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第4章
54 金縛りおばあちゃん
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金縛りにかかる感覚と同時に僕の意識は覚醒した。
いつもなら軽く動かせるはずの体だったが今日は動かすことができない。
つまり金縛りちゃんたちではない、誰かが来たという事だろう。
金縛り霊協会会長のユーさんか?
それともユーさんに恋をしたワカナさんか?
オカマの金縛り霊のユウナさんか?
まだ僕が知らない金縛り霊か?
ただ今の僕は体を動かすことができない。オカマのユウナさんが来たのならば体は動かせるはずだ。
それにユーさんは最初は『調整が難しい』とか言っていたが、最終的には僕の体は動かせた。
なら今回、僕に金縛りをかけに来たのは知らないワカナさんの可能性が高い。
それか僕の知らない別の金縛り霊か……。
確かユーさんの話によるとワカナさんは70代のおばあちゃんだ。
おばあちゃんにこんな強い金縛りをかける事は可能なのだろうか?
僕の目は開いている。しかし見えているのは薄暗い真っ白な天井だけだ。
僕に金縛りをかけている金縛り霊の姿が見えない。
「おやおや……聞いてたよりも美少年じゃないかい」
突然、僕の足元の方から声がした。落ち着いた大人、いや、それ以上の女性の声だ。
これは僕の勝手なイメージだが、声の特徴、雰囲気からしてワカナさんで間違いないだろう。
足元にいる金縛り霊の姿を確認したいが、強い金縛りの束縛からは僕は逃れられない。
人形のように体が全く動かない。
ワカナさんがいる可能性は高い。つまりレイナが話をしてくれて、僕に金縛りをかけに来てくれたんだろう。
レイナやカナそれにリナがこの場にいないのはなぜだろう?
この場にいないということは、他の人のところに行って金縛りをかけているのかもしれない。
僕以外の別の人のところに……。なんだこのモヤモヤした気持ちは……。
嫉妬心が胸が爆発しそうだ。張り裂ける。
それもこれも全ては、今後の金縛りちゃんたちとの生活のためだ。
胸が張り裂けてしまっても仕方がない。
今は目の前のベテランの金縛り霊のワカナさんと話をしなければならない。
僕は声を出そうと喉に力を入れた。
「ぅ……」
分かっていたことだけど声が出ない。息が漏れた音しか出なかった。
ワカナさんの金縛りは強い。とてつもなく強力だ。
ユーさんよりは強い金縛りでは無い。あの時は息を吸うのがやっとだったから。
ユーさんは金縛りをかける調整してくれて、僕が動けて喋れるくらいまでしてくれた。
それならワカナさんもそうしてくれるだろう。
相談を聞きに来てくれたのなら金縛りを調整しないのはおかしい。
「……」
ワカナさんは、一度声を出してから一切言葉を発していない。
なぜだろうか?
僕の見えるところまで動いてもくれない。なんでずっとアクションがないのだろうか。
「……ぃ……」
何かが聞こえてきた。物音ではない。声のような感じだ。
「……ぅ……」
なんの音なのだろうか……。嫌な予感しかしない。
「……ぅ……ぃ……」
金縛り経験が豊富な僕はこの時、嫌な予感がなんなのか想像してしまった。
謎の音、そして姿を見せないワカナさん。
今までの経験を踏まえて僕が導き出した答えは……
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
寝息だ。ワカナさんは眠っている。
「ぅ……ぁ……」
ワカナさんを起こすために叫ぼうとしたが声が出ない。
おばあちゃん……しっかりしてくれ!
どうすんだよこの状況。まさか寝落ちするだなんて……。
せめて、せめて僕の体さえ動いてくれれば……。
というかワカナさんの金縛り、どんだけ強いんだよ。
僕は指先を動かそうと試みたが全く動く気配がなかった。
ここは一旦、落ち着こう。平常心。リラックスしなきゃ。
大丈夫だ。いつも動いてるではないか。自分の体が動くようにイメージしよう。
イメージをしながら深呼吸を試みる。
「ぅ……はぁ……ぅ……ぁ……」
ゆっくりだが、深呼吸のようなものはできる。
だが、これは深呼吸とは言えない。
ただゆっくり浅く呼吸を繰り返しているだけだ。
なので僕の体は全く動ける様子はない。
くそー。このままだと今日1日失敗に終わってしまう。無駄な1日を過ごすことになるぞ。
金縛りにはかかっているから、僕の疲労を吸い取ってはくれているはずだ。
だから体の心配は必要ないと思う。
待てよ……もしかして僕の疲労を吸い取ってしまったせいで、ワカナさんは寝てしまったのか?
