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第一章 黄金の夜明け
第26話 前哨戦
しおりを挟む豪華絢爛。
ノイシュヴァンシュタイン城を思わせる美しい城はその面影を辛うじて残しつつも、無惨な瓦礫を晒す廃城へと刻一刻と近づいていた。
その原因は三対六枚の白翼、光輝く光輪を背に宿した二人の天使。
六対十二枚の黒翼、地獄そのものを象徴するような禍々しき獄炎の光輪を背に宿す天と魔の全てを統べる覇王。
両者による壮絶なる死闘によるものだ。
「ハァアッ!」
「セイッ!」
八神とミカが左右から挟み込むようにルシファーへ斬りかかる。
しかし、八神の剣は宵の明星で軽く受け止められる。
ミカの剣も刀身の側面に斥力を発生させて簡単に受け流されてしまった。
ルシファーは攻撃を受け流されて隙を晒すミカの首に手刀で斬りかかる。
その攻撃に直感で反応した八神は、ミカを抱えて飛び退くことで間一髪離脱に成功する。
「精度を上げたな、未熟者。だが、まだ足りん。もっと深く潜り、未来を掴め」
回避先に配置しておいたルシファーの機雷魔術が起動して、八神とミカを吹き飛ばす。
「——ッッ!」
咄嗟に腕に抱えるミカを庇った八神は右腕に火傷を負ってしまう。
そして、機雷により吹き飛ばされた二人は揃って城の大広間に転がり落ちていく。
だが、悠長に転がる暇すらない。
吹き飛ぶ速度よりも速く着地点に移動して待ち構えていたルシファーにより、二人は引き離されるように蹴り飛ばされてしまう。
「深淵の獣」
ルシファーの影が一人でに動き出し、地から浮かび上がる。
ルシファーの力の半分を割譲して創られた漆黒の分身がルシファーの姿を形取り、自律稼働してミカに襲いかかる。
その様を横目に、ルシファーは宵の明星を構えて八神へ斬りかかった。
「クッ!!」
八神は吹き飛ばされた衝撃で崩れた、五メートルはある瓦礫を片手でぶん投げた。
音速の五倍以上の速度で迫る巨石がルシファーへ容赦なく襲いかかる。
けれど彼は、光すらも逃さない深淵が如き剣を以てして、疾走速度を一切落とさぬまま斬り伏せる。
そして、巨石の影から接近していた八神の光輝く剣と鍔迫り合う。
「分身とか流石に大人気ないんじゃないのかな?」
「クク、何……ただの遊びだ。そう気張らずに楽しむが良い」
「圧倒的な格上が二人になった時点で絶望しかないんですけ、ど!」
明けの明星から光の衝撃波を放ち、距離を取る。
鍔迫り合いが終わると、凄まじい速度による剣戟の応酬が始まる。
秒間数千合という、人智を越えた剣戟の嵐はその余波だけで煌びやかな王城を切り刻んでいく。
◇
一方、ミカはルシファーの影法師と紋章術戦を繰り広げていた。
「世界を構成する四大元素をここに。理を再編し、自然を淘汰せん」
ミカの周囲に四つの物品が滲み出るように現出する。
赤色の棒。
柄が黄色の短剣。
青色の杯。
外周を白く縁取った四分割の円。その上から白色で六芒星を重ね合わせられたペンタクル。
それらは魔術世界において四大元素武器と称されるものであった。
それぞれ世界を構成する四大元素である火、風、水、土を象徴している。
ミカは鞘から抜かれた剣を指揮棒のように振るう。
すると、周囲に展開されている四大元素武器の一つである赤色の棒が仄かに光を放つ。
それに呼応するように、太陽の表面温度に等しい摂氏六千度の炎が龍の形を取ってルシファーの影法師へと襲いかかる。
発声器官のない影法師は腕を変形させて複雑精緻な魔法陣を宙に描く。
魔術としてはオーソドックスな魔除けの象徴である六芒星の魔法陣だ。
