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金継ぎの青 下:ブルー編
安寧に烟る
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ブルーの腹が裂けんほどに膨れてしばらく、青年は一日のほとんどを寝て過ごすようになっていた。日に起きていられて五時間が限界で、医者によれば番いの精力も十分に蓄えているため交尾の必要もなくなったらしい。とにかく寝たいだけ寝ることです。そう言われて以来、青井の夫であるオーガは手出しをしてこなくなった。青井を子供のように寝かしつけ、枕元で土産話をする。
「欲しいもんはないか」
そればっかりだと溢してから、赤鬼は勝手に土産物を選んでは持ってくるようになった。眠って起きる度に枕元の土産物が増えていく。それにしても毎回鉱石だの高価な装飾品だの、果ては妙な民芸品だのとよくネタが尽きないものだ。馬鹿でかい花束にぬいぐるみまでどんな顔して買ってくれたのか。……今度会えたら、子供用の玩具でもねだってみよう。
その日起き出すと、ちょうどハウスキーパーのギレオが昼食を作り終えたところだった。魔界の香草と魚を焼き物にした名前のわからない料理が大皿に乗せられている。
厨房にひょっこり顔を出した青井に、ギレオは喜んで出来たての味見をさせた。
魚の蒸し焼きはほろほろと口の中で解け、優しい滋味に富んでいる。
「んまい……」
「そおかそおか、食欲あるなアオイ!がんがん食え!いやあ、つわりが無いってのはいいねえ」
強烈な眠気に見舞われる他、青井に目立った妊娠症状は現れなかった。ギレオの経験からすれば大抵の妊婦は情緒に乱れが現れるものだが、腹が眼球魔族の成体ほど出張った今でも青井は安定したままだ。むしろ日に日に落ち着いていく様子ですらある。
後ろにくくった黒髪は寝癖がついて鍵尻尾のように揺れている。だぼついたプルオーバーのパーカーに下はスウェット。よほど熟睡していたのか、男前に整った顔には枕のアトがくっきり浮かんで間抜けさを際立たせた。こいつ日増しに呆けていくなあ。ギレオはかがんで青井の口に二口目を世話してやる。
「いっぱい食えよー。次いつ起きるかわかんねえんだからよ」
「んぐ、ぐ。……むぐ」
「ギャッハ!焦んなよ、ホラ水飲んで」
人間サイズのカップにぬるま湯を注いで渡せば、青年は緩慢な動きでそれを受け取る。なんとまあ無防備な姿であろうか。弟ができたらこんなものだろうかと面倒を見てきたが、青井の世話には介護か育児に近い危なっかしさを感じる。
世話をしていくうち、ギレオにも少しずつわかってきたことがある。青井はかなりの不器用だ。特に身の回りのことに関してどれに手を付けても、何かしら注意が足りていない。うっかり怪我をしかけることがたびたびあり、以後ギレオは片言の敬語を使うのもやめてこの生き物の生活に介入し始めた。こいつを放っておくとまずい。よく今まで一人で生きてこられたな。
(……おっさんが何かしてるのか……?)
不安が全くない状態というのは、逆に不自然だ。バルドが魔術の類で青井の精神状態を管理しているのではないか、ギレオは密かに疑い始めていた。魅了催眠、洗脳術、幻惑術と例を挙げればきりがない。オーガ族は魔術の使える種族ではないから、長期に渡る青井の安定状態を考えれば媒体を介する定期的な術の掛け直しが行われてきたはずである。
ギレオは魔法魔術に用いられる呪具を端から思い浮かべた。最も手軽なものは魔法薬物。贈りつけられた装身具が呪いのそれだったなんてこともザラにある。……ギレオは青年の首に下げられたごくシンプルなチェーンネックレスに目を向けた。あからさまに禍々しい金の指輪が繋がれたそれ。
「ギレオさん?」
澄んだ青がこちらを見上げた。口元にパンのかけらがついている。
「ん?あ、ああ。……悪い、考え事してた」
ふとよぎった疑念に、ギレオは気づかないふりをした。
(———大体、そんなことわかったって俺にできることなんかないだろ!)