あり得る。
金縛り霊にとっての栄養は、僕の場合何か特別なものがあるらしい。
そのせいでカナも大事な時に眠っていたりした。レイナも僕の栄養を気に入っている。
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
鳴り止まぬワカナさんの寝息を聞き、僕の心は絶望の渦に飲み込まれてしまった。
『諦め』それが僕の脳裏に浮かんだ言葉だ。
しかし僕が諦めかけた時に奇跡が起きた。
「ズビーズ……ぬ……おや、いかんいかん眠ってしまっていたとは……。歳を取るとどうしても眠くなってしまうからのぉ、可愛いレイナの頼みじゃから、ちゃんと話を聞いてあげなくては……」
奇跡的にワカナさんが起きてくれたのだ。長い独り言を話している。完全に目を覚ましてくれただろ。
僕は安心した。次に思ったのは、強くかけている金縛りを弱めてほしいという事だ。
しかし次のワカナさんの言葉が僕を襲った。不安の風が僕を襲ったのだ。
「おやおや……聞いてたよりも美少年じゃないかい」
聞いたことがあるセリフに自分の耳を疑った。先ほども言っていたセリフだ。
もしかして僕は未来を見ていたのか?
正夢ってやつなのだろうか。それか時間を遡ったとか……。
いやいやまさか、そんなことがあるはずがない……
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
次に聞こえたのはワカナさんの寝息だった。
あっ、これ完全にダメだ。ワカナさんしっかりしてくれ……
「ズビーズ……ぬ……おや、いかんいかんまた眠ってしまっていた……」
今度はすぐに起きてくれた。二度目の奇跡を僕は信じたい。
ワカナさんが寝ない事を僕は強く願った。
「さて……」
その言葉に僕は希望が見えた。
「さて」という事は、これから何かを始める合図ではないだろうか。つまり僕と接触するということになる。
「なんじゃったかの? 最近物忘れが激しくて……。レイナが何か言っていたような……。気のせいじゃな。寝よう………………ズビーズビー…………ズビーズビー」
完全におばあちゃんだ。
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
ワカナさんの寝息を聞いて、僕の希望は一瞬にして崩れ落ちた。
それからというもの、ワカナさんは起きる事はなかった。
僕はワカナさんと会話することなく今日の金縛りが終わってしまったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ピピピピッピピピピッ
目覚まし時計が鳴る音だ。この音とともに僕の意識は覚醒した。
目覚ましのアラームを消して倒れていた『座敷兎人形』を起こす。
この人形が倒れている時は最悪なことが起きる。不吉を知らせてくれる『座敷兎人形』だということだ。
もしかしたら昨夜の事を知らせてくれていたのかもしれない。
それとも今後何か嫌なことが起きるという事なのだろうか……。
それにしても1日を無駄にしてしまった。最悪だ。
最悪な気持ちのまま目覚めてしまったが、僕の体には疲労が残っていない。体は元気だ。
昨夜はワカナさんの金縛りにかかりただただ終わってしまった。
体を動かすことも声を出すこともできなかった。
一般的に知られる本物の金縛りにあってしまっただけだった。
「はぁ……」
僕は大きなため息をこぼした。
たとえ体を動かす事ができたとしても、ベテランの金縛り霊のワカナさんとの会話は難しそうだ。
ベテランの金縛り霊とは言え、ワカナさんは高齢者、おばあちゃんだ。
ワカナさん以外だと、やっぱりユーさんにもう一度来てもらうしかない。
