神様の花嫁

猫宮乾

文字の大きさ
上 下
6 / 7

【六】面倒事?

しおりを挟む






 次の視察の前日。
 アーベントロート侯爵家の厨房には、一心不乱に材料の計測をしているクレイヴの姿があった。クレイヴが魔術の練習関連で菓子の材料いじりをする事に、この邸宅の家令も執事もシェフも侍女・侍従もみんな慣れているので、何も言わない。

 クレイヴの両親は、クレイヴに早々に爵位を譲ってからは、アーベントロートの領地の一つで長閑に暮らしている。夫婦水入らずで過ごしている。おしどり夫婦としても有名だ。

「何してるんだ、兄上?」

 そこへひょいと、クレイヴの弟のジェードが顔を出した。魔術を使うクレイヴとは異なり、剣で武功を重ねているジェードは、現在王国第二騎士団に所属している。ジェードは今年で、十八歳だ。男二人の兄弟なのだが、昔から方向性が違うためなのか、仲は悪くない。

「お菓子だろ? この匂い。兄上の菓子類は本当に美味しいから、完成したら八割くらい俺にくれ。だけど兄上が菓子作りをするのは、大体が、誰かに頼まれた時か嫌な事があった時だけど、何かあったのか? 兄上に、気軽に菓子作りを頼める人間なんていないだろ?」

 不思議そうなジェードの声に、クレイヴは眉間に皺を刻みそうになった。言われてみれば、それは正しい。その上で――自発的にお菓子を作ろうと思った事など、初めてに等しいと気がついてしまい、頭痛を覚えた。

「嫌な事なら、俺も聞くぐらいならできるぞ?」
「無い」
「じゃあ頼まれたのか?」
「いいや」
「完成したら、八割俺にくれるか?」
「――明日、孤児院の視察に行くんだ。そこで振舞う予定なんだ」

 アリアの名前は出さなかったが、正直にクレイヴは述べた。するとジェードが曖昧に頷いた。

「よく分からんが、それ、兄上の手作りである必要性がある……みたいだな。その、なんというか、魔術学院時代の長期休暇で、この厨房に詰めてた時と同じくらいの気迫を見る限り。が、頑張れよ? 兄上。俺は明日、非番だがソフィアとデートだから寝るわ、おやすみ!」

 ソフィアというのは、ジェードの恋人である。ソフィアは元々はクレイヴの許婚だったのだが、ジェードとソフィアが相思相愛になったのをきっかけに、婚約は解消した。元々が家同士の取り決めであったし、クレイヴとソフィアの間には友情しか生まれなかったので、特に波風が立つ事も無かった。

 その日、無事にクッキーは完成した。


 こうして、視察の日が訪れた。馬車に乗って、クッキーを膝の上に乗せているクレイヴは、これで三度目になる孤児院街が近づいてくる風景を窓から見ていた。味見はした。我ながら完璧だった。僅かに余った材料で、ジェードとソフィアの二人で食べるようにと、小さなプレゼントも家に置いてきたのだったりするが――……問題は、アリアが喜んでくれるかどうか、であると、クレイヴは正確に理解していた。

 この日の長い挨拶の間、クレイヴは先にテーブルに載せたクッキーのカゴからなるべく顔を背け、熱心に挨拶を聞いているふりをして過ごしていた。

 そして、貴族の長い挨拶が終了した。

「クレイヴ!」
「約束だからな」
「有難う。いただきます!」

 満面の笑みのアリアを見て、緊張しながらクレイヴは感想を待った。一口食べたアリアは、目を見開き、長い睫毛の合間から瞳をこぼれ落ちそうにし、頬をどんどん染めていき――最終的に、非常に上品に一枚を食べ終えた。

 クレイヴとしては、カゴがすぐにカラになっても不思議はない程度には上出来だと考えていたのだが、あんまりにもアリアの食べ方は、上品すぎた。偏見かもしれないが、とても孤児には思えない。あんまりにも優雅で洗練された食べ方に見えた。修道院では礼儀作法も習うのだろうかと、クレイヴは考えたほどだ。

「良いですか、クレイヴ卿。本来、施しの品は、規定のもの以外は、受け取りませんし、なお言うのならば、聖職者個人への贈り物など論外です」

 そこへシスター・ロザンヌが声を挟んだ。するとアリアが振り返った。

「シスター・ロザンヌ! 食べてみて下さい!」
「ア、アリアがどうしてもと言うのですから、仕方がありませんわね」

 シスター・ロザンヌは、そう言うと、一枚クッキーを口に含んだ。そして小さく震えてから、満面の笑みを浮かべた。シスター・ロザンヌの笑顔は、クレイヴの笑顔よりも貴重かも知れない。

