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漆黒のイカスミ担々麺 (大盛り)
014:あの日の約束、勇者パーティーの未練
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「我は決めたぞ! これを食べてみようと思う!」
女剣士リュビ・ローゼがメニュー表を指差す。
そこには異世界の文字で〝漆黒のイカスミ担々麺〟と書かれていた。
「わ、わ、わたしも、お、同じ……同じもので!」
女魔術師エメロード・リリシアは、おどおどとしながらもローゼと同じもの――〝漆黒のイカスミ担々麺〟を注文した。
「おぬしら同じもので良いのか?」
「ああ、構わない。同じもので大丈夫だ」
「そうか。もしよかったら大盛りで注文して取り分けることも可能じゃぞ? ちなみに大盛りは無料じゃ。少しお得じゃよ」
魔王マカロンの言う通り、同じものを注文した場合は、大盛りにして取り分けた方が確実にお得なのだ。
腹も満たされて支払いも安い。大盛りを無料で提供している飲食店に対しての客側の裏技と言っても過言ではない方法だ。
それを店側である魔王マカロンが言うのだ。親切以外の何ものでもない。
「その親切心、やはり魔王とは一切の関係がなさそうだな」
安堵の息を吐くローゼだが、目の前の注文を取っている悪魔族の少女こそ彼女らが恐れている魔王本人だ。
「う、うぬ、そ、そうじゃよ。魔王とは一切関係ないのじゃよ」
魔王マカロンは嘘をついた。嘘をつくしかなかったのだ。
これも全ては愛する担々麺のため。そして愛する勇者ユークリフォンスのためだ。
しかし嘘をついている魔王マカロンの顔はどこか不自然だ。
普段から勇者ユークリフォンスに対して本音を滑らせている性格な故、嘘をつくのが苦手だということなのであろう。
その不自然な表情にリリシアは気付き、不思議そうに小首を傾げるものの、指摘することはなかった。
「それにこんな可愛い店員さんが魔王だなんてあり得ないからな」
「なんか複雑な気持ちじゃのぉ……」
「複雑?」
「な、何でもないのじゃ!」
「まあいい。それで取り分けるかどうかだったよな? せっかくの親切心を無駄にしてしまうのは申し訳ないが、取り分けるのは結構だ。我々はたまたま料理がかぶってしまっただけ。そのままの注文で……〝漆黒のイカスミ担々麺〟を二つ注文で頼む。あっ、取り分けないと言ったが、二つとも大盛りで頼む。無料には弱い性格でな」
「〝漆黒のイカスミ担々麺〟の大盛りを二つじゃな。かしこまりましたなのじゃ!」
注文を取った魔王マカロンは踵を返して厨房へと向かった。
厨房へと向かっている最中「いや、たまたまじゃないか……」と、ローゼの呟きが耳に入るが、それを気にして足を止めることなく厨房へと入っていった。
「たまたまじゃないとはどういうことなのじゃ? イカスミ担々麺を、いや、担々麺を知っているということか? やはり、ゆーくんに担々麺のことを教えてもらっていたか」
ローゼの発言が気になってしまった魔王マカロンは、勇者ユークリフォンスに料理を伝えるのを忘れて独り言を呟いていた。まるで事件を整理する探偵のように。
「何ぶつぶつ言ってるんだ?」
勇者ユークリフォンスは魔王マカロンの独り言を聞いたが、その内容までは聞き取れていない様子だった。
「あっ、いや、こっちの話じゃよ。二人ともイカスミ担々麺の注文じゃったよ。二つとも大盛りじゃ」
「あー、だと思った」
「だと思った?」
彼の言葉に引っかかった魔王マカロンは、鸚鵡返しでたずね返した。
『たまたまじゃない』と発言したローゼと、注文を聞いて『だと思った』と発言した勇者ユークリフォンス。
二人の言葉には関係性があるのだと悟ったのだ。
「知り合いだからと言って、あいつらはお客様だ。お客様を待たせちゃ悪いからな。作りながら話すよ」
「そうじゃな、では作りながら訊こうではないか」
二人は作業に取り掛かった。
と言っても主に調理をするのは勇者ユークリフォンスの方だ。魔王マカロンは接客を担当する謂わばホールスタッフのようなもの。
