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第5章
61 僕ができることを少しずつ実行していく
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ピピピピッピピピピッ
目覚まし時計が鳴る音だ。その音で僕の意識は覚醒した。
「ヴォォッグヘッヘッヘッ」
意識の覚醒と同時に産声を上げるかのように咳が出た。
最悪の目覚めだ。
頭が割れそうに痛い。手足は重く麻痺しているような感覚だ。
背筋が凍るように寒い。それに吐き気もする。
胃液が逆流して酸っぱさも感じる。
僕は完全に風邪を引いてしまった。普通の風邪なんかよりも酷い状態だ。
『兎村の旅館』に予約の電話を入れようと思って就寝したがこの状態だと無理だ。
そこまで重症じゃないから兎村に行けないわけではない。むしろこのくらいならいけると思っている。
しかし風邪のような症状で兎村に行って、旅館の人たちや旅行客に風邪を移してしまうのも申し訳ない。
だから今回の『兎村一人旅』は諦めよう。中止ではなく延期だ。
昨夜、準備したスーツケースが目に入った。それと同時に後悔した。
「準備するの早過ぎたよな……」
焦り過ぎたのか、楽しみだったのか、どちらなのかわからないが早過ぎた準備にため息が出てしまった。
とりあえず風邪が完治してから行くことにしよう。
この状態で行ったとしても金縛り3姉妹が治してくれるはずだ。
けれど金縛り3姉妹が金縛りをかけに来る保証はどこにもない。
そもそも金縛りがかかるのかどうか確かめに行こうとしているのではないか。
病院に行くのも億劫だ。なので家にある市販の風邪薬で何とか凌ぎたい。
それにしても体が怠すぎる。震えも止まらない。寒気も悪化した。
薬を取りに動いたついでに熱も測ろう。
熱を測った結果は『38.2度』だ。完全に風邪を引いてしまっている。
辛い。苦しい。辛い。苦しい。それの繰り返しだ。
薬を飲むためには食事をとらないといけない。栄養をとって早く治さないと。
おかゆが食べたい。でも家におかゆはない。
買いに行くのも怠い。けれどおかゆが食べたい。
今、買い物に行って1週間分くらいの食事を調達するのはどうだろうか?
我ながらいい提案だ。
重たい体を無理やり起こした僕は防寒を完璧にしスーパーに向かう。
完璧にした防寒だが寒い。いや、熱い。どちらなんだろうか。
もうその感覚も鈍っている。それくらい体の調子が悪い。
家に出る前に計画した通り1週間分くらいの食品を大量に購入した。
ほとんどがおかゆとカップヌードルだ。それにパンもある。
いつもと変わらない。栄養のことを考えていなかった。
スポーツドリンクなどは風邪の時に良いと聞いたことがあるので10本購入した。
これで今後の食事には困らない。それに外出せずに済む。
僕はスーパーに買い物に行っただけなのにもう体が限界だ。たった30分で倒れそうになる。
体はもう熱いのにガタガタ震えてきた。もう危険な状態なのでは?
