さるのゆめ

トマトふぁ之助

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うすやみに

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 列を成す白に目を瞬かせると、闇間に浮かぶ提灯が見えた。さらに二度暗転を挟み、焦点が合ってくると、それらは囲み込んでこちらを凝視する目の玉の群れだとわかる。
 「……っむー!!ン゛ぐゥウッ!?」
 麻布の猿轡をかまされた青年は後ろへと後ずさろうとした。巨大な影の群れに取り囲まれて辺りがよく見えない。着ていた化繊の布地とは違う感触に体を見ると、身に覚えのない着物に着替えさせられていた。後ろ手に縛られ足首も纏め上げられている。芋虫のようにつくばいながら必死で後退すると、どす、と後頭部が毛深いものにぶつかった。
 「……!!」
 ぶああと頭上から煙管の煙を浴びせかけられ、幡は咽せながらも其の正体を見た。
 『それ』は緋色の魔猿だった。幡を囲んでいる取り巻きの猿たちも二メートル越えの巨躯ばかりだが、こいつはさらに一回り大きい。それにしてもひどい臭いだ。血腥い瘴気にえずいてしまう。大広間から一段高い場所に設けられた茣蓙に胡座をかき、緋猿は後ろにのけぞった幡を見下ろしていた。臭いの元凶はこの猿だった。
 (い、一体どころじゃない……)
 囲まれている。体から血の気が引いた。ギィギィと周囲の猿たちが騒ぎ立てている。
 広間には大勢の猿が屯していた。首魁の緋猿を囲むのは五匹だけだが、取り巻きごしに列を作る無数の猿たちが確認できる。両手の指を使っても足りないほどのむくつけき化け物たちがこの広間へと集結しているのだ。
 「ギキッ!!」
 「……ッ!」
 赤毛のボス猿に傅いていたうちの一匹が、幡に見せつけるように何かを床へ落とした。兄の静に持たされた清めの札、守りの香袋だった。いずれも妖魔に気配を悟られないための道具であったが、猿に支配された人間にまで効力はなかったとみえる。
 「へえ、そんなわけで、本殿に連れて参りました。お邪魔でしたら処分致しますが……。へえ、へえ。それでは下がらせていただきやす」
 板間に額付いて猿たちに物申しているのは白い儀式用の装束を着た男がふたりだ。こいつらに捕らえられ、ここへ連れてこられたのだろう。面頬をつけた男たちはすぐに後ろへ下がり、衛士の真似事でもするかの如く舞台の入り口へと腰を下ろす。
 祠で犯される友人に気を取られている間に後ろから殴られて気を失ったことを思い出し、打たれた頭がひどく痛んだ。
 男たちを睨みつけていると、背後からぐつぐつ不気味な音がする。
 「んぐ、ぐぅう!!」
 「……活きがいい」
 縄に縛られた身をよじるのも忘れて青年は動くことをやめた。今、こいつ、口を聞いたか?
 赤毛の猿は禍々しげな嘲り笑いで幡の顔を覗き込んだ。煙管をひと吸い、煙を味わい、舞台より一段下でつくばう生贄を爪先で弄ぶ。そしてはっきりと人語をしゃべった。
 「これぁいいものだ。そこかしら金具がついている上に貧相だが、矢鱈うまそうながきだ……んん。童、貴様そんななりをして坊主か?尚更いい、臓物まで美味い」
 絶句する他なかった。本当に今までにないタイプの異形だ。人喰いの猿。自分も十八だ。片言で犠牲者の言葉を真似る妖怪は何度か相手をした経験があるが、奴らは会話をできるだけの知性が既になかった。土地神の接待をしたこともある。しかしこれも言葉を交わすなど畏れ多い存在であったし、何より一定より格上の神仏は下界の言葉など使わないものだ。
 悪さをすれば穢れがつく。穢れが溜まればあらゆるものが損なわれていく。……幾百年人殺しを重ねて未だこれだけの知性を保っているなどと、誰が考えられようか。
 するすると轡が解かれる。鋭い猿鬼の爪が青年の輪郭を撫ぜた。片膝を立て胡座をかいた巨体が、行灯の灯りを背に幡を見据える。
 「名を寄越せ」
 「ぁ……、ぐ、ぁ、んッ……!!ば、ばん!幡だ!!」
 舌が勝手に動いていた。叫びを上げた幡は焦って口を閉じるがもう遅い。名乗った瞬間、体が鉛のように重くなった。
 「く、くそっ!!何で……!!」
 「まだ喋れるのか。真名ではないな」
 「てめえっ!はなせ、はなしやがれ!!」
 「……本当に活きがいい。これは久々の上玉だぞ……連れてきた者に褒美を取らせねば。おい!」
 緋猿の声に、取り巻きの五匹が先ほどの男たちを連れてきた。引き上げた獲物をとらえた膝に縫いとめたまま、跪く二人の前へ朱塗りの大盃を用意させる。
 「よい。赦す」
 何をさせるつもりだと叫ぶ暇は無かった。言葉に命じられた二人は、ごくごく自然に腰に差した短刀で以て自らの首を裂いた。痛覚などないかのように、だけども時折呻きをあげてぞぶぞぶと血の管を切り離していく。頽れそうになる身体は周りの猿が支えた。
 「な、ぁ……っ!!なっ、何してんだよォ!!し、死っ……!?」
 「誉を与えた」
 首から垂れる血は盃に蓄められていく。飛沫を上げた体液の大半は辺りの板間や欄干を濡らしたが、周りの猿どもが群れて舐めとるのですぐに湿った唾液染みへと変わる。
 「ああこれ、そんなものを舐めるな。こっちを飲め。皆に行き渡るよう酒に足すといい。……そろそろ、始めるとしよう」
 四方に吹き放された神楽殿。無間に続く舞台に座して猿が哭く。
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