修羅を征く

青木 航

文字の大きさ
上 下
6 / 11
第二章

有明の月(花山帝) ②

しおりを挟む
 寛和かんな二年六月二十日、右大臣・兼家のやかた。満仲が兼家邸に呼び出される二日前のことだ。母家の西隣の塗籠ぬりごめで、兼家、長男の道隆、三男の道兼、そしてもう一人、尋禅じんぜんと言う僧が額を寄せて話している。
 塗籠とは物置で、普通、こんな所で話すことは無い。この頃の舘に壁は無いのだが、唯一塗籠だけは壁も天井も有る。人を近付けぬようにしてこんな所で密談をするのは、それだけの大事であるからだ。
 尋禅は、山科やましなに有る元慶寺がんぎょうじの住職であり、天台座主てんだいざすでもある。そして何より、師輔もろすけの十男、即ち、兼家の異母弟に当たる。
 先代の天台座主・良源は師輔の財政的支援を受けて比叡山を再興し中興の祖と成った。しかし、それは一方で叡山の世俗化を招き、師輔の子の尋禅が跡を継ぐことになったのだ。つまり、ここに集っているのは、全て摂関家・九条流(師輔の家系)の者達である。

 数日前、尋禅は
「折り入って相談したいことが有るので、忍びで訪ねて貰いたい」
とのふみを、兼家から受け取った。それでこの日、洛中に用事を作ってそれを手早く済ますと、密かに兼家の舘に入った。
るお方が、仏門に入りたいと強く願っておられる。だが、それぞれの思惑から、周りの者達がそれを阻止しようとしておってな。麿まろとしては、是非ともご希望を叶えて差し上げたいと思っておる。事は密かに且つ迅速に行わねばならん。手筈はこちらで整えるので、貴僧の手で是非」
るお方とはどなたで?』
などと馬鹿なことは、尋禅も聞かない。全てを察した。後は淡々と段取りを確認して行く。
 六月二十二日、午刻うまのこく過ぎ、満仲が到着する。
「お召しに寄り摂津守せっつのかみ・満仲、御前おんまえまかり越しまして御座います。右大臣様には、日頃、事のほかお目を掛けて頂き、ご厚情に常々、深く感謝致さぬ日は御座いません」
と日頃の礼を述べ、丁寧に挨拶する。
「うん。今まで良う付いて来てくれた。麿まろもそのほうを頼りにしておるぞ」
 上座で僅かに頷いた兼家が、満仲に言葉を掛ける。
「勿体無きお言葉。満仲、万感の喜びに御座います」
 挨拶が済むと、兼家は尋禅に話したのと同じ言い方で事態を説明する。満仲もそれだけで全てを理解した。事の重大さに、さすがの満仲も息を飲む。しかし、『迷いを見せる訳には行かぬ』と腹を決めた。
「で、いつ?」
と兼家に聞いた。
うしこくに事を起こす。洛中は目立たぬよう少人数で進む。三条通りから鴨川を越えた辺りで待て」
かしこまってそうろう」
 夕刻になって、満仲と郎等達は、目立たぬよう数人ずつ兼家邸を出た。

 こく。兼家と道隆は紫宸殿ししんでんの東に有る詰所に入った。今宵、蔵人くろうどの道兼は宿直とのいの番に当たっている。
 兼家は道隆に諸門の閉鎖を命じた。道隆は家人けにん数人を率い、諸門を回り、右大臣のめいとして門を閉鎖するよう命じる。
 道隆は、当時、右近衛中将うこんえのちゅうじょう春宮権大夫とうぐうごんのだいぶであり、衛門府えもんふとは無関係である。
 右大臣のめいとは言え、本来、衛士えじとすれば右衛門督うえもんのかみ左衛門督さえもんのかみにそれぞれ確認すべきことである。職掌違いの道隆のめいに従ういわれは無い。しかし、この時代、公的な立場と私的な立場の区別は曖昧なのだ。右大臣の嫡男のめいに敢えて逆らおうとする者は居ない。

 みかどの身支度は、他の者達を遠ざけて、道兼がひとりで整えた。予定通り、日付が変わったうしこくには、出発の準備が整う。道隆の家人けにんが確認に来て、直ぐ戻って行った。
 異様な雰囲気の中、みかどは、冒険に出掛ける前の子供のように興奮している。輿こしを担ぐ者の他、護衛は道隆の家人と従者合わせて五人。目立たぬよう最低限にした。
 道兼が先導し、夜御殿よるのおとどの北に有る部屋、后妃が参上した時の控えの間でもある“藤壷の上”を通り、小戸から北廂きたびさしに出る。そこから西北渡殿わたどのを通り切馬道きりめどうに着けた輿こしに帝が乗り込もうとする。
「暫し待て」
と花山帝が立ち止まった。
「いかがなされました」
と道兼が不安そうに尋ねる。
弘徽殿こきでん女御にょうご(忯子きし)からのふみを置き忘れた。取って参る。待て」
 普段、肌身離さず持ち歩き、繰り返し読んでいた亡き忯子からの手紙を出掛けに置き忘れたことを思い出したのだ。戻ることに因り気でも変われば大変と、道兼は焦った。
「今が過ぎれば、人目を避けることに支障が出て参るに違い有りません。お心お察し致しますが、堪えて下さいませ」
 そう言って道兼は泣き真似をした。尚も心惹かれる素振りを見せながらも、花山帝は仕方無く輿こしに乗った。
 道隆が先導し、輿は、北に飛香舎ひぎょうしゃ(藤壷ふじつぼ)南に後涼殿こうりょうでんを見、その間を通って陰明門いんめいもんに至る。道隆が開門を命じ、
「このこと、他言無用」
と門衛の兵に厳しく命じる。