ユーさんにはリナが話をしてくれているはずだ。ちゃんと来てくれると嬉しいのだが……。
もうこの際、オカマのユウナさんでも良い。妥協する。
ユウナさんならまとも……と、まではいかないが、ちゃんと会話はできる。
会話の後で何をされるか想像もしたくないけど……。
それにユーさんは僕の疲労を吸い取ってくれない。忙しい仕事の疲れが残るのは、それはそれで辛い。
今夜はどちらかが来てくれれば話し合いもできる。できれば金縛りちゃんも来てほしい。
31日まで時間がないぞ。タイムリミットは刻々と近付いてきている。
このままだと全員とお別れになってしまう最悪の事態が起きてしまう。
それだけは絶対に避けないといけない。
ユーさんは金縛り霊協会会長だ。役職からして金縛り霊の仕事が忙しいかもしれない。
けれど僕には関係ない。好きになった金縛りちゃんたちと、いつまでもずっと一緒にいたい。
だからユーさんには来てもらいたい。そして直接、話がしたい。
僕は拳を強く握りしめて、自分の気持ちを再度確認した。
大好きな金縛りちゃんたちの顔を思い浮かべながら……。
◆◇◆◇◆◇◆◇
バイトの時間が始まった。
後輩のフミヤくんの顔が見当たらない。
気になって店長に聞いたところ、体調不良で休みをもらったそうだ。
それもそうだ。こんなに忙しいバイトの日々が続けば体調も悪くする。
それにフミヤくんは大学生。勉強も忙しいだろう。
休んだフミヤくんの分も僕は頑張らないといけない。
先輩として後輩のために働くのは当然だ。
僕は、いつも以上にバイトにも気合が入った。
そんな日に限って迷惑な酔っぱらいは、来るのである。
酒を飲んで気持ち良くなっているのだろう。店内で大声で歌い始めた。
今流行の歌らしいが、僕は歌には興味がないので、何の歌を歌っているのかわからない。
他のお客さんもいる。注意しにいかないと……。
僕は大声で歌う迷惑な酔っ払いがいる個室をゆっくりと開けた。もちろん笑顔を忘れずに。
「すいません、他のお客様にご迷惑になるので、大声で歌うのはやめてもらってもよろしいでしょうか……」
30代前半くらいスーツを着たサラリーマン風の迷惑な酔っ払いは、僕の顔を見て一気に機嫌が悪くなる。
「あ? 気持ち良く酒飲んでたのによ。何なんだよ。クソが」
僕に向かって怒鳴り始めた。
おそらく僕の見た目が貧相だから、攻撃的な態度を取ったのだろう。
注意しに来たのがマッチョな料理長や店長だったらこんな態度を取らなかったと思う。
「お前さー、何様のつもりだよ。こっちは客だぞ。お客様だぞ?』
焦り返す言葉が遅れてしまった僕に向かって、再び怒鳴り始めた。
『何様のつもりだよ』というセリフは、そっくりそのまま返したい。お客様だから何なんだ。
注意してからは、大人しくはなってくれたが、終始攻撃的な態度を僕に取っていた。
『おい』『早くしろ』『おせーよ』『お前』『クソ』などと、言葉をその時の状況に合わせて連呼連呼。
料理を出すたびに『うわーまずそう』などと煽ってきたが愛想笑いをする事しかできない。
それが店員の立場でもある僕の宿命だ。
お会計の時は『まずかった』『こんな店、二度と来ない』『お前キモすぎ』などと暴言を吐いて出て行った。
厨房では、迷惑な酔っ払いを追いかけようとしていた店長を料理長が必死に抑えていた。
「殴らせろ、あんなの客じゃない」
「お、落ち着けって……」
店長は鼻息を荒くして鬼のような形相だった。
落ち込み丸くなった背中をパートのおばちゃんたちが優しく叩いてくれた。
「気にしないでいいんだよ。二度と来ないって言ってたんだから良かったじゃないか」
「は、はい。ありがとうございます」
優しく声をかけてくれるパートのおばちゃん。
