甘いマスクは、イチゴジャムがお好き

猫宮乾

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―― 第二章:爆弾事件 ――

【十八】廃倉庫

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 受診してから五日後。
 梓藤は目の下にクマを作りながら、上半身を起こしていた。
 初日に眠れず三錠、二日目も三錠、三日目は残っていた一錠を飲んだ。三日目から眠りが浅くなり、昨日は何も飲まずに寝た結果、また悪夢を見て十分程度で飛び起き、そのまま五日目の朝を迎えた。

「処方量を間違ってたんだろうな、あのヤブ」

 溜息をついた梓藤は、仕事へ向かう準備をしながら、一錠も飲んでいない抗うつ剤のPTPシートを一瞥する。

「俺は鬱じゃないからこんなものはいらない。いちいち鬱になってたら、できない仕事をしてるって、分からないのか? あいつは。部署を知っているくせに」

 苛立ちを募らせながら、梓藤は本部へと向かった。
 すると他の三名が来ていた。自分の席へと向かい、やはり昨夜眠れなかった事は、体に支障をきたしていると考える。薬で無理に眠る以前は、ずっと睡魔に襲われていたせいで、逆に職場に来ると過度に集中し、眠気など覚えなかった。だが三日ほど眠れたのが逆に悪くて、本日は眠くてたまらない。つくづく榎本はヤブ医者だなと、梓藤は考えていた。

 そこへ電話で第一報が入った。

「なっ、爆弾? マスクが爆弾を作ったというのか? 処理班は?」

 港の廃倉庫で爆発物が見つかったらしく、処理班が現場に急行したところ、そこにいたマスクの手に掛かり、全滅したという報せだった。そのため、マスクの排除を優先し、その後爆発物の処理をする――という、上層部からの決定が通達された。

 電話を切ってから、梓藤は腕を組む。
 実を言えば、梓藤には、爆発物へ対応する知識があった。特殊捜査局に配属される前、同じ警備部の機動隊にいた際に、研修を受けたからである。また元々の大学での専攻が、爆発物関係だったからだ。

 梓藤は静間と坂崎を交互に見た。爆発物に関する知識があるとは到底思えない。
 マスクの排除をすればいいとはいうが、その最中に爆発しないとも、爆発した結果、
そこで火災が起きるのかも有毒ガスが発生するのかもわからない状況で突入するというのは、要するにマスクさえ排除すれば、自分達は爆死しても問題ないと言われているようなものだ。しかしながら上層部の判断を無下にする事も出来ない。となれば、マスクを排除しつつ、爆弾も処理するべきだ。あるいは眠くて思考がまわっていなかったのかもしれいない。普段なら苛立ちも感じて、上層部に反発しただろう。

「西園寺」

 選択肢として、可能性があるのは一人きりだった。もし西園寺に技術が無ければ、他の部署の応援を、必ずこちらでその者を護衛するとして、約束を取り付けるつもりだった。始めからそうすればよかったのかもしれないが、マスクの排除をしながらの護衛が面倒だと、この時の梓藤は考えていた。

「はい」
「爆発物の処理経験はあるか?」
「はい」

 すると即座に無感情の声で、返事をされた。あまりにもあっさり頷かれたものだから、梓藤は拍子抜けした。

「自衛隊にいた際に、対策訓練を受けました。解体も、その後の中身への対応も学びました」
「そうか。実際の対処の経験は?」

 通常、こちらは無いはずの質問なのだが、気づくと梓藤は訊いていた。

「警察に出向したばかりの頃に、テロ事件の対応で、二度ほど経験があります」

 抑揚のない声音で静かに答えた西園寺は、顔色一つ変えない。

「そうか。じゃあ、俺と静間。西園寺と坂崎さんで、二班で現地へと向かう。現在、並んでいる廃倉庫二カ所のそれぞれに、爆発物がしかけられており、その中にマスクがいるそうだ。処理班は全滅したそうだ。他の部署から応援を呼ぶ時間が惜しい、というよりは、護衛をしながら戦える相手なのか、判断がつかない。よって、俺と西園寺はマスクを倒しつつ爆発物の解体、静間と坂崎さんは俺と西園寺が対応に取りかかった段階で、残っているマスクの排除を頼む。もしマスクの数がこちらの予想外に多いか、爆発までの時間が極端に短い場合は、各自の判断で離脱してくれ」

