甘いマスクは、イチゴジャムがお好き

猫宮乾

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―― 第四章:美術館とイチゴジャム ――

【三十三】鍵

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 それから二週間が経過した。
 あれ以後、嶋井と宝田が真面目に取り組むようになり、西園寺の教え方も上手いので、二人は知識をつけていったし、射撃訓練もなんとか嶋井の方も様になってきた。そんな新人二名は、本日は非番である。教えている姿を見ると、西園寺はその方向にまで才覚があったのかと驚かされる。

 そこへ一報が入った。

「動物園……? しかもライオンがいる? 三頭? どういう状況なんだ?」

 電話の主の最初の説明では、梓藤は状況がくみ取れなかった。だが落ち着けるようにして話を聞くと、動物園にマスクが出たという話が本題だった。ただ本日その動物園は、幸いにも臨時休園しているという。ただその理由は、ライオンが三頭ほど檻から逃げて出してしまったから、急遽休園としたらしい。

「――という事だ、西園寺。俺達は、マスクだけではなく、ライオンにも喰われないように気をつけながら、園内を探し、マスクを退治する。特にライオンは退治する必要が無いと言うよりは、範囲外だ。勿論襲ってきたら倒す。倒して構わない。なお飼育員の男性がマスクに喰われた状態だったために、ライオンの檻も開いたそうだ。どうでもいい情報だな」

 つらつらと語ってから、コートを片手で手に取りつつ、梓藤が歩きはじめた。
 すぐに西園寺も追いかける。
 二人で、車に乗り、動物園を目指す。本日の運転は、西園寺だ。最近、西園寺が運転を買って出ることが増えてきた。頬杖をつきながら、梓藤は窓の外を見る。その時、不意に西園寺が言った。

「梓藤さん」
「ん?」
「最後に動物園に行ったのはいつですか?」
「遠足だな、小学生の時」
「そうですか」

 西園寺は頷くと沈黙した。何気なく会話をした後梓藤は、西園寺が雑談や日常会話を己に対し、必要なく振ってきた事が、過去あっただろうかと考えて、思わず西園寺の横顔をまじまじと見る。

「どうかしましたか?」

 すると西園寺が気づいた様子で、チラリと梓藤に視線を向けた。

「あ、いや……お前はいつなんだ?」
「俺は去年、姉と弟妹を連れてきました」
「ふぅん。お前って何人兄弟?」

 雑談が続いたので、何気なく梓藤は尋ねた。

「姉と弟と妹二人です。ただ実家には、姉の旦那がいるので、実の兄もいるようなものですね」
「へぇ。帰りづらくはないのか?」
「何故ですか?」
「姉の旦那がいたら。お前長男なんだろ? 家の跡継ぎというか」
「あー、俺の家は、そういうの気にしないんで。梓藤さんのところは気にするんですか?」
「おう。俺にも兄がいて、兄が跡取りなんだけどな、苦労してるみたいだ」
「大変ですね。ただ少し意外です」
「なにが?」
「梓藤さんは、長男っぽかったから」
「どういうイメージだ、それは? 俺だって、お前は一番上か一人っ子だと思ってたけどな」
「それこそどういうイメージですか?」

 そんな雑談をしている内に、動物園に到着した。雑談は続いたが、西園寺はにこりともしなかった。笑った顔は、いまだに一度も梓藤は見た事がない。己も滅多に笑わない方だと思っていたが、西園寺はその上を行く鉄壁の無表情だ。果たして、彼は一体どんな時に笑うのだろうかと考えてしまう。

「ここか」

 梓藤は警察手帳を見せてから、動物園の中へと入る。西園寺がその後に続く。
 様々な檻がある。
 歩きながら、つい物珍しくなったので、今度個人的に来ようと梓藤は内心で考えていた。しかし表情は真面目であるよう取り繕い、険しい顔で、周囲を見渡している。動物を見ているようには、見えない眼差しだ。

