時夜見鶏の宴

猫宮乾

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―― 第一章:時夜見鶏 ――

SIDE:時夜見鶏(18)

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 ――聖龍暦:19700年(一億九千七百四十九年後)


 朝蝶が、ここに来たのは、それから約百年後のことだった。

「!」

 息を飲んだ俺の前に、朝蝶が姿を現した。

「久しぶりだね」

 何を言って良いのか分からない。

「元気?」
「……」
「その、子供は、さ」

 ああ、黒羽のことかと納得し、俺は頷いた。

「……ああ。お前によく似ている」

 本当、ビックリするぐらい、顔が似ているんだ。

「そう――僕が、見る度に僕を思い出して憎むように祈ったからかな、似てるのは」
「……」

 別に俺は、朝蝶を憎んではいない。

「戻りなよ、神界に。誰にも手出しさせないし、その――僕も、近づかないから」
「……」
「その体で人間界にいるなんて、自殺行為だ。僕は……何度も後悔したよ。君を捕食したこと。君が死んじゃうくらいならね、時夜見。ずっと……ずっと前のまま、一緒にいれば良かったと思った。だから、戻ってきて」

 服従の指輪が光った。
 これは――お願いでも頼み事でもなくて、朝蝶の中では、命令なんだろうな。

 歩み寄ってきた朝蝶が、俺の首に手をかけ、不意に口づけた。相変わらず、良い匂いがするし、唇は柔らかい。

「……」

 だけど、戻ることは躊躇われた。

 予知の結果、もう黒羽が殺されかけることはない。だが、俺の子供だ。それだけで、黒羽は辛い思いをするだろう。なにせ、強姦魔の子供なんだから。人間界にまで伝播した様子で、俺は残酷なお伽噺も耳にしている。

「いいよね、時夜見」
「……そうだな」

 だが、正直そろそろ、黒羽にも神界の事を覚えさせる時期だと思う。
 だから俺は、頷いた。


 神界の森の中に、一軒家を建てて、そこで黒羽と暮らすことにした。

 俺はまた、聖龍からフリーの仕事を貰い、生計を立てている。相変わらず咳も吐血も止まらなくて、大半は寝てるんだけど。

 そんなある日、庭に、不思議な気配がした。
 誰かと黒羽が話している。
 だが……その気配は心地良かった。

 暫くすると、その気配の持ち主が、家の中へとやってきて、ソファに横たわっていた俺の側に立った。

 視線を向けると、俺にそっくりなのに空色の瞳をした少年が立っていた。

「何故俺を捨てた?」

 ああ、朝蝶が育てている、もう一人の俺の子供――夜巻周鳥だなと悟った。

「……出来れば、一緒に暮らしたかった」

 それは俺の本心だった。

「……俺が生まれた時、時夜見鶏は何を思った?」
「……そうだな。元気に……」

 懐かしいなと思って俺は目を伏せてから続けた。

「元気に生まれて、元気に育って欲しいと」

 自然と笑みが浮かんできた。だから目を開けると、周鳥が息を飲んでいた。

「好きでもない、ただ孕ませただけの相手の子供に対して?」

 ああ、そんな神話があることは、俺も知っていた。
 俺が無理矢理、朝蝶を孕ませたって話だ。

「――少なくとも俺は、朝蝶が好きだ。だから、お前は、愛されて生まれてきたんだよ」

 俺にはな。朝蝶の気持ちは知らない。多分、俺のことは嫌いだろう。跡継ぎを欲していただけだろうし。だけどこんな風に立派に育てたんだから、子供のことは好きなんだと思う。