 離脱した場合は、上層部の顔も一応保った状態になるだろうと、梓藤は判断した。
 そもそもめったに口を出してこない上層部からの直接の通達だ。
 これはなにかあるのかもしれないと、漠然と梓藤は考える。そもそも何故そこに爆弾があると判明したのかすら、教えられていない状況だ。しかし、話を聞くのはあとでも構わない。押し問答をしている余裕はない。

「急行する」

 こうして二人一組に分かれて、それぞれが位置情報を送られてきたタブレット端末を手にし、廃倉庫まで向かった。

「右を俺と静間、左は頼んだぞ」

 すると西園寺が頷いた。

「はい」

 坂崎は笑みを浮かべて西園寺と梓藤を交互に見た。

「ませとけって……西園寺に」

 二人の無事を祈りつつ、梓藤は静間を一瞥する。

「行くぞ」
「はーい」

 こうして梓藤と静間は、右側の廃倉庫の前に立ち、開閉用のレバーを操作した。
 ギシギシと軋む音を立てて、灰色のシャッターが上へと上がっていく。
 すると、ねちゃねちゃと音がした。
 正面には、無数の遺体が散乱している。ヘルメットと服装から、処理班の者達だと、梓藤は判断した。既にここにある遺体は喰い尽くされた後のようで、左足が千切れ、右腕が人体としてはあり得ない角度に捻れ、腹部からは臓物がコンクリートの上にまき散らされている。そんな状態で、血だまりの中にいる人間の遺体で溢れていた。誰にも息はないが、あったとしても最早助からないだろう。梓藤は血だまりの一つを踏み、遺体の脇を進んで歩く。静間もそれは同様で、彼はいつものどこか気さくで軽い眼差しではなく、怜悧で真剣な目をしている。

 暫く二人を誘導するように遺体が続いていき、木材が築いている角の向こうを、梓藤が確認する。そして息を呑んだ。さきほどのねちゃねちゃとした音は、今まさに人体を喰べている最中のマスクから発せられていたものらしい。一つの遺体に群がるのが最低五体、遺体は山のようにあり、そのそれぞれに五体……あるいはそれ以上のマスクが群がっている。目算で遺体が三十体、マスクは二百体近くいる。

「なんだ……この量は」
「いたの?」
「ああ」
「念のため聞くけど、生存者は?」
「全滅したという一報を受けたとおり、目視した限りでは見当たらない。奇跡的に何処かに隠れて逃れたのでもなければ、皆落命している」

 梓藤の言葉に、角から顔を出し、静間が目を眇めた。

「短時間で、この量を喰い殺すのは、いくらマスクでも無理だよ。食べ始めてからも、相当時間がかかっているように思えるし」

 静間の指摘はもっともで、少し首を傾げてから、梓藤はシャッターへと振り返った。

「静間、あれを見ろ」
「ん?」

 シャッターには、血が飛び散っている。ベタベタと、手の形をした血の跡も、無数についている。

「恐らくここにいる者達は、この倉庫に閉じ込められて、マスクの餌食になったんだ」
「閉じ込める? どうして?」
「一つは、大量のマスクを外界に出さないため。もう一つは……あるいは高等知能を持つマスクが紛れていて閉じ込めたのかもしれないな。仮に前者だったとしても、上層部は後者だと宣言するだろうし、実際に後者なのかもしれないが」

 梓藤の冷静な言葉に、納得したように静間は頷いた。

「どうする?」
「まずは爆発物の残り時間を確認する。少なくともシャッター前の通路と、遺体が山のようにある突き当たりの通路にはない。戻って他の二カ所の通路を確認する」
「うん、分かった」

 こうして二人は引き返した。それから曲がった先には、血痕はあるものの遺体は無かった。続いて、左側を角から覗く。

「あった」

 梓藤の声に、静間もそちらを見る。するとその通路にも遺体はなく、そこには上階へと続くエレベーターと、そこから少し手前の位置に黒い爆発物があり、赤い電気が明滅していて、いくつかのコードが出ていた。二人は視線を交わしてから、そちらに歩みよる。

