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【後編】第十章 チョコレートに溶かされて
甘い飲み物としょっぱい菓子。
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「大丈夫だ、大丈夫。深呼吸も五回したし大丈夫」
玄関先で狼狽えること約十五分。
──ピンポーン。
「はーい……。あ、水樹君じゃない! いらっしゃい」
「お邪魔します。……あの、彼方は」
言い終える直前、スイートな香りが漂う。
「あの子は今、外出中なの。もう暫くしたら帰ってくると思うわ」
タイミングが悪い。
(でも、直接渡したいからなあ)
白い息を吐き、鼻頭を真っ赤にさせた恋する男に恋人の母は微笑んだ。
「守谷せんせー! チョコの湯煎は何度が目安?」
「よっちゃんはホワイトなのかー」
「ミルクチョコよりもこっちのが断然美味しい」
「光希ちゃんはダークチョコだから五十度辺り、芳美ちゃんはホワイトチョコだから四十五度ぐらいがいいわね!」
「「了解!!」」
水樹が守谷家に足を踏み入れば、ときめく季節にぴったりな匂いが立ち込める。案内されるまま進むとエプロンと三角巾を身に着け準備万端な光希達がいた。
(『水樹君も一緒にどう?』と、つい参加しちゃったがチョコ作りなんて久々だ)
着替え用に渡されたオーバーサイズエプロンの紐を結び女子三人衆の前に現れると、黄色い歓声が上がった。
「みずくんじゃん! ひっさしぶり!!」
「元気だったー?」
「久しぶりだね、僕は息災だよ。邪魔じゃなかった?」
「ぜーんぜん。チョコレート細工並の推しが登場し、テンション爆上がりの芳美であった」
三人とも相変わらず元気そうだ。三学期になるやいなや登校すること自体が珍しくなり、皆と顔を合わす機会はおのずと減った。
「みーくんは料理教室に入会するのー?」
「料理教室?」
「彼方のお母さん改め、恭子先生が開く予定の教室だよ。今日は体験会でテーマは『バレンタインチョコ』! バックパッカーの経験と料理人の腕を活かしたメニューの豊富さが売りなんだよ。因みに希星はガナッシュを手作り中。古今東西の料理やスイーツを作れるみたいだから、この機に入会しようかなって思って」
チョコまみれの唇に笑みを浮かべた光希はゴムベラを回しながら師を見る。二人から同時に見つめられた恭子は手で赤面を煽いだ。
「もー、そんな大それたものじゃないわあ。光希ちゃんってばおだてるの上手なんだから。あ、テンパリングをする時にはね……」
照れ笑いはすぐに先生の顔へ切り替わり、テンパリングに取り掛かろうとした光希の元へ寄る。意外な経歴を知るも、さほど驚かなかった。彼方の誕生日会で披露された料理はどれも口へと運ぶスピードが早まる。納得がいく。
「水樹君はどんなチョコ作りたい?」
生チョコにチャレンジしてみたいと告げれば、あらかじめ用意された温かい生クリームに細かく刻んだチョコを混ぜていく。さらっ、とろっとしたものが、どろんとろんの生チョコレートへ変化するのが目からも混ぜ溶かすゴムベラからも伝わってきた。自由研究や理科の実験を思い出す。急なスイーツ作りで緊張していた心も溶け、甘いチョコレートの香りが気分を幸せへ運んでくれる。
パットへ流し込み、皆と固まるのを待つ間、彼方の母手製のホットチョコレートで一息吐く。濃厚さの向こう側に柔らかさと心を落ち着かせる安心感があった。
「一人暮らしかあ……」
幸せに入り浸ると、ふっと現実に戻ることある。悪いことじゃない。
「芳美ちゃんは高校出たら一人暮らしするの?」
