さるのゆめ

トマトふぁ之助

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旱の仔

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 程なくして緋猿の封じられた目玉は持ち主の眼窩に戻された。常に静が見張っているため目玉だけで逃亡することもできず、小僧の穢毒を散らす作業に専念するしかない。耐え難い屈辱の日々が魔猿を待ち受けていた。
 今日も今日とて寝床に伏せった弟へ、得体の知れない坊主が飽きもせず話しかけている。逃げ出したくてもこれの影がその度蠢いて脅すので、緋猿は青年の目玉にじっと根を張って辛抱を強いられていた。
 「集中しろ。穢れを散らし続けなければ死ぬぞ」
 「ゔぅ~っ……!!あにき、み、みず……」
 「なんて奴だ、もう喋れるのか?……飲みなさい。ゆっくりな……咽せるなよ、緊張が解けると本当に危ない」
 「はーっ、ふ、うぅ……。あにき、……あいつは……」
 「秋斗君なら見つかったよ。他の行方不明者たちも一緒だ。少し衰弱してるが大丈夫、今は市内の病院にいる……。それよりも幡。気を散らすなと言っているだろうに」
 青年は確かに弱りきっていて、ぎりぎりと歯軋りをしながら一日寝込んでいる。汗を大量にかくので一時間ごとに体を拭いてやらねばならない。飯はまともに食えず便所に立つのもやっとの有様だった。寺の本堂から距離を置いた離れの一棟に、青年幡は寝かされていた。
 『なアもういいだろ、帰らせてくれ』
 「駄目です。弟の容体が落ち着いていない」
 『治ったらいいのか?治したら帰してくれるか?』
 「……いいえ。貴方は人を殺めすぎた。弟の身体から出る時は貴方が消える時だ。それにもう、体が馴染んできた頃でしょう。おいそれと切り離すことはできなくなっている」
 恐ろしいことに静の言う通りになった。肉の器に押し固められる窮屈さは日毎になくなっていく。寝込んでいる子供の精神と緋猿の境目は僅かに溶け、癒合していった。
 静の監視のもと一ヶ月も経つと、宿主に寄生する蟲のように、緋猿は幡の目玉から神経へ伝って踵まで降りることができるようになっていた。踵に降れば影へと抜けられる。形に縛られないだけ、影を間借りできるようになってからは楽になった。不本意ではあったが時折節々に溜まった穢毒を散らしつつ、日々の不自由に頭を掻きむしって思案する。
 (念力が使えん、何より俺が呼んで誰も来ない……土地のせいか、依代のせいか……?)
 緋猿の眷属は四十八体いるが、その内の誰も呼び声に応えない。気配だけは近くに感じるのだが、眠っているように静かだ。おかしい。贄を焚べなければ徐々に形すら保てなくなっていた仲間たちの気配が、今はただ波を打ったように穏やかであった。
 「妙なことは考えないように」
 袈裟姿の坊主が何度となく聞いた台詞を唱える。いつも見ているぞと暗に脅しているのだ。
 相変わらず元の力は戻らない。有形の影人形として日々看病の手伝いをさせられ、無情にも時間だけが流れていく。

 「……い。ゲホ、げっほ……おい!!」
 ある晩のことである。相変わらず不遜な目つきがこちらを見上げていた。猿型の影と化した緋猿は胡乱げに宿主のもとへと戻る。湿気った寝巻きを着替えさせる気だろうか。
 『なんだァお坊ちゃん?お着替えか。また便所かね、それともたらいか?』
 「カス猿……。あれみろ」
 『ったくでけえ態度だ。早くくたばっちゃくれんか』
 「いいから!見ろって」
 判然としない訴えに苛立ってひかれた袖をはらう。重たそうに持ち上げられた幡の腕が、辛うじて何かを指し示した。
 『なぁにを頓痴気、な、……』
 離れの一室からは中庭が見える。縁側の窓を開け放すと小さな池を挟んで向こう側に大きな松の枝振りが伺えた。鳥が囀る声が嫌にはっきりと聞こえる。

