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番外編
【水樹、二十歳の誕生日編(六)】俺/僕は。(一)
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カラオケボックスに寄り、たくさん歌った。人気ヒット曲やデュエットを含んだJPOP、アニメソンに父が演じたキャラソンなど色々。隣で彼方の歌声に耳を傾けていたら、突然膝の上に向かい合って座られ、真っ正面でラブソングを披露された時はさすがに顔を覆った。
「いやあ……声が……掠れた」
「大丈夫?」
「あっ……はは。多分治る」
「ハチミツ味ののど飴あるよ」
常備してあるのど飴を取り出し、彼方へ渡す。
「うん、美味しい。……水樹は、平気……なんだね」
「俺はレッスンで普段鍛えてるから」
「そっか、頑張って……るんだ、ね……けほけほ」
「しばらくは声帯を休ませなきゃダメだよ?」
彼方は辛そうな症状を我慢して普通に笑っている。
(歌う前に、簡単にできるケアを取り入れば良かった)
五時間も歌えば、水樹でも喉が少しイガイガするくらいだ。自責の念に駆られて俯いていると、手を取られる。
握られた手を見てから顔を上げた。街は夕焼け色に染まりかけ、逆光になった彼方が口パクで何かを伝えている。
(なんだろ。か、え……ろ。帰ろう?)
導き出せた正解を聞き返そうとしたら、また口が開く。
(えっと……)
『早く帰ろう』
ここから一番近いのは水樹の家だ。母も久し振りに会いたがっていたが、急な用事があって家を空けると連絡があった。パーティーの準備や料理はすでに済ませているしい。
「うん、帰ろっか。美味しいご飯も待っているし、家でくつろごう」
笑顔で返すとスマホに打った文字を見せられる。まだ送信していないが、水樹と彼方のメッセージ欄だった。
『水樹を早く食べたい』
すとんと消化するには少し時間がかかり、意味を理解したら顔の中心に熱が溜まっていった。夕焼け色だと誤魔化せなくなる。
「しょ、食後にね……!」
こくん。頷いた彼方を隣に歩き出す。表情は慌てて前を向いたせいでよく見えなかった。
(そういう意味、だよね? 今晩……)
期待していいのだろうか。彼方と体を重ねるなんて久々だ。肌を優しく触られて、太陽の匂いと体温を直に感じられる。
──とく、とく、どく、どくどく、ドクンッ。
(……あ、れ……?)
何かおかしい。ふわふわな感覚から鳥肌立つような感覚に変わり、吐く息が熱くて苦しい。
──とろっ。
「……ひっ!?」
窄みから粘着質のある液体が足に滴り落ちてきて、水樹は両足を閉じて座り込む。まさかを否定したいが、空腹時の涎みたいにとろとろと溢れ出てくる
これは、間違いなくヒートだ。
(来るの、まだ……の、はずなのに……)
突然座った恋人を心配するように、彼方も腰を屈めた。
(早く彼方に伝えなきゃ。それにフェロモンを気付かれる前に逃げないと)
徒歩でも家へ着くまで三十分以上かかる。走れば何とかなるはずだ。下着はダメになっても仕方ない。
その時、風が吹いた。
「いい匂い……」
「あれ……、桜ってまだ咲いてたっけ?」
周囲の音もぼんやりする中で、聞こえてきた会話。
「か、かな……彼方……っ」
怖くて、怖くて、どうしようなくて。
顔を上げても喉の奥が締まって言葉を紡げない。
「けほっ、水樹。落ち、着いて」
何かを察したらしき彼方は、水樹の背中をさすって宥める。がさついてはいるが、優しさがきちんと残る声色だった。
「抑制剤は?」
周囲に気付かれないにするためか声を潜められ、水樹は「リュックの中だと思う」と涙声でなんとか答える。
抑制剤を取って飲んでる時間などあるのか。そもそもきちんと入れたかどうか記憶にない。
袖に隠されても肌は敏感になっており、彼方とは違う誰かの気配がそう遠くない場所からする。数えたくないが複数人だ。
(怖い。どうしよう。俺は彼方の番なのに……!)
