不憫な侯爵令嬢は、王子様に溺愛される。

猫宮乾

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―― 本編 ――

【六】テラスにて

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 食堂へと移動した私とフェンネル様は、テーブルをはさんで向かい合った。

 二度目の公務は、心地の良い疲労感をもたらしてくれた。
 メインの白身魚のムニエルを食べながら、私はフェンネル様と視線を合わせる。

「今日は、俺の祖とも言われる風の精霊が、人間の姫に愛を告げた日だとされるけど、たまに考えるんだ」
「何をです?」
「種族が違う恋は、どんな風だったのかなって。おとぎ話はハッピーエンドで、悲恋だったとは聞かないけれどね」

 そう語ってからフェンネル様が、不意に窓を一瞥した。
 つられて私も、そちらを見る。
 窓の外には、星々が輝いている。

「今夜は星がよく見える」
「昼間も快晴でしたね」
「そうだね。恋人達を祝福するような空模様だった」
「私もそう思います。精霊が祝福してくれているみたいで、なんだか嬉しくて」
「風の精霊が愛を告げたのも、今日みたいな夜だったのかもしれないな」

 それを聞き、私は本当にロマンティックなおとぎ話だと思った。
 精霊と人間の姫の恋愛譚は、耳にするだけで胸に響いてくる。
 私の表情が自然と綻ぶ。

 今日という日を、こうしてフェンネル様と過ごせるのが、たまらなく嬉しい。

「そうだ。食事が終わったら、少し二階のテラスで星を見ない? 君と二人で星が見たいんだ」
「ぜひ、ご一緒させて頂いたいです」

 私は、軟禁されていた当時から、空を見るのが好きだった。
 窓枠で区切られていたけれど、空はいつも私の気持ちを晴らしてくれた。

「良かった。どうしても君と星が見たい気分なんだ」
「フェンネル様は、星がお好きなんですね」
「――そうだね」

 頷いたフェンネル様を見て、私は温かい気持ちになった。
 気になる相手……好きな人の事を、私はもっと知りたい。
 フェンネル様の事を、もっともっと知りたい。

「マリーローズと二人で星が見られると思うと、今日という日がより特別に思えるよ」

 そんな事を言いながら、フェンネル様が食事を終えた。
 そして私が食べ終えるまでの間、精霊伝承について教えてくれた。

 楽しい心地で耳を傾けながら、時を過ごし、食後私達はテラスへと向かった。

 向かった先のテラスからは、星空がよく見えた。
 小さい星が川のように散らばっていたり、一際大きな星が三角形を築いていたりする。

 様々な星座が、空には浮かんでいる。その一つ一つにも、精霊由来の神話がある。
 本当にロマンティックだ。

 私は手すりに両手をのせて、空を見上げる。

「綺麗……」

 この後宮には、綺麗なものは沢山ある。
 それはドレスであったり、装飾具であったり――だけど。
 私は自然の美に、とても惹かれる。

「そうだね」
「私、夜空を見ていると、世界って広いんだなと感じます」
「世界?」
「はい。この星と同じように、世界には沢山の人がいて、それで――」
「その数だけ、愛があって」
「風の精霊は人間の姫に、星空の下でプロポーズしたらしいね」
「聞いた事があります」

 幼い頃、家庭教師の先生から、建国神話について習った時だ。
 それに、実母も時折、私に精霊の話をしてくれた。
 小さいながらに、心を躍らせた記憶が色濃い。

「素敵なお話ですよね」

 笑顔で私はそう述べてから、空から視線をフェンネル様へと向けた。
 そして虚を突かれて、息を呑んだ。
 フェンネル様の目に、あんまりにも真剣な色が宿っているように見えたからだ。