「そうなんです。大学は実家からも通える距離なんですけど、社会勉強も大切にしなさいと言われちゃいました。あんなに親に反発してたのに、いざ『出なさい』と真正面から伝えられると正直キツいっす」
ビターチョコレートみたいに笑う芳美に、彼方の母の顔が曇ったように目に映る。
「ウチんとこは芳美とは真逆。『行くなー!』と家族総出で止められる。愛情は痒いくらい伝わるけど、もう少し遠めの大学受けたかったなあ」
「偏差値的にやばいから無理もないかー」とマシュマロをぽとんと落とす光希。「推薦入学できたからいいじゃん」「芳美も受かって安心した」と肩を突き合いながら戯れる二人を、煎餅を齧りながら希星はにこやかに笑う。
「そういえば希星さんの進路って保育関係だったよね。どこに……」
バリバリ。笑顔のまま固めの煎餅を貪る。奥歯からはゴリゴリ音が鳴っていた。
「あれねー。うん、合格したよー。でもねーすぐに辞めるかもー」
穏やかなネガティブ発言を聞き、隣に座る光希達が「またまたー」と肩を突く。やはりこの三人は仲が良い。隠しごとなんてないのだろう。伊達に運命の番が現れようが未来永劫いることを誓ったわけではない。
「んーとねー。昨夜のヒート終わりー? 噛まれちゃったんだよー、婚約者と違う人にー」
(……え?)
マグカップが鈍い音を立てる。足元に広がる生暖かい液体。それでも気にせず希星は煎餅を食べ続ける。異常な光景に背骨の一本一本が針みたいに痛い。
「ちょ。希星、冗談はよしてよ」
「そう、そう……。いくらあんたの家が金持ちだからって……。それに婚約者がいるとも一言も」
「冗談じゃないよー。うちの経営が厳しいから婿養子に取った人がいるのー。今朝はね家の敷居を跨ぐなと怒られてー、近いうちに勘当を言い渡されるかもー。あ、もう言われたー? あはは、ほんと……甘いものには塩っ気があるものがよく合うよねー。この醤油煎餅ってば美味しいー」
バリバリ、バリ。静かな空間に、啜り泣きと煎餅を美味しく齧る音が耳の奥を痛くさせた。
玄関先で狼狽えること約十五分。
──ピンポーン。
「はーい……。あ、水樹君じゃない! いらっしゃい」
「お邪魔します。……あの、彼方は」
言い終える直前、スイートな香りが漂う。
「あの子は今、外出中なの。もう暫くしたら帰ってくると思うわ」
タイミングが悪い。
(でも、直接渡したいからなあ)
白い息を吐き、鼻頭を真っ赤にさせた恋する男に恋人の母は微笑んだ。
「守谷せんせー! チョコの湯煎は何度が目安?」
「よっちゃんはホワイトなのかー」
「ミルクチョコよりもこっちのが断然美味しい」
「光希ちゃんはダークチョコだから五十度辺り、芳美ちゃんはホワイトチョコだから四十五度ぐらいがいいわね!」
「「了解!!」」
水樹が守谷家に足を踏み入れば、ときめく季節にぴったりな匂いが立ち込める。案内されるまま進むとエプロンと三角巾を身に着け準備万端な光希達がいた。
(『水樹君も一緒にどう?』と、つい参加しちゃったがチョコ作りなんて久々だ)
着替え用に渡されたオーバーサイズエプロンの紐を結び女子三人衆の前に現れると、黄色い歓声が上がった。
「みずくんじゃん! ひっさしぶり!!」
「元気だったー?」
「久しぶりだね、僕は息災だよ。邪魔じゃなかった?」
「ぜーんぜん。チョコレート細工並の推しが登場し、テンション爆上がりの芳美であった」
三人とも相変わらず元気そうだ。三学期になるやいなや登校すること自体が珍しくなり、皆と顔を合わす機会はおのずと減った。
「みーくんは料理教室に入会するのー?」
「料理教室?」