家に帰りすかさず手洗いうがい。そして熱を測る。熱は『39.0度』。驚くほど熱は上がっていた。
熱を冷ますシートをおでこに貼り薬を飲むために購入したおかゆを胃袋に流し込む。
そして薬を飲みそのまま布団の中に入った。
腹は満たされていない。それでももう食べたくない。横になりたい。
金縛りちゃんがいればこんな風邪にもならなかっただろう。
風邪も辛いが金縛りちゃんに会えない方がよっぽど辛い。
だからこんな風邪早く治して、金縛りちゃんに会う方法を探らないといけないのに……。
今日1日安静にして風邪が治れば『兎村の旅館』に電話をかけよう。
多分治らないと思うけど……
まだバイトが始まるまで日にちがある。一刻も早く風邪を治そう。
こんなに具合が悪かったら金縛りちゃんが助けに来てくれる可能性もある。
体調不良も金縛り霊の栄養にきっとなるはずだ。こんなご馳走を見逃すはずがない。
そんな事を頭の片隅で思って僕は寝た。しかし当然のことながら金縛りちゃんは誰も来なかった。
金縛りちゃんにはもう会えない。
そもそも金縛り霊という幽霊に会って会話をするって時点であり得ないことだ。
今までの事が夢だったかのように思えてしまってならない。
僕は風邪は一向に治らない。どんなに必死に治そうとしても治らなかった。
市販の薬が合わなかったのだろうか。やっぱりすぐに病院に行くべきだった。
結局、風邪が落ち着いてきたのはバイトが始まる前日の1月9日だ。
もしかしたら神様が、いや、金縛り霊教会の会長が兎村の金縛り霊3姉妹に会わせないために風邪を長引かせたのかもしれない。
そして全ての休日を風邪で寝込ませたのかもしれない。
そうじゃないと治るタイミングがちょうどだ。疑ってしまう。
風邪を引いてしまったせいで旅行用に用意したスーツケースを使うことなく片付けることとなった。
明日からバイトが始まってしまう。
12月の時よりも過酷ではないのでそこは安心だ。
ただ居酒屋にとって新年会という大イベントが待ち構えている。
過酷さは減ったかもしれないが過酷という事は変わらない。
兎村に行くチャンスを逃し金縛り霊3姉妹に会えなかった。
そんな僕だがバイトが始まってからでもやれる事がある。
明日すぐにでも行動しようと思う。
◆◇◆◇◆◇◆◇
正月休みが明けてバイトが始まってしまった。
せっかくの正月休みだったが、体調を崩してしまい散々だった。
けれどバイトまでに体調が治って本当によかったと思う。万全ではないが……。
今僕はスタッフルームにいる。
僕以外にはバイトの後輩の韓流系イケメンのフミヤくんがいる。
フミヤくんは以前よりも一層元気になっていた。というよりも酷くなっているような気がする。
「アッハッッハッハ! ウサギせんぱーい! あけおめでーす! アッハッハッハッハ!」
「あ、あけおめ……フミヤくん元気だね、というか元気すぎるね」
「毎日調子がいいんですよ! おかげで毎日が楽しいです! アッハッハッハッハ! アッハッハッハッハッハ!」
両手を広げ盛大に笑っていた。声も大きい。
「朝起きたら気分が良いとか? 疲れが全くないって感じなの?」
「その通りでーす! アッハッッハッハッハ! アッッハッッハッハ!」
やっぱりそうだ。
フミヤくんのところには、オカマの金縛り霊のユウナさんが毎日疲労を吸いに来ている。
大人しく礼儀正しかったフミヤくんの性格をここまで変えてしまうほどとは。
金縛り霊の不思議な力は本当にすごい。
僕も金縛りちゃんに出会って変わった事は数え切れないほどたくさんある。
周りからはどう見られているかわからないけど自分では変わったと自覚している。
フミヤくんのところにユウナさんが来るという事は僕がやることは一つしかない。
そのために今日ここに来たと言っても過言ではないからな。
僕は、両手を広げて笑うフミヤくんに一歩近付いた。
そして笑い声にかき消されないように少しだけ大きな声を出した。
「フミヤくん!」
「なんですか? ウサギ先輩! アッハッハッハ!」