 一行は内裏だいりの築地塀に沿って北に進み、右折、玄輝門げんきもんの前で左折する。左側が蘭林坊らんりんぼう、右側は桂芳坊けいほうぼうである。蘭林坊らんりんぼう桂芳坊けいほうぼうと共に、大嘗会だいじょうえ釈奠せきてんなどの儀式の際の用具を始めとする御物おものしょなどが納められている倉庫のような建物だ。従って、深夜に人気ひとけは全く無い。真っ直ぐ進むと朔平門さくへいもんに至る。同じようにして門を抜ける。大内裏の北寄りは、倉庫や官庁が並び、夜間の人気ひとけは無い。東に行くと官人つかさびとの通用門である上東門に当たる。
 上東じょうとう門は、大内裏の東面、陽明門ようめいもんの北。大宮大路おおみやおおじに面し、土御門大路つちみかどおおじに向かう。他の門とは異なり、単に築地ついじを切り開いただけのもので屋根が無い為『土御門つちみかど』と呼ばれている。
 みかど一行が大内裏だいだいり(官庁街)を出るのを見届けると、道隆は、兼家の待つ詰所に引き返した。
「無事、大内裏から出るのを確認致しました」
 道隆が兼家に報告する。
「うん、ご苦労。したが、これからじゃぞ。気を抜くな」
と兼家が道隆を戒めた。
「はっ」
と返事をし、道隆は気持ちを入れ直した。
 二人は先ず温明殿うんめいでん内侍所ないしどころ(賢所かしこどころ)に行き、八咫鏡やたのかがみが納められていると言う箱(実態はみかど自身も含め、誰も中身を見ることは出来ないとされている)を接収。続いて清涼殿せいりょうでんに向かい、草那芸之大刀くさなぎのたち(草薙剣くさなぎのつるぎ)の形代かたしろ八尺瓊勾玉やさかにのまがたまが入った箱を持ち出す。形代かたしろとは、模して造られみたまを降ろしたもので、単なるレプリカでは無い。
 天皇の践祚せんそに際し、この神器じんぎのうち、八尺瓊勾玉やさかにのまがたま並びに鏡と剣の形代かたしろを所持することが皇室の正統たるみかどあかしであるとして、皇位継承と同時に継承される。いわゆる『三種の神器』である。
 因みに、ヤマトタケルの死後、草薙剣くさなぎのつるぎは伊勢神宮に戻ること無くミヤズヒメ(ヤマトタケルの妻)と尾張氏に寄って尾張国でまつられ続けたと言われる。これが熱田神宮の起源であり、現在も同宮の御神体として祀られている。
 いずれにせよ、兼家は、皇位継承を正当化する為、三種の神器を皇太子の居所きょしょである凝華舎ぎょうかしゃ(梅壷うめつぼ)に移したのだ。

 一方、みかどの一行は、道隆の従者ずさ松明たいまつの灯で辺りを照らしながらも、ひっそりと深夜の大宮大路おおみやおおじを下り、三条大路さんじょうおおじに折れて東に進む。偶然一行を目撃する者が有ったとすれば、『物の』の一団と思ったかも知れない。

 鴨川の東側の堤、三条大橋の袂に十人ほどの男たちが身を伏せている。叢雲むらくもに見え隠れする月の光だけが僅かに照らしている。その薄明の中、洛中の方角から三条大橋に向かって輿こしが近付いて来た。
『気乗りはしなかったが、他に方法は無かった』と満仲は思う。十四年もの間、兄・兼通に干されて出世に見放されていた兼家に従って来た。その兼家がやっと浮かび上がり、絶対的な権力を手中にする為の大博打に打って出ているのだ。この大博打に兼家が勝てば、満仲自身も更に出世するに違いない。貴族に上がる前の満仲であれば、体中の血が湧き上がって、何としてもやり遂げるという強い意志を以てこの任務に臨んでいたに違いない。だが、貴族としての地位を得、望みの摂津守に再認され、多田荘ただのしょうという私領をも手に入れた満仲の中で、強烈な出世欲は影を潜めてしまっていた。満仲は私領の経営に専念していたかった。だが、その地位を得る為に世話になった兼家のめいを断る事は出来なかった。それが本音だった。

 出立する時は雲間に隠れていた月がはっきりと姿を現し、辺りは明るさを増していた。
「止めよ」
と花山帝が声を上げた。先を急ぎたい道兼だったが、仕方無く列を止める。満仲達は不足の事態に備えて周囲に気を配る。御所から警護して来た者達は三条大橋から引き返してしまっているので、警護は、道兼の他には満仲とその郎等達のみである。
「いかがなされました」
と道兼が尋ねる。
「見るが良い。このように月が明るくては目立ち過ぎることよ。いかがしたものかな」
 自分に酔っていた帝が我に帰り、剃髪することが億劫になって来たのだと道兼は感じ取った。
「そう仰っても、お取りやめなさることは、もはや難しゅう御座います。神璽しんじや宝剣は、既に東宮とうぐう(皇太子)様の許にお渡りになりましたので」
 花山帝は、一瞬絶句する。これは現実なのだと始めて悟ったかのようである。そうしているうちに、再び月に叢雲むらくもが掛かって、辺りは少し暗くなった。
ちんの出家は成し遂げられるのであるな」
 観念したかのようなひと言であった。
しおりを挟む

処理中です...