先ほどのローゼとリリシアや昨日の店潰しの美食家エルバームの時のように混雑していない時のみ、勇者ユークリフォンスの調理の手伝いをするのである。
もちろん客に呼ばれたらすぐに対応できるように、細かい作業や難しい作業などは行わない。
あくまで調理をメインとする勇者ユークリフォンスの補助――手助けだ。
というのは建前上の話。本当は一分一秒でも彼と一緒にいたいだけなのである。その気持ちは勇者ユークリフォンスも同じだ。
そんな絶賛両想いの二人は〝漆黒のイカスミ担々麺〟の調理に取り掛かった。
濃厚でこってりなゲンコツスープの芳醇な香りが漂う厨房。そこに密封された容器が開けられて別の強い香りが混ざり合う。
「新鮮なイカスミの良い香りじゃ」
「だな。貝類の独特の香りも食欲をそそるものがあるよな。それでだ、さっきの話の続きはこいつと関係している」
勇者ユークリフォンスはイカスミが入った容器を魔王マカロンに見せた。
その容器が近付くのと同時に生臭さが一切ない新鮮なイカスミの香りと磯の香りが、魔王マカロンの鼻腔を刺激する。
嗅覚に思考回路が支配しされかけるが、すぐに視覚からの情報で彼女の思考回路は正常な働きを見せる。
「こいつとはイカか? それともイカスミか?」
「イカ……いや、正確には魔獣クラーケンだ」
「おお、懐かしい名前じゃのぉ」
魔獣クラーケン。それは世界を脅かせていた魔獣の一体。
魔王軍の配下に属しており、海の怪物として恐れられていた魔獣でもある。
勇者ユークリフォンスが現役時代に仲間たちとともに命がけで討伐した魔獣でもある。
「あれは六年くらい前か。俺たち勇者パーティーが――」
「なんだか話が長くなりそうじゃな。そんなに時間もないじゃろ。簡潔に頼む」
「お、おう。そうだな」
回想シーンに入ろうとしていた勇者ユークリフォンスを魔王マカロンが遮った。
〝漆黒のイカスミ担々麺〟の調理時間はおよそ七分。二人分作る場合でもほぼ調理時間に変化はない。回想するには短すぎる時間なのだ。
その証拠に二つの丼鉢の中には、イカスミ担々麺を作るのに必要な材料のほとんどが入れられていた。
甘旨でどろどろつぶつぶな背脂、辛味成分の要である赤唐辛子とアッカの実の粉末、黒胡麻ベースで作られた特製の担々麺の素、先ほど密封された容器から取り出した新鮮なイカスミ、それらが丼鉢の中に計算された完璧な量入れられているのだ。
さらには隠し味として真心が注がれている。決して愛情は注がない。
愛情を注ぐのは真に愛している者に対してのみ。
お客様に対して注ぐのは真心だ。真心を込めて作る料理こそ、芯にまで届く美味しさを出させてくれるのである。
「簡潔に説明するとだな、当時の勇者パーティーにあいつらもいて、魔獣クラーケンを討伐したその日の宴で約束したんだよ」
「約束じゃと?」
「ああ、いつか美味しいイカ料理を食べさせてやるってな。宴の時に出されたイカ料理がさ、あまりにも不味くて、それでいて生臭くてさ、苦しそうにしてる二人を見て思わず約束しちまったんだよ」
「クラーケンが住処にしていた街は漁業で有名じゃったろ? そんなに不味かったのか? まあ、味はこの際どうでもいいのじゃ。それでその約束とやらを果たせていないと?」
「まあな。魔獣やら魔王の幹部やらの討伐で忙しくてな。料理なんてする暇がなかったし、この世界の料理屋の料理って中の中、いや、中の下レベルだろ? 美味しいイカ料理なんて三大秘宝を見つけるよりも難しいからな。だからあいつらはイカ料理に未練があるんだと思う。その未練を俺が作ってしまったんだとも思ってるよ……」
イカ料理を食べさせてあげられなかった悔しさと悲しさ、そして責任を感じているような眼差しを丼鉢の中のイカスミに向ける勇者ユークリフォンス。
「こんな形になってしまったが、あいつらの未練を晴らすことができるのは、勇者パーティーの仲間として嬉しく思えるよ」
「妾はイカ料理よりも、勇者に、おぬしに未練を――」
魔王マカロンが喋っているその時だった。
――ピピピピッ、ピピピピッ。
スープを注ぐ時間、そして麺の茹で終わりを知らせるタイマーが、厨房に響き渡り彼女の声を遮った。
タイマー音を消すことなく、勇者ユークリフォンスはスープを注ぐための調理器具――スープレードルを手に取った。