僕は、その言葉に癒された。金縛り霊でもないのに心が暖かくなり癒された気分になった。
癒されたのと同時に怒りも込み上げてくる。
パートのおばちゃんが言った通り、僕は何も悪くない。だから気にすることは何もない。
しかし、それでも腹が立つ。今更、はらわたが煮えくり返りそうになった。
僕が店員の立場ではなく、他の客としてこの場にいたとしても腹が立っていただろう。
やっぱり迷惑な酔っ払いが世界で一番嫌いだ。
そんな僕に声をかけてくれたのは、パートのおばちゃんたちだけではなかった。
『大丈夫だった?』と、オーダーの時に40代くらいのお客さんが心配そうな顔で声をかけてくれた。
『大変だったね』と、お会計の時に声をかけてくれた20代くらいのお客さんもいる。
『うるさかったから助かったよ。ありがとうな』と、ヤンキーのお兄さんたちも笑顔で声をかけてくれた。
そんな一言一言が僕の救いの言葉になる。
僕に温かい言葉をかけてくれる。それだけで涙が出そうになった。
あの迷惑な酔っ払いは大声で歌っていたし、怒鳴っていたから他のお客さんに聞こえていたんだ。
そして他のお客さんは、そのことに対して気にしてくれていたんだ。
温かい言葉をかけてくれた酔っ払い、大声で怒鳴っていた酔っ払い。
同じ酔っ払いでもこんなに差があるんだと、改めて思った。
そんな感じで今日のバイトは終わった。
帰り道酔っ払いがキャバクラ嬢に悪絡みしているのを見かけた。
酔っ払いを相手にする職業として、他人事じゃないなと感じた。
居酒屋のバイトだろうが、キャバ嬢だろうが、酔っ払い相手は大変なのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
家に帰ってきた僕は、そのままベットにダイブする。
精神的にも肉体的にも疲労が蓄積された1日だった。
今夜は、金縛りちゃんたちに癒されたい。金縛りちゃんたちに来てほしい。
カナ、レイナ、リナ。お願いだ。来てくれ。
届け、この想い! 霊界まで僕の気持ちよ届け!
金縛りちゃんたちが来る事を信じながら、僕の意識は暗い暗い闇の中へと吸い込まれていった。
いつもなら軽く動かせるはずの体だったが今日は動かすことができない。
つまり金縛りちゃんたちではない、誰かが来たという事だろう。
金縛り霊協会会長のユーさんか?
それともユーさんに恋をしたワカナさんか?
オカマの金縛り霊のユウナさんか?
まだ僕が知らない金縛り霊か?
ただ今の僕は体を動かすことができない。オカマのユウナさんが来たのならば体は動かせるはずだ。
それにユーさんは最初は『調整が難しい』とか言っていたが、最終的には僕の体は動かせた。
なら今回、僕に金縛りをかけに来たのは知らないワカナさんの可能性が高い。
それか僕の知らない別の金縛り霊か……。
確かユーさんの話によるとワカナさんは70代のおばあちゃんだ。
おばあちゃんにこんな強い金縛りをかける事は可能なのだろうか?
僕の目は開いている。しかし見えているのは薄暗い真っ白な天井だけだ。
僕に金縛りをかけている金縛り霊の姿が見えない。
「おやおや……聞いてたよりも美少年じゃないかい」
突然、僕の足元の方から声がした。落ち着いた大人、いや、それ以上の女性の声だ。
これは僕の勝手なイメージだが、声の特徴、雰囲気からしてワカナさんで間違いないだろう。
足元にいる金縛り霊の姿を確認したいが、強い金縛りの束縛からは僕は逃れられない。
人形のように体が全く動かない。
ワカナさんがいる可能性は高い。つまりレイナが話をしてくれて、僕に金縛りをかけに来てくれたんだろう。
レイナやカナそれにリナがこの場にいないのはなぜだろう?