「きょ、今日フミヤくんの家に泊まっても良いかな。面白い映画とか見つけたんだよね~! それにフミヤくんの元気を分けてもらいたいなって思ってさ! あっはっは……」
ついフミヤくんと同じような笑い方をしてしまった。そんな僕の狙いは、面白い映画ではない。金縛りだ。
フミヤくんの家に泊まれば僕も金縛りにかかる可能性がある。
僕がかからなくてもフミヤくんが金縛りにかかっているところに遭遇できれば僕も金縛りにかかるかもしれない。
もし僕が金縛りにかからなくても隣で金縛りにかかっている人がいれば、僕にだって金縛り霊は見えるかもしれない。
今回の金縛り霊は僕にトラウマを植え付けたオカマの金縛り霊のユウナさんだ。
姿を見せてくれるに違いない。
試してみる価値はある。
「ウサギ先輩! まさかの泊まりですかー! 珍しいですねー! 良いですよー! 明日はちょうど午後からの講義なので夜更かしオーケーイですよー! アッハッハッハ! アッハッハッハ!」
「よ、よかった。ありがとう!」
第一段階クリアだ。
笑い声が止まったフミヤくんは小首を傾げて僕の方を見ている。
「元気を分けてもらいたいって言ってましたけどなんかあったんですかー? アッハッッハッッハッハ! アッハッハッハ!」
せっかく止まった笑い声だったが語尾のように現れた。さすがにもう慣れた。
「元気を分けてもらいたい理由は……その……えーっと……」
そんな事は考えていなかった。
金縛り霊に会うために泊まりたいだなんて言えないし、適当に言った嘘が大きくなってしまう瞬間に遭遇中だ。
いや、嘘ではない。元気を分けてもらいたいってのは本当だ。
ここはなんとか誤魔化し切らないと……。
「バ、バイトの休み中にさ……か、風邪引いちゃって。せっかくの正月休みが台無しになっちゃったんだよー。だからフミヤくんの元気にあやかりたいなって思ったんだ」
「そうだったんですねー! アッハッッハッハ! 元気ならたくさん分けてあげますよー! アッハッッハッハ! もう元気が有り余っってます! アッハッハッハ!」
本当に元気を分けてくれるのなら分けてほしい。だってその元気の源は金縛り霊の力だから。
間接的でもいい。金縛りちゃんたちとの繋がりを断ちたくない。感じていたい。
この際、オカマのユウナさんでも良い。今の僕でも金縛り霊に会えるという事実さえ掴めれば一歩前進だ。
ここでユウナさんに会えなかったらまた話が変わってくる。今後の行動も。
それぐらいフミヤくんの家に泊まるのは重要なミッションだ。
今思えばあの時、ユウナさんにフミヤくんを紹介していて正解だったと思う。
「おーい、そろそろオープンするぞー」
「は、はーい」
「アッハッッハッハ!」
スタッフルームに届いた店長の声をきっかけに僕たちは動き出した。
フミヤくんは笑い声で返事をしていた。
その返事にちょっと驚いてしまった。やっぱりまだ慣れてない。
そしてスタッフルームから出る瞬間、フミヤくんに声をかけた。
「じゃあバイトが終わったら泊まりに行くね。実は荷物はもう準備してあるんだー!」
「泊まる気満々って事ですね! アッハッハッハッハ!」
兎村の一人旅のために準備したスーツケース。
体調不良で一人旅が中止いや、延期になったのでスーツケースの荷物を片付けた。
その時にその荷物を別のリュックに詰め替えていたのだ。
そのリュックはすでに僕の荷物置き場に置いてある。
そう。フミヤくん家のお泊まりセットだ。
ガラガラとスタッフルームの扉を開き今日のバイトが始まった。
今日のお客さんは正月ということもあって家族連れが多かった。
10日なのに会社などの付き合いの飲み会などはまだ無いようだ。のんびりできていて羨ましいと思った。
会社の飲み会が少ないおかげで悪酔いしている酔っ払いはいない。それだけは本当によかった。
そして12月の過酷な忙しさと比べると屁でもない。忙しいことには変わりないが楽だ。
こんなにも楽に感じたのは12月の過酷な時期を経験したからだろう。
やっぱり辛い事を先にやるのがいい。小学生の頃の夏休みの宿題もそうだった。
