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おさるさま
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「帰ったか。何か収穫は」
「……ねえよ……!何もねえ、辺り一面田んぼと山だ!!」
寺の境内に戻ってきた弟は荒れていた。無理もないことだ。弟の幼馴染が姿を眩ましてから三日経つ。
米原秋斗は某県の無人駅で僅かな荷物を残して失踪した。彼のアパートも、通っている大学も、実家にさえ帰っていない。同級生の危機に弟の幡は殺気だっていた。山中を探し回ったらしく、ジャージの裾に土埃がついている。
「どうしろってんだ!!あのバカ、だからすぐ帰れって言ったのに。……兄貴は?なんかわかったのか」
お堂へ上がってきた弟を机の対岸へ座らせ、静は机上に広げた地図を指し示した。発見された秋斗のリュックサックに入っていたものだ。
「これを見てくれ。古いものだが、おそらく地図を印刷したものだろう。所々赤字でマークされているが、秋斗君は大学で何の研究をしていたんだ?」
「ああ?……確か、民間伝承について調べてたな。論文の材料集めにどっかの山奥の廃村に通ってた」
「現代の地理と照らし合わせてみたんだ。それは多分この辺りだったんじゃないかな」
静の指が、対比させるように並べられた市販の地図帳を示した。等高線の年輪を横切って指先がある小さな山の名前で止まる。
「……そうだった、と思う。やっすい民泊に泊まり込んで山ん中通ったって、あいつ言ってた……」
リュックに残された財布にも、その地名が入ったコンビニのレシートが何枚か入っていた。静の糸目が弟を見る。
「ひとつ、伝承がある」
猿にまつわる話だった。
昔々、そこは痩せた土地だった。雨ばかり降る湿気った土は常にぬかるんで、日が照る時間も僅かばかり。作物は多く根が腐り育たない。人々はいつも飢えていた。
緑が育たないので、人は何でも口にした。
土を食った。虫を呑んだ。とりわけご馳走といえば獣であった。
山の中にいる鳥獣は狩り尽くされ、最後に村人は猿の群れに食指を伸ばす。
「この猿の群れなんだがね。個体数が嫌に具体的に伝わっている」
古びて虫食いのみられる資料を捲り、住職の低い声が読み上げる。
「あじのよきさる、四十八にん。その肉、骨、目玉に至るまで、無駄なく喰らいて祀りたり」
「あ?……変じゃねぇ。数え方」
まるで……人の数え方だ。静も思案するように首を傾げた。
「俺もそう思う。おそらくこの土地の者が食べたのは、猿ではない。曾々爺様の記録によれば祭壇、いや、本来の供養塚には衣服が結ばれていたそうだ。……猿は服を着ないだろ」
「…………。」
「山に元々住んでいた一族と争ったか、山賊の住処を襲ったか。ともかく村人は総計四十八人を殺して食った。飢えで人が同族を食う事例は山とあるが、この場合は後処理が不味い。遺骸を捨て置くでもなく、供養するでなく、こともあろうに祀り上げてしまった」
ふと幡は思い描いた。飢えに任せて麓の村人が殺しにくる。遺体は喰らわれ、死後自らの死は法螺話で飾り立てられた。悔いて弔ってくれるならまだいい。恨みが消えればいくべき所へ行くことができる。だが、種族さえ偽ったまま神として祀られてしまったら。
幡は口元に手を当てた。
「…………変質したんだ」
「別の何かに変わった可能性が高い。津々浦々行脚して言い伝えをまとめた曾々爺様も、この土地からはすぐ離れたそうだ。あの世の者ならともかく、この話の根は生きている人間たちだから」
……言い伝えはこう続いた。
すべてのひとは満たされた。
田畑は栄える。むらは子宝に恵まれた。
日が照り始めた。沼地は乾き病が消える。
日が照り続けた。稲穂が実りて蔵から溢れ。
日が、日が、天照らす、その白円が。
「一年を通して小雨の止まぬ土地が十数年かけて枯れた。水利権を巡って住人たちは争い、殺し合いが勃発したそうだ。不思議なことに飲む水さえ不足した乾地でも米だけは育ち、村は作物を外へと輸出することで外貨を稼ぐことができた。村は潤ったが水の奪い合いでせっかく増えた人口も減った。徐々に収穫した米の多寡で住人たちは争い、豊かであっても荒んだ土地になっていたそうだよ。……四十八もの『さる』を食べた村人のその後は描かれていないが、ろくなことにはなっていないだろう」
開け放たれた本堂の中へと、不意に生臭い風が吹き込んできた。ぉおうおうと遠くで遠吠えに似た風音が響く。
