さるのゆめ

トマトふぁ之助

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ゆめのつづき

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 煙草に火をつけようとして、田嶋某は慌ててライターを消した。今は狩りに来ているのだ。匂いを嗅ぎつけられるわけには行かない。隣で控えていた夢野が詰るように田嶋を睨んでいた。
 「いや、悪かったよ。おっさんは本当にこれだけが生き甲斐なの」
 「勘弁してくださいよ……。朝が来る前に気取られたら全滅しかねないでしょ……」
 夜闇が深い。この時間帯は怪異の力が増す。霊峰と名高いこの土地で、大地がどちらに力を貸すかは誰にも分からない。夜明けと共に山小屋へ踏み入る作戦であった。
 「夢野クン、寝不足で苛々してんでしょ。こないだのテストどうだった?今は中学生も大変だねえ」
 「…………。」
 「確か赤が三つだったっけ?」
 「ハシタさんっ!!」
 「赤ァ?高校生じゃないんだから……あぁ、そっか。夢野クン超進学校生だったね」
 端と田嶋に囲まれて法衣の少年が肩をぶるぶると振るわせる。
 「関係ないでしょ!!仕事が立て続けで授業に出てる暇もなかったんですよ!!」
 短く艶がかった黒髪を逆立てて憤慨する姿は黒猫に似ていた。このところ多かったもんねえははそうでしたねとおじさん二人で笑い合う。
 「そうだったのかい?秀樹君、大変なのに呼びつけてしまって悪かったね」
 前の席から静が話に混ざってきた。山道に乗りつけた黒いバンで男四人がひしめき合っているから当然狭い。唯一小柄な夢野がその一声で居住まいを正した。
 「いやっそんな……そういう意味じゃ……!!ぼ、僕は静さんの頼みならいつだって……」
 「本当に?無理をしてはいけないよ。結界の臨時敷設は君が一番上手だから声をかけてしまって……すまないね」
 「しょ、そんなぁ……っ!!一番だなんて!ぼぼ僕なんかそんなっ」
 「まるで借りてきた猫ちゃん」
 「声色も違うよ。ありゃ本物だね」
 「おじさんたち!五月蝿いですよ!!」
 この車に乗り合わせた者たちに同門の者は一人もいない。皆静に声をかけられ招集されたフリーの祓い屋たちだ。田嶋と端はこの道二十年近くのベテランだが、二人組んで仕事をするのは初めてだった。依頼主は静である。寺の坊主だがその筋では有名な人物で金払いもいい。いくつか借りがあるので断る理由もなく、車に乗せられお山の奥までやってきた。
 夢野少年は静に恩があるらしく二つ返事で同乗してきた変わり者だ。とは言っても丁寧なのは静に対してだけで、田嶋たちには随分な態度であるけれど。仕事ができるなら年はどうでもいいや、田嶋はタバコに手を伸ばしかけ、今度こそ夢野に軽蔑の視線を向けられた。
 「……いやあ、でも静さんとこのじゃじゃ馬がねえ。……んん?あっこりゃすみませんね」
 「構いませんよ。あれは少しやんちゃが過ぎる」
 静はいつもの静であった。表情は分からないがどうせいつもの聖人顔だろう。車内は一点の光もない暗闇に満たされていた。闇慣れた彼らにも、せめて音が必要だ。
 ……日の出が近いのか、田嶋の耳は鳥の鳴き声を拾った。幾重にも結界が張られた山小屋からは、相変わらず生き物の鼓動さえ聞き取ることができない。
 「何か変わったことがあれば、言ってくださいね」
 静がこちらを見ている。男の輪郭だけ、田嶋を振り返っているのがわかった。
 「……はいよ。もちろん、大将」
 「はは。俺みたいな若造にそれはないでしょう。……そろそろ出ますか。明るくなってきましたからね」

 「秀樹君は車内で待機。無線で指示をするから、合図と同時に結界を解いてくれ。田嶋さんと端さんは俺についてきて下さい。出てきたところを迎え撃ちます」
 ことは万事順調に思われた。俺たちはそれぞれ得物を持って山小屋の入り口に控え、その時を待った。相手は神のなりそこないか、半分混ざった大妖だ。並より幾分体格がいいとはいえ、自分達二人で相手取れるかどうか。
 「……大丈夫ですよ」隣で静が呟く。
 あんたがいりゃあ、そりゃそうだろうよ。言いかけた口を流石に塞ぎ、田嶋は曖昧な笑みで頷いた。この男は一人でだってかすり傷一つ負うことなくやり遂げるだろう。自分達が呼ばれたのは現場の証人にさせるためだ。端だって薄々気付いているに違いない。これだけ周到に始末される相手が哀れですらあった。
 「気に食わないねえ」
 「?……何か?」
 「いやあ何でも。……それよりほら」
 山のへりに日の輪がかかる。静が無線を手に取り、山小屋の封は破られる。