 夜半の月が苔に彩られた庭を照らす中、玉砂利の上を足音もなく一人の男が立っていた。

 『…………ご。吾作』
 鬼の面をつけた男が、とんとん池の向こうで舞い始める。
 名を呼んでも返事はない。独楽よろしく軽快な動きで、跳ね回っては陽気に踊る。夏の終わりというのに、薄桃の筏が池に浮いていた。桜などこの屋敷の庭には植えられていないというのに。
 月光の照らす明るい夜であった。ここは寺の敷地内に位置する離れであり、さらに周りには竹林が広がっている。近隣の民家とてみな寝静まった夜中でであるからざわざわと喧騒が聞こえるのは可笑しい。透き通った闇と桜吹雪。弦の荒く爪弾かれる音。蝶の如くに舞うかつての同志。何もかも滑稽で、奇跡のような幻だった。
 『あ、あ、あああ……っ!!』

 ———稲穂の揺れる黄金が眩しい。
 興行生活が大半を占める人生であった。歩ける場所なら何処へでも渡った。貴族お抱えの楽師をしていた爺様に拾われ鍛えられ、面を戴いた後は貧しくとも実りのある日々を送った。嗚呼、雪が溶け水満ちる春!長雨に苦しめられる村々を回っては舞踊でもって陽光を乞い、刈り入れの秋には旅路を戻って収穫を祝う……自分達は、かつてそういうものだった。

 ×××が長の座に就いた頃、世の中はそれは酷いものになっていた。平けく安息を貪るのは囲いのうちに住まう貴族ばかり。そこいら中で飢饉が起きて人はばたばたと倒れていった。興行どころではないというところまできた折、一座の人数は二十を上回る。
 仕方ねえやな、親方は孤児だろうが端から拾っちまうもの。吾作はそう言って笑うが食うものが無い。戦は激しくなり、農地を捨てて村民が逃げ出す村さえ出てきていた。烏帽子を被った貴族たちは門戸を閉めきり外界との接触を拒んで久しい。仕事がなく食えない以上、彼らが定住先を求めるのも当然の話であった。
 かつて回った村を巡った。どこも受け入れてなどくれなかった。居場所がない。いよいよ食い詰め、仕方がないので山賊の真似事をした。山道を通る奴らはどいつもこいつも戦乱を逃げ延びた棄民ばかりで、身包み剥ぐどころか食い扶持を増やす結果となった。獣を狩り、僅かな山の幸を食べ、それも無くなれば木の皮を食ってその日を繋いだ。五年ばかり山で暮らすと、麓の村から「さる」と揶揄されるようになる。
 貧しく厳しい毎日だったけれど生活には身に染みついた芸があり、地獄というほどで苦でもない。
 はやく戦が終わればいい。そうしたらまた旅に出られる、馴染みの顔も見に行ける。そんなことも言っていただろうか。なんと呑気なことであろう、その馴染みに食われてしまうとも知らないで———。

 戦が終わったらどうなるか、新たな戦が始まるだけであって、結局かつての暮らしは戻ってこない。麓の村は飢饉で大勢死んだらしい。土地を統べる領主様もすげ替わったそうだが、それは捕らえられるまで預かり知らぬことだった。
 山狩りであっさりと仲間たちは捕縛された。×××はいなかった。一人興行の仕事を探しに山を降りていたのだ。もぬけの空の山家を出てすぐ捕らえられ、後を追うように領主の屋敷までの道を引き廻された。山狩りの理由は拠点を構えながら年貢を納めなかったこと、徴兵に応じなかったこと。屋敷に連行された奴らだけでも見逃してくれるよう必死に頭を下げた。この時は×××はまだ、新しい領主のもとで仕事をもらえる淡い期待さえ抱いていた。
 『お役人さま、後生です、あの山でどうして畑が耕せましょう。兵を集めに来る者もありませんでした、ええ、儂らは只の楽師です故……!ここで舞踊をさせて下さい、芸事なら我らの右に出る一座はございません!!何卒、何卒……!!』
 馬鹿だった。戦ばかりしている本物の猿に音曲の価値がわかろう筈もない。奴らは新しい領土で示威行為を行いたかっただけなのだ。男がいた、女がいた、夫婦があって童もいた。残らず捌いて鍋にしたと聞いたときの無音が耳にへばりついて離れない。楽師衆の存在を密告した村には褒美として炊き出しが行われたそうだ。槍を持った兵士の冷えた瞳が嘲笑う。
 さるの肉だと言ったらの、あいつら骨までしゃぶっておったぞ。
 にんげんだったころの記憶は、ここで、おしまい。
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