「禊を終えた秋斗君がなぜ匂いも消えぬうちに拐かされたと思う」
「…………」
「相手は妖怪などではない。……祟り神だ」
「……ねえよ……!何もねえ、辺り一面田んぼと山だ!!」
寺の境内に戻ってきた弟は荒れていた。無理もないことだ。弟の幼馴染が姿を眩ましてから三日経つ。
米原秋斗は某県の無人駅で僅かな荷物を残して失踪した。彼のアパートも、通っている大学も、実家にさえ帰っていない。同級生の危機に弟の幡は殺気だっていた。山中を探し回ったらしく、ジャージの裾に土埃がついている。
「どうしろってんだ!!あのバカ、だからすぐ帰れって言ったのに。……兄貴は?なんかわかったのか」
お堂へ上がってきた弟を机の対岸へ座らせ、静は机上に広げた地図を指し示した。発見された秋斗のリュックサックに入っていたものだ。
「これを見てくれ。古いものだが、おそらく地図を印刷したものだろう。所々赤字でマークされているが、秋斗君は大学で何の研究をしていたんだ?」
「ああ?……確か、民間伝承について調べてたな。論文の材料集めにどっかの山奥の廃村に通ってた」
「現代の地理と照らし合わせてみたんだ。それは多分この辺りだったんじゃないかな」
静の指が、対比させるように並べられた市販の地図帳を示した。等高線の年輪を横切って指先がある小さな山の名前で止まる。
「……そうだった、と思う。やっすい民泊に泊まり込んで山ん中通ったって、あいつ言ってた……」
リュックに残された財布にも、その地名が入ったコンビニのレシートが何枚か入っていた。静の糸目が弟を見る。
「ひとつ、伝承がある」
猿にまつわる話だった。
昔々、そこは痩せた土地だった。雨ばかり降る湿気った土は常にぬかるんで、日が照る時間も僅かばかり。作物は多く根が腐り育たない。人々はいつも飢えていた。
緑が育たないので、人は何でも口にした。
土を食った。虫を呑んだ。とりわけご馳走といえば獣であった。
山の中にいる鳥獣は狩り尽くされ、最後に村人は猿の群れに食指を伸ばす。
「この猿の群れなんだがね。個体数が嫌に具体的に伝わっている」
古びて虫食いのみられる資料を捲り、住職の低い声が読み上げる。
「あじのよきさる、四十八にん。その肉、骨、目玉に至るまで、無駄なく喰らいて祀りたり」
「あ?……変じゃねぇ。数え方」
まるで……人の数え方だ。静も思案するように首を傾げた。
「俺もそう思う。おそらくこの土地の者が食べたのは、猿ではない。曾々爺様の記録によれば祭壇、いや、本来の供養塚には衣服が結ばれていたそうだ。……猿は服を着ないだろ」
「…………。」
「山に元々住んでいた一族と争ったか、山賊の住処を襲ったか。ともかく村人は総計四十八人を殺して食った。飢えで人が同族を食う事例は山とあるが、この場合は後処理が不味い。遺骸を捨て置くでもなく、供養するでなく、こともあろうに祀り上げてしまった」
ふと幡は思い描いた。飢えに任せて麓の村人が殺しにくる。遺体は喰らわれ、死後自らの死は法螺話で飾り立てられた。悔いて弔ってくれるならまだいい。恨みが消えればいくべき所へ行くことができる。だが、種族さえ偽ったまま神として祀られてしまったら。
幡は口元に手を当てた。
「…………変質したんだ」
「別の何かに変わった可能性が高い。津々浦々行脚して言い伝えをまとめた曾々爺様も、この土地からはすぐ離れたそうだ。あの世の者ならともかく、この話の根は生きている人間たちだから」
……言い伝えはこう続いた。
すべてのひとは満たされた。
田畑は栄える。むらは子宝に恵まれた。
日が照り始めた。沼地は乾き病が消える。
日が照り続けた。稲穂が実りて蔵から溢れ。
日が、日が、天照らす、その白円が。
「一年を通して小雨の止まぬ土地が十数年かけて枯れた。水利権を巡って住人たちは争い、殺し合いが勃発したそうだ。不思議なことに飲む水さえ不足した乾地でも米だけは育ち、村は作物を外へと輸出することで外貨を稼ぐことができた。村は潤ったが水の奪い合いでせっかく増えた人口も減った。徐々に収穫した米の多寡で住人たちは争い、豊かであっても荒んだ土地になっていたそうだよ。……四十八もの『さる』を食べた村人のその後は描かれていないが、ろくなことにはなっていないだろう」
開け放たれた本堂の中へと、不意に生臭い風が吹き込んできた。ぉおうおうと遠くで遠吠えに似た風音が響く。
「禊を終えた秋斗君がなぜ匂いも消えぬうちに拐かされたと思う」
「…………」
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