しかし、影法師とはいえ天魔の半分の魔力を有する存在が行えば、それは核爆発すら防ぎ切る防御力を実現する。
ただし、それはただの物理現象、ただの魔術であったならと言う話だ。
ミカが放った焔の龍は鞘から抜かれた剣と同質の炎を再現した魔術。
この世界に存在するありとあらゆるものを灰燼に帰す焔の龍は、六芒星の魔除けを噛みちぎり、影法師に襲い掛かる。
Abracadabra
自身を構成する影を用いて、宙に描いたとある呪文。
それは世界で最も有名な呪文であった。
手品ショーといった形で表舞台でも広く周知されている。
その意味は魔除け。
古来では『病魔を退ける』という治癒の側面も持つこの呪文だが、此度は本来の意味通りの魔除けとして機能した。
本来ならば、たとえ呪文であろうと、言霊すらも焼き尽くす焔の龍には通用しない。
だが、願いは時に奇跡を生ずる。
先の六芒星による障壁はシステム的な魔術であり、そこに人の意思の介在する余地はなかった。
対して、この呪文の真髄は世界に蔓延する想いを寄り集めて収束し、意味を与えることにある。
つまりは、人の願いそのものを利用して必然的な奇跡を行うに等しい魔術だ。
故に、必然的な奇跡は万物を灰燼に帰す焔すらも超克してその意を果たす。
影法師を焼き尽くすはずだった焔の龍は反転してミカへ襲いかかる。
「無駄です!」
正義の秤が揺れる。
自身と影法師の状況を調和させることで、影法師にも二頭に増えた焔の龍の片割れが襲いかかる。
「魔を清め、その威を鎮めよ」
ミカの周囲に展開する四大元素武器の一つ、青の杯が仄かに光を放つ。
退魔の水流が放たれ、迫る焔の龍を跡形も無く鎮め清めた。
影法師は、地球上に存在するどの言語にも属さない文字を宙に描く。
灰燼に帰さんと迫り来る焔の龍は、空間から滲み出た汚泥のような闇から伸びる、ワームにも似た幻獣によって全て食らい尽くされてしまった。
続けて、両者は魔術を行使する。
ミカの周囲に展開する四大元素武器の一つ、柄が黄色の短剣が仄かに光を放つ。
発生した風の刃が竜巻となり影法師を襲う。
対して、影法師は宙に呪文を描く。
ɐɹqɐpɐɔɐɹq∀
先の呪文の反転。
本来は魔除けや治癒といった意味合いが強いこの呪文は、反転することでその意もまた転じる。
世界に織り重なり、蔓延する負の感情を集め、それに意味を与えて叩きつける。
込められし意味は『因果応報』。
風刃の竜巻が影法師を切り刻む。
そして同時に、ミカにも影法師の反転術式が作用して黄色の短剣が暴発し、その身は風刃の竜巻に晒される。
だが、反撃が来ると分かっていたミカはそのダメージを受け入れると覚悟していた。
だからこそ、その身を護る術を行使していた。
その上で、影法師へと走り出していたのだ。
——四大元素が一つ。土の元素よ、我が肉体に鋼が如き護りを。
彼女は影法師の反撃は全てこちらの攻撃を返すものだと見抜いていた。
だからこそ、狙いを見抜かれないよう、派手な魔術で視界を奪った。
返ってくる己の魔術を肉体硬化の魔術で身を護りながらあえて突っ込むことで、死中に活を見出す好機を創り出したのだ。
しかし、風刃の竜巻により巻き上げられた砂埃によって視界を奪われていた影法師はそれに気づかない。
機械的にこの場の最適解として導き出した広域魔術を発動しようとする。
「その行動は読んでいます!」
正義の秤が揺れる。
魔術を用いないという基準で互いを調和することで魔術行使は中断される。
そして、それは影法師が致命的な隙を晒すことに繋がった。
「これで、お仕舞いです!」
真正面からの最短距離で影法師の懐へ飛び込んだミカは鞘から抜かれた剣で刺し貫く。
万物を灰燼に帰す剣に刺し貫かれた影法師は断末魔を上げることもなく、静かに灰となり消え失せた。