簡単なドリルよりも作文や習字などの嫌なものを先に終わらせた。そうした事で後々楽に感じるからだ。
「アッハッハッハッハ!」
バイト中もフミヤくんの笑い声は響き渡っていた。店内BGMをかき消すほどの大声で笑っている。
そんなフミヤくんを誰も注意しないのは不思議だ。もちろん僕も注意しようとは思わない。
そんな事を感じながらバイトをしていたらあっという間に閉店の時間になっていた。
何事もなく無事にバイトは終了したのだ。
今夜、金縛りにかかりやすいように疲労を溜めたかったが、病み上がりのせいもあってなかなか体が動こうとはしなかった。
なので十分の疲労を蓄積できなかったが相手がユウナさんなら大丈夫だろう。
だってあのオカマは僕の恐怖心も吸い取るのだから……。
「終わりましたねー! お疲れ様です! アッハッッハ!」
全く疲れている様子がないフミヤくんが声をかけてきた。
金縛りちゃんに疲労を吸い取ってもらっていた頃の僕でも、バイト終わりは疲れていたのに……。
ユウナさんは、どれだけフミヤくんの疲労を吸っているんだろうか。
疲労を吸うだけでなくエネルギーのようなものを入れている気がする。
そう考えると僕も金縛りちゃん達に元気や、やる気などをもらっていた気がする。
「お疲れ様。じゃあお泊まりよろしくね!」
「アッハッハッハッハ!」
もう笑い声が返事になっている。
僕たちは、店長や料理長、そしてパートのおばちゃんたちに挨拶をして店を出た。
そして電車に乗り、電車を降りて歩いているうちにフミヤくんの家に到着していた。
バイト先から家に着くまでにフミヤくんは笑いながら会話を楽しんでいたが、僕はその内容を全く覚えていない。
上っ面な返事ばかりをしていたと思う。フミヤくんとの会話よりも頭の中で金縛りについて色々と思考してしまっていたからだ。
本当に失礼だと思う。けれどそんな素振りも一切見せずに笑っていた。
サイコパスかと思うくらい笑っているものだから逆に怖い。
「どうぞどうぞ! 入ってください! アッハッッハッハ! アッハッハッハ!」
「お、お邪魔します」
僕は、オカマの金縛り霊が来るであろうフミヤくんの家に足を踏み入れた。
目覚まし時計が鳴る音だ。その音で僕の意識は覚醒した。
「ヴォォッグヘッヘッヘッ」
意識の覚醒と同時に産声を上げるかのように咳が出た。
最悪の目覚めだ。
頭が割れそうに痛い。手足は重く麻痺しているような感覚だ。
背筋が凍るように寒い。それに吐き気もする。
胃液が逆流して酸っぱさも感じる。
僕は完全に風邪を引いてしまった。普通の風邪なんかよりも酷い状態だ。
『兎村の旅館』に予約の電話を入れようと思って就寝したがこの状態だと無理だ。
そこまで重症じゃないから兎村に行けないわけではない。むしろこのくらいならいけると思っている。
しかし風邪のような症状で兎村に行って、旅館の人たちや旅行客に風邪を移してしまうのも申し訳ない。
だから今回の『兎村一人旅』は諦めよう。中止ではなく延期だ。
昨夜、準備したスーツケースが目に入った。それと同時に後悔した。
「準備するの早過ぎたよな……」
焦り過ぎたのか、楽しみだったのか、どちらなのかわからないが早過ぎた準備にため息が出てしまった。
とりあえず風邪が完治してから行くことにしよう。
この状態で行ったとしても金縛り3姉妹が治してくれるはずだ。
けれど金縛り3姉妹が金縛りをかけに来る保証はどこにもない。
そもそも金縛りがかかるのかどうか確かめに行こうとしているのではないか。
病院に行くのも億劫だ。なので家にある市販の風邪薬で何とか凌ぎたい。
それにしても体が怠すぎる。震えも止まらない。寒気も悪化した。
薬を取りに動いたついでに熱も測ろう。
熱を測った結果は『38.2度』だ。完全に風邪を引いてしまっている。
辛い。苦しい。辛い。苦しい。それの繰り返しだ。
薬を飲むためには食事をとらないといけない。栄養をとって早く治さないと。
おかゆが食べたい。でも家におかゆはない。
買いに行くのも怠い。けれどおかゆが食べたい。
今、買い物に行って1週間分くらいの食事を調達するのはどうだろうか?
