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第3章

42 今夜が修羅場にならないためにも、しっかり考えないといけない

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 ピピピピッピピピピッ

 目覚まし時計が鳴る音だ。

 僕は意識の覚醒と共に呼吸の仕方がわからなくなる。
 寝ている時はしっかり呼吸していたはずなのに『呼吸』という行為を意識した途端に肺が機能しなくなる。
 深呼吸をして呼吸を整えようとするが、溺れているような感覚に襲われうまく酸素を送り込む事ができない。
 僕は目起き早々に過呼吸になっていた。

「はぁ……ふぅ…………はぁ……ふぅ……」

 息苦しさ以外は何一つ問題がない。
 体に溜まっていた疲労も……今まで感じたことない悲しみも全てが綺麗になくなっていた。

 この体の変化からわかる事がある。
 金縛り霊に疲労と悲しみを吸われたんだと。
 そして昨夜の出来事は夢ではなかったことに……。

 昨夜、現れた金縛り霊はカナちゃんでもレイナちゃんでもオカマのユウナさんでも兎村の3姉妹でもなかった。
 あれは紛れもなく死んだはずのリナ先輩だ。
 リナ先輩は死んで金縛り霊になったのだ。
 そして僕の前に現れた。

 僕は喜びのあまり滝のように涙が流れ止まらなかった。
 そのせいでまともに話すらもできなかった。
 その後、僕の意識が朦朧として、別の誰かがきたような……。
 思い出せない。誰かいたような気がしたけど、それこそ夢だったのか?

 今夜また現れてくれればきっと話ができる。
 ただ問題がある。今夜、金縛りにかけに来るのリナ先輩だけじゃない。
 謹慎処分が解除されたカナちゃんとレイナちゃんも今夜金縛りをかけにくるはずだ。

 なぜだろう。嬉しいはずなのに複雑な気持ちだ。
 今夜、金縛り霊の3人が僕の部屋に同時に現れる。
 僕にとっては天国だが、実際は修羅場でしかない。

 僕に告白したリナ先輩はどんな気持ちになるだろうか。
 そして僕のことが好きすぎるレイナちゃんもどんな行動をとるか気になる。
 初めてリナ先輩の家に泊まりに行った時、レイナちゃんは僕に金縛りをかけてきた。
 なのでリナ先輩の事を知っている。
 どんな反応をするのか予想ができない。
 予想するとしたら争い事が起きるに違いない。今夜は不安でしかない……

 できれば霊界とやらで仲良くなって3人仲良く金縛りをかけにきて欲しいのだけど……。

 これで専属の金縛り霊の契約とやらを余計に結び辛くなってきた。

 とりあえず言い訳、いや、話す内容とかはバイト中にでも考えておこう。
 平和的解決ができるように予め策を練っておけば大丈夫だろう……たぶん……。

 あ、そっか……金縛り霊としてリナ先輩は来てくれたけど生き返ったわけじゃないんだ。
 バイト先に行っても、もうリナ先輩はいないんだ……。

 悲しみがまた蘇ってしまった。心の中を黒い渦が締め付けている。
 でもリナ先輩には会える。金縛り霊として会えるんだ。

 だからこそ僕にはやらなきゃいけないことがある。

 3人の金縛りちゃんのために疲労を溜めなければならない。
 どんなに疲れを溜め込んでも金縛り霊の不思議な力のおかげで朝には元気になっている。
 だからこれからは3人分の疲労を溜めなくてないけない。
 バイトを頑張ろう。迷惑な酔っ払い大歓迎だ。昨日休んでしまった分も張り切ってやっていこう。

 僕は気合十分だった。
 そしていつの間にか呼吸が正常に戻っていた。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 バイト先で店長が僕に気を使って話しかけてくれた。
 僕だけじゃない。みんなに気を使って話しかけていた。店長は本当にいい人だ。

「気持ちは落ち着いたかい? もう少し休んでてもいいのに……」

「店長、昨日は休みをくださりありがとうございました。今はだいぶ落ち着きましたので大丈夫です。今日は休んだ分もリナ先輩の分も頑張りますのでよろしくお願いします」

「あまり無理はしないようにね。今日もよろしくな」


 スタッフルームにあったはずのリナ先輩の荷物はすでに無くなっていた。
 開いたスペースが悲しみを増加させる。
 落ち着いていたはずの心が再び悲しみに支配されそうだ。