だが、余韻に浸る暇などあるはずもない。
即座に八神の加勢に戻ろうと目をやると、八神が懐に飛び込んできた。
「ちょっ!?」
なんとか受け止めるも、突然だったため衝撃を殺しきれずに、彼女を抱えたまま二人は広大な大広間を転がる。
ゴロゴロと大広間の壁まで転がされて漸く止まり、そこで腕の中に抱える彼女を見て安堵する。
全身に切り傷が刻まれてボロボロの満身創痍ではある。
しかし、彼女の眼は依然として輝きを失わず、敵の姿を見据えていた。
「もう、しっかりしてください! まだ動けますよね!?」
無事であることを安堵する気持ちが先走るが、今は一瞬たりとも油断できない戦闘中だと、その気持ちに蓋をして発破をかける。
「大丈夫。むしろ漸くあったまってきたって感じだよ」
八神は自身の血で塗れた顔を乱雑に拭うと、垂れた前髪をかき上げる。
彼女はルシフェルの紋章者故の人間を超越した頑丈さを持つことに加えて、瞬時にというわけではないが、自動再生能力も持つ。
ルシファーとの壮絶な剣戟の応酬で負った傷も、既にその殆どが癒えている。
しかし、それはルシファーにも同じことが言える。
八神がつけた数多の切り傷は既にその殆どが癒えてしまっていた。
ルシファーは尖塔の頂から、崩壊が進む大広間で膝をつく二人を見下ろす。
その相貌には不敵な笑みが浮かんでいた。
口では強がるも、その余裕の表情に彼我の圧倒的な戦力差を改めて痛感した八神は切り札を切ることにした。
「ミカ、奥の手を使うから。十秒時間を稼いでもらっていい? 今あいつが無意識に展開してる侵食領域を塗り潰すには、ちょっとだけタメがいるからさ」
「アレを相手に一人で十秒は少々厳しいというのが本音ですが……引き受けましょう。このままでは遠からず敗北を迎えてしまうことは自明の理ですし」
先程までならばルシファーのお遊びによって行使された、深淵の獣によって戦闘力が半減していたからなんとかなっただろう。
だが、全力全開のルシファー相手に一対一で時間を稼ぐのは正攻法では至難の技だ。
かと言って、このままではジリ貧であることも明らか。
故に、ミカは策を講じる。
「よし、じゃあ頼んだよ。ミカ!」
「はい、任せてください。紫姫!」
「良い余興を期待するぞ」
正義の秤が揺れる。
自身の魔力とルシファーの魔力を調和させる。
効力を十秒間に限定することで魔力だけではなく、技量、筋力などあらゆるパラメーターを同等に調律する。
そうして、目に見えて強大な力を手にしたミカ。
彼女が持つ紋章も相俟って、ルシファーは嘗て天界にて雌雄を決した愚弟を想起した。
「さぁ、来るがいい」
まともに戦えば十秒ももたないだろう。
対戦ゲームで同じキャラを用いても、プレイヤーの技量によって勝敗が決まるのと同じだ。
いくらパラメーターが一時的に互角になろうと、それを扱うのはあくまでもルシファーであり、ミカである。
八神が研究所を抜け出し、製造されてから数週間しか経過していない。
知識だけを機械によって詰め込まれた赤子同然のミカが、創世記から神に仕え、天使とも戦争を繰り広げた天魔に戦闘経験において勝る余地など皆無。
それを正しく理解しているからこそ、ミカはまともに相手などしてやらない。
絡め手を用いてこの十秒間を無為にしてやるのだ。
「その余裕、今奪ってあげますからね」
正義の秤が揺れる。
自身とルシファーの体勢を同一に調律する。
ミカは現在崩れゆく城の大広間にて跪いている。
それと同一の体勢に調律されたルシファーは尖塔の頂にて、同じく跪いた体勢を強いられた。
当然、尖塔の頂などという不安定な足場でそのような格好で身動き一つ取れなくなれば待ち受ける結末は決まっている。