ブルーの穏やかさが術に依拠したものだとして……それが仮に解けてしまったら、彼はまた魔族寸刻みマシーンに戻ってしまうかもしれない。突如正気を取り戻したブルーに抹殺される自分を想像して、ギレオは軽く身震いをした。……この件にも触れないでおこう。食事に変なものを混ぜるように指示されたりはしていないから、青井が生来ぼんやりした性格である可能性もゼロではないわけだし。
———青井がふらと席を立ったのはその時だ。
「……?どうした。取り皿足りなかった?」
一瞬身構えたギレオはすぐに警戒を解いた。彼がその細腕で棚から取り出したのはただの食器である。
「ギレオさんもお昼、まだじゃないかなと思って……俺、今日はいつもより早く起きちゃったんだな」
青年の指が時計を指す。確かにいつもより数刻早い。
「一緒に食べませんか。用意してもらって、俺がいうのも何だけど」
「お……おう。いいけど……」
「やったぁ。取り分けますね」
ふにゃふにゃとした顔にギレオの肩から力が抜ける。構えてしまった自分がこれではただの腰抜けだ。半分起きた状態の青井にきちんと食事をさせるべく、ギレオは食卓の準備を整え始めた。
「欲しいもんはないか」
そればっかりだと溢してから、赤鬼は勝手に土産物を選んでは持ってくるようになった。眠って起きる度に枕元の土産物が増えていく。それにしても毎回鉱石だの高価な装飾品だの、果ては妙な民芸品だのとよくネタが尽きないものだ。馬鹿でかい花束にぬいぐるみまでどんな顔して買ってくれたのか。……今度会えたら、子供用の玩具でもねだってみよう。
その日起き出すと、ちょうどハウスキーパーのギレオが昼食を作り終えたところだった。魔界の香草と魚を焼き物にした名前のわからない料理が大皿に乗せられている。
厨房にひょっこり顔を出した青井に、ギレオは喜んで出来たての味見をさせた。
魚の蒸し焼きはほろほろと口の中で解け、優しい滋味に富んでいる。
「んまい……」
「そおかそおか、食欲あるなアオイ!がんがん食え!いやあ、つわりが無いってのはいいねえ」
強烈な眠気に見舞われる他、青井に目立った妊娠症状は現れなかった。ギレオの経験からすれば大抵の妊婦は情緒に乱れが現れるものだが、腹が眼球魔族の成体ほど出張った今でも青井は安定したままだ。むしろ日に日に落ち着いていく様子ですらある。
後ろにくくった黒髪は寝癖がついて鍵尻尾のように揺れている。だぼついたプルオーバーのパーカーに下はスウェット。よほど熟睡していたのか、男前に整った顔には枕のアトがくっきり浮かんで間抜けさを際立たせた。こいつ日増しに呆けていくなあ。ギレオはかがんで青井の口に二口目を世話してやる。
「いっぱい食えよー。次いつ起きるかわかんねえんだからよ」
「んぐ、ぐ。……むぐ」
「ギャッハ!焦んなよ、ホラ水飲んで」
人間サイズのカップにぬるま湯を注いで渡せば、青年は緩慢な動きでそれを受け取る。なんとまあ無防備な姿であろうか。弟ができたらこんなものだろうかと面倒を見てきたが、青井の世話には介護か育児に近い危なっかしさを感じる。
世話をしていくうち、ギレオにも少しずつわかってきたことがある。青井はかなりの不器用だ。特に身の回りのことに関してどれに手を付けても、何かしら注意が足りていない。うっかり怪我をしかけることがたびたびあり、以後ギレオは片言の敬語を使うのもやめてこの生き物の生活に介入し始めた。こいつを放っておくとまずい。よく今まで一人で生きてこられたな。
(……おっさんが何かしてるのか……?)
不安が全くない状態というのは、逆に不自然だ。バルドが魔術の類で青井の精神状態を管理しているのではないか、ギレオは密かに疑い始めていた。魅了催眠、洗脳術、幻惑術と例を挙げればきりがない。オーガ族は魔術の使える種族ではないから、長期に渡る青井の安定状態を考えれば媒体を介する定期的な術の掛け直しが行われてきたはずである。
ギレオは魔法魔術に用いられる呪具を端から思い浮かべた。最も手軽なものは魔法薬物。贈りつけられた装身具が呪いのそれだったなんてこともザラにある。……ギレオは青年の首に下げられたごくシンプルなチェーンネックレスに目を向けた。あからさまに禍々しい金の指輪が繋がれたそれ。
「ギレオさん?」
澄んだ青がこちらを見上げた。口元にパンのかけらがついている。
「ん?あ、ああ。……悪い、考え事してた」
ふとよぎった疑念に、ギレオは気づかないふりをした。
(———大体、そんなことわかったって俺にできることなんかないだろ!)
ブルーの穏やかさが術に依拠したものだとして……それが仮に解けてしまったら、彼はまた魔族寸刻みマシーンに戻ってしまうかもしれない。突如正気を取り戻したブルーに抹殺される自分を想像して、ギレオは軽く身震いをした。……この件にも触れないでおこう。食事に変なものを混ぜるように指示されたりはしていないから、青井が生来ぼんやりした性格である可能性もゼロではないわけだし。
———青井がふらと席を立ったのはその時だ。
「……?どうした。取り皿足りなかった?」
一瞬身構えたギレオはすぐに警戒を解いた。彼がその細腕で棚から取り出したのはただの食器である。
「ギレオさんもお昼、まだじゃないかなと思って……俺、今日はいつもより早く起きちゃったんだな」
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「一緒に食べませんか。用意してもらって、俺がいうのも何だけど」
「お……おう。いいけど……」
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