異世界の豚のゲンコツを使用した濃厚こってりで熱々のスープを、〝漆黒のイカスミ担々麺〟の材料が入っている丼鉢の中へと注いでいく。
視界を奪うほどの真っ白な湯気と、さらに濃厚で芳醇なスープの香りが厨房内を埋め尽くす。
すぐに換気扇へと吸い込まれてしまう湯気だが、まるで意識を持っているかのように換気扇から逃げる湯気もある。
その湯気は消えてしまうまでの僅かな時間を無駄にはしない。最後の最後まで力を振り絞り目的を果たそうとするのだ。
その目的はこの香りを客席で待つ客に届けること。
湯気たちは自分たちの濃厚で芳醇なスープの香りで、客の鼻腔を刺激し、目的を果たすのである。
「いい香りだな」
「お、お、美味し、そうな、か、香りですねっ」
より一層待ち遠しさを感じ、より一層空腹感を与える。
一瞬でも気を抜いてしまえば腹が鳴ってしまうこと間違いなしの香りだ。
魔王マカロンと勇者ユークリフォンスが意図しないところでも与える影響はあるということ。
それはプラスの面でもマイナスの面でも同じ。
気を引き締めなければマイナス面が目立つこともあるが、その心配は担々麺を愛し担々麺専門店を営む二人には不要かもしれない。
そんなこんなで勇者ユークリフォンスは〝漆黒のイカスミ担々麺〟の仕上げを――トッピング作業を魔王マカロンと一緒に始めていた。
トッピングの最中は一切の会話がない。誰が何をどこに入れるのかを阿吽の呼吸のみで行なっている。
こうして〝漆黒のイカスミ担々麺〟が完成する。
「片手で二つ持とうとするなよ? 火傷するからな? 無理せずトレーを使って運べよ。まーちゃんの手は小さいんだから」
「おぬしは妾の親か! 心配せぬともトレーを使うわ。それに妾は火には耐性がある。火傷なんてしないのじゃ」
「そうだった。この変装の魔法のせいでキミが魔王というのを忘れて、小動物のようにか弱い女の子に見えていたよ。守りたくなるようなそんな女の子に」
「わ、わかったから! 顔がニヤけてしまうではないか。では、行ってくるぞ」
「うん。頼んだ!」
一枚のトレーに載った大盛りの〝漆黒のイカスミ担々麺〟が二杯、ローゼとリリシアの元へと運ばれる。
女剣士リュビ・ローゼがメニュー表を指差す。
そこには異世界の文字で〝漆黒のイカスミ担々麺〟と書かれていた。
「わ、わ、わたしも、お、同じ……同じもので!」
女魔術師エメロード・リリシアは、おどおどとしながらもローゼと同じもの――〝漆黒のイカスミ担々麺〟を注文した。
「おぬしら同じもので良いのか?」
「ああ、構わない。同じもので大丈夫だ」
「そうか。もしよかったら大盛りで注文して取り分けることも可能じゃぞ? ちなみに大盛りは無料じゃ。少しお得じゃよ」
魔王マカロンの言う通り、同じものを注文した場合は、大盛りにして取り分けた方が確実にお得なのだ。
腹も満たされて支払いも安い。大盛りを無料で提供している飲食店に対しての客側の裏技と言っても過言ではない方法だ。
それを店側である魔王マカロンが言うのだ。親切以外の何ものでもない。
「その親切心、やはり魔王とは一切の関係がなさそうだな」
安堵の息を吐くローゼだが、目の前の注文を取っている悪魔族の少女こそ彼女らが恐れている魔王本人だ。
「う、うぬ、そ、そうじゃよ。魔王とは一切関係ないのじゃよ」
魔王マカロンは嘘をついた。嘘をつくしかなかったのだ。
これも全ては愛する担々麺のため。そして愛する勇者ユークリフォンスのためだ。
しかし嘘をついている魔王マカロンの顔はどこか不自然だ。
普段から勇者ユークリフォンスに対して本音を滑らせている性格な故、嘘をつくのが苦手だということなのであろう。
その不自然な表情にリリシアは気付き、不思議そうに小首を傾げるものの、指摘することはなかった。
「それにこんな可愛い店員さんが魔王だなんてあり得ないからな」
「なんか複雑な気持ちじゃのぉ……」
「複雑?」
「な、何でもないのじゃ!」
「まあいい。それで取り分けるかどうかだったよな? せっかくの親切心を無駄にしてしまうのは申し訳ないが、取り分けるのは結構だ。我々はたまたま料理がかぶってしまっただけ。そのままの注文で……〝漆黒のイカスミ担々麺〟を二つ注文で頼む。あっ、取り分けないと言ったが、二つとも大盛りで頼む。無料には弱い性格でな」
