イケニエヒーロー青井くん

トマトふぁ之助

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金継ぎの青 上:ブルー編

風邪ひきヒーロー

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 けんけん、と小さな咳がした。
 バルドはその日も魔王に振られる激務を終え、ぶつくさ文句を言いながら己の屋敷に帰還を果たしたところであった。見下ろせば愛妻。清一の顔色は悪くない、先ほどの音は気のせいだろう。バルドは鞄を置き、己に比べれば細々とした彼を担ぎ上げる。
 魔王城の一角に位置する屋敷では同居人の彼が健気にも飯を作って帰りを待っていてくれた。巨大魔海魚のムニエル。麦粉をつけてしっかり焼かれたそれは半分焦げていたが、味はなかなかのものだった。
 「昨日のステーキはしょっぱかったからな!自分でも反省したんだ」
 進歩を褒められ、膝に抱えた青井は幾分誇らしげだ。大鬼は魔海魚の頭を千切り、目の周りの身が柔らかい部位を青年用の取り皿により分ける。
 「ここは特にうめえぞ。食っとけ」
 「それは知らなかった!いただきます」
 これもいささか焼きすぎのパンを食べやすいようむしって渡すと、珍しくにこにことそれを受け取ってかぶりつく。バルドは笑いながら酒瓶を煽った。……最近宙を眺めて何事か考え込むことの多かった清一もやっと落ち着いてきたらしい。己もわしわしと魚を骨ごと噛み砕いて食事に興じる。
 口いっぱい魔海魚のはらわたを頬張りながら———ふと辺りを見回して気がついた。台所が妙に片付いている。それは不思議な感覚だった。綺麗に片付けられたようでいて……道具の置き場所に規則性が感じられない。物の上にものが重ねられ、逆にその機能性を失われている。家事の得意でない清一が手を入れた証拠だが、バルドはその時妙な違和感を感じた。
 「……掃除やってくれたのか?疲れただろ」
 黒髪をかいぐり撫でる。その感触にも少し、いつもと違うものを感じ取った。清一は満足げだ。
 「掃除くらいで疲れたりしない!これからは毎日やる!!」
 手の腹で青井の頭の輪郭を確かめる。髪は汗で湿気り、耳はいつもより体温が高い。見下ろしてみれば赤みが強かった。
 「最近眠ってばっかりだったからな、明日からは朝も飯を作るぞ!俺はやるぞ!!」
 頬も同様。呼吸の乱れ。
 「や、家賃の代わりくらいには……げほ、働けるように……っ!!」
 興奮のためか持ち上がった腕を押さえ、勝ち気に上がった眉の上、その狭い額へ手のひらを合わせる。あっつい。けんけん、げほんげほん。背を丸めて清一が二度、典型的な咳をした。
 大鬼はため息をひとつ、同居人を抱き上げ、空気で冷やすために宙を旋回させた。

 「———ああ、そうだ。風邪ぇ?ふうん。あったかくして水飲まして寝かせる。飯は?消化にいいものね……消化にいい……?粥。わかったわかった、先生よ、往診頼むぜ。転移料金はこっちで持つ」
 水盆で主治医との通信を終えて寝室へ向かうと、布団の端を握ったまま清一がこちらを見ていた。
 「ご、ごめん……お金……またかかる……」
 熱で朦朧としているらしい。鼻筋の通った男前なツラが汗と鼻水で台無しだ。頭は冷やした方がいいと聞いて水で絞ったタオルをのせてあるが、すぐぬるくなるのであまり意味がない。通信に使っていた水盆でタオルを再び湿し、バルドはその小さな額へ戻す。
 「ブルー……いや、空回り元気君よ。これは例えの話だが、お前に女がいたとして……いや、俺か。俺様が!!お前の番いである俺様がよ。同じように風邪ひいてぶっ倒れたとするだろ?……清一クンは薬代ケチったりすんのか」
 「しない……」
 「だろォ。んなこと気にすんなよ、ちょっと傷つくぜ」
 青年の眉尻が申し訳なさそうに垂れる。バルドも言ってはみたものの、これは仕方のないことだった。人間界ではここ十年あらゆる物資が不足している。青井は辺境に育った平民階級出身のヒーローだ。平民以下、下層における人間の命の値段は、時に薬のそれを下回る。価値観を塗り替えるのには時間が必要だ。
 「だいたい男二人暮らしなんだ。掃除も飯も程々でいいんだよ。ここに落ち着いてくれようとすんのは嬉しいが……お前が体調崩しちゃ元も子もねえだろ」
 サファイアブルーの瞳が茫洋と遠くを見つめる。ぐらついてすわらない首に汗が伝っていた。
 「……何か、返したかったんだ……。俺、本当に剣以外は何にもやってこなかったから。家事、こんなにできないなんて思ってなかった」
 清一はしょげている。熱が回っているせいか幾分素直だ。思った以上に悩みを拗らせていたらしい。確かに青井の家事は壊滅的だが別にそれで暮らせない程ではない。……ベッドに運んでから屋敷をあちこち見てみたが、どうにもこいつは一人で使っていない部屋の群れまで掃除しにかかったようだった。半人半魔になりたての身体でどこまで動いていいか歯止めがつかなかったのだろう。
 「慣れてねえんだから当然だろ。……現役時代は寮暮らしだったよな?」
 「うん。部屋は……持ち物自体少なかったから掃除はいらなかった。ヒーローになった後はマネージャーが何人かついて、洗濯ものなんかは知らない間に片付いてたんだ。変だよな……塹壕の掘り方とか、ビバーグのやり方はわかるんだけど。……どうしても気が焦って」
 「ああ、あれなあ!!人間ってのはなんで穴を掘りたがるんだろうな?うちでも真似してみたけどよ、どうにも湿気って馴染まねえ」
 「そうなのか……。でも、人間にだってそんなに居心地のいいものじゃないよ。冬は凍えるし夏は湿気って臭くて、おまけにずっと籠っていられるものじゃないから」
 言いながら清一が軽く身震いをした。寒いかと聞くと、少しと弱々しい返事が返ってくる。バルドは清一の汗でしけった寝巻きを着替えさせると己もベッドに入り、その細い体が凍えないよう身を寄せた。
 「あったか……」
 「そりゃ良かった。さっさと寝ちまえ」
 塹壕よりかは心地よかろう。背中を叩いて寝かしつければ、布団の下から緩みきった声が漏れる。
 「……思って、なかった」
 「ンん?」
 「あんたが。こんなに……いいやつだって、思わなかったな……」
 「…………。」
 すぐに薄い寝息が聞こえてきて、バルドはいささか安堵した。危ない危ない。病人相手に兆してしまうところだった……いい具合に育まれている信頼をぶち壊したくないバルドは無心で薄い肩に布団を掛け直す。

 ———終戦直後。しかも青井はその渦中にいた人物である。人生の大半を剣に費やし、役目が終わればそれを罪だと守った民から槍玉に挙げられた。仇であるバルドに恨みを持っていないのは幸運だったが———あまり日常生活に馴染めないようだと、大抵は心が戦場を求めるようになる。戦いに生を毟り取られてきたオーガ兵にもそういった前例は多い。腕に閉じ込めた生き物のつむじに顎をつけ、ぼそりと呟く。
 「……繋ぎがいるなあ」
 平穏な余暇を過ごすには、今の清一は抱えたものが多すぎる。
 楔は打った。後はそう、擬似的な家族……弟か兄のような、近しい存在が欲しい。家事に長けており医療に詳しい者をと考え、バルドは一人適任がいることを思いついた。
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