我ながらいい提案だ。
重たい体を無理やり起こした僕は防寒を完璧にしスーパーに向かう。
完璧にした防寒だが寒い。いや、熱い。どちらなんだろうか。
もうその感覚も鈍っている。それくらい体の調子が悪い。
家に出る前に計画した通り1週間分くらいの食品を大量に購入した。
ほとんどがおかゆとカップヌードルだ。それにパンもある。
いつもと変わらない。栄養のことを考えていなかった。
スポーツドリンクなどは風邪の時に良いと聞いたことがあるので10本購入した。
これで今後の食事には困らない。それに外出せずに済む。
僕はスーパーに買い物に行っただけなのにもう体が限界だ。たった30分で倒れそうになる。
体はもう熱いのにガタガタ震えてきた。もう危険な状態なのでは?
家に帰りすかさず手洗いうがい。そして熱を測る。熱は『39.0度』。驚くほど熱は上がっていた。
熱を冷ますシートをおでこに貼り薬を飲むために購入したおかゆを胃袋に流し込む。
そして薬を飲みそのまま布団の中に入った。
腹は満たされていない。それでももう食べたくない。横になりたい。
金縛りちゃんがいればこんな風邪にもならなかっただろう。
風邪も辛いが金縛りちゃんに会えない方がよっぽど辛い。
だからこんな風邪早く治して、金縛りちゃんに会う方法を探らないといけないのに……。
今日1日安静にして風邪が治れば『兎村の旅館』に電話をかけよう。
多分治らないと思うけど……
まだバイトが始まるまで日にちがある。一刻も早く風邪を治そう。
こんなに具合が悪かったら金縛りちゃんが助けに来てくれる可能性もある。
体調不良も金縛り霊の栄養にきっとなるはずだ。こんなご馳走を見逃すはずがない。
そんな事を頭の片隅で思って僕は寝た。しかし当然のことながら金縛りちゃんは誰も来なかった。
金縛りちゃんにはもう会えない。
そもそも金縛り霊という幽霊に会って会話をするって時点であり得ないことだ。
今までの事が夢だったかのように思えてしまってならない。
僕は風邪は一向に治らない。どんなに必死に治そうとしても治らなかった。
市販の薬が合わなかったのだろうか。やっぱりすぐに病院に行くべきだった。
結局、風邪が落ち着いてきたのはバイトが始まる前日の1月9日だ。
もしかしたら神様が、いや、金縛り霊教会の会長が兎村の金縛り霊3姉妹に会わせないために風邪を長引かせたのかもしれない。
そして全ての休日を風邪で寝込ませたのかもしれない。
そうじゃないと治るタイミングがちょうどだ。疑ってしまう。
風邪を引いてしまったせいで旅行用に用意したスーツケースを使うことなく片付けることとなった。
明日からバイトが始まってしまう。
12月の時よりも過酷ではないのでそこは安心だ。
ただ居酒屋にとって新年会という大イベントが待ち構えている。
過酷さは減ったかもしれないが過酷という事は変わらない。
兎村に行くチャンスを逃し金縛り霊3姉妹に会えなかった。
そんな僕だがバイトが始まってからでもやれる事がある。
明日すぐにでも行動しようと思う。
◆◇◆◇◆◇◆◇
正月休みが明けてバイトが始まってしまった。
せっかくの正月休みだったが、体調を崩してしまい散々だった。
けれどバイトまでに体調が治って本当によかったと思う。万全ではないが……。
今僕はスタッフルームにいる。
僕以外にはバイトの後輩の韓流系イケメンのフミヤくんがいる。
フミヤくんは以前よりも一層元気になっていた。というよりも酷くなっているような気がする。
「アッハッッハッハ! ウサギせんぱーい! あけおめでーす! アッハッハッハッハ!」
「あ、あけおめ……フミヤくん元気だね、というか元気すぎるね」
「毎日調子がいいんですよ! おかげで毎日が楽しいです! アッハッハッハッハ! アッハッハッハッハッハ!」