「そんなに楽しいんですか?」

 しかし一瞬で西園寺に見破られて、思わず梓藤は咳き込んだ。

「なっ、何を根拠に……な、なんだって?」
「プライベートの時間にお願いします」
「お前も言うようになってきたな。だんだん可愛げが消えてきたぞ?」

 二人がそうやりとりした時、茂みが揺れた。反射的に二人が顔を向けると、のそりとライオン……らしきものが表れたので、二人は目を疑い、視線を交わしてから、それぞれ排除銃を構えつつ、また顔を見合わせた。

「志藤さん、あれは……なんですか?」
「分からない」
「ええと……マスクは倒し、ライオンは倒さない……んでしたよね?」
「一応な……」
「俺には、ライオンの顔に、人型のマスクの顔が接着しているように見えるんですが?」
「安心しろ、俺にも同じ物が見える」

 二人はそれぞれ自分の現実認識を疑っていた。
 マスクは、人間から人間へと移動する存在だ。そして顔を取り替えながら、人間の血肉を食べていく。倒しても倒してもわいてくる理由は、まだ分かっていない。ただ生殖活動をしている様子はない。人間に擬態して、その上で、不自然で無いように性行為をした事例はあるが、率先してマスク同士が子を成すようなことはない。だからどのように増えるのかは不明だ。不明な事は非常に多い。

「ライオンの顔に接着したら、ライオンの顔になるわけではないんですね」

 冷静な西園寺の声に、梓藤が頷く。その時、流麗な声が響いてきた。

「ここにいるマスクは、私一人です」

 ライオンの口から発せられた人語に、梓藤は眉を顰めながら、改めて銃口を向け、逆に西園寺は、銃を下ろして、排除刀を取り出した。

「他の二体のライオンには、接着しているマスクがいないという意味か?」

 梓藤が尋ねると、ライオンが首を振った。

「いいえ、この動物園全体に、マスクは私のみです」
「それを信じる根拠が無いな。そもそも、マスクは動物も操れるのか?」
「操るというのは、正確ではありません。共生しているだけです。また、マスクは基本的に群れを作るという習性があります。その群れ同士で問題が起きないように、マスク同士は本能的に、別のマスクの存在を感知できるのです」
「随分とお喋りで口が軽いマスクだな。俺はペラペラ喋る者は、信用できないと考えている。それを俺と西園寺に話すことで、何かお前にメリットがあるのか?」
「マスクも一枚岩ではなく、またライオンとだけでもなく、人間との共存を望むものも多いのです。イチゴジャムや輸血用血液で生きながらえているマスクの数もとても多いのが実情です。飼育員の方から肉を頂いたのは、彼が心臓発作で亡くなった後です」
「結局食べてるだろうが。第一それは高等知能のマスクの中の一部の話だろう?」
「いいえ。言葉を失ったままのマスクの中にも、時折います」
「信じられない。仮に時折いたとしても、判別できない。全て倒すだけだ。それが規則だ」

 きっぱりとそう述べて、梓藤が引き金に触れる。

「梓藤さん」
「あ? まさかお前、今の話を信じるのか?」

 梓藤が前を向いたまま、呆れと苛立ちが混じった声を放つ。

「いえ、動物に接着している例は、こちらで視覚的に確認した事例は、これが初だと思いますので、捕縛して研究施設に移送した方がいいのではないかと」

 それを聞いて、梓藤は戸惑った。
 確かに、西園寺の提案は的確で正しい。だが、こういう戯れ言や甘い言葉を吐いて惑わせるようなマスクは、ここで排除しておくべきだと、経験が叫ぶ。

 暫しの間、梓藤は沈黙していた。

「梓藤さん」

 すると西園寺に強く名を呼ばれた。意外と押しが強いよなと、言いたくなったが口を閉ざし、梓藤は銃を下ろした。

「好きにしろ。回収班や捕縛班への手配は自分でやれよ。俺は先に帰る。車も誰かに乗せてもらえ」

 こうして梓藤が歩きはじめた。すると少しして西園寺が口を開いた。

「梓藤さん」
「あ?」

 お礼でも言われるのだろうかと考えながら、梓藤が首だけで振り返る。

「鍵」
「っ」

 冷静に言われて、今日は西園寺が運転していたのだったと思い出し、無駄に悔しくなりなった。踵を返して鍵を受け取った梓藤は、どっと疲れた気がしたのだった。



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