さるのゆめ

トマトふぁ之助

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嬉し舞

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 桜が吹雪いて視界を覆う。緋猿は瞬きの郷愁から揺り起こされた。
 吾作の舞は記憶のそれより鮮やかである。重力を感じさせない足取り、風に煽られる袖まで寸分違わず一座伝統の豊穣舞だ。縁側から庭へと降りかけたとき、派手に咳き込む音がした。影を手繰られて緋猿は池より先へ、吾作のところへ行かれない。
 「が、げえぇっほ!!ごっ!げぶ」
 『はなせ小童!!』
 「行くな!何のために吸ってやったと思ってる!!ヴ、ぇァえ~っ……!!」
 幡から吐き戻された吐瀉物はへどろのように黒い澱だった。ところどころ毛髪が混じり、月光を受けて重油の如く禍々しい光を放つ。
 (「吸ってやった」?この餓鬼が?)
 穢疽の塊に慄く緋猿ではなかったが、いざ己の毒が漉し出されたものを見ると少し威勢を削がれる。
 「ウェエッ!!ざけんなよ、ようやく一人浄化できたんだぞ!!」
 『な、ぁ……』
 「穢れの元凶が近寄ってみろ!!俺の苦労がおじゃんになるだろうが!!」
 ゲロに塗れながら激昂する幡に気圧されて立ち止まると、ちょうど池の水面に獣面が映し出されていた。一歩後ろへ下がる。どす、どすと後ろへ退いて、影人形は力なく尻餅をついた。
 巨大な猿鬼のかたちはともかく、率直に言って己の姿は汚らしかった。まるで泥を被ったようだ。青年の影人形と化した今、よりはっきりと纏わりつく穢れが辺りを汚染しているのがわかる。……はて、こうなる以前、自分の顔はどんなものであっただろうか。
 ぎゃんぎゃん吠える小僧の傍に影ごとひっぱり上げられる。
 「汚すな!!」
 『ぐ、』
 「座れっ!!」
 つととん、つととん、かんかんかんと庭から小気味よい楽が聞こえてきた。幡がえずいてはたらいに吐いている。緋猿はただ、呆然と、かつての仲間が舞う姿を見守ることしかできなかった。純粋に豊作を祈ったかつての春が再演されている。
 曲が終わりに近づくと緋猿は目に見えて狼狽しだした。あと三節で、吾作が消えてしまうという不安が津波のように襲い掛かる。
 『吾作!』
 拍子木が打ち鳴らされた。吾作が高く遠く跳び上がる。一段と激しい風が通り抜けたあとに残るものは何もない。桜は花びら一枚とて残っていなかったし、吾作はというと夢のように消えていた。しかし緋猿は見た。終いの拍子木が響き渡ったとき、鬼面が外れて見えた顔は、元の穏やかな知己のそれであった。