「〝漆黒のイカスミ担々麺〟の大盛りを二つじゃな。かしこまりましたなのじゃ!」
注文を取った魔王マカロンは踵を返して厨房へと向かった。
厨房へと向かっている最中「いや、たまたまじゃないか……」と、ローゼの呟きが耳に入るが、それを気にして足を止めることなく厨房へと入っていった。
「たまたまじゃないとはどういうことなのじゃ? イカスミ担々麺を、いや、担々麺を知っているということか? やはり、ゆーくんに担々麺のことを教えてもらっていたか」
ローゼの発言が気になってしまった魔王マカロンは、勇者ユークリフォンスに料理を伝えるのを忘れて独り言を呟いていた。まるで事件を整理する探偵のように。
「何ぶつぶつ言ってるんだ?」
勇者ユークリフォンスは魔王マカロンの独り言を聞いたが、その内容までは聞き取れていない様子だった。
「あっ、いや、こっちの話じゃよ。二人ともイカスミ担々麺の注文じゃったよ。二つとも大盛りじゃ」
「あー、だと思った」
「だと思った?」
彼の言葉に引っかかった魔王マカロンは、鸚鵡返しでたずね返した。
『たまたまじゃない』と発言したローゼと、注文を聞いて『だと思った』と発言した勇者ユークリフォンス。
二人の言葉には関係性があるのだと悟ったのだ。
「知り合いだからと言って、あいつらはお客様だ。お客様を待たせちゃ悪いからな。作りながら話すよ」
「そうじゃな、では作りながら訊こうではないか」
二人は作業に取り掛かった。
と言っても主に調理をするのは勇者ユークリフォンスの方だ。魔王マカロンは接客を担当する謂わばホールスタッフのようなもの。
先ほどのローゼとリリシアや昨日の店潰しの美食家エルバームの時のように混雑していない時のみ、勇者ユークリフォンスの調理の手伝いをするのである。
もちろん客に呼ばれたらすぐに対応できるように、細かい作業や難しい作業などは行わない。
あくまで調理をメインとする勇者ユークリフォンスの補助――手助けだ。
というのは建前上の話。本当は一分一秒でも彼と一緒にいたいだけなのである。その気持ちは勇者ユークリフォンスも同じだ。
そんな絶賛両想いの二人は〝漆黒のイカスミ担々麺〟の調理に取り掛かった。
濃厚でこってりなゲンコツスープの芳醇な香りが漂う厨房。そこに密封された容器が開けられて別の強い香りが混ざり合う。
「新鮮なイカスミの良い香りじゃ」
「だな。貝類の独特の香りも食欲をそそるものがあるよな。それでだ、さっきの話の続きはこいつと関係している」
勇者ユークリフォンスはイカスミが入った容器を魔王マカロンに見せた。
その容器が近付くのと同時に生臭さが一切ない新鮮なイカスミの香りと磯の香りが、魔王マカロンの鼻腔を刺激する。
嗅覚に思考回路が支配しされかけるが、すぐに視覚からの情報で彼女の思考回路は正常な働きを見せる。
「こいつとはイカか? それともイカスミか?」
「イカ……いや、正確には魔獣クラーケンだ」
「おお、懐かしい名前じゃのぉ」
魔獣クラーケン。それは世界を脅かせていた魔獣の一体。
魔王軍の配下に属しており、海の怪物として恐れられていた魔獣でもある。
勇者ユークリフォンスが現役時代に仲間たちとともに命がけで討伐した魔獣でもある。
「あれは六年くらい前か。俺たち勇者パーティーが――」
「なんだか話が長くなりそうじゃな。そんなに時間もないじゃろ。簡潔に頼む」
「お、おう。そうだな」
回想シーンに入ろうとしていた勇者ユークリフォンスを魔王マカロンが遮った。
〝漆黒のイカスミ担々麺〟の調理時間はおよそ七分。二人分作る場合でもほぼ調理時間に変化はない。回想するには短すぎる時間なのだ。
その証拠に二つの丼鉢の中には、イカスミ担々麺を作るのに必要な材料のほとんどが入れられていた。
甘旨でどろどろつぶつぶな背脂、辛味成分の要である赤唐辛子とアッカの実の粉末、黒胡麻ベースで作られた特製の担々麺の素、先ほど密封された容器から取り出した新鮮なイカスミ、それらが丼鉢の中に計算された完璧な量入れられているのだ。
