困窮フィーバー

猫宮乾

文字の大きさ
上 下
29 / 59
chapter:表 ……藍円寺の恋愛……

【6】痛みを伴う吸血(※)

しおりを挟む


 一気に牙を突き刺され、肌の二カ所に走った痛みに声を上げそうになる。

 ローラは少し引き抜き、さらにググっと牙を進める。
 そして強く血を吸われると、ゾクリとした。

 血液が抜き取られる恐怖が、本格的に込み上げてきたのだ。体が震えた。

「う……」

 再度噛み直された時、俺はうめき声を漏らした。
 するとさらに強く噛みつかれた。

 思わずローラの体をおし返しそうになるが――慌てて自分の両手それぞれで、指の爪を掌に突き立ててこらえた。

 それからゆっくりと、牙を引き抜かれる。
 俺が顔を上げると、ローラが残忍な笑みを浮かべていた。

「お前は痛みに強いんだな。我慢強い。最初の一噛みで大声あげる奴が多いんだけどな」
「うあぁ……っ」

 楽しそうに笑ってから、またザクっと牙を突き立てられた。
 今度は、俺は声を殺しきれなかった。
 最初の傷口から少し逸れた場所――そこを何度も抉るように噛まれる。

 牙が刺さる度に、最初の傷口が広げられて、ものすごく痛い。

「あああ」

 気づくと、声が漏れていた。俺の喉が震える。
 あまりにもの痛みに、生理的な涙が浮かんできた。

 血を吸われているのだし、早く貧血状態になって、体から力が抜けないだろうかと考える。そうすれば痛みが少しおさまるかもしれないと、思ったのだ。

 だが、その後もローラは、軽く噛んだり深く噛んだりをしばらく繰り返した。
 痛い。とにかく痛い。俺は今日から毎日、いつもこの痛みを堪えることになるのか。

 でも、きっと――ローラに毎日会えて、その上、ローラが他の人と体を重ねたりしないのなら、今までよりも良い。最初はそう思っていた。

「うう……あ……ぅぁぁ」

 だが――痛い。痛すぎる。痛い痛い。

 体の中に冷たいどろどろが入り込んでいくような痛みだ。黒い痛みだ。

 俺は喉をそらして、大きく息を吸う。
 今度は恐怖ではなく、痛みから体が震え始めた。瞳が涙で滲んだ。

 痛い、どうしようもなく痛い。
 俺は、これほど長い間、痛みに晒されたことがなかった。

 ついに俺は、ローラの胸元の服を掴んだ。
 しかし、押し返そうとしたが、ぴくりともしない。

 俺の力が抜けている訳じゃない。ローラの方が力が強いだけだ。
 ぐぐぐっと牙が深くなる。

 俺はついに堪えきれずに悲鳴を上げた。短く小さい、俺の悲鳴。

 すると、それに気をよくしたように、ローラが何度も牙を動かした。
 ――駄目だ、これは駄目だ。俺はやっと気がついた。

 こんな痛みが続いたら、俺は死んでしまう。

 逃れようと夢中で片手を持ち上げたら、きつく手首を掴まれた。

「やめてくれ」

 思わず俺は口走っていた。しかし、許されなかった。

「うあああっ」

 俺はついに大きな声を上げて涙をこぼした。目を伏せ、喉を震わせる。
 気づくと叫んでいた。痛みで呼吸が出来なくなってくる。

 俺が無意識に暴れると椅子が倒れた。

 するとローラは、椅子の脇に落ちた俺を押し倒すようにして上にのった。

 両手首をきつく掴まれ床にたたきつけられる。
 上半身の重みで動けなくなり、足の動きも封じられた。

 その間もローラの口は離れない。
 俺が身動きできなくなった瞬間、さらに深々と俺を噛んだ。

 夢中で首を振り、俺は泣いた。もう痛みしか考えられなくなっていく。

「いやだ、やめ、あ、いやだ」

 俺は泣き叫んだ。そのまま――ずっと俺は噛まれていた。
 どうしてこんなに長いのだ。まだ血は吸い終わらないのだろうか。

 もう痛いのはいやだ。だけど我慢する以外、俺は他にどうする方策も思いつかない。痛すぎて意識を失うことも出来ない。俺はそれから暫くの間、ただ痛みが強くなる度に叫び続けた。