この場にいないということは、他の人のところに行って金縛りをかけているのかもしれない。
僕以外の別の人のところに……。なんだこのモヤモヤした気持ちは……。
嫉妬心が胸が爆発しそうだ。張り裂ける。
それもこれも全ては、今後の金縛りちゃんたちとの生活のためだ。
胸が張り裂けてしまっても仕方がない。
今は目の前のベテランの金縛り霊のワカナさんと話をしなければならない。
僕は声を出そうと喉に力を入れた。
「ぅ……」
分かっていたことだけど声が出ない。息が漏れた音しか出なかった。
ワカナさんの金縛りは強い。とてつもなく強力だ。
ユーさんよりは強い金縛りでは無い。あの時は息を吸うのがやっとだったから。
ユーさんは金縛りをかける調整してくれて、僕が動けて喋れるくらいまでしてくれた。
それならワカナさんもそうしてくれるだろう。
相談を聞きに来てくれたのなら金縛りを調整しないのはおかしい。
「……」
ワカナさんは、一度声を出してから一切言葉を発していない。
なぜだろうか?
僕の見えるところまで動いてもくれない。なんでずっとアクションがないのだろうか。
「……ぃ……」
何かが聞こえてきた。物音ではない。声のような感じだ。
「……ぅ……」
なんの音なのだろうか……。嫌な予感しかしない。
「……ぅ……ぃ……」
金縛り経験が豊富な僕はこの時、嫌な予感がなんなのか想像してしまった。
謎の音、そして姿を見せないワカナさん。
今までの経験を踏まえて僕が導き出した答えは……
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
寝息だ。ワカナさんは眠っている。
「ぅ……ぁ……」
ワカナさんを起こすために叫ぼうとしたが声が出ない。
おばあちゃん……しっかりしてくれ!
どうすんだよこの状況。まさか寝落ちするだなんて……。
せめて、せめて僕の体さえ動いてくれれば……。
というかワカナさんの金縛り、どんだけ強いんだよ。
僕は指先を動かそうと試みたが全く動く気配がなかった。
ここは一旦、落ち着こう。平常心。リラックスしなきゃ。
大丈夫だ。いつも動いてるではないか。自分の体が動くようにイメージしよう。
イメージをしながら深呼吸を試みる。
「ぅ……はぁ……ぅ……ぁ……」
ゆっくりだが、深呼吸のようなものはできる。
だが、これは深呼吸とは言えない。
ただゆっくり浅く呼吸を繰り返しているだけだ。
なので僕の体は全く動ける様子はない。
くそー。このままだと今日1日失敗に終わってしまう。無駄な1日を過ごすことになるぞ。
金縛りにはかかっているから、僕の疲労を吸い取ってはくれているはずだ。
だから体の心配は必要ないと思う。
待てよ……もしかして僕の疲労を吸い取ってしまったせいで、ワカナさんは寝てしまったのか?
あり得る。
金縛り霊にとっての栄養は、僕の場合何か特別なものがあるらしい。
そのせいでカナも大事な時に眠っていたりした。レイナも僕の栄養を気に入っている。
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
鳴り止まぬワカナさんの寝息を聞き、僕の心は絶望の渦に飲み込まれてしまった。
『諦め』それが僕の脳裏に浮かんだ言葉だ。
しかし僕が諦めかけた時に奇跡が起きた。
「ズビーズ……ぬ……おや、いかんいかん眠ってしまっていたとは……。歳を取るとどうしても眠くなってしまうからのぉ、可愛いレイナの頼みじゃから、ちゃんと話を聞いてあげなくては……」
奇跡的にワカナさんが起きてくれたのだ。長い独り言を話している。完全に目を覚ましてくれただろ。
僕は安心した。次に思ったのは、強くかけている金縛りを弱めてほしいという事だ。
しかし次のワカナさんの言葉が僕を襲った。不安の風が僕を襲ったのだ。
「おやおや……聞いてたよりも美少年じゃないかい」
聞いたことがあるセリフに自分の耳を疑った。先ほども言っていたセリフだ。
もしかして僕は未来を見ていたのか?