 「ヴええ~ッ!!オエッェ…………、げぇえエ!!あ、あ゛と、なんにん……」
 『んん、そうさな、今五人目だからあと四十三人だが……』
 引き攣った表情のまま緋猿は答えた。その後吾作に留まらず、次々緋猿の眷属がかつての姿で現れては、舞踊り終えて消えていった。この状況について仔細聞き出したくとも幡当人はそれどころではない。
 「ンぐゥゔッ!!クソ!ぅええええきぼちわりぃい……」
 緋猿の横でのたうつ彼はたらいから顔をあげることができない。摂取した食事量より明らかに量の増したゲロを吐き続けている。暗黒色の吐瀉物は呪詛穢疽の塊だ。青年は全身から脂汗を流して痙攣を繰り返した。
 「っは、はぁっ……。くぉ、おっ……!ま、混じりもん多すぎ……キメラかよ……。おい、ボケっとしてんな!」
 『グァア!!引っ張るな!!今度は何だ!!』
 「膝に拾え」
 『はァ!?熱で狂ったか』
 「うるせ~なぁ、浄化で体力おっつかねえんだよ!お前そこらへんの林からエネルギー吸えるだろうが、皮膚から直に流し込め!!丁寧に扱えよ!!落としたらぶっ殺すからな」
 本当に態度のでかい奴だと憤慨しながらも、緋猿は膝に青年を抱き入れた。ぐったり胸に頭をもたれ、小さなヒトの体からいささかばかり力が抜ける。消耗は見た目より激しいようだ。肉づきの悪い体は節々熱を持っている。不健康そうな白い肌などますます青褪め、脂汗で滑っていた。
 鼓笛の音を聞きながら、言われた通りに意識を集中させる。力を行使できる範囲は狭い。吸い上げる力も弱まっていた。かろうじて離れの周りに生えている竹林に対象を絞り、吸い上げた生命力を抱え込んだ青年に注いでいく。
 「ん、く……ぁ、ぅう……」
 見る間に青年の呼吸音がましになった。よほど苦しかったと見えて、幼子のように体を密着させて自ら抱っこの姿勢をとる。肩から緊張が抜け、眉間によっていた皺も幾分薄くなった。
 「……んだよ、こっちのが楽なんだよ……」
 『別に何も言ってはおらんが』
 「うるせえ!おら、次が始まるぞ。ちゃんと見ろ」
 『……。』
 庭に視線を戻すと、何とも美しい薄桃の嵐の中に今度はまきが現れた。魔猿の影は言葉を飲み、食い入るように舞を見つめる。
 「あの人、まきっていうんか」
 『…………なんで知ってる』
 「教えてもらった。動物んとこと、人の部分を分けるとき。……いー女」
 身を預けた小僧が知ったように呟く。
 『……そうだな。まきは、いい笛吹きだった』
 優しい大らかな女だった。器量もいいが腕も一級品。気のいい彼女が、あてがった生贄を孕ませた挙句食い殺しかけたとき、そして蘇らせた夫の顔に反応しなくなったときに、緋猿は間違いを認めるべきだった。きれいだなあ。膝の上で抱かれた幡がこぼす。
 『綺麗か。儂らの舞は』
 「あー?……綺麗だよ。俺の趣味に比べるとちっと退屈だけど、やっぱプロは違うな」
 『ぷろ?』
 「それで食ってく人たちのこと。いーなぁ、俺もバンドで食えたらなァ」
 幡の瞳の輝きに嘘は感じられなかった。芯の通った笛の音が空気を揺らす。まきもまた、迷いのない演奏の後、桜に撒かれて消えていく。

 十人の楽師衆を見送ったところで幡が激しく吐いた。一旦休むと布団に戻し、目元に濡れ布巾をかけてやると、弱々しい呼吸で緋猿へ話しかける。
 「わかってると思うけど……これが最後だ。あんたが、あの人たちの、顔をみられるの」
 『…………あいつらは、何処へいくんだ』
 「あったかいほう。天国っぽいとこ。……俺は地獄しか見たことねえから、よく知らねえけどさ」
 『…………。』
 地獄を見たと豪語する幡の言葉に不自然な力みは感じられなかった。比喩でもなく、この得体の知れない青年は行き着く先を知っている。
 ———不意に空恐ろしい気分に駆られた。かつての仲間の姿とゲロを吐くこいつに惑わされて冷静じゃなかったが、緋猿の眷属は今祓われている真っ最中なのだ。本体は窮屈極まりない小童の影に収められ、四十八人の眷属は端から解体されかけている。
 (今ならまだ間に合う)
 この子供を害せばこれの兄が出張ってくる。だが緋猿には、その方が救いがあるように思われた。少なくとも浄化作業は中断される。仲間と切り分けられてしまう事態は回避できるのだ。まだ三十八人残っている。影の中で、変わり果てた仲間と共に終わることができる。
 ……間違っているとはわかっていた。それでは心中と変わらない。しかし千年求め続けた彼らを諦めることは、緋猿の存在意義を失うことと同義であった。手放すには時間が経ちすぎた。重ねた汚毒が怪異の判断を狂わせる。
 幡は手拭いで目を覆われたままだ。離れに静が駆けつけるまで二分はかかるだろう、今なら容易に隙をつける……。
 毛むくじゃらの猿手が、細い首に伸びる。
 「お前らが何でそうなったのか、俺には事情はわかんねえし、知ったところでどうもできねえよ。お前の地獄行きも止められない。こんだけ穢れを溜め込んだんだ、何人殺したかも覚えてないんだろ」
 『……ああ。その通りだ』
 緋猿は到底赦されない。あたたかな天国へは、行かれない。鋭い爪が血色の悪い皮膚へかかる。
 「でも、また会えるよ」
 間があった。首の皮に触れかけたその手を止めて、怪異はゆっくり瞬きをする。
 『……は、……嘘こけ』
 「嘘じゃねえよ。あんたが死なないで化け物続けりゃいいんだ。そうすりゃ生まれ変わったあの人たちに、会いに行ける」
 それこそ何度だって。小僧はいう。何でもないことのように。……緋猿は丸太のような腕を竦ませ、やがてゆっくりと伸ばした爪さえ収める他になかった。
 「貸し四十八な」
 青年は無防備に寝返りをうち、太々しい声音で水さしを要求した。
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