 痛みが消えたのは、どれくらいしてからだったのかは分からない。

 かくんと体から力が抜け、突然痛みが消失した。
 そして急速に血が吸い取られていった気がした。

 それまで抵抗させていた体を、俺は床にぐったりと預ける。
 涙が乾いていく。意識がぼんやりとした。

 俺は頬に床の感触を感じながら、横をぼけっと向いていた。
 しばらくそうしていると、ローラが口を離して俺から体をどかせた。

「まぁまぁの食事だったな。約束通り、明日も来いよ。これは、『命令じゃない』――お前にはもうこういった暗示は効かないらしいしな。来るも来ないも、藍円寺、お前の意思だ。誰かに相談するのも自由だ。じゃあな」

 その日、俺はどうやって帰宅したのか、よく覚えていない。



 まだ夜があける前、俺は目を覚ました。
 精神的に疲れきっていた俺は、帰宅してすぐに眠ってしまったのだ。

 窓からは月がさし込んでいたが、時計を見ると、もう朝の四時だった。ズキズキと、首と肩の間が痛む。呼吸をすると、全身にその痛みが響いた。

 意識がはっきりとしていくと、俺は激痛に襲われた。

 血は止まっているようだが、触れた指先に傷口が触れた。
 もしもこの上から、同じ所を噛まれたら、俺は痛みでショック死する気がした。

 一階まで降りて、洗面所で鏡を見ると、首元に傷口があった。いくつもの傷跡がある。かさぶたのようになっている。しかし乾いていない傷もある。

 それから、薬箱の中の痛み止めと、水を手に、俺はリビングへと向かった。
 電気をつける気分にはならない。

 それから寝直そうとしたのだが――痛みでよく眠れなかった。
 朝には、痛みがより酷くなっていた。

 全身が気怠く、重く、体を起こすのだけでも一苦労だ。
 その日のバイトは全て断り、俺はぼんやりと時計を見る。

 仕事をするのが無理だと確信するくらい、噛まれた場所が痛い。

 けれど、まだ二日目なのに、行かなかったら、昨日頑張って取り付けた約束は、無しになってしまうかもしれない。だって、ローラは俺でなくても良いのだ。でも、俺はローラでなければだめだ。


 結局、昨日と同じ時刻、夕方になってから、俺は絢樫cafeへと出かけた。
 扉を開けると、店内には客の姿がなく、砂鳥くんの姿もない。

 一人で、ローラが椅子に座っていた。
 そして、興味がなさそうに顔を上げると、俺を見た。

「来たのか。へぇ。俺には自己犠牲といった精神はさっぱり理解できないが」

 その言葉に、俺は表情を引き締めた。

 俺は、そんな綺麗な感情からここへ来ているわけではない。
 騙すようで罪悪感があると思った時、立ち上がったローラが歩み寄ってきた。

 そしてまっすぐと俺の前に立つと、ガッと俺の服を開いて、噛みついてきた。

 牙が傷口を突き破った瞬間――俺は目を見開いた。

 その後、多分悲鳴を上げる前に、気絶した。痛かったのだろうが、俺にとってはそんな次元ではなく、ぶつんと意識が途切れた感覚だった。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

どうせ全部、知ってるくせに。

楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】 親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。 飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。 ※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。

可愛い男の子が実はタチだった件について。

桜子あんこ
BL
イケメンで女にモテる男、裕也(ゆうや)と可愛くて男にモテる、凛(りん)が付き合い始め、裕也は自分が抱く側かと思っていた。 可愛いS攻め×快楽に弱い男前受け

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした

亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。 カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。 (悪役モブ♀が出てきます) (他サイトに2021年〜掲載済)

(…二度と浮気なんてさせない)

らぷた
BL
「もういい、浮気してやる!!」 愛されてる自信がない受けと、秘密を抱えた攻めのお話。 美形クール攻め×天然受け。 隙間時間にどうぞ!

イケメン大学生にナンパされているようですが、どうやらただのナンパ男ではないようです

市川パナ
BL
会社帰り、突然声をかけてきたイケメン大学生。断ろうにもうまくいかず……

処理中です...