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chapter:閑 ……その後……
【*】火朽桔音は玲瓏院紬に無視されている(?)
しおりを挟む火朽桔音は玲瓏院紬に無視されている。
――二度ほど、偶然を装って街で声をかけてみたが、その時すらも、無視された。
苛立ちが募るままで、火朽は週末を迎えた。
そしてスーパーへと、買い物に向かうことにした。
大学生活に支障が出ないように、食材の買出しは週末に行う事にしている。
なので、この日は意図したわけではない。
たまたま、そう、たまたま――スーパーへと向かう途中で、前から歩いてくる紬を見つけたのだ。偶然の遭遇だ。しかも相手は、珍しく自分の方を見ていた。これでは、逆に挨拶をしない方が変だろう。そう考えたのが、まず一つ目だった。
もう一つは、火朽が見る限り初めて、紬が他者と歩いていたので、声をかける気になった。並んで歩いている青年は、火朽をしっかりと見ていて、目もあった。
人間の”能力”には、それぞれ独特の気配や色がある。
紬にどこか似た色彩を持つ青年を見て、火朽は親戚だろうと判断した。二十代後半くらいの青年は、和装で袈裟を身につけている。住職のようだから――進行方向から考えて、絢樫Cafeの前の一本道を進んだ所にある、藍円寺というお寺の僧侶だろうと判断する。
火朽は、『藍円寺享夜(アイエンジキョウヤ)』という住職の名前を聞いた事があった。理由は、マッサージ側のリピーターだからである。度々ローラが口に出す客の名前だった。
玲瓏院家の分家が藍円寺家であるとも、耳にした事があった。食卓では最近、火朽には全く興味のない藍円寺情報が、流れている場合が多いからだ。
それよりも重要なのは、『親戚である』という部分だ。さすがに年上の親戚の前では、無視をしないかもしれない。
火朽はそう判断し、通りかかった紬と藍円寺の前で、一歩早く立ち止まった。
「あれ? 玲瓏院くん? おはようございます。偶然ですね」
繰り返すが、今回に限っては、本当に偶然なのだ。柔和な微笑と、穏やかな声を、努めて構築し、火朽はそう声をかけた。
すると、藍円寺という青年が立ち止まった。
そして黒い切れ長の瞳を、紬に向ける。視線を向けられた紬もまた、どこか不思議そうな顔で立ち止まった。
「享夜さん?」
「――知り合いか?」
藍円寺が、火朽と紬を交互に見ながら聞いた。
しかし紬は首を捻っている。
「は?」
その反応に、内心で溜息をつきながら、火朽は続けた。
「大学で同じゼミの、火朽と言います」
「火朽……くん、か」
藍円寺が困ったように呟くと、紬が驚愕したような顔をした。
「享夜さん? 僕は、そんな人の存在を認めません」
紬が叫ぶように言った。すると、藍円寺が息を飲んだ。
そして、火朽を二度見した後、勢いよく錫杖を握り締めた。
見れば、その手が震えている……全身を硬直させている藍円寺は、よく見ると、肉食獣のような俺様風の外見に反して、どこか涙ぐんでいた。
「い、行くぞ、紬」
「はぁ。立ち止まったのは、享夜さんじゃ?」
「いいから! 早く来い」
その後、走るに近い早足で、藍円寺が歩き出した。
紬も追いかけていく。
それを見送り、火朽は腕を組んだ。
「ローラが気にいるだけはあって、藍円寺という人間には、僕の正体が分かったようですが……まぁ、問題はないでしょう。何か問題が起きれば、ローラが暗示をかけてくれるでしょうし」
火朽にとっての問題は、紬の方だった。
紬はいつも通り火朽を無視しているだけだったわけであるが、動揺も恐怖も何も感じ取れなかった。ただの無関心。そんな表情をしていた紬を見ると、火朽は気が重くなる。
「人間でないから嫌われている、のであれば、まだ対処のしようもあるのでしょうが」
どうやらそうではないらしいから、難題だったのである。
◆◇◆
僕は、全力疾走に近い速度で錫杖を握り締めながら走っている享夜さんを見て、思わず眉を顰めた。僕の親戚である享夜さんは、除霊のバイトに励んでいるのだが、僕は知っている。この人は、死ぬほど怖がりだ。
今日は、なんでも近所の、お化け屋敷(民家)に何かあったらしくて、祖父から享夜さんの手伝いをしてくるようにとだけ告げられた僕は、藍円寺の最寄りのバス停で待ち合わせをしていた。
僕の顔を見た瞬間、世界を滅ぼしそうなくらい鋭い眼差しだった享夜さんが、脱力したように情けない顔になったのを、僕は見逃さなかった。いつもそうだからだ。
「紬、来てくれて有難う。とりあえず、俺の家――寺へ行こう」
まだ手伝いの内容は聞いていないのだが、僕は頷いた。こうして二人で歩き出して、しばらくしてからの事だった。藍円寺に続く一本道の真ん中よりはバス停よりの、道中での事である。