やっぱり首輪をしてくれば良かったと後悔の念が押し寄せる。人の多い空港では目立つことが予想できたため、出掛ける前に外してきた。
「わかっ、た。僕の……飲んで」
ポケットから取り出したのは、紛れもない抑制剤。サイズは小さめだ。
「少し……眠くなるけど、ちっちゃい割に効き目はあるっ……」
彼方は口にそれを放り投げたと思いきや、水樹の顔に接近する。真剣な表情に場違いにも見蕩れてしまったが、舌で伝え渡された。
抑制剤と、ハチミツの味がする小さな塊。残り香で彼方の匂いもした。
──こくん。
「良い子」
ふっ、と目尻を下げた笑みを浮かべられる。頭を撫でる手付きがあまりに優しく安心感が湧く。声を上げて泣きそうだ。
「んんっ。絶対、水樹を守るから」
力強い言葉を聞いたら意識がぼんやりし始め、輪郭も世界も溶けていく。気持ち悪くはない。ただ、いつもの抑制剤を飲んだ時より眠気が強い。
体に羽根が生えたように浮いても驚く暇もなく、徐々に重みを増す瞼に耐え切れずそのまま目を閉じた。
「いやあ……声が……掠れた」
「大丈夫?」
「あっ……はは。多分治る」
「ハチミツ味ののど飴あるよ」
常備してあるのど飴を取り出し、彼方へ渡す。
「うん、美味しい。……水樹は、平気……なんだね」
「俺はレッスンで普段鍛えてるから」
「そっか、頑張って……るんだ、ね……けほけほ」
「しばらくは声帯を休ませなきゃダメだよ?」
彼方は辛そうな症状を我慢して普通に笑っている。
(歌う前に、簡単にできるケアを取り入れば良かった)
五時間も歌えば、水樹でも喉が少しイガイガするくらいだ。自責の念に駆られて俯いていると、手を取られる。
握られた手を見てから顔を上げた。街は夕焼け色に染まりかけ、逆光になった彼方が口パクで何かを伝えている。
(なんだろ。か、え……ろ。帰ろう?)
導き出せた正解を聞き返そうとしたら、また口が開く。
(えっと……)
『早く帰ろう』
ここから一番近いのは水樹の家だ。母も久し振りに会いたがっていたが、急な用事があって家を空けると連絡があった。パーティーの準備や料理はすでに済ませているしい。
「うん、帰ろっか。美味しいご飯も待っているし、家でくつろごう」
笑顔で返すとスマホに打った文字を見せられる。まだ送信していないが、水樹と彼方のメッセージ欄だった。
『水樹を早く食べたい』
すとんと消化するには少し時間がかかり、意味を理解したら顔の中心に熱が溜まっていった。夕焼け色だと誤魔化せなくなる。
「しょ、食後にね……!」
こくん。頷いた彼方を隣に歩き出す。表情は慌てて前を向いたせいでよく見えなかった。
(そういう意味、だよね? 今晩……)
期待していいのだろうか。彼方と体を重ねるなんて久々だ。肌を優しく触られて、太陽の匂いと体温を直に感じられる。
──とく、とく、どく、どくどく、ドクンッ。
(……あ、れ……?)
何かおかしい。ふわふわな感覚から鳥肌立つような感覚に変わり、吐く息が熱くて苦しい。
──とろっ。
「……ひっ!?」
窄みから粘着質のある液体が足に滴り落ちてきて、水樹は両足を閉じて座り込む。まさかを否定したいが、空腹時の涎みたいにとろとろと溢れ出てくる
これは、間違いなくヒートだ。
(来るの、まだ……の、はずなのに……)
突然座った恋人を心配するように、彼方も腰を屈めた。
(早く彼方に伝えなきゃ。それにフェロモンを気付かれる前に逃げないと)
徒歩でも家へ着くまで三十分以上かかる。走れば何とかなるはずだ。下着はダメになっても仕方ない。
その時、風が吹いた。
「いい匂い……」
「あれ……、桜ってまだ咲いてたっけ?」
周囲の音もぼんやりする中で、聞こえてきた会話。
「か、かな……彼方……っ」
怖くて、怖くて、どうしようなくて。
顔を上げても喉の奥が締まって言葉を紡げない。
「けほっ、水樹。落ち、着いて」
何かを察したらしき彼方は、水樹の背中をさすって宥める。がさついてはいるが、優しさがきちんと残る声色だった。
「抑制剤は?」
周囲に気付かれないにするためか声を潜められ、水樹は「リュックの中だと思う」と涙声でなんとか答える。
抑制剤を取って飲んでる時間などあるのか。そもそもきちんと入れたかどうか記憶にない。
袖に隠されても肌は敏感になっており、彼方とは違う誰かの気配がそう遠くない場所からする。数えたくないが複数人だ。
(怖い。どうしよう。俺は彼方の番なのに……!)
やっぱり首輪をしてくれば良かったと後悔の念が押し寄せる。人の多い空港では目立つことが予想できたため、出掛ける前に外してきた。
「わかっ、た。僕の……飲んで」
ポケットから取り出したのは、紛れもない抑制剤。サイズは小さめだ。
「少し……眠くなるけど、ちっちゃい割に効き目はあるっ……」
彼方は口にそれを放り投げたと思いきや、水樹の顔に接近する。真剣な表情に場違いにも見蕩れてしまったが、舌で伝え渡された。
抑制剤と、ハチミツの味がする小さな塊。残り香で彼方の匂いもした。
──こくん。
「良い子」
ふっ、と目尻を下げた笑みを浮かべられる。頭を撫でる手付きがあまりに優しく安心感が湧く。声を上げて泣きそうだ。
「んんっ。絶対、水樹を守るから」
力強い言葉を聞いたら意識がぼんやりし始め、輪郭も世界も溶けていく。気持ち悪くはない。ただ、いつもの抑制剤を飲んだ時より眠気が強い。
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