「フェンネル様?」
「マリーローズ」
「はい」
「……」

 沈黙したフェンネル様は、まじまじと私を見た。
 その瞳に、吸い寄せられるようになって、私は視線を離せなくなる。

 いつもの柔和なフェンネル様の気配とは、全然違う。

 驚いて、私は言葉を探したのだけれど、気圧されて声が出てこない。
 だからただ、フェンネル様の端正な顔を見上げるしか出来ない。

 直後不意に、フェンネル様に抱きしめられた。
 力強い腕が、私の腰に回る。
 反射的に仰け反ると、強く抱き寄せられた。

「……」
「……」


 私の顔を覗き込むように、フェンネル様がじっとこちらを見ている。
 ――目が離せない。

 鼓動が早鐘を打ち始める。
 ドクンと私の心臓が啼いた。

 普段優しげなフェンネル様。
 普段からは考えられないほど強く抱きしめられて、私は息を詰めた。

「フェンネル様……」

 必死で、私は声を絞り出した。
 唐突な事で驚いたけれど、私は気がついた。
 フェンネル様の腕の感触や温もりが、決して嫌ではない。

「……」

 フェンネル様は何も言わない。
 私も再び口を閉ざした。
 真剣すぎる眼差しに、何も言えなくなってしまったから。

 嘗て、出会った夜会にて。
 最初に手を握られた時の私は、フェンネル様の温度が慣れないと確かに思った。
 いつか慣れる日が来るのかと悩んでいたほどだ。

 だけど今、こうして抱きしめられていると、胸が幸福感で満ちる。

 いつの間にか、じわりじわりと、フェンネル様の存在は私の心の中に入り込んでいたらしい。フェンネル様の体温が、愛おしい。

「マリーローズ」

 フェンネル様が、片手で私の後頭部の髪を撫でた。
 おずおずと、私は勇気を出して、フェンネル様の背中に自分の腕を回してみる。
 するとフェンネル様が少しだけ驚いたように息を呑んでから、微笑した。

 より強く、フェンネル様の腕に力がこもる。
 私も、腕に力を込めてみる。

 そのまま再び沈黙し、私達は見つめ合った。
 そうして長い間、抱き合っていた。

 無言の時間は、決して気まずくはない。
 そこにフェンネル様がいるだけで、その体温を感じるだけで、幸せだと嫌でも実感させられる。私は自身の胸の高鳴りの理由に、しっかりと気づきつつある。

 私にとって、フェンネル様は特別だ。
 とっくに、特別になっていたみたいだ。

 その時、フェンネル様の顔が近づいてきた。

 あ。
 キスされる。

 そう思って、私はゆっくりと瞼を閉じようとした。

「フェンネル様? マリーローズ様? 大丈夫ですか?」
「!」

 唐突に室内から響いてきたクレソンの声に、私は目を見開いた。
 それはフェンネル様も同様で、私達は慌てて距離をとった。

 ドキドキと煩い胸中をなんとか収めていると、そこにクレソンが顔を出した。

「そろそろお戻りになった方が良いのでは?」
「間が悪いな」
「え?」
「……そ、そうね。もう夜も遅いし」
「そうだね」

 フェンネル様はどこか苦笑が滲んだ声音で言うと、私の肩に触れた。

「戻ろうか」
「は、はい!」

 その後、踵を返したクレソンに続いて、私とフェンネル様も室内へと戻った。
 フェンネル様とはテラスがある部屋を出たところで別れた。

 そうして私は、クレソンに先導されて、後宮の自室へと戻る。
 終始ドキドキしっぱなしで、私は胸に手を当て、何度も深呼吸をした。

 クレソンが下がった後、就寝の準備をする間も、ずっと胸が高鳴っていた。

「もしクレソンが声をかけなかったら……」

 寝台に座りながら、ポツリと私は呟く。
  熱くなった両頬に、私はそれぞれの手を添えた。

「きっと私とフェンネル様は……」

 唇を重ねていたと思う。
 それを思えば、より一層、胸がドクンと喚く。

「……」

 どんなに考えてみても、嫌じゃない。
 そのまま寝台に横になり、私は毛布を抱きしめた。

 フェンネル様の真剣な顔を思い出すと、胸が更に高鳴る。

「今なら、風の精霊に告白されたお姫様の気持ちが分かる気がする」

 私はギュッと目を閉じ、真っ赤になったままで悶えた。
 嬉しい。
 とても嬉しい。

 この夜、私は幸せに浸ったままで、目を伏せたのだった。



 ◆◇◆



 ドキドキしっぱなしで、眠れぬ夜を過ごした私は、翌朝あくびを噛み殺した。
 今日も朝食は、約束通りフェンネル様と一緒だ。

「おはよう、マリーローズ」

 フェンネル様は、昨日のテラスの件なんか無かったみたいに、いつもと同じ顔をしている。私ばかりが意識しているみたいで、気恥ずかしい。

 私にはそれだけ衝撃が大きかったんだけれど。

「昨日の公務の疲れは取れた?」
「はい。大丈夫です」
「そう? それならば良いけど、無理だけはしないで欲しいな」

 優しい言葉に、私は口元を綻ばせる。
 それからクリームチーズを、パンに塗った。
 今日の朝食のメインは、ハムだった。

 歓談しながら食事を終えると、フェンネル様が扉へ向かう。

「それじゃあ、行ってくるよ」
「ご公務、頑張って下さいね」
「マリーローズに応援してもらえるだけで、元気が出るよ」

 頷くと、フェンネル様は部屋を出ていった。
 見送ってから、ソファに戻った私に、クレソンが紅茶を淹れてくれた。

「なんだか嬉しそうですね」
「そ、そう?」
「はい。良い事でもありましたか?」
「え?」
「昨日のご公務で」
「あ、その……素敵な精霊神話を改めて聞いたの」

 私は言葉を濁した。クレソンも、特に追求してくるでもなく頷いている。
 その後私は、侍女に手伝ってもらい、本格的に身支度を整えた。

 こうしてまた、新しい一日が始まった。





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