「こちらは、責任を持って、イステリア修道院宛の寄付として処理致します。ですが、次はありませんからね? お気を付け下さいますように!」

 クレイヴは何度か頷きつつ、やはり美味しいは正義だと確信した。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王の寝室に侍る娘

伊簑木サイ
恋愛
夜毎、シスター・シアは国王の寝室で王を待つ。さて、今宵、所望されるのは、お伽噺か羊か子守唄か。 ここまで呼びつけておいて口説き落とせない国王と、全然興味がない準シスターの、お約束な攻防。

獣人の里の仕置き小屋

真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。 獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。 今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。 仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。

【R18】貧しいメイドは、身も心も天才教授に支配される

さんかく ひかる
恋愛
王立大学のメイド、レナは、毎晩、天才教授、アーキス・トレボーの教授室に、コーヒーを届ける。 そして毎晩、教授からレッスンを受けるのであった……誰にも知られてはいけないレッスンを。 神の教えに背く、禁断のレッスンを。 R18です。長編『僕は彼女としたいだけ』のヒロインが書いた異世界恋愛小説を抜き出しました。 独立しているので、この話だけでも楽しめます。

冷血宰相と氷姫 ~ 稀代の政略結婚と噂されたあがり症と毒舌 ~

猫宮乾
恋愛
 冷血宰相と氷姫――そう名高いエインズワース侯爵夫妻は何かと誤解されがちだった。世の人々は稀代の政略結婚だったと噂しているが、噂はただの噂……のようで? ※異世界ファンタジーで、夫妻が結婚するまでを描きます。コメディ方向で、他サイトにも掲載しています。

【R18】悪役令嬢を犯して罪を償わせ性奴隷にしたが、それは冤罪でヒロインが黒幕なので犯して改心させることにした。

白濁壺
恋愛
悪役令嬢であるベラロルカの数々の悪行の罪を償わせようとロミリオは単身公爵家にむかう。警備の目を潜り抜け、寝室に入ったロミリオはベラロルカを犯すが……。

身売りのシスターと英雄の帰還

イセヤ レキ
恋愛
孤児院の運営の為に、月に一回、醜い領主に身体を売っているシスターのヴェラ。ただし、ヴェラはまだ処女で、毎回アナルを捧げていた。 ヴェラがその日も領主に貫かれていると、甲冑を身に纏った男が現れ……? 元孤児幼なじみ同士のお話です。 ※キモデブによるモブレがっつり描写あります。 ※エロはアナル中心です。 シリアス ダーク ハッピーエンド モブレあり 執着 異世界 シスター 英雄 キモデブ アナル 見せつけセックス

軽い気持ちで超絶美少年(ヤンデレ)に告白したら

夕立悠理
恋愛
容姿平凡、頭脳平凡、なリノアにはひとつだけ、普通とちがうところがある。  それは極度の面食いということ。  そんなリノアは冷徹と名高い公爵子息(イケメン)に嫁ぐことに。 「初夜放置? ぜーんぜん、問題ないわ! だって旦那さまってば顔がいいもの!!!」  朝食をたまに一緒にとるだけで、満足だ。寝室別でも、他の女の香水の香りがしてもぜーんぜん平気。……なーんて、思っていたら、旦那さまの様子がおかしい? 「他の誰でもない君が! 僕がいいっていったんだ。……そうでしょ?」  あれ、旦那さまってば、どうして手錠をお持ちなのでしょうか?  それをわたしにつける??  じょ、冗談ですよね──!?!?

未亡人メイド、ショタ公爵令息の筆下ろしに選ばれる。ただの性処理係かと思ったら、彼から結婚しようと告白されました。【完結】

高橋冬夏
恋愛
騎士だった夫を魔物討伐の傷が元で失ったエレン。そんな悲しみの中にある彼女に夫との思い出の詰まった家を火事で無くすという更なる悲劇が襲う。 全てを失ったエレンは娼婦になる覚悟で娼館を訪れようとしたときに夫の雇い主と出会い、だたのメイドとしてではなく、幼い子息の筆下ろしを頼まれてしまう。 断ることも出来たが覚悟を決め、子息の性処理を兼ねたメイドとして働き始めるのだった。

処理中です...