 「………………んん?」
 「……あっ、……ああ~これは」
 結界を解かれて僅か三秒。薄い木戸など差し貫いて、それはもう濃い情事の水音、というか派手な喘ぎが聞こえてきた。先陣を切った静が沈黙しているのが恐ろしい。目にも止まらぬ勢いで引き戸の鍵を外し、彼は山小屋の中を暴いた。一歩後ろに控えた田嶋と端の横を蝶番が弾け飛ぶ。
 わかりやすく烏賊臭い空気が広がってきた。甘えたような声がはっきり聞こえてきて、田嶋は頬を引き攣らせた。
 あっやばい。これ契っちゃってるよ。
 「……ぁっあっ♡ん♡……っと、もっとぉ、べろすってぇ……♡」
 静の肩越しに見えたのは、胡座をかいた猿の化生に抱きすがって喘ぐ美青年の姿だ。田嶋が総本山で見かけたときより成長しているが、紛れもなく静の弟、幡である。大学生だと聞いたが相変わらず背は伸びなかったらしい。儀式のテイを整えるため仕方なく誂えさせたという白無垢は、ところどころ破り裂かれて白く上気した肌が見える。糞生意気な面はすっかり蕩けきり、対面座位で魔猿の頭を抱え込んでいた。こちらに気づかず夢中で腰を揺すっているのが生々しい。隣の端とこれ入ってるね、だよね、と目配せし合う。
 田嶋は錫杖を抱え直した。怪童幡がとられる程の怪異を、目の前の男が抑え込めるか一抹の不安が過ぎったからである。
 「うぇっ」
 静の、決して逞しくはない背中越しに何か鋭利な投げ物が放たれた。影が激しくうねり、瞬きの合間に猿を小屋の壁へと縫い止める。標的の腕から青年が床へと崩れ落ちた。大きな怪我はないらしい。
 田嶋は魔猿を貫いた投げやりの形状が自分の得物に似ていることに気がついた。……手元の錫杖がない。
 「ひゃっひゃっひゃっひゃ!!!怖い顔だなあお義兄様ッ!!」
 「……なにをしている」
 「何って、ナニに決まっておるよなぁあ……!!なぁにが逃してやるだ、思い上がりおって!儂は全て手に入れるぞ!!こうしてお前の弟を手に入れた今!!再び土地に巣食い愚民をまとめ上げ、また千年を生きることなど造作もないわッ!!まずはお前だ小僧ッ!!」
 肩に食い込んだ杖を抜き、獣が静に踊りかかろうとした時だ。ぼんやりと床で伸びていた白い生き物が、動いた。
 「…………ああ?……おっ、な、なんだ、どうしたっ!?」
 魔猿の上体が後ろに傾いだ。紐で引っ張られるように、ずるずると後退してそれへと行き着く。影だ。繋がったそれに引き摺られて、どすんと尻餅をついた緋猿の膝に艶かしい白が取り付いた。
 「なぁ、終わり……?つづき、しよう」
 ぞっとするほど艶がかった声で幡がねだる。目の色で完全に正気を失っているのがわかった。青年は夢見心地で猿の股ぐらへ頭を埋める。止める暇も手段もなかった。静の背中で肝心な場所は見えないが、起こっていることは想像に難くない。
 「……あぇ、たたない……なんで?なんでぇ」
 「あー、少し下がっておれ。お前の兄と話がある故な」
 「ん、兄、き………………。」
 幡の瞳に光が戻った。顔色が一気に土気色へと濁る。幡は初め茫洋と辺りを見回した。兄と、自分を抱える魔猿、それから背後に控える自分達を、順繰りに見た。そして肌蹴けて大変な様子になっている己の首から下を二回見下ろし、いよいよ顔色を失っていく。
 幡の意識を完全に掌握したつもりであったらしい化生が瞠目する。
 「……え、えっ!?なん、なにっ!!お前なっ、何してっ……うわああ!!」
 「おい落ち着け!!いだだだだ!!」
 「うるさい糞猿!!あ、兄貴、ちがっ……その……!!」
 馬乗りになって猿を殴る青年は涙目で弁解しているがもう遅い。田嶋は絶句する依頼主の肩を叩き、惨状に口籠る端に目配せをした。
 「……あー、静さん。俺たち車戻った方が……。」
 「ええ……はい、そうしてもらった方が……いいですね。どうにか剥がせないか試してみます……」
 「気を落とさずに。紋の確認には戻ってきますんで」

 それから小一時間ほど、山小屋の中からくぐもった悲鳴やら許しを乞う泣き言が響いていた。幾分騒がしくなくなった頃、静が肩で息をしながら車まで戻ってきた。無線を使えばいいのにと声をかけるのも憚られる。
 「……はーっ……。はっ……」
 「よ、良かったらどうぞ」
 端の差し出したペットボトルを受け取り、一息に飲み干す様を夢野が呆然と見ている。あの鉄仮面が冷や汗をかいているのだ。張り付いた笑顔さえ今はなく、整った顔には濃い影が落ちている。田嶋はその姿を目に焼き付けながら問うた。いずれにしろ本山に報告を入れねばならない。どうしますか。光のない瞳が田嶋を見つめ、やがて視線を床に落として下唇を噛む。
 「………………………………紋の確認を」

 果たして長い朝が明けた。田嶋は依頼の報酬金を受け取り、同業者を誘って麓のチェーン店でモーニングを食べた。誰かに飯を奢ったのは人生で初めてかもしれない。夢野と端とは、それきり会う機会が得られていない。
 その後風の便りに、静の寺に弟が出戻ったと耳にした。聖人君子のようなあの男はどんな顔で弟についた虫を迎えたのだろう。しかし田嶋は、そういう静の方が好ましく思えるのだった。
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