正夢ってやつなのだろうか。それか時間を遡ったとか……。
いやいやまさか、そんなことがあるはずがない……
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
次に聞こえたのはワカナさんの寝息だった。
あっ、これ完全にダメだ。ワカナさんしっかりしてくれ……
「ズビーズ……ぬ……おや、いかんいかんまた眠ってしまっていた……」
今度はすぐに起きてくれた。二度目の奇跡を僕は信じたい。
ワカナさんが寝ない事を僕は強く願った。
「さて……」
その言葉に僕は希望が見えた。
「さて」という事は、これから何かを始める合図ではないだろうか。つまり僕と接触するということになる。
「なんじゃったかの? 最近物忘れが激しくて……。レイナが何か言っていたような……。気のせいじゃな。寝よう………………ズビーズビー…………ズビーズビー」
完全におばあちゃんだ。
「…………ズビーズビー…………ズビーズビー」
ワカナさんの寝息を聞いて、僕の希望は一瞬にして崩れ落ちた。
それからというもの、ワカナさんは起きる事はなかった。
僕はワカナさんと会話することなく今日の金縛りが終わってしまったのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
ピピピピッピピピピッ
目覚まし時計が鳴る音だ。この音とともに僕の意識は覚醒した。
目覚ましのアラームを消して倒れていた『座敷兎人形』を起こす。
この人形が倒れている時は最悪なことが起きる。不吉を知らせてくれる『座敷兎人形』だということだ。
もしかしたら昨夜の事を知らせてくれていたのかもしれない。
それとも今後何か嫌なことが起きるという事なのだろうか……。
それにしても1日を無駄にしてしまった。最悪だ。
最悪な気持ちのまま目覚めてしまったが、僕の体には疲労が残っていない。体は元気だ。
昨夜はワカナさんの金縛りにかかりただただ終わってしまった。
体を動かすことも声を出すこともできなかった。
一般的に知られる本物の金縛りにあってしまっただけだった。
「はぁ……」
僕は大きなため息をこぼした。
たとえ体を動かす事ができたとしても、ベテランの金縛り霊のワカナさんとの会話は難しそうだ。
ベテランの金縛り霊とは言え、ワカナさんは高齢者、おばあちゃんだ。
ワカナさん以外だと、やっぱりユーさんにもう一度来てもらうしかない。
ユーさんにはリナが話をしてくれているはずだ。ちゃんと来てくれると嬉しいのだが……。
もうこの際、オカマのユウナさんでも良い。妥協する。
ユウナさんならまとも……と、まではいかないが、ちゃんと会話はできる。
会話の後で何をされるか想像もしたくないけど……。
それにユーさんは僕の疲労を吸い取ってくれない。忙しい仕事の疲れが残るのは、それはそれで辛い。
今夜はどちらかが来てくれれば話し合いもできる。できれば金縛りちゃんも来てほしい。
31日まで時間がないぞ。タイムリミットは刻々と近付いてきている。
このままだと全員とお別れになってしまう最悪の事態が起きてしまう。
それだけは絶対に避けないといけない。
ユーさんは金縛り霊協会会長だ。役職からして金縛り霊の仕事が忙しいかもしれない。
けれど僕には関係ない。好きになった金縛りちゃんたちと、いつまでもずっと一緒にいたい。
だからユーさんには来てもらいたい。そして直接、話がしたい。
僕は拳を強く握りしめて、自分の気持ちを再度確認した。
大好きな金縛りちゃんたちの顔を思い浮かべながら……。
◆◇◆◇◆◇◆◇
バイトの時間が始まった。
後輩のフミヤくんの顔が見当たらない。
気になって店長に聞いたところ、体調不良で休みをもらったそうだ。
それもそうだ。こんなに忙しいバイトの日々が続けば体調も悪くする。
それにフミヤくんは大学生。勉強も忙しいだろう。
休んだフミヤくんの分も僕は頑張らないといけない。
先輩として後輩のために働くのは当然だ。
僕は、いつも以上にバイトにも気合が入った。
そんな日に限って迷惑な酔っぱらいは、来るのである。
酒を飲んで気持ち良くなっているのだろう。店内で大声で歌い始めた。
