医療魔術師の日常

猫宮乾

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―― 本編 ――

【一】病気の妹

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 春。
 ユリズ・ハートレイドは、焦げ茶色の鞄を手に、医療魔術師が集うワークス医療塔の門をくぐった。ワークス医療塔のは、国中から優秀な医療魔術師が集まる。それは、「集まるとされる」ではない。本当に、集まっている。

 次々に新術式による手術を成功させ、このトレイズ王国の最先端の医療機関だ。それは論文にまとめるのではなく、実際に都度臨機応変に患者の手術をして、その後に結果報告を論文化するという手法で、国内に広まっていく。

 他方、ユリズがこれまでいた魔術理論学術機構は、先に理論を考えて、それをもとに手術を行う。そのため、治験がつきものだ。

 卵と鶏のようなもので、理論が先なのか実技が先なのかは、難しいところである。

 ユリズの場合は、治験のために、理論をもとに手術をすることに非常に長けていた。魔術の術式を用いての魔術外科の手術の腕は、学術機構でもずば抜けている。だが、完全に理論派だといえた。

 ――その理論でも、未だ根治出来ていない病が、白薔薇病である。
 白薔薇病は、罹患すると体中に緑の蔦のような模様が浮かび上がり、最後には植物となって死に至る病だ。脳に種と呼ばれる腫瘍が出来るのが原因と言われている魔術病の一種である。罹患した者を延命するには、植物化をさせない魔術結界の上のベッドに寝かせておくほかない。そのベッドの数は非常に少ない。病気自体の数も少ない難病だ。

 幸い、学術機構には、そのベッドがあった。
 ユリズは妹のレーラをそこのベッドに寝かせたが、本来であれば入院期間には期限がある。根治のための理論研究を焦りながらユリズは日々妹を見舞った。

 上司のバートンに呼ばれたのは、そんなある日だった。

『ユリズくん。あのベッドのことだがね』
『……期限が来たのは承知しております。ですが、なんとか』
『ふむ。そうだねぇ、私とて優秀な君の願いを無碍にはしたくないのだがね、規則は規則だ』
『お願いします!』
『ならば、君には特別な働きをしてもらいたい』
『特別な働き……?』
『来年、医療魔術師連盟の会長を決める選挙があるのは知っているね?』
『ええ』

 頷きつつ、この時のユリズは話が見えなくなった。

『私はその座を狙っているんだ。会長になれば、今はワークス医療塔にばかり多く割かれている支援金も、もっと多くこの学術機構に入ってくる。そうすれば、結界つきの個室ももっと増やすことができ、君の妹のためのベッドも増える』
『……それは、喜ばしいと思います』
『会長職は、医療魔術の発展への貢献度で決まる。しかし理論が先の学術機構では、治験の希望者の集まりが悪く、第一線で困難な患者が運ばれてくる医療塔と比べると、扱う患者数ではどうしても劣る』

 バートンの言葉はその通りだった。

『そこで。君には、ワークス医療塔へと赴任してもらいたい』
『私が、ですか?』
『いかにも。そしてそこで、それとなく治験を行いつつ、データの収集をすることが一つ。もう一つは、あちらで会長職を狙っている者達の論文の内容を盗み出し、先に学術機構で研究が成されていたように細工する。これにより、あちらの貢献度を下げる。この重大な役を担って欲しい。それが、君の妹のためにもなるだろう』

 その打診に、ユリズは言葉を失った。それから窺うようにバートンを見た。

『私にスパイになれと、そういうことでしょうか?』
『物わかりがよくて助かったよ。既に赴任のための手続きは整えてある。あとは君の返答次第だ』
『――わかりました』

 ユリズは、本来であれば不正や汚い行いは好きではない。けれど、妹を助けるためには、選択肢など一つしかなかった。

 こうしてユリズは、ワークス医療塔へと赴任することになったのである。
 春の日差しは穏やかだったが、ユリズの胸中は温かくはない。
 空を見上げ、雲を眺める。

「私は、私の仕事をするまでだ」

 そう呟いてから、ユリズは歩きはじめた。


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