上 下
62 / 117
金継ぎの青 下:ブルー編

渡航前夜

しおりを挟む
 小さな漁村の入り口では、やる気なさそうに手旗を掲げて役場の人間が待ち構えていた。年は若いが瞳の下はクマで縁取られ、濃い疲労が滲み出ている。今にも倒れこみそうなほど疲れ果てた彼の白シャツだけは、かろうじて職種らしくかっちりと襟元まで締められていた。
 「旅行者のリリス様御一行ですね。この度は氷雨町へようこそ」
 「あら、私が代表?」
 「……俺さ、……俺はこいつにかかりきりだからな。任せたぞ」
 それも込みでの仕事なのだろう。リリスは艶っぽい笑みを浮かべて役人を振り返った。夢魔の笑みを正面から受けて若者の顔が仄赤く火照る。
 「私たちこの町に来るのは初めてなの。案内してくださる?」
 両手で男の手を包みこみ、可憐な声が囁かれる。距離感が既に可笑しい。見つめる瞳が魔力を灯して、蠱惑的に獲物を絡めとる。役場の彼は頬を面白いように朱色に染め、後退りしながら慌てて返事をする。
 「ぇ、あっ……は、はい!す、すぐにでも……!長旅お疲れでしょうから、まずは休憩できる場所までお連れします!」
 リリスの後ろで青井を抱えた大男が、うんざりした顔でことの成り行きを見守る。この女はこれだから始末が悪い。リリスに一生を狂わされた者は老若男女の垣根なく、種族すら跨いで魔界のそこかしこに分布している。
 すっかり獲物を狩りとる気になっている美女の首根っこを掴み、大男は後ろに引いた。
 「おい。いい加減にしとけ」
 「小腹が空いたんだもの、いいじゃない」
 「会った奴端から食い散らかす気か。こんな田舎町すぐに潰れるぞ?あとで若い衆揃えてやるから、我慢しろ」
 「エッほんと?んん~、でもねえ……飽きちゃったからいいわ。貴方の部下、みぃんな筋肉達磨なんだもの……。最近ちょっと食傷気味よ」
 小声でのやりとりを不思議そうに伺っていた役人が単語をのみ聞き取って、見当違いの提案をした。
 「……お連れ様、食事処でしたらこの先にいい店があります。座敷ですので、その、奥様もお休みできるかと」
 眼鏡の奥で気遣わしげな瞳が腕に抱えた妻を見ている。大男は役人の青年に愛想のない返事をした。
 「そうか。さっさと連れて行け」
 「全く無愛想ねえ!ごめんなさいね……えっと」
 「ああ、失礼しました……申し遅れまして」
 青井喜一と、男は名乗った。
 大男の腕の中で、身じろぎひとつしない妊夫が寝息をたてている。

 『———私の……をお使いください』
 台風の夜であった。かねてより大鬼に打診を受けていた彼女は、二つ返事で了承してくれた。
 『あの子の一部は大事に預かっております。同行者は……リリス様。わかりました、いつでも構いません。もとより老耄の体です故、長く眠ったとしてもみな納得してくれましょう』
 水盆の向こうで彼女を呼ぶ声がした。扉の開く音が続く。
 『少しお待ちを。大丈夫よ喜一。独り言ですとも……ええ、ええ……お前も、早く休みなさい』
 足音が遠のいていく。水面の波に合わせて老女の憂いた顔が揺らいだ。
 『精が出るねえ』
 『少し、働き過ぎです。喜一には———人よりも苦労をかけてしまっている』
 事情があった。どうしようもならない、救いようのない出来事があった。あの晩からずっと、彼はもがくように働き続けている。
 『何か休ませる機会ができれば良いのですが……え?はい……案内人。……———に招いて……そんなことが……できるのですか』
 呼びつけた夢魔が隣で喧しく要らない提案をする。耳元でかしましく騒がれるのが好ましくない依頼主は顔が険しい。……案の定、予定より早めの新婚旅行に邪魔な虫がついてくることになってしまった。
 『……そうしてくれますか。多少旅程に影響は出ましょうが、それで構わないならお願いします』
 渡りの先となってくれる彼女の声は安堵していた。老婆の傍で燭台の炎が揺れる。消し忘れるなよと忠告をして、鬼は水盆の淵に整列した水文字をなぞり潰した。盆に張られた水は表面を揺らし、また物言わぬ水面へと戻された。新婚旅行前夜、とある夜更けの出来事である。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

身体検査

RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、 選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

真・身体検査

RIKUTO
BL
とある男子高校生の身体検査。 特別に選出されたS君は保健室でどんな検査を受けるのだろうか?

双葉病院小児病棟

moa
キャラ文芸
ここは双葉病院小児病棟。 病気と闘う子供たち、その病気を治すお医者さんたちの物語。 この双葉病院小児病棟には重い病気から身近な病気、たくさんの幅広い病気の子供たちが入院してきます。 すぐに治って退院していく子もいればそうでない子もいる。 メンタル面のケアも大事になってくる。 当病院は親の付き添いありでの入院は禁止とされています。 親がいると子供たちは甘えてしまうため、あえて離して治療するという方針。 【集中して治療をして早く治す】 それがこの病院のモットーです。 ※この物語はフィクションです。 実際の病院、治療とは異なることもあると思いますが暖かい目で見ていただけると幸いです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...