今流行の歌らしいが、僕は歌には興味がないので、何の歌を歌っているのかわからない。
他のお客さんもいる。注意しにいかないと……。
僕は大声で歌う迷惑な酔っ払いがいる個室をゆっくりと開けた。もちろん笑顔を忘れずに。
「すいません、他のお客様にご迷惑になるので、大声で歌うのはやめてもらってもよろしいでしょうか……」
30代前半くらいスーツを着たサラリーマン風の迷惑な酔っ払いは、僕の顔を見て一気に機嫌が悪くなる。
「あ? 気持ち良く酒飲んでたのによ。何なんだよ。クソが」
僕に向かって怒鳴り始めた。
おそらく僕の見た目が貧相だから、攻撃的な態度を取ったのだろう。
注意しに来たのがマッチョな料理長や店長だったらこんな態度を取らなかったと思う。
「お前さー、何様のつもりだよ。こっちは客だぞ。お客様だぞ?』
焦り返す言葉が遅れてしまった僕に向かって、再び怒鳴り始めた。
『何様のつもりだよ』というセリフは、そっくりそのまま返したい。お客様だから何なんだ。
注意してからは、大人しくはなってくれたが、終始攻撃的な態度を僕に取っていた。
『おい』『早くしろ』『おせーよ』『お前』『クソ』などと、言葉をその時の状況に合わせて連呼連呼。
料理を出すたびに『うわーまずそう』などと煽ってきたが愛想笑いをする事しかできない。
それが店員の立場でもある僕の宿命だ。
お会計の時は『まずかった』『こんな店、二度と来ない』『お前キモすぎ』などと暴言を吐いて出て行った。
厨房では、迷惑な酔っ払いを追いかけようとしていた店長を料理長が必死に抑えていた。
「殴らせろ、あんなの客じゃない」
「お、落ち着けって……」
店長は鼻息を荒くして鬼のような形相だった。
落ち込み丸くなった背中をパートのおばちゃんたちが優しく叩いてくれた。
「気にしないでいいんだよ。二度と来ないって言ってたんだから良かったじゃないか」
「は、はい。ありがとうございます」
優しく声をかけてくれるパートのおばちゃん。
僕は、その言葉に癒された。金縛り霊でもないのに心が暖かくなり癒された気分になった。
癒されたのと同時に怒りも込み上げてくる。
パートのおばちゃんが言った通り、僕は何も悪くない。だから気にすることは何もない。
しかし、それでも腹が立つ。今更、はらわたが煮えくり返りそうになった。
僕が店員の立場ではなく、他の客としてこの場にいたとしても腹が立っていただろう。
やっぱり迷惑な酔っ払いが世界で一番嫌いだ。
そんな僕に声をかけてくれたのは、パートのおばちゃんたちだけではなかった。
『大丈夫だった?』と、オーダーの時に40代くらいのお客さんが心配そうな顔で声をかけてくれた。
『大変だったね』と、お会計の時に声をかけてくれた20代くらいのお客さんもいる。
『うるさかったから助かったよ。ありがとうな』と、ヤンキーのお兄さんたちも笑顔で声をかけてくれた。
そんな一言一言が僕の救いの言葉になる。
僕に温かい言葉をかけてくれる。それだけで涙が出そうになった。
あの迷惑な酔っ払いは大声で歌っていたし、怒鳴っていたから他のお客さんに聞こえていたんだ。
そして他のお客さんは、そのことに対して気にしてくれていたんだ。
温かい言葉をかけてくれた酔っ払い、大声で怒鳴っていた酔っ払い。
同じ酔っ払いでもこんなに差があるんだと、改めて思った。
そんな感じで今日のバイトは終わった。
帰り道酔っ払いがキャバクラ嬢に悪絡みしているのを見かけた。
酔っ払いを相手にする職業として、他人事じゃないなと感じた。
居酒屋のバイトだろうが、キャバ嬢だろうが、酔っ払い相手は大変なのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇
家に帰ってきた僕は、そのままベットにダイブする。
精神的にも肉体的にも疲労が蓄積された1日だった。
今夜は、金縛りちゃんたちに癒されたい。金縛りちゃんたちに来てほしい。
カナ、レイナ、リナ。お願いだ。来てくれ。
届け、この想い! 霊界まで僕の気持ちよ届け!
金縛りちゃんたちが来る事を信じながら、僕の意識は暗い暗い闇の中へと吸い込まれていった。
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