「彼方のお母さん改め、恭子先生が開く予定の教室だよ。今日は体験会でテーマは『バレンタインチョコ』! バックパッカーの経験と料理人の腕を活かしたメニューの豊富さが売りなんだよ。因みに希星はガナッシュを手作り中。古今東西の料理やスイーツを作れるみたいだから、この機に入会しようかなって思って」
チョコまみれの唇に笑みを浮かべた光希はゴムベラを回しながら師を見る。二人から同時に見つめられた恭子は手で赤面を煽いだ。
「もー、そんな大それたものじゃないわあ。光希ちゃんってばおだてるの上手なんだから。あ、テンパリングをする時にはね……」
照れ笑いはすぐに先生の顔へ切り替わり、テンパリングに取り掛かろうとした光希の元へ寄る。意外な経歴を知るも、さほど驚かなかった。彼方の誕生日会で披露された料理はどれも口へと運ぶスピードが早まる。納得がいく。
「水樹君はどんなチョコ作りたい?」
生チョコにチャレンジしてみたいと告げれば、あらかじめ用意された温かい生クリームに細かく刻んだチョコを混ぜていく。さらっ、とろっとしたものが、どろんとろんの生チョコレートへ変化するのが目からも混ぜ溶かすゴムベラからも伝わってきた。自由研究や理科の実験を思い出す。急なスイーツ作りで緊張していた心も溶け、甘いチョコレートの香りが気分を幸せへ運んでくれる。
パットへ流し込み、皆と固まるのを待つ間、彼方の母手製のホットチョコレートで一息吐く。濃厚さの向こう側に柔らかさと心を落ち着かせる安心感があった。
「一人暮らしかあ……」
幸せに入り浸ると、ふっと現実に戻ることある。悪いことじゃない。
「芳美ちゃんは高校出たら一人暮らしするの?」
「そうなんです。大学は実家からも通える距離なんですけど、社会勉強も大切にしなさいと言われちゃいました。あんなに親に反発してたのに、いざ『出なさい』と真正面から伝えられると正直キツいっす」
ビターチョコレートみたいに笑う芳美に、彼方の母の顔が曇ったように目に映る。
「ウチんとこは芳美とは真逆。『行くなー!』と家族総出で止められる。愛情は痒いくらい伝わるけど、もう少し遠めの大学受けたかったなあ」
「偏差値的にやばいから無理もないかー」とマシュマロをぽとんと落とす光希。「推薦入学できたからいいじゃん」「芳美も受かって安心した」と肩を突き合いながら戯れる二人を、煎餅を齧りながら希星はにこやかに笑う。
「そういえば希星さんの進路って保育関係だったよね。どこに……」
バリバリ。笑顔のまま固めの煎餅を貪る。奥歯からはゴリゴリ音が鳴っていた。
「あれねー。うん、合格したよー。でもねーすぐに辞めるかもー」
穏やかなネガティブ発言を聞き、隣に座る光希達が「またまたー」と肩を突く。やはりこの三人は仲が良い。隠しごとなんてないのだろう。伊達に運命の番が現れようが未来永劫いることを誓ったわけではない。
「んーとねー。昨夜のヒート終わりー? 噛まれちゃったんだよー、婚約者と違う人にー」
(……え?)
マグカップが鈍い音を立てる。足元に広がる生暖かい液体。それでも気にせず希星は煎餅を食べ続ける。異常な光景に背骨の一本一本が針みたいに痛い。
「ちょ。希星、冗談はよしてよ」
「そう、そう……。いくらあんたの家が金持ちだからって……。それに婚約者がいるとも一言も」
「冗談じゃないよー。うちの経営が厳しいから婿養子に取った人がいるのー。今朝はね家の敷居を跨ぐなと怒られてー、近いうちに勘当を言い渡されるかもー。あ、もう言われたー? あはは、ほんと……甘いものには塩っ気があるものがよく合うよねー。この醤油煎餅ってば美味しいー」
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