 俺の言葉に苦しそうな顔をした後、周鳥は何も言わずに帰って行った。
 顔の作りは俺に似ているけど、その表情は朝蝶そっくりだった。

 それから、ある程度回復した俺は、時折、会議に呼ばれるようになった。
 種類は色々だ。

「時夜見」

 朝蝶に声をかけられたのは、そんなある日だった。
 いつもはすれ違っても俺と目を合わせようとせず、口を開こうともしないのに、珍しい。

「先日は、周鳥がお世話になったそうですね」

 ああ、そういう事かと俺は納得した。
 だけど俺の子供でもあるのに、世話って……。

「……別に」
「っ、あの」

 久しぶりに、朝蝶の『あの』を聞いた。

「僕のこと――好きなんですか?」

 そういえば周鳥に、言っちゃったなぁ俺。気持ち悪いとか思ってるのかなぁ。だけど。

「……ああ」

 自分の気持ちに嘘はもうつけない。俺は、朝蝶のことが好きだ。

「な、ッ、なんで……」

 苦しそうに朝蝶が言った。でもさ、しょうがないじゃん。恋って堕ちるものだとか言うし。俺きっと、堕ちちゃったんだよ。

 それから黙り込んだ朝蝶を暫く眺めた後、俺は帰った。


 その後、暫くしてから。
 ある日朝蝶が、俺の家に来た。

 何回か、実際には三回ほど、朝蝶が黒羽を眺めに来ていたのは知っている。
 だけど家の呼び鈴を押されたのは、初めてだった。
 中へと招き入れると、淡々と朝蝶が言った。

「今日は、外に出ないで下さい」
「?」

 なんだろう急にと思ったが、その時、服従の指輪がきらきらと光った。

「……ああ」

 まだ効果が切れていない様子なので、俺は頷いて見せた。


 その後、ちょっとしてから俺は、予知した。
 朝蝶が、≪邪魔獣モンスター≫に襲われて、攻撃を避けきれずに消滅する光景を。

「……」

 少し考えてから、俺は服従の指輪を外して、ダイニングテーブルの上に置いた。
 それから俺は、黒羽を連れて、愛犬の所に向かった。

「どうしたの?」
「暫く預かってくれ」
「良いけど……なんで?」

 愛犬が首を傾げる。隣で、黒羽もきょとんとしていた。
 俺は、愛犬の耳元で、黒羽に聞こえないように告げる。

「出かける。もし、俺に何かあったら、黒羽を頼む」
「――え?」
「頼んだぞ」
「ちょ、待ってよ、どういう意味? ねぇ、時夜見!」

 動揺したような愛犬の言葉には応えず、俺は転移した。

 目の前には、≪邪魔獣(モンスター)≫の爪が迫っていて、朝蝶が息を飲んでいた。
 目を伏せているのが見える。
 少し横に転移し、攻撃を放ってから、俺は朝蝶を正面から抱きしめた。

「――……! 時夜見……? 時夜見! どうして」

 驚いたような、蝶々の声がした。
 丁度その時、俺が放った≪闇焔夜(ファイアーナイト)≫が炸裂した。
 飛んできた≪邪魔獣モンスター≫の血が、俺にかかった。

 だが、腹部を貫かれた俺が流す血液が、朝蝶の白い手と青い服を汚す方が、速度が速い。

「命令したのに……っ、え、なんで? なんで、指輪、してないの?」

 朝蝶が泣くように言う。

 それは、その、あれだ。だってさ、あの指輪一応、婚約指輪らしいし。
 俺が死んでもはめてたら、色々とやりづらそうだから。

「時夜見、ねぇ……なんで、なんで、僕なんか庇うの?」

 小さな声で朝蝶が言ったから、俺は思わず笑った。


「それは――俺が世界で一番お前のことが大好きで、お前を愛してるからだろ?」


 してやったりみたいな気分で、俺は笑った。

 それから視界が暗くなり、ああ、意識を落とすんだなぁと分かる。
 最後に見たのが、朝蝶の泣き顔というのは、哀しい。

 だけど。
 朝蝶の腕の中で、消えるんなら、いいかなぁ。

 それが俺の、最後の記憶だ。なんとなく、幸せだった。



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