失楽園の扉

猫宮乾

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―― 第二章:過去 …… 大日本帝国の人体実験と黙示 ――

【七】第二次世界大戦の終戦とアポロ計画

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 ――終戦の日を迎えた頃、第666部隊の資料は、紅朽葉院楓大佐が焼失させようと試みる手前に、侵攻してきた露軍により接収された。その施設の位置は、大日本帝国内ではごく一部、それ以外には、独国の限られた研究部隊しか知らなかった。

「……そうか。独から露見したのか」

 絶望的な心地になりながら、直前で施設を放棄し、楓博士達は退避した。その際、彼は被験体V-ア-1Lの拘束を解いた。

「逃げろ。その体は既に、私達とは異なるから、今後どうなるのかは分からないが――生きろ。外見は我々と変わらない。今は戦後の混乱で戸籍の操作も安易に可能だ。記憶喪失のフリでも、なんでも出来る。望んだ未来が、きっと来る」

 上半身を起こした被験体V-ア-1Lに着替えを押し付け、その掌に紙幣を数枚握らせた。それが、紅朽葉院楓大佐が被験体V-ア-1Lを見た、最後の記憶である。

 退避後、紅朽葉院楓大佐は、帝都に戻った。
 戦犯として裁かれる日を覚悟し、待ちながら――最後の時を、家族と過ごそうと、妻が暮らす京都へと戻っていた。紅朽葉院家は、元々が、公家華族の家柄である。妻は楓博士の生存を喜んでくれたし、一人息子の、柊(ひいらぎ)は随分と大きく成長していた。

 もう思い残す事は無い。
 そう考えながら過ごしていたにも関わらず、待てど暮らせど、戦犯として裁かれるといった告知は来なかった。

 その後、東京裁判も行われたが、出頭を要請される事は無かった。
 戦後、処罰される未来ばかり思い描いていた楓博士は、余生を穏やかに送る決意をする。紅朽葉院柊が成人を迎える頃には、米露の緊張が色濃くなったが、世界は平和に進んでいると――戦時中を知る彼は思っていた。孫娘の、百合(ユリ)も、もう五歳となった。

 そんなある日、紅朽葉院家の邸宅の呼び鈴が鳴った。訪れたのは、米国の軍人二名と外交官だった。いよいよかと感じたが、彼らは深々と楓博士に頭を下げた。そして流暢な日本語を口にした。

「被験体V-ア-1Lの研究について、話があります」

 その名前を聞いただけで、覚悟していた事もあり、楓博士は頷いた。周囲は、戦禍の事を一切語らなかった楓博士の事情を知らず、不安そうに見送った。

 そうして連れていかれた米大使館において、楓博士は話を聞いた。

「現在、貴方達の、旧大日本帝国軍第666部隊を、私達は俗に『黙示部隊』と呼称しています」

 新しい文化が入ってきた現在、聖書を読んだ事もあった楓博士は、確かに黙示録の獣の数字だのという話に、666という数字が関わるといった娯楽本を読んだ記憶があったので、小さく頷いた。

「もし当時、独国と大日本帝国が、双方の研究成果を合わせていたならば、黙示録が正しく発生していたとも考えています」
「――双方から成果を接収した露が、今はそれこそ『獣』なのでは?」
「我々はそうは考えておりません。現在、米露は共闘し、『月』を目指しています。決して、気づかせないようにしながら」
「月?」

 アポロ計画等の話は、楓博士も耳にした事があった。

「表面上は、核戦争危機における緊張状態にあると見せかけ、同様に宇宙開発も国力の誇示であるように見せかけながら、我々は、正しく『敵』の探知に乗り出している」
「敵とは?」
「月内部に、存在する――端的に言えば、超古代文明人となります。我々人類に、それこそ紅朽葉院博士らが発見した『人為的操作』を加えた存在となります」
「――そんな存在がいたとは過程可能だが……生存しているのか?」

 率直に楓博士は尋ねた。すると正面に座る外交官が、大きく頷いた。

「第666班が開発した、『ワクチン』。及び、独の研究部隊が開発した品――あちらも同様に毒薬として開発されましたが、ただしく、『人体へのプロテクト』を解除可能な『ワクチン』です。そして、米露合同研究班で独自にもう一種類を開発しております」
「治癒能力……不老不死以外にもプロテクトが?」
「正確には、不老長寿です。不死ではない。少なくとも理論上は」
「……」
「日独の、PKとESP及びOtherという超能力分類は、こちらで確認しています」
「私が携わっていたのは、そのOtherの部分の自己治癒能力だ。不老長寿に通じる部分だ」
「いかにも。そして独が開発していたのは、主にESP関連です」
「……」
「そして率直に述べて、日独伊を滅ぼすべく、米が主導し、露と共同開発していたのは、そのくくりでいうところのPK――最も殺傷威力が高い攻撃的な能力です。この全てを、全ての人間は、本来は生得的に持ち合わせています。円形で表現可能で、円を二つに割り、右の半円を二分割した場合、右上がPK、左下がESP、左の半円全体を非分類としてOtherと命名可能です。いいえ、可能も何もこれは、紅朽葉院博士の分類だ」

