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―― 第五章:番外 ――
【068】バレンタイン
しおりを挟む塞の神が終わり、如月に入って数日が経ったその日。
本日は休暇なので、時生は家の手伝いをする事にした。本日偲は、全体会議への出席で、本部に出かけている。何を手伝おうかと、時生は台所へ顔を出す。今日澪は、静子にモデルを頼み、鶴の絵を描いている。
「真奈美さん?」
時生が声をかけると、テーブルの前に座り、なにやら唸っていた真奈美が顔を上げた。
「ねぇ、時生さん? チョコレートってご存じ?」
「チョコレート? うん」
チョコレートは、裕介が好んで食べたので、たびたび目にした記憶がある。
「じゃあバレンタインも知ってるわよね?」
「バレンタイン、ですか?」
そちらは聞いた事が無かったので、時生は素直に首を傾げる。すると真奈美に手招きされたので、彼女の正面の椅子を引いた。
「商社の広告記事によるとね? 女の子が、意中の男の人に、チョコを贈る日なんですって。つまり、告白する日って事!」
「そんな日があるんだね」
「そうなのよ。それで困っちゃって」
「真奈美さんも、誰かに告白するの?」
「そうじゃないわ! 自分の事だったら悩みませんから。自分が告白するなら、私は当たって砕けます!」
力説した真奈美の姿に、信憑性を感じて、両頬を持ち上げて喉で笑ってから時生は頷く。
「奥様がね、偲様にチョコレートをあげたいらしいの」
「そうなんですか」
「ええ。それで作るのを手伝ってほしいと言われたんだけどね? 私、どうにもこうにも、湯煎っていうのが上手くできないのよ。何度か挑戦したんだけど、いつもチョコレートが溶けると風味が飛んでしまって」
それを聞き、時生は腕を組む。チョコレート作りは、過去に何度か裕介にやらされた。何故なのか二月の半ば頃、裕介はそれを時生にラッピングさせ、学校へと持っていったものだ。なにやら『これで貰えなかった時も誤魔化せる』というような事を呟いていた記憶が、時生にはある。
「もしかして、湯煎をするお湯が熱すぎるんじゃないかな」
「え? 沸騰したお湯ではないの?」
「あ、その、沸騰はさせないで、その前に火から下ろして、それからさらに、指を入れても大丈夫なくらいの温度にしてから、チョコレートを溶かすんです」
「! 知らなかったです! 時生さん、ありがとう! やってみます!」
「手伝おうか?」
「お願いします!」
こうして時生の、この日手伝う事が決まった。
まずはチョコレートを刻んで器に入れた。それから二人で並んで、火の前に立つ。
「こんな感じかしら?」
「いいと思います」
「心強すぎる」
「あっ、そろそろ火から下ろして!」
「はい!」
二人であれやこれやと話ながら、鍋を下ろして温度を調節する。そこにチョコレートの入る器を載せて、二人はゆっくりとチョコレートを溶かした。
「あとは型に入れて固めればいいのよね?」
「このままだとちょっと固くなっちゃって囓れなくなるから、僕は生クリームを入れて、丸く成形して、周りにココアの粉をつけて、トリュフというものにしてました」
「そんな品があるのね! 時生さんが言うなら、そちらで間違いないはず!」
真奈美はそう言うと、生クリームを取りに行った。大抵のものは、この台所にはあるようだ。戻ってきた彼女は、器を見る。
「どのくらい?」
「えっと」
「やって見せて! お願い!」
「うん」
こうして時生は生クリームのパックを受け取り、目分量だが記憶にあるレシピの量を入れた。それを確認してから、ゆっくりと真奈美がヘラで混ぜる。
「あとはココアの粉ね!」
二人はそのようにして、無事に丸いトリュフを完成させた。
「なんだ? 甘い匂いがするな」
そこへ偲が顔を出した。どうやら会議から帰ってきた様子だ。
真奈美と時生がそろって偲を見る。
台所に入ってきた偲は、それから完成して皿の上にあるトリュフをまじまじと見た。
「これは?」
「奥さ――……いえ、私と、ほとんど時生さんが作った、トリュフです」
「そのようだと見れば分かる。そうではなく、この季節にチョコレートを作るのだから、誰かに渡すのかと思ってな」
「誓って私は誰にも恋をしていません!」
「そ、そうか。では、時生は?」
偲と真奈美のやりとりを見ていた時生は、不意に水を向けられて微苦笑した。
「女の子があげる日だそうです」
「なるほど。では、このトリュフは別段、行き先が無いという事だな。俺が貰う」
すると偲がひょいと一粒摘まんで、口に含んだ。
そして悪戯っぽく笑う。
「愛を感じる味だな」
「旦那様、それはどんな味ですか?」
「真奈美も食べてみたらどうだ?」
「あ、味見!」
慌てた様子で、真奈美が口にトリュフを入れる。それから真奈美は、満面の笑みを浮かべた。
「さすがは時生さん。天才! なにこの美味しさ!」
褒められた時生は、気恥ずかしくなった。真奈美は、時生の耳元に口を寄せる。
「本番もお手伝いお願いします」
「う、うん」
こうして、この年のバレンタインには、偲の口には時生の手作りチョコレートが入る事になった。静子が幸せそうに羽を揺らしていたものである。なお偲には、味で露見していたのだが、それは幸い、真奈美と時生の知るところではなかった。
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