「貴様! 小癪な真似をぉぉぉおおおおお!!!」
跪くという屈辱的な姿勢を強いられたルシファーは憤怒の声をあげる。
そして、不安定な足場で跪く様を強制された彼は城の大広間へと顔面から無防備に落下した。
高度六〇メートル以上からの顔面ダイブ。
身体強度が人間よりも遥かに優れているため、深い傷はない。
されど無傷とはいかず、その額からは鮮血が流れる。
そして、正義の秤の効力は依然発揮され続けているため、ルシファーはそのままの姿勢で微動だにできずいた。
ルシファーならば正義の秤による縛りなど、本来力技で捩じ伏せることができる。
だが、ミカはそれを見越して自身とルシファーのパラメーターを調和させていた。
そこに加えて十秒間という縛りを設けることで、その一定時間に魔力を集中させた。
その縛りによって、通常発動よりも効力を増加させていたからこそ、ルシファーの拘束に成功していたのだ。
「そのまま地面の味を噛み締めて暫しお待ち下さいね」
(うわぁ、ひっでぇ……)
跪いた体勢で固められ、大広間へと顔面を突き刺したルシファーへミカは微笑みを向ける。
その姿に八神は引き攣った笑みを浮かべるほかになかった。
そして、約束の十秒が経過する。
彼女の背後にて転輪していた光輪は今や眩い光を放ち、光輪の外縁に新たな光輪が現出している。
光輪は葉脈のような光の筋で結び付いて外縁部が視界に収まらないほど拡張していた。
「流石我が妹。ちょっと引いたけど、スカッとするナイス足止め!」
「本番はこれからです。油断しないでくださいね。紫姫」
「……お姉ちゃんって呼んでくれないの?」
「私の方がお姉さん力が高いですから」
「しっかり者の妹を持つと辛いぜ」
やれやれ、と肩をすくめる八神。
そんな締まらない会話と共に両手の中に凝縮された莫大な魔力を解放する。
——遍く世を照らす光輪
瞬間、光輪は荘厳な鐘のような音色と共に、眩い黄金の光となって世界を満たした。
あまりの光量を前に、ミカは咄嗟に手で両眼を覆った。
そして、光は収まる。
視界を取り戻した先には、変わり果てた世界が広がっていた。
暗雲立ち込める天は黄金の光に満ちて、輝く。
ひび割れた赤褐色の大地は、緑に覆われた豊かな大自然に変貌を遂げた。
それはまるで宗教世界における理想郷が如く。
変化はそれだけに留まらない。
八神の三対六枚の白翼は本来の姿、天使長ルシフェルに神より唯一与えられし六対十二枚の白翼へと変わる。
ミカの頭髪には燃え盛る紅蓮が混じる。
背後にて転輪する光輪の輝きも増したように見える。
ルシファーが支配していた領域が塗り潰されたことで、領域に抑圧されていた彼女ら本来の力——紋章を取り戻して十二画となった力——が取り戻されたのだ。
その変化を受けて、正義の秤による拘束を自力で破壊したルシファーも、黙して力を解放する。
身体中に上位悪魔の力の象徴である緋色の紋章が浮かび上がる。
真紅の瞳には黄金が混じり、見る角度によって真紅にも黄金にもその色を変える。
何よりも、その存在としての格は有限の領域を越えた至高の領域。
即ち無限へと回帰していた。
「覚悟はできているな」
誰をも魅了するその美貌の口元が弧を描く。
「ちょっとミカ、やりすぎたんじゃない?」
「ブチギレてらっしゃいますねぇ」
「うわぁ、他人事みたいに言ってるよこの子」
神話のワンシーンがごとき構図でありながら締まらない会話を繰り広げる天使たち。
彼女らの戦いは、緊張感を忘れ去ってゆるりと始まろうとしていた。
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