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金継ぎの青 下:ブルー編
喪失の標
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———8年前だ。
兄がヒーロー養成学校から合格通知をもらい、教会を出て行くことが決まった日。
木造の子供部屋で、清一が少ない荷物を整理していた。ベッドに腰掛けて足をぶらつかせていた弟に声がかかる。
「喜一、これやる」
「えっ!ほ、ほんと……?でも兄貴、おれいいよ。他のちびにやりゃいいじゃん」
本革でできた野球ボールだった。兄が唯一大事にしていた私物と言って良い。ものも無ければ娯楽もない片田舎では、本革のボールなんて滅多にお目にかかれたものじゃなかった。
十つの喜一に野球ボールを握らせると、兄の清一は優しくその頭を撫でる。
「なんだよ。欲しくないのか」
「欲しいよ!いや、でも、おれ……。その……。」
正直喉から手が出るほど欲しい代物だった。喜一は視線をうろつかせてどもる。
「おれが貰っていいのかな……」
他にも兄弟姉妹はいた。……兄の宝物を譲るなら、自分よりも相応しい者はたくさん。
「……俺は喜一だから渡したいんだ。向こうに行ったら訓練ばっかで遊べなくなるし、喜一が……悪いことしちゃったのは、もう何年も前の話だろう。俺はお前に貰ってほしいんだ」
兄の手が喜一の小さな手を握る。
「喜一は頑張った。そりゃやっちゃったことは無かったことにはできないけど———一生懸命頑張ったから、また信じてもらえるようになった。みんなお前のことが大好きだ」
「兄貴……」
「……母さんのこと、よろしくな」
最後のお願いは小さな声だった。
喜一は教会の子供になる前、盗みをして暮らしていた。親はいない、兄弟もいない。悪ガキとつるんで大きな町でスリ稼業の手伝いをさせられていたところを衛士に捕まって、遠くの孤児院まで移送されてきたのだ。
手癖のように近隣の家や教会から物を盗む少年を、最後まで庇って面倒をみたのは清一だった。手習い、生活の全て、友達の作り方。何から何まで一緒に教えてくれた。
四六時中生活を共にした大好きな兄の手を握る。
「……すぐ帰ってくる?」
「そうだな……正直わからない。養成所は随分遠くの街にあるし。暫くは訓練で来られないと思う。———でも休みをもらったら、すぐ帰って来るよ」
「約束だかんな!て、手紙も書いてよ。……ずっと、ずっと待ってるから」
「うん。……約束するよ」
子供部屋に二人きり、しばらくベッドに腰掛けてたわいもない話をした。会話が途切れたら兄が何処かに行ってしまうのではないかと怖くて、恐ろしくて、喜一は同じ話を幾度か話しもした。やがて話すことがなくなって、立ち上がろうとする兄の袖をとっさに引く。八つ年上の兄は黙ってもう一度寝台に腰掛け、喜一の手を握って———写真屋の親父が呼びに来るまでずっと離さずにいてくれた。
……氷雨の町の青井清一は、かつてそういう兄であった。
兄がヒーロー養成学校から合格通知をもらい、教会を出て行くことが決まった日。
木造の子供部屋で、清一が少ない荷物を整理していた。ベッドに腰掛けて足をぶらつかせていた弟に声がかかる。
「喜一、これやる」
「えっ!ほ、ほんと……?でも兄貴、おれいいよ。他のちびにやりゃいいじゃん」
本革でできた野球ボールだった。兄が唯一大事にしていた私物と言って良い。ものも無ければ娯楽もない片田舎では、本革のボールなんて滅多にお目にかかれたものじゃなかった。
十つの喜一に野球ボールを握らせると、兄の清一は優しくその頭を撫でる。
「なんだよ。欲しくないのか」
「欲しいよ!いや、でも、おれ……。その……。」
正直喉から手が出るほど欲しい代物だった。喜一は視線をうろつかせてどもる。
「おれが貰っていいのかな……」
他にも兄弟姉妹はいた。……兄の宝物を譲るなら、自分よりも相応しい者はたくさん。
「……俺は喜一だから渡したいんだ。向こうに行ったら訓練ばっかで遊べなくなるし、喜一が……悪いことしちゃったのは、もう何年も前の話だろう。俺はお前に貰ってほしいんだ」
兄の手が喜一の小さな手を握る。
「喜一は頑張った。そりゃやっちゃったことは無かったことにはできないけど———一生懸命頑張ったから、また信じてもらえるようになった。みんなお前のことが大好きだ」
「兄貴……」
「……母さんのこと、よろしくな」
最後のお願いは小さな声だった。
喜一は教会の子供になる前、盗みをして暮らしていた。親はいない、兄弟もいない。悪ガキとつるんで大きな町でスリ稼業の手伝いをさせられていたところを衛士に捕まって、遠くの孤児院まで移送されてきたのだ。
手癖のように近隣の家や教会から物を盗む少年を、最後まで庇って面倒をみたのは清一だった。手習い、生活の全て、友達の作り方。何から何まで一緒に教えてくれた。
四六時中生活を共にした大好きな兄の手を握る。
「……すぐ帰ってくる?」
「そうだな……正直わからない。養成所は随分遠くの街にあるし。暫くは訓練で来られないと思う。———でも休みをもらったら、すぐ帰って来るよ」
「約束だかんな!て、手紙も書いてよ。……ずっと、ずっと待ってるから」
「うん。……約束するよ」
子供部屋に二人きり、しばらくベッドに腰掛けてたわいもない話をした。会話が途切れたら兄が何処かに行ってしまうのではないかと怖くて、恐ろしくて、喜一は同じ話を幾度か話しもした。やがて話すことがなくなって、立ち上がろうとする兄の袖をとっさに引く。八つ年上の兄は黙ってもう一度寝台に腰掛け、喜一の手を握って———写真屋の親父が呼びに来るまでずっと離さずにいてくれた。
……氷雨の町の青井清一は、かつてそういう兄であった。
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