さらには隠し味として真心が注がれている。決して愛情は注がない。
愛情を注ぐのは真に愛している者に対してのみ。
お客様に対して注ぐのは真心だ。真心を込めて作る料理こそ、芯にまで届く美味しさを出させてくれるのである。
「簡潔に説明するとだな、当時の勇者パーティーにあいつらもいて、魔獣クラーケンを討伐したその日の宴で約束したんだよ」
「約束じゃと?」
「ああ、いつか美味しいイカ料理を食べさせてやるってな。宴の時に出されたイカ料理がさ、あまりにも不味くて、それでいて生臭くてさ、苦しそうにしてる二人を見て思わず約束しちまったんだよ」
「クラーケンが住処にしていた街は漁業で有名じゃったろ? そんなに不味かったのか? まあ、味はこの際どうでもいいのじゃ。それでその約束とやらを果たせていないと?」
「まあな。魔獣やら魔王の幹部やらの討伐で忙しくてな。料理なんてする暇がなかったし、この世界の料理屋の料理って中の中、いや、中の下レベルだろ? 美味しいイカ料理なんて三大秘宝を見つけるよりも難しいからな。だからあいつらはイカ料理に未練があるんだと思う。その未練を俺が作ってしまったんだとも思ってるよ……」
イカ料理を食べさせてあげられなかった悔しさと悲しさ、そして責任を感じているような眼差しを丼鉢の中のイカスミに向ける勇者ユークリフォンス。
「こんな形になってしまったが、あいつらの未練を晴らすことができるのは、勇者パーティーの仲間として嬉しく思えるよ」
「妾はイカ料理よりも、勇者に、おぬしに未練を――」
魔王マカロンが喋っているその時だった。
――ピピピピッ、ピピピピッ。
スープを注ぐ時間、そして麺の茹で終わりを知らせるタイマーが、厨房に響き渡り彼女の声を遮った。
タイマー音を消すことなく、勇者ユークリフォンスはスープを注ぐための調理器具――スープレードルを手に取った。
異世界の豚のゲンコツを使用した濃厚こってりで熱々のスープを、〝漆黒のイカスミ担々麺〟の材料が入っている丼鉢の中へと注いでいく。
視界を奪うほどの真っ白な湯気と、さらに濃厚で芳醇なスープの香りが厨房内を埋め尽くす。
すぐに換気扇へと吸い込まれてしまう湯気だが、まるで意識を持っているかのように換気扇から逃げる湯気もある。
その湯気は消えてしまうまでの僅かな時間を無駄にはしない。最後の最後まで力を振り絞り目的を果たそうとするのだ。
その目的はこの香りを客席で待つ客に届けること。
湯気たちは自分たちの濃厚で芳醇なスープの香りで、客の鼻腔を刺激し、目的を果たすのである。
「いい香りだな」
「お、お、美味し、そうな、か、香りですねっ」
より一層待ち遠しさを感じ、より一層空腹感を与える。
一瞬でも気を抜いてしまえば腹が鳴ってしまうこと間違いなしの香りだ。
魔王マカロンと勇者ユークリフォンスが意図しないところでも与える影響はあるということ。
それはプラスの面でもマイナスの面でも同じ。
気を引き締めなければマイナス面が目立つこともあるが、その心配は担々麺を愛し担々麺専門店を営む二人には不要かもしれない。
そんなこんなで勇者ユークリフォンスは〝漆黒のイカスミ担々麺〟の仕上げを――トッピング作業を魔王マカロンと一緒に始めていた。
トッピングの最中は一切の会話がない。誰が何をどこに入れるのかを阿吽の呼吸のみで行なっている。
こうして〝漆黒のイカスミ担々麺〟が完成する。
「片手で二つ持とうとするなよ? 火傷するからな? 無理せずトレーを使って運べよ。まーちゃんの手は小さいんだから」
「おぬしは妾の親か! 心配せぬともトレーを使うわ。それに妾は火には耐性がある。火傷なんてしないのじゃ」
「そうだった。この変装の魔法のせいでキミが魔王というのを忘れて、小動物のようにか弱い女の子に見えていたよ。守りたくなるようなそんな女の子に」
「わ、わかったから! 顔がニヤけてしまうではないか。では、行ってくるぞ」
「うん。頼んだ!」
一枚のトレーに載った大盛りの〝漆黒のイカスミ担々麺〟が二杯、ローゼとリリシアの元へと運ばれる。
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