両手を広げ盛大に笑っていた。声も大きい。
「朝起きたら気分が良いとか? 疲れが全くないって感じなの?」
「その通りでーす! アッハッッハッハッハ! アッッハッッハッハ!」
やっぱりそうだ。
フミヤくんのところには、オカマの金縛り霊のユウナさんが毎日疲労を吸いに来ている。
大人しく礼儀正しかったフミヤくんの性格をここまで変えてしまうほどとは。
金縛り霊の不思議な力は本当にすごい。
僕も金縛りちゃんに出会って変わった事は数え切れないほどたくさんある。
周りからはどう見られているかわからないけど自分では変わったと自覚している。
フミヤくんのところにユウナさんが来るという事は僕がやることは一つしかない。
そのために今日ここに来たと言っても過言ではないからな。
僕は、両手を広げて笑うフミヤくんに一歩近付いた。
そして笑い声にかき消されないように少しだけ大きな声を出した。
「フミヤくん!」
「なんですか? ウサギ先輩! アッハッハッハ!」
「きょ、今日フミヤくんの家に泊まっても良いかな。面白い映画とか見つけたんだよね~! それにフミヤくんの元気を分けてもらいたいなって思ってさ! あっはっは……」
ついフミヤくんと同じような笑い方をしてしまった。そんな僕の狙いは、面白い映画ではない。金縛りだ。
フミヤくんの家に泊まれば僕も金縛りにかかる可能性がある。
僕がかからなくてもフミヤくんが金縛りにかかっているところに遭遇できれば僕も金縛りにかかるかもしれない。
もし僕が金縛りにかからなくても隣で金縛りにかかっている人がいれば、僕にだって金縛り霊は見えるかもしれない。
今回の金縛り霊は僕にトラウマを植え付けたオカマの金縛り霊のユウナさんだ。
姿を見せてくれるに違いない。
試してみる価値はある。
「ウサギ先輩! まさかの泊まりですかー! 珍しいですねー! 良いですよー! 明日はちょうど午後からの講義なので夜更かしオーケーイですよー! アッハッハッハ! アッハッハッハ!」
「よ、よかった。ありがとう!」
第一段階クリアだ。
笑い声が止まったフミヤくんは小首を傾げて僕の方を見ている。
「元気を分けてもらいたいって言ってましたけどなんかあったんですかー? アッハッッハッッハッハ! アッハッハッハ!」
せっかく止まった笑い声だったが語尾のように現れた。さすがにもう慣れた。
「元気を分けてもらいたい理由は……その……えーっと……」
そんな事は考えていなかった。
金縛り霊に会うために泊まりたいだなんて言えないし、適当に言った嘘が大きくなってしまう瞬間に遭遇中だ。
いや、嘘ではない。元気を分けてもらいたいってのは本当だ。
ここはなんとか誤魔化し切らないと……。
「バ、バイトの休み中にさ……か、風邪引いちゃって。せっかくの正月休みが台無しになっちゃったんだよー。だからフミヤくんの元気にあやかりたいなって思ったんだ」
「そうだったんですねー! アッハッッハッハ! 元気ならたくさん分けてあげますよー! アッハッッハッハ! もう元気が有り余っってます! アッハッハッハ!」
本当に元気を分けてくれるのなら分けてほしい。だってその元気の源は金縛り霊の力だから。
間接的でもいい。金縛りちゃんたちとの繋がりを断ちたくない。感じていたい。
この際、オカマのユウナさんでも良い。今の僕でも金縛り霊に会えるという事実さえ掴めれば一歩前進だ。
ここでユウナさんに会えなかったらまた話が変わってくる。今後の行動も。
それぐらいフミヤくんの家に泊まるのは重要なミッションだ。
今思えばあの時、ユウナさんにフミヤくんを紹介していて正解だったと思う。
「おーい、そろそろオープンするぞー」