 その通りだったので、楓博士は何も言わなかった。

「三種の混合ワクチンを摂取する事で、人間は、三つに分類可能な超能力を、再取得できます。これが、一つ目の、『プロテクトの解除』となります。人間は、これまでに、この能力を制限されてきたと言えます」
「何者が何のために制限したのだね?」
「――核抑止、という言葉がありますね。核をお互い持てば、牽制しあって、他害に攻撃しないという考えです。他方、核軍縮という考えがある。即ち、『全て捨て去り、お互いに持たない』という選択肢です。その『何者』かは、『持たざるを良し』としたのでしょう。少なくとも、米露合同班では、そう考えています」
「仮にその推測が的を射ているとして、『何者』かたる存在は、全人類にその効力を発揮させる事が可能なのであろう? 即ち――神に等しい」
「いいえ。我々は、その存在を、神だとは認めません。『いかなるプロテクトもなされていない人類』であると考えております。そして、仮に神だとしても、不都合な神など……我々に都合の悪い神など、神とは認めがたい」
「……」
「その存在は、我々に制限を与え、家畜化した『神気取りの狂人』に過ぎない。罰するべき存在だ」
「それが、月にいるのか?」
「そうです」
「何故分かる?」
「月から、兵器攻撃を確認しています。逆に、月へのESP監視も行っております。またその存在は、地球上の任意の人物にESP実体により接触をしている例も確認しています」
「相手は何人いるんだ? ESP実体とは?」
「ESP実体は、ESPによりホログラムのように自分の体を知覚させ、目の前に立っているように見せる技法です。相手は――一名。一人です、確認した限り。神は八百万ではなく、敵は一名。これが真理です。例えば……そうですね、日本国には、『かぐや姫』というお話があるようだが」
「かぐや姫?」
「ええ。我々は、その存在を『KAGUYA』と名付けています。あるいは、『月の魔女』と呼んでいます」
「女性なのか?」
「ESP撮影――戦前でいうこの国の念動力撮影と類似の手法で撮影した写真において、その者は、この国古来の衣装である十二単によく似た服装をしていました。ただし造形は、米国においてグレイ型としてゴシップで分類されている宇宙人に類似していますが」
「……」
「我々の使命は二つです。明確だ。一つは、月の魔女を倒し、自由を手に入れる事。そしてもう一つは、全人類にかけられているプロテクトを解除する事です」

 楓博士は、反論する言葉を、特に持たなかった。

「その為に、知識を貸していただきたい。ご協力願います。なお、これは依頼ではない。命令だ」

 また、拒否権も無かった。この日から、紅朽葉院楓博士には、新しい研究室が与えられた。


 ――こうして、研究が再開された。
 最新設備の元で、時には、京都の自宅へと帰宅する事も許されながら、楓博士は全知見を提供した。そうして、一つの案を出した。この頃になると、超能力はPSYと呼ばれていた。

「全てのプロテクトは――『PSY封印処置』『人格矯正プログラム』『寿命制限処置』『IQ低下コントロール』『身体表現性天才技能』の五つと考えられる」

 楓博士の言葉を、多国籍の部下達は、見守り、皆耳を傾けていた。その頃になると、月からの偵察ドローンの落下により、既に『月の魔女』の存在は暗黙の了解となっていた。例えばそこにある部品などから、電子レンジなどが生み出されたりもしていた。

「人為的に、全ての、制限プロテクト処置を、解除した存在を生み出す事から始めたい。その為には、人工授精が必要となる。受精卵の段階から、各種の細胞を」

 誰も否を唱える者はいなかった。

「私の孫、百合とその婿の受精卵を用いる」

 もう、人体実験のような悲劇を産みたくないという想いもあり、楓博士は愛しい孫娘とその夫に全てを打ち明ける決意をしていた。これにも、誰も否は唱えなかった。紅朽葉院百合とその夫は同意し、こうして受精卵が用意される事となった。

 百合は、英語でリリーだ。そして、聖母はマリア様だと、高度経済成長期に入ろうとする日本においても僅かに根付いてきたクリスマスといった文化で、人々は知るようになった。紅朽葉院百合は、被験体リリーマリアと呼ばれるようになっていた。

 計画的にプロテクトを解除した子――紅朽葉院桜が生まれたのは、1986年の冬のある日の事であった。ひ孫の出生を見届けてすぐ、ここまでの記録を、若かりし頃の第666部隊の頃からの分まで回想して手記に記し、楓博士は天寿を全うした。


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