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しおりを挟む僕のお祖父ちゃんが腰を痛めたのは、吹雪が冷たい二月の事だった。
「悪いのう、ジル。代わりに、家賃を貰いに行ってきてくれ……」
「良いよ。そんなのは全然良いから! だから寝て!」
お祖父ちゃんの腰に、魔法薬をたっぷり染み込ませてある湿布を貼ってから、僕は告げた。僕の言葉を聞くと、素直にお祖父ちゃんは横になった。
僕の祖父のフリッツ・ベッケルトはいくつかの借家の大家さんをしている。
一方の僕は、次の五月に王立騎士団の魔術師団の採用試験を受けるまで、暇だ。昨年の十月には世間一般の平均と同様に王都魔術学院を卒業し、一月に王国認定魔術師試験を受けて合格した。そして残りの四ヶ月は、騎士団の何処へ配属希望をするかなどの猶予とされているが、暇だ。今年で二十三歳、ごくごく平凡な小市民である。
「ジル、頼んだぞ」
「分かったから! 兎に角無理をしないようにね!」
お祖父ちゃんに念押ししてから、僕は家賃の回収に向かう事に決めた。
――以後、三日かけて、僕はお祖父ちゃんの代理として各地に足を運ぶ事になった。
長屋から一軒家まで様々な借家があったが、地図と居住者の名簿を貰っていたので、順調に回収は進んだ。外套を着こんでいる僕は、雪を踏みしめつつ、一番最後とした、王都郊外の邸宅の前に立った。
実際には、一番早く、朝にも訪れたのが不在だった為、星が輝き始めた現在、出直した次第である。週休二日制のこの王国で、本日は日曜日であるし、既に時刻は八時である上、邸宅には灯りが点いている。不在とは考え難い。だがこの邸宅の人間は、昨日の日中も不在であったから、迷惑かもしれないとも思ったが、ちょっと遅い時間に声をかけさせてもらう事に決めた。
「すみませーん!」
呼び鈴を何度鳴らしてみても、応答がない。輪っか状のドアの金具を握り、僕は豪快に声をかけた。
「あのー! すみませーん! 夜分遅く申し訳ありませーん! どなたかー!」
その後は直接ノックを繰り返した。手袋ははめているものの、指先が冷たくなってきた。そのまま――十五分。僕は粘って、声をかけ続けた。例えば、入浴中だとか、トイレに入っているとか、そういう事も検討したのだが……最終的に不安になってきた。
「もしかして倒れていたりしますか? 大丈夫ですか? ど、どうしよう? 騎士団に連絡した方が良いのかなぁ」
ブツブツと僕が呟いた、まさにその時。
静かに扉が開いた。真正面にいた僕は激突しそうになり、慌てて後退ったが、扉自体がゆっくり開いた為、それは何とか免れた。
「何か?」
出てきたのは、上質な黒衣を纏った、長身の青年だった。艶やかな髪と瞳も同色で、夜色をしている。随分と端正な顔立ちをしていたが、眼光鋭く冷ややかな色を目に浮かべているせいか、どこか独特の威圧感がある。
「あ、おられましたか! ロベルト・シュヴァーベンさんですか? 家賃の回収に参りました!」
「確かに俺はロベルトだが……大家は、ベッケルト氏のはずだが?」
「僕はそのフリッツ・ベッケルトの孫で、ジル・ベッケルトと言います。実は、祖父が腰を痛めてしまって――これ、委任状です!」
怪訝そうな青年に対し、僕は詐欺ではないぞと証明するべく、証書を見せた。すると小さく息を呑んでから、何度か青年が頷いた。
「失礼した。すぐに用意する。待っていてくれ」
「はーい!」
踵を返した青年を見送り、待つこと五分。
戻ってきた主の青年は、家賃の金貨が入った麻袋と、それとは別にカゴに入った雪苺という果物を僕に渡してきた。
「家賃、確かに。ええと、こちらは?」
「ベッケルト氏への見舞いの品だ。渡してほしい。それと――何度か来てもらったようなのに、押し売りや詐欺師かと誤解し、ドアを開けなかった詫びの品だ」
「全然お気になさらないで下さい! ただ、お気持ち、本当に有難うございます」
僕は雪苺が大好物なので、嬉しくなって両頬を持ち上げた。青年は表情を変えるでもなく、ただじっと僕を見ていた。
「多分、来月も僕が来るので、宜しくお願いします!」
「……そうか。覚えておく」
「有難うございます。それでは、失礼します!」
一礼し、僕は受け取ったものを手に、その場を後にした。
これで今月の家賃の回収は全て完了だ。僕は祖父の元へと戻り、雪苺のカゴを渡して、その事を報告した。するとお祖父ちゃんが目元の皴を更に深くした。
「ロベルト様は好青年だったじゃろう? 一見冷たいが、そうか、見舞いの品か。相変わらず、気を遣って下さる」
「そうだね。この雪苺、すごく美味しいね!」
二人で雪苺を食べながら、僕達はその日を終えた。
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