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第十一章 夢への挑戦

結びのお守り。

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 帰りのタクシーの中、羽生は「雪、とても綺麗ですよ」と、沈む水樹に気を使ってか話題を作った。
 伏せた顔を上げ、窓の外を眺める。ふわり、ふわりと白い綿がホワイトデーに一色の街をロマンチックに演出させた。
 Xは名無しの権兵衛で詳細も不明なキャラだが、決定的な紹介文があった。どんなに不格好で泥臭くともヒーローであり続けると。
『君のXは不格好を通り越してダサいね』
 監督と思しき人物に穏やかな笑みで鋭い氷柱でぶっ刺され、なにも言えなかったのが記憶に新しい。
(……落ちたな)
 オーディションが終わる頃には午後の三時を過ぎ、『話し合いは後でいい』と神崎から連絡があった。
(菓子折りってどれを選べばいいのだろう)
 どう謝罪するべきか考えあぐねていたら、またもや羽生から声がかかる。
「落ち込む暇、ありませんよ。やるべきことがまだあるじゃないですか」
 そうだ。結果が出るまでの間、めげずにレッスンを重ね特訓しなくては。次の機会に恵まれるかどうかはさておき、レッスンを笑う者は本番に泣く。水樹は身を引き締める。
 景色がどんどん変わっていくが、不可思議なことが起こった。
「あの、羽生さん。こっち側から学園行けます?」
 卒業証書をもらうのと、高校三年間水樹の成長を見守った教師達に最後の挨拶するため、卒業生を乗せたタクシーは蒼空学園に向かうはずだった。しかしながら、目的地からどんどん遠ざかっている気がする。
「行きませんよ?」
「はい?」
 羽生はスーツの懐から折り畳んだ用紙を渡してくる。薄くも薄いピンク色の印字が見えるそれに首を傾げた。
「卒業証書と全く異なるようですが」
「……水樹さんって天然とよく言われません?」
 否定はできないが、羽生は含み笑いをしながら紙の全貌を明らかにする。
「ケツコン……」
「面白そうなコンビ名ですね。惜しい。ツを小さい方に変換してください」
 結ばれるの『結』に、婚約の『婚』。きちんと折り目が入った紙は同義を指す‍『婚姻届』とあった。
「け、け……こっ……」
 両耳がかあっと熱くなる。約束はしていたが、本物を手にしたことは人生で一度もない。
 初心な反応を見せる水樹を愛おしむように羽生は柔らかく笑った。
「おれは『狙った獲物は逃がさない』が信条なんです。姉ちゃんや社長達ほどスナイパーはしてませんけど、あなたをスカウトするため、足しげく学園に通うつもりでしたよ」
 担当声優と出会った文化祭を懐かしんでいるのか、マネージャーは目を閉じる。また、手を胸ではなく首元に添えた。
「あとは超個人的な理由。水樹さんには絶対幸せになってもらいたいんですよ。絆の距離が遠くなろうが絶対離しちゃダメだ。樹になろうと勇気ある一歩を踏み出したみたいに、ね。こっちが手綱を握っちゃえば問題ありません」
 保証人の欄には神崎と彼方の母の印がある。「水樹さんのお母様にも了承は得ていますよ」と笑顔で心配を払拭された。
「たった紙切れ一枚です。提出するタイミングはご自分達で決めてください。でも、お守りくらいにはなると思います。ご迷惑でしたか?」
「いいえ。……いい、え……!!」
 水樹はくしゃくしゃにならぬよう結婚届けを包み込む。温かな感情が涙を誘う。
 歳が近くて仲の良い先輩がいたどころか、水樹の身近にいる同性のオメガも羽生だけだ。仕事のパートナーとしても申し分なく、いつも水樹のことを率先し考えてくれる。
「羽生さんが俺のマネージャーで本当に良かったです……」
「こっちの台詞ですよ」
 ティッシュを借りて涙は拭いたが、きゅう、と胸の奥が締まる。
「……彼方に書いてもらうのはまだ先になりそうですね」
 もうすでに日本を発ったのだ。今頃、飛行機の中で思い出を振り返りながら椅子に凭れているだろう。
 想像したら鼻と喉がツンと痛み、涙腺は爆発する。
(一目でいいから、きちんと会って別れの言葉を交わしたかったな)
 互いに別れを実感したくなかったのもあり、朝ご飯を食べてからは普段通り「行ってらっしゃい」「行ってきます」の挨拶を二往復した。
 時間は戻らない。この世の摂理というものだ。タイムリープなんて創作世界しか通用しない。
「まだ遅くはありませんよ」
 言い切る羽生と顔を合わす前に、タクシーが高速に入った。

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