急に、享夜さんは立ち止まった。なんだろうかと僕も止まる。
すると彼は、僕と、前方の何もない空間を交互に見た。そして――僕に言った。
「知り合いか?」
何の話か、さっぱり分からない。
なので首を傾げようとした時、享夜さんが、驚くべき事を口にした。
「火朽くん、か」
僕の中に衝撃が走った。な、なぜ、大学で噂される架空の人物の名前を、享夜さんが知っているというのか。驚きのあまり、僕は全力で否定した。
結果――享夜さんは、真っ青になり、半泣きで進み始めたのである。
「一体どうしたの?」
享夜さんが立ち止まったのは、藍円寺の敷地に入ってからの事だった。
錫杖を地につき、両手で握り締めながら、土の上に和服の膝をついて、享夜さんは肩で息をしている。僕は、早足ではあったが、比較的ゆっくりと後を追いかけてきたので、それほど疲労はない。
「紬と一緒に歩くと、自動的に肩こりも治るし、嫌な気配も、いつもする場所であっても何も感じなくなるから――油断していた」
「え?」
「あんな……すごいな、あんな……どこからどう見ても人間で、怖い気配も一切ない……紬に言われなかったら、存在しないと聞かなかったら、俺は普通の人間が横を通過していたと信じていたと思う。うわぁ……久しぶりに、視えちゃったよぉ……うわぁ……い、い、いや、幽霊なんか、この世には、い、いない!」
僕が首を傾げる前で、震えながら享夜さんが、ブツブツと何かを口走っている。
何やら享夜さんは非常に怯えているが、彼が見た目に反して怖がりなのはよく知っているので、僕はそれよりも気になる事を尋ねた。
「あのさ、享夜さん。さっき、『火朽くん』って言わなかった?」
「……」
「そんな人、いた?」
「いいや! い、いいや! いなかった。そんな人間はいなかった。み、み、みなかった! 見えなかった! 視てない! 断じて見ていない。俺は幽霊なんか信じない!」
叫ぶように、享夜さんが言った。全力で否定している。う、うん。
「ええと、いなかったんだよね?」
「ああ、そんな『人間』は、いなかった」
僕はとりあえず、頷いた。享夜さんは、僕と同じで、この土地では珍しい、オカルト否定派の人間だ。そのくせに彼は、除霊のバイトをしているのだから、僕は詐欺師に近いと思う。
しかし、享夜さんのバイトは大繁盛だし、この界隈では、非常に人気のお祓い屋さんの一人である。需要があるのだから、まぁ、良いのかもしれない。
いないという事もはっきりしたので、僕は気を取り直して享夜さんに尋ねた。
「それで、僕は何を手伝ったら良いの?」
「――ああ。実は、大規模なお祓い案件があるんだ。その時に着ていく服の前で、経文を読んで欲しくてな」
息が落ち着いたようで、姿勢を正してから、享夜さんが言った。
正直、正式な住職は、享夜さんなのだから、自分でお経くらい読めば良いと思う。
ビシッと袈裟をつけてお教を読む享夜さんは、オカルトなど一切信じない僕から見ても、堂に入っているし、なんだか効果がありそうに見える。
しかし定期的に僕はこの頼みを引き受けているし、今回は祖父にも直接手伝いを命じられているから、静かに頷いた。
社務所の前を通り過ぎて、僕は享夜さんと共に、本尊へと向かう。
こうしてその日、僕は玲瓏院に伝わる古いお経を唱えた。
門前の小僧習わぬ経を読む――と言う通りで、僕は一応暗記をしている。
だが、実を言えば、意味などはさっぱり理解していない……。
そのまま夕方までお経を唱えてから、僕は本日は夕食をごちそうになる事にした。
ごちそう……と言っても、確実に料理であれば、玲瓏院の家の夕食の方が豪華だ。
祖父がシェフを雇っているからだ。
父の縲は影で『無駄遣い』だと言っているが、本人も美味しい食事には抗えないようで、祖父の行為を止めない。双子の兄の絆も、それが当然だという顔をしている。僕は、小さい頃は母が亡くなったため、シェフを雇っているのだと勘違いしていたが、そうではなかったらしい。
そう気がついたのは、享夜さんのご両親が亡くなった時だ。
ご冥福を今も祈っている。あの夜は、僕も嫌な胸騒ぎがしたように思う。
まぁ……以後、藍円寺にも料理を作る人はいなくなったわけだが、こちらにシェフが雇われた形跡はない。以来、享夜さんは自炊している。そうは言っても、スーパーから出来合いのものを買ってきたり、外食がメインらしい。
そんな事を考えながら、僕達は住居側へと移動した。
すると灯りがついていた。
「ああ、来ていたのか」
そこには、享夜さんの兄である、昼威さんがいて、お惣菜のパックを並べている所だった。
「だから! 着替えてから家に入れといつも言っているだろう」
すると、昼威さんに対して、享夜さんが声を上げた。