「は、はーい」
「アッハッッハッハ!」
スタッフルームに届いた店長の声をきっかけに僕たちは動き出した。
フミヤくんは笑い声で返事をしていた。
その返事にちょっと驚いてしまった。やっぱりまだ慣れてない。
そしてスタッフルームから出る瞬間、フミヤくんに声をかけた。
「じゃあバイトが終わったら泊まりに行くね。実は荷物はもう準備してあるんだー!」
「泊まる気満々って事ですね! アッハッハッハッハ!」
兎村の一人旅のために準備したスーツケース。
体調不良で一人旅が中止いや、延期になったのでスーツケースの荷物を片付けた。
その時にその荷物を別のリュックに詰め替えていたのだ。
そのリュックはすでに僕の荷物置き場に置いてある。
そう。フミヤくん家のお泊まりセットだ。
ガラガラとスタッフルームの扉を開き今日のバイトが始まった。
今日のお客さんは正月ということもあって家族連れが多かった。
10日なのに会社などの付き合いの飲み会などはまだ無いようだ。のんびりできていて羨ましいと思った。
会社の飲み会が少ないおかげで悪酔いしている酔っ払いはいない。それだけは本当によかった。
そして12月の過酷な忙しさと比べると屁でもない。忙しいことには変わりないが楽だ。
こんなにも楽に感じたのは12月の過酷な時期を経験したからだろう。
やっぱり辛い事を先にやるのがいい。小学生の頃の夏休みの宿題もそうだった。
簡単なドリルよりも作文や習字などの嫌なものを先に終わらせた。そうした事で後々楽に感じるからだ。
「アッハッハッハッハ!」
バイト中もフミヤくんの笑い声は響き渡っていた。店内BGMをかき消すほどの大声で笑っている。
そんなフミヤくんを誰も注意しないのは不思議だ。もちろん僕も注意しようとは思わない。
そんな事を感じながらバイトをしていたらあっという間に閉店の時間になっていた。
何事もなく無事にバイトは終了したのだ。
今夜、金縛りにかかりやすいように疲労を溜めたかったが、病み上がりのせいもあってなかなか体が動こうとはしなかった。
なので十分の疲労を蓄積できなかったが相手がユウナさんなら大丈夫だろう。
だってあのオカマは僕の恐怖心も吸い取るのだから……。
「終わりましたねー! お疲れ様です! アッハッッハ!」
全く疲れている様子がないフミヤくんが声をかけてきた。
金縛りちゃんに疲労を吸い取ってもらっていた頃の僕でも、バイト終わりは疲れていたのに……。
ユウナさんは、どれだけフミヤくんの疲労を吸っているんだろうか。
疲労を吸うだけでなくエネルギーのようなものを入れている気がする。
そう考えると僕も金縛りちゃん達に元気や、やる気などをもらっていた気がする。
「お疲れ様。じゃあお泊まりよろしくね!」
「アッハッハッハッハ!」
もう笑い声が返事になっている。
僕たちは、店長や料理長、そしてパートのおばちゃんたちに挨拶をして店を出た。
そして電車に乗り、電車を降りて歩いているうちにフミヤくんの家に到着していた。
バイト先から家に着くまでにフミヤくんは笑いながら会話を楽しんでいたが、僕はその内容を全く覚えていない。
上っ面な返事ばかりをしていたと思う。フミヤくんとの会話よりも頭の中で金縛りについて色々と思考してしまっていたからだ。
本当に失礼だと思う。けれどそんな素振りも一切見せずに笑っていた。
サイコパスかと思うくらい笑っているものだから逆に怖い。
「どうぞどうぞ! 入ってください! アッハッッハッハ! アッハッハッハ!」
「お、お邪魔します」
僕は、オカマの金縛り霊が来るであろうフミヤくんの家に足を踏み入れた。
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