「ウサギ先輩。昨日は大丈夫でしたか?」

 下を向く僕に話しかけて来たのは後輩のフミヤくんだ。
 韓流系のイケメンの彼は僕のことを心配してくれている。

 そうだ……僕はフミヤくんの先輩なんだ。先輩らしく後輩のためにも頑張らなくてはならない。
 そしてリナ先輩のように後輩から頼られる先輩にならなきゃいけない。暗い顔なんてできない。

「昨日は僕の代わりに出てくれたみたいだね。休んでごめんね。それとありがとう。今日からまたよろしくね」

「は、はい。よろしくお願いします」

 無理に作った笑顔は不自然ではなかっただろうか? そんなことを思いながら今日のバイトが始まる。

 12月になるとお店はいつ以上に忙しくなる。それに伴い迷惑な酔っ払いも増える。これは仕方ないことだ。
 仕方がないことだけどやっぱり酔っ払いに絡まれるのは嫌だ。
 そんなことを思っていたらフミヤくんが酔っ払いのターゲットにされていた。

「おい! お前! あのおっぱいとケツがデケーねぇーちゃんはどこ行った? 今日こそはケツでも揉みんでやろうかと思ったわ! お前揉んだ事あるか? ハハッッハッッハ!」

 なんともデリカシーがない酔っ払いだ。それにタイミングが悪すぎる。

 フミヤくんは困って愛想笑いで誤魔化している。僕も含めて愛想笑いしかできないのが弱い店員の立場だ。
 それ以外の対応が見つからない。

 リナ先輩が亡くなったことも知らずにこの客は……。

 フミヤくんは暗い顔をして戻って来た。

「ウサギ先輩……あそこの席に行かない方がいいですよ。結構酔っ払ってます」

「うん。聞こえてたよ。酔っ払ってるから仕方ないけど……嫌だよね……」

 フミヤくんがかわいそうだ。それに亡くなっていなかったとしてもリナ先輩に失礼だ。

『酔っ払ってるから仕方がない』この言葉も『お客様は神様』という言葉の次に嫌いだ。
 酔っ払いは何しても許されるのか? 迷惑な人は迷惑だ。

 皿を割っても、酔っ払ってるから仕方がないで済まされる。
 口が悪くても、酔っ払ってるから仕方がないで済まされる。
 叫んでも迷惑をかけても、酔っ払ってるから仕方がないで済まされる。

 だからこの言葉も嫌いだ。


 迷惑な酔っ払いは帰り際も僕とフミヤくんに向かって胸を揉むジェスチャーをしていた。
 なんなら舌を出して舐め回す仕草もしていた。
 この酔っ払いは本当にタイミングが悪い。
 そして気持ちも悪い。本当に心の底から胸糞悪いと思った。

 リナ先輩が亡くなったことをあの迷惑な酔っ払いに言いたかった。
 それを聞いたらどんな反応するのか見てみたかった。
 謝るのか、それでもまだ続けるのか。できれば謝ってほしい。
 でも言えるわけがない……。
 苛立ちと精神的ストレス、そして緑色に渦巻くむず痒い気持ちが僕の心を支配していった。


 迷惑な酔っ払いが扉を閉め帰っていくのを確認してから、僕とフミヤくんは息苦しかった空間から解放されて一息ついた。


「帰りましたね……」

「何事もなくてよかったよ……」

 でも本心では精神的ストレスが蓄積できて喜んでいる僕がいた。
 不謹慎とは言え、金縛り霊になったリナ先輩本人のために貯めた栄養でもある。
 なんとも複雑な気持ちだ。

 そして時間が過ぎていき、今日のバイトが終わった。

 忙しくて今夜の話す内容を考えている余裕はなかった。
 とりあえず今夜に向けての作戦は『思ったことを話す』だ。
 あの3人は仲良くしてほしい。
 その気持ちをしっかり伝えればちゃんと受け止めてくれるだろう。そう信じたい。

 帰り道はそのことで頭がいっぱいだった。
 考えられる時間はもう少ない。だから一生懸命考えた。


 家に着いた僕は真っ先にベットに飛び込む。
 早く会いたいという気持ちもあるが単純にバイトで受けた精神的ストレスや疲労が大きい。
 このくらいの疲労で3人を満足させられるか不安だ……それでも目を閉じればすぐに眠ってしまうのではないかと思うくらいの疲労は溜まっている。

 目を閉じてる間にもいろんなことを思考するが眠った瞬間に思考していたこと全てを忘れそうな気がした。

 僕の意識はいつの間にか暗い暗い闇の中へ消えていった。
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