「バイトが終わったばかりなんだ、口うるさいな」
不機嫌そうな顔で、メガネの位置を直しながら、昼威さんが言う。
普段は心療内科・精神科のクリニックをしているそうだが、救命救急を手伝ってもいるそうで、昼威さんはそれを『バイト』と口にする。除霊よりはまっとうだろうが、お医者さんの世界にもアルバイトがあると知った時、僕は驚いたものである。
昼威さんと享夜さんは、よく似た顔立ちだが、雰囲気がだいぶ違う。
髪を撫でつけ、銀縁眼鏡で、いかにも頭が良さそうな昼威さんと、私服はシャツにジャケットが多いとは言え、僕が見慣れているのは僧服姿の享夜さんだ。
しかし二人共、第一印象は、偉そうというか、俺様というか、近寄りがたいイメージだ。
だけど僕から見ると、享夜さんはお化けを怖がっているし、昼威さんは常に金欠だ。
僕は昼威さんが医師になるまでは、漠然とお医者さんとはお金持ちだと思っていた。
「元気だったか? 紬」
「はい」
「お前がいると、何も祓わなくていいから、本当に気が楽だ」
「え? 何をですか?」
「あ、いや、その、ホコリの話だ。享夜は、掃除が下手でな」
昼威さんがそう言うと、皿を僕達の前に配りながら、享夜さんが眉を顰めた。
「そういう事は、一度でも掃除をしてから言え」
もっぱら家事をしているのは、享夜さんだ。昼威さんは何も答えなかった。
その後、二十時過ぎまで食事をし、僕は家の車で迎えに来てもらった。
車に乗り込む僕を、享夜さん達が見送ってくれる。なお彼らの一番上のお兄さんである朝儀さんには、僕はほとんど会った事がない。
その後、玲瓏院家の車が走り出した。専門のドライバーさんの手で、僕が無事帰宅したのは、九時手前の事だった。
◆◇◆
「おい、桔音」
夕食後に、ローラが火朽に声をかけた。
「なんですか?」
「――その、だな。お前、藍円寺に会わなかったか?」
「ええ、そういえば今朝、買い物へ行く途中に、それらしき人物に遭遇しましたけど」
「何をしていたんだ?」
「? ですから、買い物に」
「お前じゃない。藍円寺だ」
ローラの声に、火朽は腕を組んだ。
「歩いていましたよ」
「……そ、そうか。いや、その、最近、重度のリピーターだったくせに、藍円寺は来なくなってな。ほんのわずかに、ちょっとだけ、微妙に、頭の片隅で気になっていて」
「へぇ」
「ほ、ほら! 働いて喰う時代だから、あいつのように俺に血を供給可能な――つまり、強い霊能力が血に宿っている人間は、貴重だろう?」
それを聞いて、火朽は半眼になった。
「人間の用いる紙幣を受け取り、スーパーで食材を購入するというのが、『働いて食べる』の意味合いだと思いますが」
「そりゃあ、人間の場合だろう? 俺達は、違う」
まぁ、それはそうだなと火朽は、適当に頷いた。同時に、ローラの言葉で、藍円寺という青年の横を歩いていた紬の顔を思い出した。
顔――それこそ顔面造形だけを言うのであれば、双子の兄が、若手の中でも存在感があるイケメン俳優という(噂)だけあって、玲瓏院紬は悪くない。服装も、大学生にしては落ち着いていて、同年代の外見を象っている火朽は、趣味が合うと考える。
しかし、決定的に性格が合わない。
観察した限り、紬は、火朽以外に対しては、内気にさえ見える。
――人間に対しては。
指導をしている夏瑪教授は別枠なのかもしれない。
「……人間ではないという理由だけで、ああもあからさまに差別をされる事は納得ができませんね」
低い声で火朽は呟いた。
ここまでの判断として、恐らく紬は、自分に対して『人間ではない』と認識しているのだろうと、火朽は考えていた。だか、だからといって、人間扱いされない……これは、狐火であるからではなく、人権を与えら得ないといった意味合いで、露骨な態度をとられると頭に来る。
「ん? どうかしたのか?」
その時、ローラが聞いていた様子で首を傾げた。
「――ああ、いえ。ちょっと。ほら、僕達は普段、人間という非常に弱い種族に対して、絶対強者のつもりでいきているではありませんか。なので、逆対応をされると、苛立つといいますか」
微笑を取り繕って火朽が言うと、ローラが俯いた。
それから、彼はポツリと呟く。
「弱者、か……どうなんだろうな」
「え?」
「――寿命、体力、そういった生命力という意味合いなら、適切だろう。けどな、こんなにも他者の心を揺さぶる事が可能なのは、人間という生き物だけだ。違うか?」
その言葉に、火朽は虚をつかれた。
「お前をそこまで怒らせることが可能なのも、人間だけだろう?」
「それは、まぁ――……人間でなければ、とっくに消滅させている自信しかないので」
そんなやり取りをした夜だった。
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