 ――三十分十五秒。十四秒。十三秒。

「少しは余裕があるな」

 目に見えて梓藤が安心した顔をした。

「解体出来そう?」
「ああ。この形態ならやれる」
「了解。じゃあこっちは周囲のマスクを警戒する。遺体に群がっているから来ないとは思うけどね」

 マスクは、本能に忠実だ。食事を疎かにするようなことはない。

 こうして梓藤が解体を始めた。
 額に汗を浮かべながら、手際よく持参したペンチでコードを切っていく。
 それが二十分ほど続いた時の事だった。

 不意に、エレベーターの扉が開いた。中からは、明るい光が漏れてくる。
 訝しく思って、静間がそちらを見て、眉間に皺を刻む。

「あれは……」

 すると梓藤もまたそちらを一瞥した。それを見て、静間が慌てたように声を出す。

「見てくるよ。爆弾の方に専念してて」
「ああ」

 頷いて梓藤が作業を再開した。非常に集中している様子だ。
 それを確認しつつ、静間は念のため、排除刀を引き抜いて右手に持ち、エレベーターへと向かう。するとそこには、処理班の制服とヘルメット姿の者がいた。

「助けてくれぇ、マスクだ。マスクが!」

 その叫びに、咄嗟に息を呑んでから静間が駆け寄る。すると助けを求めるように、中から両腕を出している、まだ年若い青年が見えた。

「――大丈夫です。警察の者です」

 座り込んでしまった青年が、ガクガクと震えているので、屈んで静間が手をさしだす。すると、両手でガシリと静間の手を掴んだ青年が立ち上がると同時に、勢いよくエレベーターの扉が閉まった。

「っ」

 左腕を挟まれた静間は、あまりの痛みに悲鳴を飲み込む。左腕の関節手前から挟まれており、閉じようとするエレベーターの力で血が流れはじめた。その間も、エレベーターの中へと引っ張り込むように、処理班の服を着た――マスクが笑っている。

「ああ、美味しそうだ。やっぱり生が一番美味い」

 そう言うとこれ見よがしに、中にいたマスクがべろりと静間の親指の付け根を舐めた。静間の全身に怖気が走る。

「簡単に騙されるんだから、人間は本当に頭が悪いなぁ」
「善意で助けようとした人間は、善意を持たないマスクよりは高等だと思うけど?」
「どうだろうなぁ。僕達みんなの手にかかれば、どうってことないね。第一係も」
「――みんな?」
「そう、みんな」
「第一係を知ってるの?」
「知ってるよぉ。僕達の敵だもの。僕達を殺す愚かな集団で、殺しても殺してもゴキブリのように出てくる」
「それは誰に聞いたの?」
「さぁねぇ?」
「爆弾処理班の人の事は、いつから喰べてるの?」
「昨日だよ。昨日、もしご馳走をくれなきゃ、襲うって君達の上層部に連絡したんだ。それぞれのご家族を人質にとって。ご馳走をくれたから、解放してあげたよ。あれ? 僕達にも善意があるみたいだぁ」

 聞き出せるかぎりのことを聞こうと静間は努力した。その間も、ずっと腕の痛みに耐えていた。ただ無駄話をしている間は、このような高等知能のマスクは食事より喋ることを優先する場合があるので、一応、そのおかげで左手がまだ食べられていないともいえる。

 その間、静間は何度か梓藤を見た。梓藤が狼狽えたように駆け寄ってこようとしたので、首を振って制する。今は、爆弾の処理の方が先決だと暗に伝えた結果、梓藤もその通りにした。あと何分なのだろうかと、そちらにも焦りながら静間が再び視線を向けたその時――ビリっと音がした。そして梓藤が倒れ、影から出てきた者が、手にしていたスタンガンで再びとどめを刺すように梓藤の体に電流を流す。

 ――普段の梓藤であったならば、近づいてくる敵に気づかない事など無かっただろう。けれど寝ていなかったせいで、意識が曖昧になりかける中、必死に爆弾処理に集中していた結果、背後の気配に気づくことが出来なかったようだ。


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