夢の旅人を殺すことができる。意識の戻らない青年への襲撃を夜通し迎え撃つのは、彼女の仕事だった。
 「界境を突破するのに何人兎を潰したのかしらね、優雅じゃ無いわ」
 血だまりのように名も知れぬ花の花弁がそこかしこに溜まっている。建物のひびは激しい戦闘のあとを伺わせるが、リリスには傷どころか土埃さえつけられていない。ちょうど人一人分の体積に積まれた花弁が、またひとつ、形を崩して床に零れた。肉の形を保てているのは、巨大な杭で壁に貼り付けられたルイゼだけである。
 数十名はいた仲間の魔女は、あらかたこの女に花へと変えられてしまった。町中湧いたように赤い花びらが散乱しているのは、事情を知る魔族にとって凄まじい惨状に違いなかった。
 「あの包丁男を差し向けたのは貴方でしょう?」
 「……ふふ、何よトリ女。私はただ、ちょっと背中を押してやっただけじゃない。のこのこと帰国なんかするからよ。そっちの不用意さを恨むのね」
 ルイゼは本当に、男の欲求を解放しただけに過ぎないと考えていた。余市某の家には研いだ包丁が不必要なほど幾つも備えてある。犬猫を庭に引き入れては、貧しさからの鬱憤ばらしに殺すためだった。ルイゼが町人に化けて、老女が余市の悪口をぼやいていたと言ってやるだけで———面白いほど簡単にことは済んだ。
 魔王の盟約によって、人間に手を出せば魔族にも同じダメージが跳ね返ってくる。人と同等に、治癒は効かず、致命傷になり得る痛手である。直接手を下せないのは手間であったが、人間同士で殺し合わせるなんて朝飯前の仕事だ。大鬼の連れがこの女でさえなければ、立場の弱い魔女に人間ふたり、留めを刺させて終わりだったのに。
 リリスに植え付けられた芽が骨の髄を犯していく。悲鳴を堪えて相手を見据えるが、どう考えても勝ちの目は見えなかった。喉に蔦が絡んで、内側から肉を裂こうとする。
 「結局痛い目をみるのは貴方たち兎さん。魔界から指示をとばすだけなんて。いいようにされて、酷いお姉様ね」
 眦を吊り上げるルイゼには、もう反論する猶予さえない。睨み付けたところで、リリスの興味はもう別のものに映っていた。ドレスの裾を靡かせて降ってきた雪を片手で受け止める。奇妙な雪だ。白々と光って、リリスのまわりを穏やかに飛んでいる。
 「……終わったの?せっちゃん」
 清い魂が揺らめいて、礼を言うようにくるりと回るだけのお辞儀をした。肉体が潰えると幾ばくかの時間を置いて、魂はその縛りから解き放たれる。リリスは青井雪乃の鼓動が止まった事実を、神妙な気持ちで受け止めた。一日が終わるように、寿命の終わりは必ず訪れる。人間の一生は短い。その命が燃え尽きれば淡雪のように消えてしまう。
 切ない。勿体無い……こんなにも綺麗で気高い魂なのに。
 「———せっちゃん、ちょっと借りるわね」
 思い至ったという顔つきで、リリスは上へと昇っていこうとした雪片をおもむろに引っ掴んだ。潰さないようにしなければ。丁寧に、慎重に。魂の上書きは慣れたものだし、きっと大丈夫。
 「丁度良いわ!一匹生きてる兎が残っているし、せっちゃんも向こうに渡れて孫の顔が見れるもの。私も寂しくないし」
 リリスの手の内で老女の魂が慌てているが、うっかり夢魔の前に出てきた油断が悪いのだ。これでリリスは当分侍従に困らない。修道女上がりの魔女とか、とっても素敵。この大妖魔にとって、理由などそれだけで十分であった。とんでもないという表情で必死の抵抗を示す魔女に、新たな宿主が植えられていく。
「当座の容れ物は、あなたにしましょうね。大丈夫よせっちゃん。不満があったら代わりを用意するからね」



 屋敷が再建されたという報せが届いてすぐ、教会の旅客は氷雨を後にした。
 臨月にあたるその月、魔王軍幹部バルドの第一子が生誕。
 ———母胎に当たる青井清一はその後一ヶ月、こんこんと眠り続けることになる。
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