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―― 第四章 ――

【067】ぬくまる手

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 本日は約束通り、澪を連れて偲が外へと出た。
 一緒に来た時生は、澪が駆けていくのを慌てて追いかける。そして澪が立ち止まって、悪戯っぽく笑ったのを見て安堵し、何気なく傍らのゴミ箱を見た。既視感から顔を上げて周囲を見渡し、そこがいつか、凍えて蹲り秋夜を明かした場所だと気がついた。

 立ち止まった時生は、その先の角を見る。

「時生?」

 不思議そうな声を出して、澪が歩みよってきて、時生の手を握った。慌てて微笑を返す。すると澪は、首を傾げてから小さく頷き、再び澪が歩き出す。そして澪が角を曲がる内、時生はやはりこの路地だったとはっきりと思い出した。

 思わず瞬きをしてから左右に視線を走らせる。
 すると追いついてきた偲が、隣に並んだ。

「大丈夫か?」

 いつかと同じ、そうだ――出会った時と全く同じ、心配そうな偲の声が響いたものだから、心臓を手で触れられたかのような感覚になり、時生はビクリと肩を跳ねさせる。

「は、はい」
「どうかしたのか? 驚いたような顔をしているが」

 偲はそう言うと、隣で時生に向き直り、少し屈んで時生の顔を覗きこむ。

「あ、その……――その、ここで偲様に、最初に声をかけて頂いたように思ったんです。熱で朦朧としていたので、自信があるわけではないのですが」

 時生が苦笑交じりにそう言うと、姿勢を正した偲が、周囲に視線を向けた。
 それから目を細めて笑うと、何度か頷いた。

「ああ、確かにこの場所だった。忘れていた。もうずっと時生は、昔から家にいた気になっていたが……そうだったな。ここで俺が声をかけたんだ。あの日、熱を出していたんだったな」
「本当にありがとうございます。偲様がいなかったら、今頃僕は……何も出来ないままでした」
「いいや。確かに病には対処はいるが、きっと時生は、俺がいなくても立ち上がっていたさ。俺が知る時生はとても強い。秋からのたった少しの間で、俺はそれを知ったぞ? 違うか?」

 優しい偲の声に、時生が照れくさくなって頬に朱を差すと、握っていた手を離して、澪が時生の体に抱きつく。

「違わないぞ! おれも知ってるもん!」
「そうだな。澪も俺も知っているのだから、時生は自信を持つといい、もっとな」

 偲の声と澪の温度に、嬉しくなって、それを噛みしめるような顔で時生は俯く。
 あの日、ずっと下を向いて歩いていたのは、ただ未来が視えない失望からだったが、今は違う。幸せが愛おしくて、胸が溢れて、潤みそうになる瞳を見られたくなかったからだ。

「あ! 凧だ!」

 その時、澪が時生から腕を放して、走り出した。
 慌てて時生が目を開くと、不意に偲が、時生の手を握る。

「追いかけなければ。元気がいいのは良いことなんだが」

 そう言って偲が歩き出す。
 手を引かれた時生は、最初は目を丸くしていたが、手を握り直し、笑顔で頷く。

「そうですね。澪様が行ってしまう前に。今、偲様が僕の手を引いてくれて――いいえ、あの日からずっと道を、未来を示し導いてくれているように、僕も今度は自分で道を築いて、それが澪様の道標になるように、もう少しの間、先を走りたいと思っているんです」

 時生の声に、偲が両頬を持ち上げる。

「もう時生は俺よりも先にいる部分が多く、とうに道の築き方を知っているとは思うが――ならば、競争するとしようか」
「え?」
「澪の、いいや子供達の、そしてこの帝都、ひいては国の未来の導き手となるよう、自分達で幸福を掴むレースだ。レースというのだろう? 競争のことを。澪と読んだカタカナ語辞典に記されていた」
「っ」
「澪と時生が優しさの一番を目指すというのならば、俺達は――幸せな未来を切り開く導き手になる勝負をしよう。そして、必ずまずは真っ先に、自分達自身で幸せになってみせよう。俺達にならば、それが出来る」

 偲はそう言うと、ギュッと時生の手を握り返しながら、前を見た。

「こら、澪! 先に行ってはダメだと言っているだろう!」

 それを一瞥し、時生は頷きながら、早足になった偲に追いつく。

「この前の書き初めの時の、僕と澪様のお話、聞いていらしたんですね?」
「ああ。だが、今回は扉を開けずに、静かにしていた」
「む、寧ろ入ってきて下さったら――」
「いや、な? 澪と時生があまりにも親しいものだから、妬けてしまってなぁ」

 クスクスといつかのように笑ってから、偲がさらに速度を早める。いつもは時生に歩く速度をあわせてくれる事が多い偲だが、時生はそれをよしとせず、自分もまた足に力を込め、横に並ぶ。並んでいたいという想いが、確かにそこにあったからだ。もう、動けず抱き留められるだけの己ではない。

「澪様! 待って下さい!」

 声を上げて、時生は偲とともに澪を追いかける。
 どこまでも、二人の影は、歩道に伸びている。本日はよい日射しだ。

 大正四十六年、一月。
 時生の手は、もうかじかんではおらず、とても温かかった。



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